Word.83 想イヲ、言葉ニ 〈3〉
アヒルが再び手にした銃から放たれた弾丸は、先程まで以上の速度で空中を駆け抜け、永遠がアヒルへと向けた終末の光を、力強く弾き飛ばす。
「何、だと…!?」
冷静だったその表情に、大きく衝撃を走らせる永遠。アヒルの弾丸が、永遠の光を弾いたことにというよりも、アヒルが言葉を放ったことへの驚きの方が、大きいだろう。光を弾いた弾丸は、まっすぐに永遠へと向かっていく。防ぐ準備など整えていなかった永遠は、きつく唇を噛み締めた。
「ぐうぅぅ…!」
正面から、もろに弾丸を喰らい、後方へ吹き飛ばされこそしなかったものの、永遠の口から、苦しげな声が漏れる。
「何故、何故だ…?」
弾丸を浴び、全身を斬り裂かれた永遠は、わずかに呼吸を乱し、肩を上下させながら、戸惑いの表情をアヒルへと向ける。
「君の言葉は、確かに、“封じた”はず…」
戸惑いに揺れる瞳が、激しい傷を負いながらも、両手に銃を持ち、再び立ち上がったアヒルの、その鋭い瞳を捉える。
「なのに何故、言葉を口に出来る…!?」
動揺からか、先程までの冷静な口調とは一転、声を張り上げて問いかける永遠。
「叫び続けてた」
アヒルが短く、答えを投げかける。
「心の中で、叫び続けてた。ずっと」
「叫び、だと…?」
「ああ」
さらに戸惑いの色を濃くし、聞き返す永遠に、アヒルがゆっくりと頷く。
「そしたら、想いが、言葉になった」
アヒルの言葉が、迷いなく、はっきりと響き渡る。
「俺の想いが、言葉になった」
「“想いが言葉に”、だと…?」
先程と同じように、永遠がアヒルへと問いかける。だが、先程よりも表情は険しくなり、その音調は少し低くなったようにも聞こえる。
「ああ」
永遠の変化も気にせず、アヒルがまた、ゆっくりと頷く。
「想いを乗せるのが、言葉。自分の中の想いを、相手に伝えるのが、言葉だ」
戻った言葉で、アヒルは、自身の主張を進める。
「想いを力に変えるのが、言葉だ」
さらに熱が入るように、その言葉がより一層、はっきりと響く。
「俺の知っている五十音士は…」
―――神附きであることを、何よりも誇りに思っている!―――
―――すべての“痛み”を消す…この、言葉で!―――
―――俺が、俺だけが“神”だ!―――
―――言葉に贖わせる…それが、言葉の神である、俺の役目!―――
「全員、その強い想いを力に変えて、言葉を口にしていた」
かつて戦った者たちの言葉を思い出し、アヒルがどこか、懐かしむように、口元を緩める。
「強い想いを持って、その文字に誇りを持って、言葉を放っていた」
少し視線を下へと向けていたアヒルが、また上を向き、永遠を見つめる。
「確かにお前は、五十音、すべての文字の力を持っているのかも知れない。お前一人で、五十音、すべての言葉が放てるのかも知れない。けど」
言葉を付け加えたアヒルの瞳が、鋭く光る。
「お前は、他の五十音士たちの代わりになんて、なれない」
もう決まっていることのように、アヒルがはっきりと言い放つ。
「自分の文字を誇るのが、自分の想いを言葉に込めるのが、五十音士だ」
アヒルが銃を握り締める両手に、精一杯の、力を込める。
「ただ、自分の苦しいって想いを、辛いって想いを、力で、相手に押しつけるだけのお前に、皆の代わりなんて、出来ない!」
主張を強めるように、大きく声を張り上げるアヒルに、永遠の表情が、あからさまに大きく歪む。だが、歪んだその表情は、すぐに平静さを取り戻した。
「参ったな…」
小さく、短く、そっと言葉を落とす永遠。
「まさか、俺が神になった頃には、生まれてもいなかったような子供に、俺自身の言葉を否定されるとは、思ってもみなかった…」
静かに続くその言葉には、単調だが、確かに、怒りがこもっている。
「本当に君は、どれだけ、俺の心を傷つければ、気が済むんだろう…?」
誰へでもない問いかけを向けながら、永遠がゆっくりと視線を動かしていく。
「ねぇ、アヒル…」
突き刺さるような永遠の視線を浴びると、アヒルの額から、静かに汗が流れ落ちる。永遠の纏う、威圧感は重たく、ただ見られただけだというのに、アヒルの全身に悪寒が走るようであった。
「言葉が戻ったくらいで、俺に勝った気でもいるのか?」
鋭い瞳を向けたまま、永遠が今度は、アヒルへと問いかける。
「言葉で、言っておいてやるよ。君の言葉が戻ったところで、君は俺には勝てない」
確信を持って、はっきりと言い放つ永遠。
「“消し去れ”」
「う…!」
言葉を放ちながら、アヒルの方に向かって、永遠が右手を一振りする。軽く払っただけなのに、アヒルの正面へと強い風が吹き抜けると、アヒルの体を纏っていた、淡い青色の光が、一瞬にして消し飛んだ。空中へと掻き消えていく青色の光を目にし、アヒルが思わず、小さく声をあげる。
「扇子野郎の、言葉がっ…」
「これでもう、“生きろ”の言葉は、無効化された」
アヒルの周りから消え去った青光に、永遠が、満足げに笑う。
「これで、心置きなく、終わらせることが出来る」
目を細めた永遠の笑みが、冷たいものへと変わる。
「君の、言葉を」
永遠のその言葉に、アヒルの表情が、より一層、厳しいものへと変わる。為介の言葉が無効化された今、一瞬でも永遠の終末の光を浴びれば、その時点で、アヒルの言葉は、すべての行動は、停止されてしまう状態となったということだ。
「“満ちれ”」
永遠が言葉を発すると、背中の翼が広がり、翼の持つ輝きが、またどんどんと増していく。光と共に集約していく、言葉の力を肌に感じ、アヒルの眉間に皺が寄る。
「さぁ、本当に終わりにしよう。アヒル」
まるで宣言でもするように、永遠がはっきりと告げ、言玉を持った右手を振り上げる。
「“削げ”…!」
「グ…!」
向けられる無数の光に、アヒルは、険しい表情で、唇を噛み締めた。
「圧倒的不利ですわね…」
永遠の城跡から遠く離れた場所で、ウズラや他の音士たちと共に待機している和音が、ポツリと言葉を落とす。その声に気付き、和音のすぐ横に立っていた篭也が、振り向いた。
「見えるのか?」
「わずか、ですが…」
篭也の問いに答える和音の、その視線の先には、和音の言玉の変化した姿である、真っ赤な手鏡。鏡の中に映っているのは、霞み過ぎていてわかりにくいが、アヒルと永遠の様子であった。両手で手鏡を握り締めた和音は、食い入るようにして、その鏡の中を覗き込んでいる。
「彼の四字熟語が無ければ、もう少し、はっきりと見られるのですが…」
「圧倒的不利とは、どういうことだ?神が押されているのか?」
篭也はアヒルの様子を気に掛けている様子で、少し焦ったように、次々と問いかけを和音へと向ける。向けられる問いかけに、和音は顔を上げ、厳しい表情を篭也へと向けた。
「はい」
大きく頷く和音に、篭也が眉をひそめる。
「安の神は、必死に戦っています。その限界を、遥かに超える程の力で。ですが」
言葉を付け加え、和音が表情を曇らせる。
「持っている文字の力の数が、あまりにも違い過ぎる…」
そう言って和音は、どこか悔やむように俯いた。
「数とは、どういうことだ?」
そこへ、篭也の少し後ろに立っていた檻也が、戸惑った様子で口を挟む。
「永遠の持つ文字は、“を”、一つのみのはずだろう?文字の数だけなら、“あ”と“う”の二つの文字を持つ安の神の方が、勝っているんじゃ…」
「“を”の文字は、五十音、すべての文字を司る文字」
檻也の言葉を遮るようにして、声を発したのは、三人よりも手前に立ったウズラであった。ウズラは檻也たちに背を向けたまま、前方に見える空間を見つめ、言葉を続ける。
「“を”の文字を真に解放した者は、すべての文字の力を得ることが出来る」
「すべての文字、だと…?」
「そんな…」
ウズラの解説に、一気に険しい表情となる檻也と空音。
「そんな…!そんな、すべての文字の力を持った者になど、勝てるはずが…!あっ…」
思わず声を張り上げ、和音へと訴えようとした檻也であったが、篭也の姿を目で捉え、言葉を途中で呑み込む。
「す、済まない…」
「いや」
申し訳なさそうに俯く弟に、篭也は、そっと首を横に振って応えた。
「これは、賭けです」
二人のやり取りを見ていた和音が、凛とした声を響かせる。
「この世界中の、すべての言葉を懸けた賭け…」
そっと目を細めた和音が、手鏡から視線を上げ、前方の空に浮かぶ、真っ白な空間を見つめる。
「そして、わたくしたちは、安の神に、彼に賭けた」
空間を見据える瞳を鋭くし、和音がはっきりと言い放つ。
「だから後は、彼を、神を信じ、祈りましょう」
力強いその言葉は、まるで、不安がる自分自身に言い聞かせる言葉のようにも聞こえる。和音の言葉に、篭也は頷くことが出来ず、険しい表情で、そっと下を向く。
「クっ…」
「恵ちゃん…」
悔しげに唇を噛み締める恵を見つめ、心配そうに目を細めるスズメ。
「本当に、祈るだけでいいのかな…」
「え…?」
迷うようなその声に、和音が振り返る。
「奈々瀬」
和音の振り返った先に立ち、アヒルの居る空間を、ただまっすぐに見上げているのは、七架であった。同じように振り返った篭也が、和音の代わりに、七架の名を呼ぶ。
「だって、神様に祈るだけで、祈った人が全員、救われるなら、きっと、皆、祈る以外には、何にもしないよ」
和音たちの方は見ずに、ただ空間だけを見つめ、七架が言葉を続ける。
「きっと皆、一生懸命、頑張ったりしない。神様に祈るだけで救われるなら、きっと人は、頑張ることをやめてしまう」
七架のその言葉に、どこかハッとしたように、表情を動かす和音。
「それじゃ、いけない。祈るだけじゃ、何にもならない」
続く七架の言葉を聞きながら、金八やシャコに囲まれ、傷の手当てを受けているイクラが、そっと視線を地面の方へと落とす。
―――祈ったのに…毎日、一生懸命、祈ったのにっ…―――
―――どうして先生を救ってくれなかったんだよぉ…!―――
「……っ」
祈りの届かなかった過去を思い出し、イクラがそっと目を細める。
「私は、祈るだけでいたくない。何かしたい」
胸の前で固く両手を握り締め、七架がまるで、願うように、言葉を放つ。
「何か、してあげたい」
空間を見つめる七架の瞳に、薄らと滲む雫。
「私の神様のために」
見つめる空間の中に居るアヒルを思い、七架が力一杯、両手を握り締める。
「“何かしたい”…!」
七架の言葉に反応するように、握り締められた両手の中で、七架の言玉が、淡い光を放つ。
「奈守さん…」
「お姉ちゃん…」
今にも泣き出しそうなほどに、必死に、アヒルを思う七架のその姿に、胸を打たれるような気持ちで、和音がそっと目を細める。六騎も、姉のその姿に、悲しげな表情を見せる。
「俺も、なりたいです」
七架の言葉に同調するように、言葉を放ったのは、保であった。
「アヒルさんの助けになりたい。何でもいい、ほんの少しでもいいから」
七架と同じようにアヒルの居る空間を見つめ、保がそっと、笑みを浮かべる。
「“助けになりたい”」
保の切実な言葉が発せられると、保の右手の中の言玉が、保の気付かないところで、徐々に輝き始める。
「そうね…」
七架の肩に手を置き、そっと七架のすぐ横へと並んだのは、囁であった。
「私は、支えたいわ…」
二人同様、アヒルの居る空間を見上げ、囁が穏やかに微笑む。
「皆の言葉を背負って、きっとボロボロになってるだろう、私の神様を」
遠くに居るアヒルを思い、囁が目を細める。
「“支えたい”…」
その言葉に反応し、囁の言玉も、そっと輝く。
「“誰よりも近くで神を支え、誰よりも強く、神の力となれ”」
「篭也…?」
急に、流れの繋がらない言葉を発した篭也に、和音が戸惑うように振り向く。
「危うく、先代加守の言葉を、忘れるところだった」
自分自身を咎めるように、額へと軽く手を当てて、またその手を下ろした篭也が、笑みを浮かべ、和音の方を見る。
「僕は、神附き」
篭也が誇らしげに言葉を放ち、他の三人と同じように、まっすぐに、アヒルの居る空間を見つめる。
「僕は、我が神へ祈りを捧げたいんじゃない。我が神を見守りたいんじゃない。僕は、我が神を」
次の言葉を強調するように、篭也が言葉の間に、少しの時間を置く。
「勝たせたい。“勝たせたい”んだ」
珍しく声を張り、篭也が決意を固めるように、はっきりと言葉を口にする。
「“明日”、共に笑い合うために…!」
篭也の言葉に反応し、篭也の右手の中で、言玉が強い、赤色の光を放ち始める。輝き始めた四人の言玉は、互いの言玉に呼応するように、その輝きを増し、やがて光が上空へと舞い上がって、一つに合わさっていく。
「な、何だ?」
青い空の中で、一際輝く赤い光を見上げ、戸惑いの表情を見せるスズメ。他の音士たちも皆、上空を見つめ、その赤い光を見守る。皆の視線が集まる中、光はさらに強さを増し、まるで爆発でもするかのように、勢いよく弾け飛んだ。
『ううぅ…!』
降り散る眩い光に、見上げていた音士たちが皆、思わず目を伏せる。




