Word.82 怒レル神 〈4〉
「“送れ”」
「うああああ!」
永遠の言玉から放たれる、無数の白い光の玉。だが、動きを封じられているアヒルには、言葉でそれを退けることも出来ず、ただ、その光玉を受けるだけであった。アヒルが光を浴びた途端、背後の壁が消え去り、アヒルが勢いよく、後方へと吹き飛んでいく。
「う、ううぅ…」
床へと転がったアヒルが、苦しげな声を漏らす中、またアヒルへと、言玉を向ける永遠。
「“押し上げろ”」
アヒルの倒れている部分の床が、突然盛り上がり、アヒルの体ごと、一気に上空へと上がっていく。
「“圧し潰せ”」
「うああぁ…!」
持ちあがった床と、天井の間で、力いっぱい挟み込まれ、骨の砕けるような重い音が響いて、アヒルの表情が、大きく歪む。
「“落とせ”」
「ううぅ…!」
そこからまた、天井から降り注ぐ光を直撃し、下へと叩き落とされるアヒル。光に全身を斬り裂かれ、かつて永遠も纏っていた、その水色の制服に、また血が滲んだ。
「“押さえつけろ”…」
永遠が言葉を発すると、またアヒルのすぐ後ろに、小さな壁が出来あがって、帯状の光がアヒルの手足を取り、倒れ込んでいるアヒルの体を無理やり立たせ、壁へと押さえつける。傷だらけとなったアヒルは、今度は抵抗する力もなく、ただ、大人しく壁へと拘束された。そんなアヒルのもとへと、永遠がゆっくりと、歩み寄っていく。
「仕方無い。仕方無い、よね…」
虚ろな瞳で、徐々に迫って来る永遠を見つめるアヒル。そんなアヒルを見つめ返しながら、永遠がどこか、残念そうに声を落とす。
「為介の“生きろ”が効いている限り、俺の“終えろ”じゃ、君の言葉は終わらない…」
永遠がアヒルのすぐ目の前へと立ったところで、その足を止める。
「静かに、何の痛みもなく、その言葉を終わらせてあげたかったけれど、でも、もう仕方無い」
どこか悲しげに、言葉を紡ぐ永遠。
「もう、君の言葉を終わらせるには…」
動かぬアヒルの顔へと、ゆっくりと、右手の伸ばす永遠。
「君の命を、終わらせるしかないよね…」
アヒルの顔の目の前で、永遠の言玉が、強く輝く。
「“堕ちろ”」
空間の天井から、アヒルへと、真っ逆さまに落ちる白い雷撃。
「う、うあああああ!」
その雷に撃ち抜かれたアヒルが、激しい悲鳴をあげる。だが、アヒルを捕らえた壁はそのままで、アヒルは倒れ込むことさえ許されず、手足を封じられたまま、力なく顔を俯けた。
「う、うぁ…」
言葉にならない声を漏らすアヒルを見つめ、永遠がそっと目を細める。
「朝比奈アヒル…」
俯いたままのアヒルを見つめ、改めて、その名を呼ぶ永遠。
「君はさっき、恵との会話の中で、こんな言葉を放っていたよね?」
確かめるような、少し優しげな口調で、永遠がアヒルへと語りかける。
「“諦めない”って…」
今まで、何度も放って来た言葉を永遠に口にされ、俯いていたアヒルの表情が、かすかに動く。
「“諦める”か、“諦めない”か、その間で、君と恵は揺れ動いて、必死に、言葉を交わしていたよね…」
つい先程のことであるというのに、永遠が、どこか懐かしむように言う。
「けどね、アヒル」
永遠が、言玉を持っている手とは別の、左手で、アヒルの首元を掴み、深く俯けられていたアヒルの顔を、無理やり上げさせる。
「“諦める”か“諦めない”かは、君が決めることじゃないんだよ」
無理やり、上げさせられたその顔で、永遠の放った言葉に、戸惑いの表情を見せるアヒル。そんなアヒルをまっすぐに見つめながら、永遠がさらに、口を開く。
「俺の時が“永遠”な時点で、君の選ぶ道なんて、決まっている」
アヒルへと鋭く注ぐ、永遠の視線。
「君は、“諦める”しかない」
はっきりと放たれる言葉に、アヒルの表情が、小さく歪む。
「“諦める”しか、道なんてないんだよ。初めから」
そっと微笑んだ永遠が、アヒルの胸のすぐ前へと、自らの言玉を突き出す。
「“押せ”」
「うぐ…!」
永遠の言玉から放たれた強烈な光に押され、アヒルが、自らを捕らえていた壁すらも突き破って、後方へと吹き飛ばされる。転がり込むようにして、床へとうつ伏せに倒れたアヒルは、そのまま、立ち上がることも出来ずに、ただ、苦しげに声を漏らした。
「だって、そうだろう…?」
言玉を持つ手を下ろした永遠が、倒れたままのアヒルへと、静かに問いかける。
「俺の時は、“永遠”なんだ」
また、強調されるように放たれる、その言葉。
「俺の時は、俺の命は、“永遠”に終わらないんだ。なのに、君に、俺が倒せるはずがないだろう…?」
当たり前の常識でも話すかのような口調で、永遠が言葉を続ける。
「君たちに、明日が訪れるはずなんて、ないだろう…?」
両手を左右に広げ、答えを求めるような態勢を取る永遠。
「だって、俺の“永遠”を終わらせることなんて、誰にも…」
「う、っせぇなぁ」
自身の言葉を遮るその声に、永遠がすぐに、表情を曇らせる。その声が誰のものかなど、たった二人しか居ないこの空間の中では、考えるまでもなかった。
「あれだけの攻撃を食らって、まだ話せるのは立派だけど」
感心するように言いながらも、その表情に、冷たい笑みを浮かべる永遠。
「随分な、物言いだね…」
「やんわり言えねぇくらい、イラッときちまったんだよ」
うつ伏せに倒れ込んだまま、表情すらも見えないアヒルから、永遠へと戻って来る言葉。
「“俺の永遠”、“俺の永遠”て、お前は最初っからずっと、そればっかだ」
アヒルが床に両手を突っ張り、苦しげではあるが、必死に、その上半身を起こす。
「“俺は永遠なんだ”、“永遠なんだ”って、諦めきったような、言葉ばっかり言いやがって…」
上半身を起こしたアヒルが、ゆっくりとその顔を上げ、鋭い視線を、永遠へと向ける。
「聞いてて、イライラすんだよ!さっきっから、ずっとなぁ!」
勢いよく声を張り上げるアヒルに、永遠が不快そうに、眉をひそめる。
「君がイライラするのは勝手だけど、俺は、事実を述べているだけであって、別に、諦めきった言葉を言った覚えは…」
「諦めきった言葉だろ?」
反論しようとした永遠の言葉を、アヒルがあっさりと否定する。
「お前の言葉は全部、“永遠だから明日がない”って、ただ嘆いているだけの、ただ諦めているだけの言葉だ!」
指摘するように、力強く言い放つアヒルに、永遠が珍しく、あからさまに表情を歪める。
「そうだよ。俺には“明日”がない」
一度、アヒルの言葉を認めるように、永遠が頷く。
「でも、それを口にしたからって、何だ?それも事実だし、第一、俺が“明日”を失くしたのは…」
「為介のせい?」
挟まれるアヒルの言葉に、永遠が思わず、続けようとしていた言葉を呑み込む。
「お前を巻き込んで、重症を負わせた為介のせい?お前を死なせたくなくて、“永遠”の言葉を放った恵先生のせい?」
責めるような瞳を見せながらも、どこか悲しげな表情で、まっすぐに永遠を見つめるアヒル。
「力を持ち過ぎた、“言葉”のせい…?」
続けられるアヒルの言葉に、永遠が目を細め、険しい表情を見せる。
「……違う」
自らの今までの言葉を否定するように、アヒルがそっと、言葉を落とす。
「そう思ってんなら、違うぞ」
アヒルがさらにまっすぐに上半身を起こして、何一つ遮るものもなく、真正面から、永遠を見つめる。
「お前が明日を失くしたのは、為介のせいでも、恵先生のせいでも、言葉の力のせいでもない」
確信を持つように、はっきりと言い切るアヒル。
「お前が明日を失くしたのは、お前が明日を“諦めた”からだ!」
大きく放たれるその言葉に、永遠の唇が、まるで震えるように動く。
「お前が“諦めた”から、お前から明日はなくなったんだ!」
「……!」
はっきりと告げられるアヒルの言葉に、大きく目を見開き、その表情を揺れ動かす永遠。アヒルの言葉を受けた永遠のその動揺は、見て取れるようであった。永遠が、言玉を持っていない左手を、力一杯握り締め、その指先から、赤い血を滴り落とす。
「“諦めた”から…?俺が、“諦めた”から…?」
ひどく戸惑った声で、永遠が、アヒルの放った言葉を繰り返す。
「ああ、そうだ」
聞き返した永遠へと、もう一度、強調するように、大きく頷くアヒル。
「お前が諦めなきゃ、お前の明日は、まだ…!」
「俺の、せい…?」
続こうとしたアヒルの言葉を遮り、震える声で、どこか弱々しく、問いかけを放つ永遠。永遠の視点は、すでにアヒルから離れており、アヒルの声など、もう届いていない様子であった。
「俺の…?」
―――どうして俺は、ずっとここに居るんだろう…―――
―――桃雪もきっと、俺より先に死ぬよね…―――
―――同じ顔、同じ姿、同じ、命…―――
流れていく時の中を生きる、皆の姿に、一人取り残されていくようで、ひどく孤独になった。大事な人間が、自分を置いて逝ってしまうだろう未来を想像し、ただ怯えた。いつまでも変わらない鏡の中の自分の姿に、何度も何度も、絶望した。
「なんで…?なんで、俺が悪いの…?」
「え…?」
まるで、善悪の区別も知らない子供のように、戸惑った声で、深々と頭を抱え、俯き、永遠が声を発する。一変した永遠の様子を見つめ、少し表情を曇らせるアヒル。
「だって…」
―――私がお前を、一人にしたりしない―――
―――残念な人よねぇ~恵の神も―――
―――世界中の皆から、“明日”がなくなってしまえばいいのに…―――
―――あなたが望むというのなら、僕も、“明日”などいりません…―――
「だって…諦めるしか、なかった…諦める以外、なかった…」
過去の出来事を、過去の言葉を、次々と思い出し、力なく言葉を続ける永遠。
―――芽衣子…!―――
―――明さぁぁぁぁん…!!―――
「他の道なんて、どこにも…どこにも、なかった…」
「永、遠…」
ひどく苦しんだ様子で言葉を続ける永遠に、まるで心配するように、アヒルが名を呼びかける。
「永遠、俺は…!」
「俺は」
何かを訴えるように声をあげたアヒルと、まったく同じ言葉で、その声を遮る永遠。
「俺は悪くない…!」
「ううぅ…!」
永遠が勢いよく叫びあげた途端、永遠の全身から、今までのどの光よりも強い白光が放たれ、その強烈な光に、アヒルの体が押され、アヒルが再び床へと倒れ込む。
「お前に…お前に、何がわかる…?」
顔を上げた永遠が、倒れ込んだアヒルへと、低く重い声で問いかける。その表情は、今までの冷たくも穏やかなものではなく、熱く、怒りや恨みの滲み出た、そんな表情であった。
「当然のように“明日”が来るお前に…“永遠”に終わらぬ時を知りもしないお前に…」
込み上げる怒りにか、大きく震える永遠の声。
「俺の、何がわかる…!?」
「うあああ…!」
さらに強く発せられる、永遠からの光に、また吹き飛ばされ、後方の壁へと背中を打ちつけるアヒル。永遠から放たれる光により、閉ざされたはずの空間の中で、荒々しい風が巻き起こる。恐らくは、永遠の逆鱗に触れてしまったのだろう。明らかに、今までの永遠とは、様子が違う。
「わかるはずがない。わかるはずが…」
―――カモメっていうのよ―――
―――大きくなったわね、為介くん。見違えちゃった―――
―――また明日ねぇ~―――
永遠には、ない言葉。永遠には、来ない未来。
「お前なんかに、わかるはずがない…!」
まるで泣き叫ぶように、必死に声を発する永遠に、壁にもたれかかったままのアヒルが、目を細め、険しい表情を見せながら、その首を、そっと横に振る。
「違う…違う、永遠」
何度も首を横に振り、何とか自分の言葉を、永遠へと届けようとするアヒル。
「違う!俺が、言いたいのは…!」
「“抑えろ”」
「うぁ…!」
永遠が小さく言葉を落とした途端、アヒルの声が、言葉を形成しなくなり、アヒルの言葉が封じられる。出て来ない言葉に、焦りの表情を見せながらも、それでも必死に言葉を紡ごうと、大きく口を開くアヒル。
「無駄だよ。君の言葉は、もう誰の耳にも届かない」
必死に言葉を発しようとするアヒルに、永遠が冷たく言い放つ。
「君の言葉は、俺を強く傷つけた」
鋭く射るような視線を、アヒルへと向ける永遠。
「もう絶対に、許せない」
体中傷だらけで、言葉さえも封じられてしまったアヒルへと、永遠が容赦なく、言玉を向ける。
「もう絶対に、許さない。だから…」
永遠の右手の中で、言玉が、白色の光を放つ。
「見せてあげるよ。俺の力」
放たれる光を覆い隠すように、永遠が力強く、言玉を握り締める。
「この“を”の文字の、本当の力を…!」
永遠から伝えられるその言葉に、言葉すら発することの出来ないアヒルは、ただ、険しい表情を作った。




