Word.9 招カレザル客 〈4〉
「クっ…!」
囁と不治子を広場へと残し、空を飛び上がりながら、遊園地のさらに奥へと移動していたアヒルが、観覧車のゴンドラの一つへと飛び降り、険しい表情で後方を振り返る。
「“凹め”っ!」
「うわっ…!」
アヒルの後を追って来た兵吾が、緑色に輝くその拳を、地面からでも届く、観覧車の下部の車輪へと炸裂させると、その部分が勢いよく凹み、観覧車が、アヒルの乗ったゴンドラごと、総崩れとなる。
「このっ…!」
ゴンドラから飛び降り、地面へと降下していきながら、アヒルが空へと弾丸を放つ。
「“当たれ”!」
アヒルの言葉を受け、空へと舞った弾丸は、百八十度角度を変え、下にいる兵吾へとまっすぐに向かっていく。
「弾丸じゃんっ?」
降りてくる弾丸を見ながら、避けようともせず、楽しげな笑顔を浮かべる兵吾。
「直撃する気かっ…!?」
「へへっ…!」
兵吾が笑ったまま、弾丸へと右手を突き上げる。すると、またしても兵吾の右手が、緑色の光を放ち始めた。
「“隔たれ”っ…!」
―――パァァァン!
「なっ…!?」
アヒルの弾丸は、強く輝く兵吾の右手に当たりはしたが、兵吾の右手に傷一つつけることなく、そのまま力なく地面へと落下した。その光景に、アヒルが驚きの表情を見せる。
「弾丸をっ…?」
しゃがみ込むようにして、地面へと着地しながら、アヒルが戸惑いの表情を兵吾へと向ける。
「ゴ、ゴッドハンドっ…?」
「へへっ、神に神の手って言われたじゃんっ」
真剣な表情で呟くアヒルを見て、兵吾がどこか得意げな笑みを浮かべる。
「神様は成り立てだから、知らないかもだけど、言玉は段によって、その形状が違うんじゃんっ」
「段に、よって…?」
兵吾の言葉に、アヒルが眉をひそめる。
「ア段は武器、イ段は水、ウ段は生物、そして俺っちのエ段はっ…」
先程、弾丸さえ叩き落とした右手を、アヒルの方へと見せるように掲げる兵吾。
「“身体強化”っ」
「身体、強化っ…?」
「そうじゃんっ」
聞き返すアヒルに兵吾が頷くと、再び兵吾の右手が強く輝いた。
「ほいっ」
「あっ…!」
光輝く兵吾の右手から、分離するようにして、その手のひらの中へと現れる、緑色の宝石のような玉。そのよく見慣れた玉を見て、アヒルが大きく目を見開く。
「言玉っ…!」
「俺っちたちエ段の五十音士は、体の一部に言玉を取り込んで、その部分を強化するじゃんっ」
そう言いながら、兵吾が再び言玉を、右手の中へと取り込んでいく。言玉が右手に吸い込まれると、再び右手から緑色の光が漏れた。
「そうかっ、だからあんな腕力や、弾丸を叩き落としたりなんかがっ…」
「その通りじゃんっ」
納得した様子で呟くアヒルに、兵吾が笑顔を向ける。
「じゃあ下手に弾丸を撃ち込んでも意味なっ…んっ?」
兵吾の力を理解し、どう攻撃しようか悩んでいたアヒルが、ふと何か思いついたような表情を見せる。
「それって、つまりは右手以外は、生身の人間ってことかっ」
考えを巡らせ、目つきを鋭くするアヒル。
「よしっ!」
「……っ?」
勢いよく銃口を空へと向けるアヒルに、兵吾が少し眉をひそめる。
―――パァァン!パァァン!パァァン!―――
空へと向かって、何度も何度も、その引き金を引くアヒル。
「数撃ちゃっ…!“当たんだろ”っ…!?」
アヒルの言葉に反応し、空へと放たれた無数の弾丸が、一斉に軌道を変えて、下方にいる兵吾へと降り落ちてくる。
「へへっ」
雨のように落ちてくる弾丸を見上げ、緑色に光る右手を掲げる兵吾。
「あの数は、右手一本じゃっ…!」
「へ…」
直撃を確信し、思わず笑みを見せたアヒルであったが、兵吾はゆっくりと自らの言葉を口にした。
「“減らせ”」
「なっ…!」
兵吾の広げられた右手から、降り注ぐ弾丸へ向け、大きな緑色の光が放たれると、無数あったはずの弾丸は、たった一個だけを残し、光に吸い込まれるように、どこへともなく消えていってしまった。
「何だとっ…!?」
消えた弾丸を見て、アヒルが大きく目を見開く。
「余裕じゃんっ」
「……っ」
「んんっ?」
向かってくる最後の弾丸へ、右手を突き出した兵吾が、何かに気づいたように、ふと視線を横へと動かす。
「“隔たれ”っ」
「あっ?」
先程と同じように、光る右手で弾丸を叩き落とすのかと思われた兵吾であったが、人差し指を立て、まるで狙いでも定めていたかのように、とある方向へとアヒルの弾丸を弾き飛ばした。アヒルが、弾丸の飛んでいく方角を、目で追う。弾丸の向かっていく先には、休憩用のベンチが置かれていた。
「何だって、あんなとこへっ…」
「ひええぇぇ~っ!」
「はぁぁぁっ!?」
その弾丸が向かっているベンチの後ろから、逃げるようにして飛び出て来る人物に、アヒルが目玉が飛び出しそうなほどに、激しく驚く。
「た、保っ…!?」
―――パァァァァンっ!
「ひぃっ!」
弾丸が直撃し、粉々になって砕け散るベンチに、地面に座り込んだまま、身を屈める保。ベンチの残骸が地面に落ちると、辺りに静けさが戻った。
「ふぅ~っ、た、助かっ…」
「おいっ」
「ひぃぃぃ~っ!」
自分の無事を確認するように胸を撫で、ホッと一息ついていた保が、背後から急に呼びかけたアヒルの声に驚いたのか、勢いよく背筋を震え上がらせた。
「って、あっ!アヒルさぁ~ん!」
「“アヒルさぁ~ん”じゃねぇよっ。んなとこで何やってんだよっ?お前はっ」
振り向いた保が、見知ったアヒルの姿を確認し、安心したような笑顔を見せる。笑う保に、アヒルはしかめた表情を向けた。
「いやぁ、晩御飯の買い物の最中にたまたま、アヒルさんたちが連れだって、どこかへ行くのを見かけまして」
「見かけまして?」
「“どこ行くのかなぁ?”と思って、つい、付いて来ちゃったりなんかっ…」
「はぁぁっ!?」
「ひぃっ!」
しかめていた表情を、さらにしかめるアヒルに、保が怯えた声を出す。
「す、すいません~!一人で電車にも乗れない俺が、び、尾行なんて大それた真似しちゃって、すいません~!」
「電車乗れねぇーのかよっ…」
必死に謝る保に、謝罪よりも電車のことで引っ掛かり、表情を引きつるアヒル。
「ふぅ~んっ、てっきり神様の加勢かと思ったのに、マジ普通に、ただの迷子じゃんっ?」
アヒルと保の様子を見ながら、兵吾が少し残念そうに呟く。
「そういや灰示サマが、招かれざる客が二人来てるって、言ってたじゃんっ」
「二人っ…?」
兵吾の言葉に、アヒルが眉をひそめる。
「二人って保、お前、誰かと一緒にっ…」
「ひぃぃ~!ひ、人とのごく普通な日常会話が、ろくに出来なくてすみませぇ~ん!」
「来るわけねぇーよなっ…」
まだ一人であれこれと騒いでいる保に、アヒルが呆れきった表情を見せる。
「まぁいいじゃんっ。神様とまとめて、ぶっ倒してやるじゃんっ!」
「……っ」
そう言って右手を振り上げる兵吾に、再び険しい表情を作るアヒル。
「おい、保っ」
「は、はいぃ~?」
アヒルに名を呼ばれ、深く俯いていた保が顔を上げる。
「いいか、よく聞け。ここは夢の世界、イッツァドリームワールドだ」
「はっ…?」
真剣極まりない表情で、ロマンチックなことを言い出すアヒルに、思わず間の抜けた声を漏らす保。
「今から、俺の言う通りに動け。でないと死ぬぞ」
「随分と怖いんですね…夢の世界って」
アヒルが脅すように言うと、保が今にも泣き出しそうな顔となる。
「じゃあ、まずはっ…」
「へっへっ!“凹め”ぇっ!」
「走れっ!」
「うわっ!ひえぇぇ~っ!」
兵吾の拳に撃たれ、凹み出す地面から逃げるように、必死にその場を駆け出していくアヒルと保。勢いよく凹む地面に、激しく叫びあげながらも、保は全速力でアヒルの後に付いてくる。
「逃がさねぇーじゃんっ…!」
追いかけっこを楽しむように、笑顔を見せて、二人の後を駆け出していく兵吾。
「ア、 アヒルさん!あの人っ…!」
「だっから、ここはドリームワールドだってっ…!」
「う、腕相撲大会出たら、絶対、優勝出来ますよぉ~!」
「そこかよっ…」
兵吾が何故、あのような力を持っているのかよりも、その力の凄さの方に感心がいっている保に、アヒルが走りながら、呆れたような、安心したような、複雑な表情を浮かべる。
「あぁ~!右手握力一桁の俺なんかが、世界語っちゃってすみませぇ~んっ!」
「うっせぇなぁ!もう黙って走れよっ!」
叫んでばかりいる騒々しい保に、前を走るアヒルが、思わず振り返り、怒鳴りあげる。
「へへっ!随分と楽しそうじゃんっ?」
「クっ…!」
「んんっ?」
上方から聞こえてくる声に、アヒルと両手で口を抑え込んだ保が、同時に顔を上げる。
「“凹め”っ!」
『……っ!』
近くの建物の屋根から飛び降りた兵吾が、すぐ横のコースターのレールへと拳を振り下ろすと、レールが勢いよく砕け散り、その上の、二人乗りの小さな車が、勢いよくアヒルたちのもとへと降下してくる。
「んんん~っ!」
「クソっ…!」
口を抑え込んだまま、声にならない焦りの声を漏らす保の横で、険しい表情を見せるアヒル。
「どいてろっ!」
「うわっ…!」
アヒルが大きな背中を勢いよく押し、保を横へと弾き飛ばす。吹き飛ばされた保が、勢い余って、地面へと倒れ込む。
「ア、 アヒルさっ…!」
「……っ」
保が焦るように身を乗り出す中、アヒルが銃を構え、銃口を落ちてくる車へと向けた。
「“当たれ”っ…!」
―――パァァンっ!
アヒルの放った弾丸が、落ちて来ていた車の中心を見事に貫き、車は空中でバラバラに砕ける。
「クっ…!」
落ちてくる車の残骸に、思わず身を屈めるアヒル。
「ふぃ~っ!」
すべての残骸が落ちると、アヒルがホッとした様子で、やっと顔を上げる。
「す、凄いです!アヒルさん!」
「んあっ?」
横から聞こえてくる保の声に、アヒルが面倒臭そうに振り向く。
「現実世界では、ただの面白い名前なだけの高校生なのに!夢の世界では、超強のガンマンなんですねっ!」
「今すぐ撃ち抜いてやろうかっ…?」
どこか興奮した様子で叫んでいる保に、勢いよく顔を引きつるアヒル。
「あぁ~!すみません~!俺みたいな中途半端な名前の奴が、アヒルさんの名を語っちゃっ…!」
「“凹め”っ」
「へっ?」
その場に座り込んだまま、いつものように必死にアヒルに謝っていた保が、上から降ってくる声に、目を丸くして、顔を上げる。
「うっ…!うひぃぃ~っ!?」
先程、アヒルへと落とされたコースターの車が十台ほど、今度は保へ向かい、勢いよく降り落ちていく。
「保っ…!」
焦ったようにその場を駆け出し、悲鳴をあげている保の前へと立つアヒル。
「このっ…!“当たれ”っ!」
アヒルが先程と同じように、銃口を空へと向け、弾丸を放って、落ちてくる車の一台を貫いた。粉々になって砕け散る破片のさらに上から、新しい車がどんどん落ちてくる。
「あ、“当たれ”!“当たれ”っ!」
何度もその言葉を繰り返し、弾丸を放つアヒル。だが徐々に、車は迫り来る。
「か、数が多過ぎるっ…!このままじゃっ…!」
「ええっ!?うっ…!」
焦ったように叫ぶアヒルの姿を見て、後ろで座り込んでいる保も、焦ったように顔を上げる。すぐ上まで迫り来ている車たちに、保の顔色が青ざめた。
「“当たれ”っ…!クっ…!」
必死に応戦するアヒルの口から、悔しげな声が漏れる。
「へへっ、終わりじゃんっ」
自らの勝利を確信し、コースターの上から、高々と二人を見下ろす兵吾。
「クソっ…!何とか保だけでもっ…!」
「ア、 アヒルさんっ…」
保だけは助けようと、保の頭上の車に狙いを絞り、必死に弾丸を撃ち続けるアヒル。そんなアヒルを、保はまっすぐに見つめる。
「あっ…!」
そんなアヒルの頭上に、一台の車が差し迫った。
「たっ…」
保が思わず、口を開く。
「“助けて”ぇぇっ…!」
―――パァァァンっ!
「えっ…?」
「何っ…!?」
アヒルのすぐ傍から、強い赤色の光が放たれると、その光は辺り全体を包み、アヒルたちへと落ちて来ていた車を、一台残らず、レールの上の兵吾へと弾き返した。
「な、何じゃん!?うぅっ…!」
焦りと戸惑いの表情を見せながら、兵吾が、向かってくる車を避けるため、レールの上から地面へと飛び降りる。兵吾が降りたすぐ後、車はレールを直撃し、そのコースターは粉々になって、総崩れした。
「これはっ…」
崩れ落ちたコースターを見つめ、少し圧倒されたように、顔を引きつる兵吾。
「あ、あれぇ?く、車はどこへ…」
「……っ」
ずっと目でも閉じていたのか、まったく状況を理解していない様子で、いつの間にか車のなくなっている空を見回している保の姿を捉え、兵吾がそっと目を細める。
「さっきの言葉…まさか、あいつもっ…んんっ?」
鋭い表情で保を見ていた兵吾が、ふと目を丸くする。
「か、神が居ねぇーじゃんっ!?」
先程まで、保のすぐ横に立っていたはずのアヒルの姿が、いつの間にか、なくなっていた。
「ど、どこにっ…!?」
周囲を見回し、アヒルの姿を探す兵吾。
「あっ!そういえば、あいつっ…!“上がれ”の言葉があるから、空へっ…!?」
兵吾が思い出したように叫び、勢いよく空を見上げる。
「遅せぇーよっ」
「うっ…!」
兵吾が顔を上げると、空にはすでに、銃口を兵吾へと向けたアヒルの姿があった。
「こ、このっ…!“へっ…!」
「“当たれ”っ…!!」
兵吾の言葉を掻き消して、アヒルの言葉が響き渡る。
―――パァァァン!
「うっ…うわああああっ!」
アヒルの弾丸が兵吾の体を貫くと、兵吾は激しい叫び声をあげ、その場に倒れていった。
「う、うぅっ…」
地面へと倒れ込み、目を閉じた兵吾の右手から、力なく緑色の言玉が転がり落ちた。兵吾の意識がなくなったことで、言葉の解放が止まったのだろう。
「ふぅっ」
こちらも地面へと降りたアヒルが、兵吾が倒れたことを確認し、ホッと一息つく。
「無事かぁ?保っ」
「あ、は、はいっ!」
振り向いたアヒルに、呆然としていた保が慌てた様子で頷き、その場を立ち上がると、ゆっくりとアヒルの方へと歩み寄って来る。
「そ、その人っ…し、死んじゃったんですかっ…?」
「んなわけねぇーだろっ。気ぃ失ってるだけだよっ」
「そ、そうですかっ…」
「……っ」
不安げに兵吾を見つめる保が、アヒルの言葉を聞き、安心したように笑みを零す。そんな保を、少し驚いたように見るアヒル。自分を危険な目に遭わせた人間を、どうやら心配しているらしい。
「変な奴だなぁ、お前っ」
「えっ?変?アヒルさんの名前がですか?」
「おっ前!ホントに撃ち殺ぉーすっ!」
「ひぃぃ~っ!」
容赦なく銃口を向けるアヒルに、保が今にも泣きそうな悲鳴をあげる。
「とにかく!ここは危ねぇーから、お前は今のうちに、とっとと遊園地の外へっ…」
「あ、見て下さいよぉ?アヒルさん!あっちに恐怖の館がありますよぉ~!」
「俺の話を聞けっ!」
「ひぃ~!ビビりのくせに、無駄に恐怖の館だけ好きで、すみませぇ~んっ!」
アヒルの言葉を聞かず、どんどんと奥へと進んでいく保を、アヒルは怒鳴り散らしながらも、仕方なく追っていった。
「ハハハっ…」
暗闇の中に響く、不気味な笑い声。
「ハハっ…早く来るといいっ…」
赤い瞳が、暗闇に光る。
「“安の神”…朝比奈アヒル…」




