Word.84 をワラヌ明日ヘ 〈5〉
「ん、んん…」
一瞬、意識を手放していたのか、アヒルがゆっくりとその瞳を開く。アヒルの目覚めたそこは、まだ、空の上であった。空中だからか、すでにボロボロの体も、割りと楽に起き上がらせることが出来た。
「お、俺、どうして…あっ」
戸惑うように、自分の体を見回したアヒルが、ふと視線を止め、そっと眉をひそめる。
「銃が…」
アヒルの右手に握りしめられた、一丁の銃。その銃は、すでに銃身に大きくヒビが入り、銃口の先も砕けて、最早、銃とは呼べない状態となっていた。激しい力のぶつかり合いに耐えられず、壊れてしまったのだろう。アヒルが険しい表情を見せながら、空いている左手で、そっと銃身を撫でる。
「あいつはっ…?」
先程まで、力のぶつけ合いを行っていた相手の姿を探し、周囲を見回すアヒル。アヒルの周りの空は、二人の力のぶつかり合い、そして最後の爆発の影響からか、細かい光の粒が無数に降り落ち、それが辺りを囲っていて、周りの景色など、ろくに見えない状況となっていた。
「どこに…」
「う、ううぅ…」
無数の光粒の中、人影を探していたアヒルが、かすかに耳に入るその声に気付き、素早く振り向く。
「あ…」
降り注ぐ光の中、空中に横たわっている、人の影。それは、背中に生えていた翼を失い、全身ボロボロに傷ついて、すっかり力ない姿となってしまった、永遠であった。
「永遠…」
永遠の姿を見つけ、そっと目を細めるアヒル。アヒルは、少し考えるように俯いた後、またすぐに顔を上げ、何やら決め込んだ表情となった。そして、空中を起き上がった態勢のまま、ゆっくりと移動し、横たわっている永遠のもとへと、近付いていく。
「永遠…」
「……寄るな」
鋭く返って来る声に、アヒルがその場で思わず、動きを止める。永遠は深く瞳を閉じていたため、意識を手放しているのかと思ったが、しっかりと、その意識は保っていたようである。横たわった状態のまま、永遠がゆっくりとその瞳を開き、目の前へとやって来たアヒルを、鋭く見やる。
「これで、満足か…?」
「え…?」
永遠からの急な問いかけに、アヒルが、戸惑うように眉をひそめる。
「諦めなかった…“諦めなかった”君には、“明日”が来る…」
傷だらけの状態ながらも、しっかりとした意識で、はっきりと、自身の言葉を紡ぐ永遠。
「けど、“諦めた”俺には、“明日”は来ない…」
低くなる、永遠の声。険しい表情には、かすかに悲しみが感じられる。
「誰かが“諦めず”にいれば…他の誰かは、“諦めなきゃ”いけなくなるんだ…」
遠くの方を見つめていた永遠の視線が、またゆっくりと、アヒルの方へと戻っていく。
「君が“諦めない”と言った分だけ、“諦めた”人間が、この世界に居るんだよ…安の神…」
まっすぐに向けられる、責め立てるような永遠の言葉を、アヒルは逸らすことなく、永遠を見つめ返すことで、しっかりと受け止める。
「……そんなこと、ない」
あっさりと永遠の言葉を否定するアヒルに、永遠は少し、驚いたように、目を見張った。そんな永遠の様子も気にせず、アヒルは永遠を見つめたまま、言葉を続ける。
「俺は、自分が“諦めない”からって、他の人間に“諦めろ”なんて、言ったりしない」
「……ハっ」
アヒルが放ったその言葉を、永遠が鼻で、笑い飛ばす。
「何を言い出すかと思えば。言葉の神なら、もう少し、自分の発言に責任を持てよ」
また責めるように、強くアヒルを睨みつける永遠。
「現に、さっき君は、俺にっ…」
「違う!」
責め立てる永遠の声を、アヒルが、思わず張り上げた声で、勢いよく遮った。少し眉をひそめた永遠へと、アヒルが、真剣な表情を向ける。
「違うんだ、永遠」
もう一度、強く言い放つアヒルのその言葉は、永遠に信じて欲しいと、そう願っているようだった。
「さっき、俺が言いたかったのは、“お前が、明日を諦めたのが悪いんだから、何もかもを諦めろ”とか、そんな言葉じゃないんだ」
アヒルの誠実な言葉が、まっすぐに永遠へと伝えられる。
「俺は」
力強く、永遠の瞳を見つめるアヒル。
「俺はお前に、“明日を諦めるな”って、そう、言いたかったんだ」
アヒルから告げられるその言葉を、想定していなかったのか、永遠は驚いた様子で、大きく目を見開いた。
「あき、らめるな…?」
「ああ」
戸惑った様子で聞き返す永遠へ、アヒルが大きく頷きかける。何の迷いもなく頷くアヒルに、永遠がまた、その戸惑いの色を深くする。
「な、何を…馬鹿なっ…」
わずかに動揺を見せた声で、永遠がすぐに、アヒルの言葉に、首を横に振る。
「俺に、“明日”なんてっ…俺は、“永遠”、で…」
「年を取ることが、“明日”じゃない。巡る時を過ごすことが、“明日”じゃない」
必死に否定しようとする永遠の言葉を遮り、アヒルが優しく、諭すように、言葉を掛ける。
「何かしようって、どこかに出掛けようって、誰かに会いに行こうって、そう思うことが、“明日”だ」
穏やかで、大きな笑みを零して、アヒルが言い放つ。
「希望を持つことが、“明日”だ」
アヒルの大きな微笑みに、永遠がまたもや、驚いた様子で、目を見開く。
「希、望…」
「ああ。希望を持てば、どんな人間にだって絶対、“明日”は来る」
まだ、アヒルの放った言葉を受け止めきれていない様子で、少し困惑したように、アヒルの言葉を繰り返す永遠に、アヒルがしっかりと頷きかける。
「お前にも、“明日”は来る」
はっきりと放たれるアヒルのその言葉は、疑いのない真実のように、永遠の耳に響いた。
「だから、諦めないでくれ。永遠」
アヒルが、どこか願うように、永遠へと声を掛ける。
「諦めないで、希望を持てば、ほら」
その視線を動かし、自身の後方へと向けるアヒル。永遠も、アヒルの見つめるその先へと、視線を移す。二人の周囲を包むようにして降り注いでいた、二人の力の残骸である光粒が、すべて散り消え、やっと、光の向こう、外の世界が見えてくる。見えてくるその光景に、アヒルはそっと微笑み、永遠は大きく、その瞳を見開いた。
「あ…」
思わず、声を漏らす永遠。二人の視線の先に見えるのは、水平線上から浮かび上がる、美しいまでに輝く、朝日であった。
「“明日”はこんなにも、輝いて見えるから」
空へと昇りゆく朝日を見つめ、アヒルがどこか、誇らしく笑う。
「ああ…」
同じように朝日を見つめ、そっと、瞳を細める永遠。
「これが、“明日”…」
細められた永遠の瞳が潤み、やがて、その瞳から、一筋の涙が零れ落ちる。青い空へと昇る、明々とした太陽を見つめ、永遠は穏やかに、そして嬉しそうに、笑みを浮かべた。
「あっ…」
朝日から永遠へと視線を戻したアヒルが、ふと、その表情を曇らせる。永遠の傷ついた右手の中に、握り締められている白い言玉が、中央から大きくヒビ割れ、勢いよく砕け散ったのだ。言玉が砕け散ると同時に、永遠の体が、真っ白な光に、包まれていく。
「これで…やっと、行ける…」
光に包まれていく自分の体を見つめながら、永遠がまた、そっと微笑む。
「“明日”へ…」
「永遠…」
穏やかに微笑む永遠を見つめ、険しい表情を見せるアヒル。
「…………」
アヒルは少し悩むように俯いた後、ゆっくりと顔を上げ、光の中に消えゆく永遠に、大きな笑顔を向けた。
「“また明日”、遠久」
今まで呼んできた名ではなく、彼の本当の名を呼んで、アヒルが遠久へ、挨拶を向ける。遠久はアヒルへと視線を向け、その穏やかな笑みを、アヒルへも向けた。
「また、明日…」
挨拶を返した遠久の体から溢れる光が、徐々に強さを増し、遠久を包み込んでいく。
「……っ」
光が体を覆い尽くしていく中、遠久は微笑んだまま、ゆっくりと、その瞳を閉じた。
―――パァァァン!
次の瞬間、真っ白な光はその場で砕け散り、朝日が照らす中、遠久は、空へと消えていった。
「遠久っ…」
遠くの空で消えた光に、“永遠”を生きてきた弟の死を感じ取り、恵がそっと、目を細める。
「ク…!」
強く唇を噛み締めた恵が、近くに落ちていた、韻従者の武器であろうナイフを手に取り、その刃の先を、自身の喉元へと、向けて振り下ろす。
「う…!」
だが、その刃は、恵の喉に、突き刺さる前に止まった。恵の腕を掴み、それを止めたスズメが、何とも厳しい表情で、恵を見つめている。
「やめろって、そういうの。誰も、喜ばねぇから」
厳しい表情のまま、スズメが恵へと、言葉を掛ける。
「俺もアヒルも…それに、兄貴も」
向けられるスズメの言葉に、恵がそっと目を細める。脳裏に浮かぶ、カモメの優しい笑顔に、深く瞳を閉じる恵。恵の右手から、力なく、ナイフが零れ落ちた。
「ううぅ…う…!」
俯いた恵の瞳から、とめどない涙が、溢れ出る。
「遠久っ…遠久ぁぁぁ…!!」
もう届くことのない弟の名を呼びながら、恵はただ、その場で泣き崩れた。
「遠久サン…」
勝負の終わりを察し、下がっていた後方から、皆の居る方へと戻って来た為介もまた、遠久の消えていった空を見つめ、悲しげに目を細める。
「…………」
今までの数々の出来事を思ってか、ウズラも静かに、その瞳を閉じた。




