Out Of Word. あノ夏ノ日 〈2〉
そんなこんなで、暑い夏の中、練習の日々は続き、そして夏の終わり。納涼祭、当日がやって来た。
言ノ葉広場の中央に設置された高台の上には、和太鼓が置かれ、白い鉢巻を頭に巻きつけた言ノ葉高校の校長が、気持ち良さそうにバチを振るっている。高台から伸ばされた飾りは、広場全体に広がっており、提灯の明かりも色取り取りで美しい。広場には、いつもは商店街などで店を出している者たちが、屋台を広げ、訪れた人々を迎え入れていた。
「結構、賑わうものだな」
「ま、この町にとっちゃ、一年で一番のイベントだからな」
感心したように周囲を見回す篭也に、アヒルが団扇を扇ぎながら、笑顔で応える。篭也や囁、保にとっては物珍しいことのようだが、生まれた時からこの町に居るアヒルにとっては、もう見慣れた光景であった。
「私たちがヒーローショーをする舞台は、どこにあるの…?」
「広場の一番奥に、特設ステージがあるだろ?あそこだ」
「楽しみだねぇ」
「俺はちょっと、緊張します」
アヒルが指差した先に見える、大きなステージ。今は小学校の子供たちが、合唱を披露しており、観客席は、子供たちの保護者でいっぱいになっている。実際のステージを前に、保はどこか固い表情となっていた。
「はぁ~!こんな緩みきった性格の俺が、一丁前に緊張とかしちゃって、すみませぇ~ん!」
「ハイハイ」
謝り散らす保を、慣れた様子であしらうアヒル。
「演技の方は、大丈夫なのか?神」
「うぅーん。まぁ、練習は出来るだけしたし、後は何とかなんだろ」
「あ、朝比奈クゥ~ン」
「へ?」
適当に広場を回っていたアヒルたちが、聞き慣れた声に呼び止められ、人ごみの中、その足を止める。
「扇子野郎、雅さんも」
「どうも」
アヒルたちが振り返ると、大きく『いどばた』と書かれた屋台の下に、為介と雅の姿があった。為介は扇子を扇ぎながら、逆の手で、アヒルたちへと手を振っている。その横で、雅が丁寧に、皆へと頭を下げる。
「扇子野郎たちも、屋台出してたのか」
「寄ってかなぁ~い?一回、百円だよぉ?」
為介たちの居る屋台の方へと、歩み寄っていくアヒル。為介たちの前には、大きな水槽が置かれており、為介が小さなお椀と、金魚すくい用の網を差し出しながら、勧誘を行う。
「へぇ~、金魚すくいかぁ」
懐かしそうに微笑みながら、アヒルが水槽の前へとしゃがみ込む。
「ううぅ~ん~」
そのアヒルの言葉を否定するように、大きく首を横に振る為介。
「“何でもすくい”」
「ぎゃあああ!」
為介の言葉を合図にするように、突然、水槽から飛び出してきた巨大ダコに、アヒルが思いきり叫び声をあげて、後方へと体を傾かせ、地面へと尻をつく。その間に、タコは水槽の中へと戻っていく。
「どぉ?面白いでしょ~?」
「面白くないわぁ!ってか絶対、んな小さな網で、今のタコ、すくえねぇし!」
緩い笑顔で問いかける為介に、アヒルが立ち上がりながら、必死に怒鳴りあげる。
「見事にタコをすくった人には、コレ!“恋盲腸”ヒトミのスペシャルラブ枕をプレゼントだよぉ~」
「何…!?」
ピンク一色の枕を取り出して宣伝する為介に、まったく興味を示さないアヒルの横で、冷静だった篭也がすぐにその顔色を変える。
「一回、頼む」
「はい、どうぞ」
篭也から百円を受け取り、その代わりに網を差し出す雅。
「おいおい、やめとけって。その小っさい網じゃ、絶対すくえないぜ?」
「ヒトミのためだ。絶対にすくってみせる」
「フフフ…熱いわね…」
「はぁ…」
ギラギラに瞳を輝かせ、大きな水槽の前にしゃがみ込み、小さな網片手に、巨大タコに挑む篭也を見て、アヒルがどこか呆れたように肩を落とす。
「俺も俺も!一回、お願いしまぁーす!」
「スー兄!」
どこからか突然、屋台へと現れたスズメが、素早く雅に百円を渡し、奪い去るように網を貰って、水槽の前へと陣取る。
「お前に、スペシャルラブ枕はやらねぇぜ。篭也」
「僕だって譲る気はありませんよ、スズメさん」
「真剣になりすぎだっての」
水槽の前で火花を散らせる篭也とスズメに、アヒルが益々、呆れ顔となる。
「ってか、スー兄はなんで、ここに…」
「ある夏の夜、町で行われる祭りに行くため、少女は一人、暗い山道を走っていました…」
「ん?」
いきなり現れたスズメを不思議に思い、首を傾げていたアヒルの耳に、どこからともなく、不気味な声が入って来る。
「少女が走ることに疲れ、ふと足を止めたその時、少女の背後から近づく、一つの足音…」
その不気味な声が語る話に、いつの間にか聞き入り、アヒルがごくりと、唾を呑み込みながら、その続きを待つ。
「少女が恐る恐る、後ろを振り返ると、そこには…」
「そ、そこには…?」
アヒルが言葉を繰り返し、険しい表情を見せる。
「四つ目スカンクが…」
「スカーンク!」
「ぎゃああああ!」
大きな声と共に、背中から勢いよく両肩を掴まれ、アヒルが背筋を震え上がらせ、激しい悲鳴をあげる。
「為介さん…」
「ごめんごめん、つい、やりたくなっちゃってぇ~」
アヒルの背中から肩を掴み、大きな声をあげた張本人である為介が、雅に注意するような鋭い視線を向けられ、緩い笑顔のまま、謝る。
「どう…?少しは涼しくなった…?アヒルくん…」
「ツー兄…」
まだ早い鼓動を静めるように、必死に胸を押さえたアヒルが、名を呼びながら、横を振り向く。そこにはアヒルのもう一人の兄、ツバメが立っていた。
「ついでに、緊張も取ってあげようと思ってね…」
「あ、ありがとうよ…」
何故か得意げに微笑むツバメに、怒鳴る気力もなく、アヒルは大人しく礼を呟く。
「ってか、なんでツー兄までここにっ…」
「スーくんもツーくんも、ちゃんと手伝ってよぉ~!」
「んあ?」
もう一つの聞き覚えのある声が、そこに響き、アヒルが為介たちの屋台の、すぐ横の屋台へと、視線を動かす。
「お、オヤジ!?」
「あ、アーくぅ~ん!」
為介たちの隣の屋台で、店頭に立っているのは、いつもの店のエプロンに、白い鉢巻姿のウズラであった。ウズラはアヒルを見つけ、嬉しそうに満面の笑みを浮かべる。よく見れば、ウズラの居る屋台には、大きく『八百屋あさひな』と書かれていた。
「うちも屋台、出してたのか」
「うん、商店街のお店は、だいたい出すからねぇ~」
アヒルが数歩、足を動かし、ウズラの居る屋台へと移動していく。
「じゃあ、スー兄とツー兄は手伝いで、ここに居たのか」
「そうそう~アーくんは劇で忙しいだろうから、二人にお手伝い、お願いしたんだけど、二人とも、全然やる気なくてさぁ~」
「だって、つまんねぇんだもん」
嘆く父に対し、タコすくいを続けながら、スズメが口を尖らせる。
「そうそう…それに絶対、売れないと思うんだよね…」
スズメの言葉に同意しながら、ツバメが鋭く、店頭を見つめる。
「“チョコきゅうり”って…」
「ええぇ~お父さんの自信作だよぉ?」
ツバメが見つめた店頭には、チョコとチョコチップで彩られたきゅうりが、一本丸々串に刺さり、それが何本も並んでいた。
「チョ、チョコきゅうり…」
「確かに絶対、売れなさそうね…フフフ…」
その光景を見て、思わず表情を引きつるアヒルの横で、囁が不気味に微笑む。
「じゃあ、これはどうかなぁ?綿レタス!」
明るい笑顔で、ウズラが奥から取り出してきたのは、淡いピンク色の綿あめを纏った、レタス丸一個であった。それを見て、兄弟たちがまた、表情を引きつる。
『絶対、売れない』
「ええぇ~?」
声を揃えるアヒルたちに、がっかりした様子で肩を落とすウズラ。
「そういえばアヒルくん、アヒルくんたちの出る劇って、何時から?」
「三時。そろそろ一時間前だから、準備行かねぇとなぁ」
ツバメの問いに答えながら、アヒルが腕時計を確認する。
「劇の主役とかお前、本当に大丈夫なのかぁ?」
まだタコすくいを続けながら、スズメが少し顔をしかめ、アヒルへと言葉を向ける。
「あんまし恥かくなよぉ?俺の弟であるお前がヘマすると、俺に夢見る女子たちががっかりするからよ」
「どこに、んな夢見る女子がいんだよ」
「僕も、居ないと思う…」
得意げに話すスズメに対し、鋭く言い放つアヒルと、それに強く同意するツバメ。
「アーくん、アーくん!」
「ああ?」
どこかウキウキとしたウズラの声に呼ばれ、アヒルが少し面倒臭そうに振り向く。
「何…」
「じゃーん!お父さん、この日のために、お手製のアーくん応援幕を作ってきたんだぁ~!」
「…………」
笑顔の父が翻した、屋台よりも幅のある巨大な応援幕と、それに書かれた“アーくん、頑張って”の文字に、アヒルが一瞬にして、その表情を凍りつかせる。
「作るのに、八日もかかっちゃったよぉ~どう?アーくん、気にいっ…」
「次にその幕を出したら、親子の縁を切る」
「ええぇ!?」
冷たく言葉を放つアヒルに、焦ったように声をあげるウズラ。
「さ、とっとと準備行くぞ」
「な、なんでぇ~!?お父さん、頑張って作ったのに!アーくぅ~ん!」
問いかける父を置いて、アヒルは囁や七架と共に、足早にその場を去っていく。
「やっぱり、アーくんの文字を、金糸で刺しゅうした方が良かったかなぁ~?」
「そういう問題じゃないと思うよ…」
「やれやれ、だなぁ」
お手製応援幕を見ながら、あれこれと考えを巡らせている父を見て、深々と肩を落とすスズメとツバメであった。
「んん~、ここが特設ステージか」
アヒルたちが為介やウズラの屋台を回っている頃、アヒルたちの出演する劇の脚本兼演出を手掛けた綴は、劇の行われる舞台を確認するため一人、まだ客も集まっていないステージを訪れていた。
「僕の素敵な物語が繰り広げられる舞台にしては、地味めだが、まぁいいとするか」
味気ないステージに少し首を捻りながらも、綴が納得するように頷き、ステージに背を向ける。
「さて、朝比奈君の台詞回しの、最終確認にでも行っ…」
「聞いたかぁ?今年の劇」
「ん?」
その場を去ろうとした綴のもとに、若い男の声が入って来る。その声のした方を綴が振り向くと、舞台の袖で、三名の若い男がそれぞれ作業をしていた。納涼祭のスタッフであろう。目立った黄色の法被を着ている。
「ヒーローショーらしいぜ」
「まじでぇ!?だっせ!」
「高校生が、団体でよくやるよなぁ~」
聞こえてくるその言葉に、綴の表情が一気に曇る。
「俺、さっき練習見てたんだけど、まったベタな展開でさぁ、あれなら幼稚園の学芸会の方が、まだマシだぜ?」
「げぇ~、んなんで、客入んのかよ」
「折角、苦労してステージ作ってんだから、せめて見るに耐えるもん、やってほしいよなぁ」
「……!」
それ以上、男たちの言葉を聞いていたくなく、綴は思わず、弾かれるように、その場から駆け出した。
「ハァ…ハァ…!」
逃げるように必死に足を動かし、頭を巡る、先程の言葉たちを掻き消すように、綴が何度も何度も、首を横に振る。
「違う、違う…!ぼ、僕は…!」
―――ヒーローショーこそ、すべての人の心を揺さぶるもの!―――
「僕は…!」
自分自身の放った言葉を思い出し、その言葉だけを信じようと、綴が強く、瞳を閉じる。
<傷ついた…?>
「え…?」
どこからともなく響く声に、綴が必死に動かしていた足を止め、その場で立ち止まる。
「な、何っ…」
響く声が誰のものなのかを確かめようと、綴は周囲を見回すが、そこは人気のない祭りの裏手で、綴以外、人影は見当たらなかった。
「そ、空耳…」
<ねぇ、傷ついたの…?>
「……っ」
聞き間違えかと思おうとしたその時、また、声が響く。
「だ、誰…」
<頂戴>
「う…!」
戸惑っていた綴のすぐ目の前に、上空から、黒い影の塊が降り立つ。見たこともない生き物の姿に、綴は背筋を震え上がらせ、一歩、足を退いた。
<ねぇ、その痛み…頂戴>
「う、うあああああ!」
伸びる黒い影の手に、綴の叫び声が響いた。




