Word.83 想イヲ、言葉ニ 〈2〉
「ハァ、ハァ…」
「ん?」
永遠が言玉を向け、アヒルにとどめの一撃を向けようとした、その時であった。大きく息を乱しながらも、震える左手を、わずかに上げたアヒルが、苦しげな、だが、まっすぐな鋭い目で永遠を見つめ、左手の金色の銃の銃口を、永遠へと向ける。
「う…」
乱れる呼吸の中、必死に自分の文字を口にするアヒル。
「“撃て”…!」
アヒルが血だらけの指で、強く引き金を引くと、今度は金色の弾丸が、まっすぐに永遠へと向かっていく。
「終わる気はなさそうだね…まったく、往生際の悪い」
迫り来る弾丸を見つめながら、永遠がどこか、呆れたように肩を落とし、手の中の言玉を光らせる。
「“無くせ”」
永遠の言葉により、アヒルの弾丸が、一瞬にして、どこかに消える。消された弾丸に、わずかに表情をしかめながらも、それ以上、銃を持ち上げていることが出来ずに、アヒルは力なく左手を下ろした。だが依然として、鋭い瞳だけは、まっすぐに永遠の方を向いている。その突き刺すような視線に、不快感でも覚えたのか、その表情を曇らせる永遠。
「あまり、好きじゃない顔だな」
鋭い視線でアヒルを見つめ返しながら、永遠が左手で、軽く頭を掻く。
「君のその目がまるで、“諦めない”とでも、言っているようだ」
自身の発した言葉を嫌がるように、永遠が数度、首を横に振り、また言玉をアヒルへと向ける。
「あの、意味のない言葉を」
永遠の手の中で、一層輝く言玉。
「“躙れ”」
言玉からまた新たに光が放たれ、床に仰向けに倒れ込んだままのアヒルへと、上空から踏み潰すように、覆いかぶさる。
「“抜けろ”」
覆い尽くしていた光の中から、さらにボロボロの状態となったアヒルの体が、自動的に出てくる。
「“捩じれ”」
「ううぅ…!」
腕を捩じり上げられるようにして、床に倒れていた状態からまた、立ち上がらされるアヒル。
「“昇れ”」
立ち上がらされたアヒルの体が、さらに上空へと持ち上げられていく。どんどんと上昇したアヒルの体は、もう間もなく天井かというところで、やっと止まった。高々と舞い上がったアヒルを見上げ、そっと目を細めながら、永遠が言玉を、そちらへと向ける。
「“爆ぜろ”」
「うわああああ!」
上空に浮かぶアヒルの周辺が、突如、激しく爆発し、その衝撃に巻き込まれたアヒルが、またしても痛々しい叫び声をあげ、またその傷を増やし、力なく床へと下降してくる。床に叩きつけられるようにして、倒れ込んだアヒルの右手から、真っ赤な銃が零れ落ちた。
「どう?アヒル」
上へと向けていた言玉を下ろし、アヒルの方を見て、永遠が静かに問いかける。
「すべての音士の文字を持つ、俺の力は」
アヒルの、見るからにもう、立ち上がることすら出来ない様子を見て、満足げに微笑む永遠。
「う、ううぅ…」
だがすぐに、その永遠の表情は曇る。指一本、動かす力すら、残っていないであろう様子であったアヒルが、必死に傷だらけの右手を伸ばし、零れ落ちた目の前の銃を、また、その手に取ろうとしている。まっすぐに銃を見据えるその瞳には、相変わらず、力強い何かが宿っている。
「まだ、“諦めない”というのか…」
不快そうに表情を歪めながらも、少し感心した様子で呟く永遠。
「……“捻り上げろ”」
永遠が、銃を取ろうと、必死に伸ばされていたアヒルの手を捻り上げ、その行動を阻止する。
「本当に、往生際が悪いね…」
呆れるように、忌々しそうに言いながら、永遠がその歩を進め、倒れているアヒルのもとへと歩み寄って行く。近付く永遠に合わせるように、アヒルの捻り上げられた手が、さらに上へと引っ張られ、アヒルの体がまた立ち上がり、やって来た永遠と、視線の高さが揃う。
「ねぇ、いつになったら、諦めるの?」
そのシンプルな問いかけに、アヒルはそっと目を細めた。
「あき、らめたら…そこで、言葉…は、死ぬ…」
あまりの傷に、唇も痙攣し、余計に覚束なくなった口元で、アヒルが、何とか聞きとれる程度の、言葉を紡ぐ。
「俺は、言葉、を…死なせ、ない…だから…俺は、“諦めない”…」
弱々しい口調の中、その言葉だけが、はっきりと放たれる。言葉を放ったアヒルは、恐れることなく、怯えることなく、まっすぐに永遠を見つめていた。その力強さは、永遠を圧倒しそうなほどに、まだまだ輝いている。そんなアヒルの言葉と瞳に、永遠の表情が、凍るように冷たく変わる。
「そうか。今、やっと気付いた」
自分で確かめるように、言葉を落とす永遠。
「ねぇ、アヒル」
優しく話しかけながらも、永遠が、冷たく笑う。
「俺は、君の言葉の、すべてが嫌いだ」
切り捨てるように言い放ち、永遠が言玉を、アヒルの口元へと当てる。
「“封じろ”」
言玉から放たれた真っ白な光が、アヒルの口の中へと、吸い込まれるようにして消えていく。
「う…!うぁ…あ…!」
必死に口を開くアヒルだが、その声は、一つの言葉にもならない。言葉にならぬ声に、戸惑いと驚きの混じり合った表情を見せるアヒル。そんなアヒルを目の前に、永遠がまた、楽しげに笑う。
「本当は、もう、この場で、君の言葉を終わらせてもいいんだけどね…」
何とか言葉を発そうと、もがき続けるアヒルを前に、余裕の表情を見せる永遠。少し後退し、アヒルとの間に距離を取る。
「けど、それじゃあ、つまらない。まだ、五十音のすべてを使ってもいないしね」
玩具を見つけた子供のように、永遠が、無邪気に笑う。
「だから、もう少しだけ、俺と遊んでよ。アヒル」
距離を取ったアヒルへと、永遠がまた、言玉を向ける。
「すべての終焉、その前に」
アヒルを捉え、輝く言玉。
「“隔たれ”」
永遠が言葉を発すると、アヒルと永遠との間に、白い光の壁が現れる。
「“葬れ”」
隔たった空間の、アヒルの居る側にのみ、天井から無数の光粒が落ちる。強い霰のような光を浴び続け、アヒルが表情を大きく歪めるが、その苦しみの声すら、言葉にならず、ただ静かに受けるだけとなる。
「“舞え”」
アヒルがまだ光粒を浴びている中、永遠はすでに次の言葉を発し、その背に、光の翼のようなものを生やして、高々と上空に舞い上がる。上へと移動すると、光粒を浴び続け、苦しげな表情を見せているアヒルの姿が、より一層、はっきりと見えた。
「いい眺めだよ、アヒル」
そっと微笑んで、言葉を落とす永遠。だがその声は、下方にいるアヒルの耳には、届かないだろう。上空に浮かんだ永遠が、背中の翼を広げるのと合わせるようにして、その両手を開く。
「“満ちれ”」
広がった翼が、言葉に反応し、その輝きをどんどんと増していく。集まる白い光は、強いものへと変わっていき、やがて、空間全体を照らしだすほどに輝く。直視すれば、目がおかしくなってしまうだろう。それほどに強い光の中で、永遠が言葉の通り、満たされたように笑う。
「“迎えろ”」
永遠が左手の指を、少し上げるような動作を見せると、まだ降り注ぎ続けていた光粒の中から、すくい上げられるようにして、アヒルが永遠の居る上空へと上がって来る。永遠と同じ高さまで来ると、アヒルの体が、自然と止まった。
「君の師の言葉だ」
そう言って永遠が、アヒルへと言玉を向ける。
「“滅せ”」
広がった翼から、一面に広がるほどの強烈な白光が放たれ、それを全身に直に浴びたアヒルが、また血を流しながら、ゆっくりと下降していく。床へと落ちていくアヒルを見下ろしながら、永遠が、次の言葉を放とうと、また言玉を握った。
「“も…」
その文字を口にしたところで、永遠の言葉が止まる。今まで、何の躊躇いもなく言葉を発し続けて来た永遠にしては、珍しい光景であった。
「これは、君の言葉だものね…」
左手に宿る、今は亡き神附きに語りかけるように、そっと言葉を落とす永遠。そして視線をまた、下降していくアヒルへと戻すと、永遠は、開いていた口の形を変えた。
「“宿れ”」
続いての言葉を放ち、永遠が、背中の翼の光とはまた別に、右手に、強い白光を纏う。
「“行け”!」
永遠が鋭く右手を払い、纏った光を、まだ下降途中のアヒルへと向ける。その光がアヒルへと直撃すると、アヒルの下降速度は一気に増し、永遠の放った光と共に、勢いよく地面に落ちた。傷を負い過ぎたアヒルは、最早、表情を動かすことすら苦痛なのか、その表情を歪めもせず、ただ、地面に倒れ込む。
「“寄れ”…」
静かに言葉を落とした永遠が、その背の翼は残したまま、ゆっくりと床へと下降していく。
「“雷撃”」
「うぅ…!」
倒れたままのアヒルへと、真っ白な雷を落とす永遠。すでに傷だらけのアヒルが、さらに全身を雷で焼かれる。
「これで、最後だ」
やり切った様子で言って、永遠がまた、言玉をアヒルへと向ける。
「“分かて”」
永遠の言葉により、言玉から放たれる、真っ白な光の一閃。その一閃が、目にも留まらぬ速さで空中を駆け抜け、雷に焼かれたばかりのアヒルを、後方へと勢いよく弾き飛ばした。吹き飛ばされたアヒルは、背中を壁へとぶつけ、そのまま壁にもたれかかるようにして、その場で座り込む。
「…………」
顔を俯けたアヒルの視界に、床に転がっている、先程落とした真っ赤な銃の姿が入る。先程追い込まれた場所を同じ場所まで、吹き飛ばされてきたようだ。遠のく意識の中、その銃をまっすぐに見つめ、アヒルが少し目を細める。
「どうだい?アヒル」
離れた場所からアヒルを見つめ、永遠がそっと問いかける。
「これが、“を”の文字の本当の力」
どこか誇らしげに言い放ち、言玉を持つ右手を、胸へと当てる永遠。
「五十音、すべての文字の言葉を得た、“を”の文字の真の力だよ」
永遠の言葉が続くが、座り込んだままのアヒルは、響き渡る声にも、顔を上げようとはしなかった。最早、顔を上げる力も、残っていないのかも知れない。アヒルの様子は気にせず、永遠がさらに、言葉を続ける。
「本当はね、いらないんだよ。四十人も、五十人も、五十音士なんて」
軽く左手をあげ、少し首を横に振って、自分の主張を続ける永遠。
「俺だけが、“を”の文字を持つ俺だけが、ただ一人居れば、それで十分だよ。五十音の、この世界は」
口角を吊り上げ、永遠が笑う。
「君もそう思うだろ?アヒル」
同意を求めるように、永遠がアヒルへと問いかけるが、勿論、アヒルからの言葉はない。
「ああ、そうか。もう君には、言葉はないんだった」
決して忘れているはずもないだろうに、今、思い出したかのような言い方をしてみせる永遠。そんな永遠の言葉が続く中、ひたすらに俯いたままのアヒルは、ただ、落ちている自身の銃を見つめていた。
「すべての文字も使ったし、そろそろ、遊びも終わりにしようかな」
そう言うと、永遠が、胸に当てていた右手を離し、今まで以上にゆっくりとした動作で、言玉をアヒルの方へと向ける。素早く動かずとも、アヒルにはもう、何をする力も残っていないことを、永遠は十分にわかっていた。
「ありがとう。結構、楽しめたよ」
労うように言って、永遠が鋭く、目を細める。
「さようなら、安の神」
永遠の右手の中で、強く輝く言玉。
「“終えろ”」
終末の光が迫り来る中、アヒルはまだ、自身の銃を見つめ続けていた。
「…………」
どんどんと遠のき始めている意識の中では、永遠の言葉も、向かってくる白い光も、まるで、別世界のことのように思えた。だからか、終末の光を向けられても、焦りの色一つ浮かべず、アヒルはただ、茫然としている。
―――ねぇ、アヒるん…―――
遠のく意識の中で、響く声。
―――もしね、アヒるんがエヘン虫で、すべての言葉を失ったとして、それでも、どうしても、私に愛の告白をしたいとして…―――
―――その時、アヒるんは、どうする…?―――
それは、かつて囁が、アヒルへと向けた問い。その時、アヒルは、答えた。
―――叫ぶ、かな。叫び続ける―――
―――どんなに声を出しても、それは言葉にならないのに…?―――
―――ああ―――
どんなに声を出しても、言葉にならない。今とまったく同じ状況になった時、どうすると問われ、そして、その時のアヒルは、迷わずに答えた。
―――叫び続けてたら、いつか…―――
思い出される自分自身の言葉に、アヒルがきつく、唇を噛み締める。
―――いつか、俺の想いが言葉になる!―――
「……!」
遠のく意識を連れ戻すかのように、はっきりと頭の中に響く言葉。閉じかけていた目を見開き、アヒルが、落ちている真っ赤な銃へと手を伸ばす。もう動けないだろうと思っていた永遠は、銃を手に取るアヒルの姿に、少し眉をひそめたが、すぐにその表情を笑みへと変えた。
「愚かな…今更、銃を手に取ったところで、君の言葉はもうっ…」
「あ…」
「何…?」
はっきりと響き渡るその文字に、永遠の表情が、再び曇る。銃を手にしたアヒルは、鋭い瞳を見せ、銃口を永遠へと向けて、強く、引き金を引いた。
「“当たれ”…!」
アヒルの口から、はっきりとした言葉が発せられると同時に、赤い弾丸が、銃口から放たれた。




