Word.9 招カレザル客 〈2〉
「どわああああ!」
篭也が敵と対峙しているその頃、篭也の神であるアヒルはといえば、まだジェットコースターの列車に追いかけられ、遊園地を駆け回っていた。
「クッソ!“当たれ”!“当たれ”!」
アヒルが後方を振り返りながら、銃を構えて、追ってくる列車へと弾丸を撃ち込む。だが相変わらず、弾丸はボディを貫くだけで、列車の動きはまったく止まらない。
「なんでぇ!?なんで止まんねぇのっ!?」
大きな音を立てて迫り来る列車に、走りながら、思わず頭を抱えるアヒル。
「んん~っ、んあっ!もしかして、車輪撃ち抜いたら止まるんじゃっ…!」
それこそ神でも降りてきたかのように、いきなり思いついたアヒルが、再び後方を振り返り、銃を身構える。鋭くした瞳で、列車の車輪を見つめるアヒル。
「“当たれ”っ…!」
―――パァァァンっ!
アヒルの弾丸が、見事に列車の前輪を撃ち抜くと、撃ち抜いた穴から勢いよく空気が漏れ、前輪がしぼみ、列車はバランスを崩して、地面に擦りつくように制止した。
「ふぃ~っ」
列車が止まったことを確認し、アヒルも足を止め、胸を撫で下ろす。
「助かった…」
「アヒるん…」
「だああああ!」
ホッとしていたアヒルが、突然すぐ横に現れる囁に驚き、思わず奇声をあげる。
「さ、囁!なんでお前、ここにっ!?」
「お馬さんたちを篭也に任せて、追ってきたの…列車は止まったようね…」
「ああ、前輪を撃ち抜いてなんとか」
「前輪を…?」
アヒルの言葉に少し驚くような顔を見せた囁が、振り向き、動きを止めた列車の方を見た。
「そんなことに気づくなんて、凄いわ…アヒるん…人類並みの進化ね…」
「お前は、俺を猿人か何かだと思ってんのかっ?」
「ううん…単細胞生物…」
「えっ!?アメーバぁっ!?」
「ウフフフフっ…」
『……っ!』
どこからか聞こえてくる笑い声に、アヒルと囁が会話を止め、素早く振り向く。
「誰だ!?どこに居やがる!?」
「ここに居るわよ」
「へっ?」
威勢よく強い声をあげたアヒルであったが、割りと近くから返ってくる声に、少し目を丸めながら、ゆっくりと後方を振り返った。薄暗い遊園地の中で、広場にあるショーのステージの照明が、突然、点灯する。
「あっ…!」
「こんにちはぁ~神様!ウフフっ!」
照らし出されたステージの上に立っているのは、ふわふわとしたショートカットの、愛らしい顔立ちをした少女であった。小さな口元を綻ばせ、柔らかく微笑んではいるが、その瞳は鋭く、どこか刺すようにアヒルを見ている。
「お、女っ…?」
「アヒるん、あれ…」
「えっ?」
囁に声を掛けられ、アヒルが囁の指差している方向を見る。その方向の先、少女の右手には、小さな黄色い、宝石のような玉が、しっかりと握り締められていた。
「あれはっ…言玉?」
「ええ…」
眉をひそめるアヒルに、囁がそっと頷きかける。
「じゃあ、あいつが根性クララかっ!」
「波城灰示よ…アヒるん…」
思い切り名前を間違えて覚えているアヒルに、呆れた表情を向ける囁。
「てっきり男だと思ってたけどっ…」
「不治子は灰示さまじゃないよぉ~っ」
「へっ?」
驚いた様子で少女を見ていたアヒルが、少女の言葉に、さらに驚いた表情となる。
「不治子は、不二不治子!波行の“不守”だよぉっ」
「フジフジコ?不守っ?」
「どうやら…ここに居るのは、波守だけではないようね…」
首を傾げるアヒルの横で、囁がそっと目を細める。
「何人も五十音士が居るとなると…少し厄介かも…」
「ど、どういうことだよっ?なんで他の五十音士までっ…」
「ねぇっ、神様ぁっ」
「あっ?」
表情を曇らせる囁に、問いかけていたアヒルであったが、ステージから不治子に呼ばれ、そちらへと顔を向けた。
「神様はぁ、この前来た神様より強いのかなぁ?」
「……っ」
その不治子の問いかけに、すぐさまアヒルの表情が曇る。
「この前来た神って…」
「その神はどうしたの…?」
囁が素早く、表情をしかめるアヒルの前へと出て、不治子へと鋭く問いかけた。
「ウフフっ!さぁ?どうしただろっ?」
『……っ』
無邪気に笑う不治子に、アヒルと囁がさらに表情をしかめる。
「ねぇ、神様ぁっ」
「……っ?」
もう一度、今度は少し低い声で呼びかけてくる不治子に、アヒルが少し警戒するように、眉間に皺を寄せる。
「不治子が灰示さまに褒めてもらうためにぃ、不治子に倒されてくれないっ?」
「なっ…!」
不治子が冷たく微笑むと、何やら戦慄のようなものが全身に走り、アヒルは思わず身構えた。
「こいつっ…!」
「下がってて…アヒるん…」
「えっ…?」
不治子の醸し出す殺気に、警戒を強めるように銃を身構えようとしたアヒルであったが、そんなアヒルの前に手を伸ばし、制止を促したのは、少し前に立っている囁であった。
「囁?」
「我が神に手出ししようというのなら…私がお相手するわよ…?」
アヒルの前に立った囁が、挑戦するように、不治子へと言い放つ。
「誰?あなたっ」
「“左守”、真田囁…」
「左守?ああ、安附の一人かぁっ」
不治子が、あまり興味なさそうに頷く。
「不治子が興味あるのは、神様だけだよぉっ?悪いけど、雑魚には興味ないのっ!」
口端を吊り上げ、冷たく微笑む不治子。
「あんなイラつく話し方の女…私がすぐさま消してくるから…アヒるん…」
「ちょっとぉっ!」
挑発するように微笑んだ不治子を完全に無視して、アヒルに強気な言葉を放っている囁に、不治子が思わず不満げな声をあげる。
「不治子は雑魚に興味ないって言ってるでしょお!?附き人は引っ込んでっ…!」
「そんなわけにはいかないわ…」
囁が、不治子の言葉を強く遮る。
「安附として…我が神に“雑魚”の相手をさせるわけには、いかないもの…」
「……っ!」
嘲笑うかのような笑みで言い放つ囁に、不治子が大きく目を見開く。
「すっげぇ挑発っ…」
あまりにもケンカ腰の囁に、思わず呆れた表情を見せるアヒル。
「不治子、超ムカついたぁ!やっぱり、附き人から始末しちゃうんだからぁ!」
「フフフ…上等っ…」
アヒルから囁へと狙いをしぼり、言玉を持って身構える不治子に、囁はどこか楽しげに微笑みながら、持っていた横笛をゆっくりと上げる。
「お、おいっ、ささやっ…」
「“凹め”っ!」
「……っ!」
囁に呼びかけようとしたアヒルが、上空から迫る何かに気づき、大きく目を見開く。
「アヒるんっ…?」
「クっ…!」
囁が戸惑うように振り向く中、アヒルが少し顔をしかめながら、囁から離れるように、後方へと飛ぶ。すると、先程までアヒルの居た辺りに、上空から何者かが降り落ちてきて、その拳を誰も居なくなった地面へと叩きつけた。
―――バァァァァン!
『なっ…!』
拳が当たった瞬間、地面に巨大な穴があき、アヒルと囁がそれぞれ、驚いた表情を見せる。その力は、人間のものとは思えない威力であった。
「へへ、避けられたじゃんっ」
「……っ」
地面にあいた、深い穴の中で体を起こし、アヒルたちへとその姿を見せたのは、派手に染め上げた金色の髪に、耳にいくつもピアスをつけた、アヒルと同じ年くらいの青年であった。楽しげに笑って拳をあげるその青年に、アヒルが警戒するように眉をひそめる。
「兵吾っ…!」
「よぉ!二人相手で困っちゃってんじゃんっ?不治子っ」
青年の名らしきものを呼ぶ不治子に、兵吾と呼ばれた青年が、穴から普通の高さの地面へと飛び上がり、不治子の方を振り返った。
「だから、神様は俺っちが引き受けてやるじゃんっ!」
「んなっ…!」
兵吾の言葉に、不治子が大きく顔を歪める。
「ダメだよぉ!神様は不治子がやっつけて、灰示さまにっ…!」
「お前はソッチの女の相手するんじゃんっ?それとも、言い負かされたまま、退くじゃんっ?」
「むっ…!」
まるで試すように問いかける兵吾に、思わず赤くなった頬を膨らませる不治子。
「何よぉ!兵吾なんて、“部守”で、ヘナチョコで、屁の河童のくせにぃっ!」
「すっげぇムカつくじゃんっ…」
子供のように叫び散らす不治子のその言葉に、兵吾が勢いよく顔を引きつる。
「部守っ…?」
「んっ?」
不治子の方を見ていた兵吾が、部守という単語を聞き、眉をひそめているアヒルに気づき、再びアヒルの方を振り向いた。
「おおっとっ、神様に自己紹介すんの、忘れてたじゃんっ」
そう言って兵吾が、不敵な笑みを浮かべる。
「俺っちの名前は、辺見兵吾!波行の部守!宜しくじゃんっ」
「不守に…部守っ…」
不治子と兵吾を見て、アヒルが表情を曇らせる。
「神様っ、俺っちの相手、してくれじゃんっ!」
「……っ!」
兵吾の振り上げた右拳から、緑色の光が放たれ始め、険しい顔つきとなるアヒル。
「“凹め”っ…!」
「クっ…!」
勢いよく振り下ろされる拳に危機感を感じ、アヒルが素早く銃を、自分のコメカミへと向ける。
「“上がれ”っ…!」
弾丸の放たれる音と、地面が大きく凹む音が、同時に辺りに響き渡った。
「へぇ~」
深く凹んだ地面のすぐ前に立ち、兵吾がゆっくりと顔を上げる。
「飛べるんじゃんっ」
「ふぅっ」
兵吾が見上げた上空には、凹む地面から逃れるため、空へと飛び上がったアヒルの姿があった。ぎりぎりのところで兵吾の攻撃をかわし、ホッとしたように一息ついている。
「アヒるんっ…!」
「大丈夫だ!」
少し身を乗り出して呼びかける囁に、アヒルがすぐさま答える。
「俺のことはいい!だからお前は、その女を倒せ!」
「……っ」
アヒルの言葉に、囁がハッとした表情となる。
「空飛べるくらいで、余裕ぶっこいてんじゃねぇーじゃんっ!?」
「クっ…!」
再び緑色の光を放ち始めた拳を、勢いよく振り上げる兵吾に、アヒルが少し唇を噛み締め、空に飛び上がったまま平行移動をし、その場を離れていく。
「逃がさねぇーじゃんっ…!」
離れていくアヒルを、素早く追いかけていく兵吾。
「もぉ!兵吾に神様取られちゃうなんて、サイテー!」
アヒルと兵吾が去り、その場に囁と不治子だけが残るが、不治子は何とも悔しげな表情で、足を振り上げ、ステージの床へと勢いよく降り下ろした。
「これで灰示さまに褒められなくなっちゃったら、全部、あんたのせいだからねぇっ!」
「どうでもいいけど…いい加減、その幼稚で不快極まりない話し方…やめてくれない…?」
「きぃぃぃ~!ムカつく!」
落ち着いて、小バカにしてくる囁に、不治子がより一層、怒りを燃やす。
「まぁいいわぁ!あんたも安附のくせに、神様守れもしなかったんだしっ、いい気味よぉ!」
「あらっ…?神を守る必要が、どこにあるの…?」
「えっ?」
すぐさま聞き返してくる囁に、戸惑うように眉をひそめる不治子。
「我が神の命は、“あなたを倒せ”…なら、私は…」
鋭く微笑んだ囁が、右手の横笛をゆっくりと構える。
「その命に…忠実に従うだけよ…」
「……っ」
自信を持った笑みを覗かせる囁に、不治子がどこか気に食わない様子で顔をしかめた。
「やれるもんならっ…やってみなさいよぉっ!」
不治子が高々と右手を掲げると、不治子の握り締めていた黄色の言玉が、強い金色の光を放ち始める。
「第二十八音“ふ”、解放っ!」
光がさらに強くなり、不治子の言葉が解放される。
「なっ…」
不治子の手を離れ、姿を変えた言玉に、囁が思わず大きく目を見開く。
「トラっ…?」
囁が見つめる先、不治子のすぐ横に、不治子に従うようにして立っているのは、金色の光に包まれた、一頭のトラであった。四本の足を力強く地面につけ、赤い瞳を鋭く光らし、その口からは大きな牙を覗かせている。
「ウフフっ、あんたも五十音士の端くれなら、段によって、言玉の形状が違うことくらい知ってるでしょ?」
驚きを隠せない様子の囁を、不治子が滑稽そうに見つめる。
「ア段は武器だったっけぇ?不治子のウ段はねぇっ、“生物”!」
「生物っ…」
もう一度、トラを見つめながら、囁がそっと眉をひそめる。
「話に聞いたことはあったけど…実際、見てみると結構驚きね…」
「ウフフっ、さぁ、私のトラトラ子っ…」
微笑んだ不治子がトラの頭を撫でると、トラが気持ち良さそうに瞳を閉じる。
「とっととあのムカつく女を倒して、灰示さまのところに帰ろっ」
不治子が撫でていた手を離し、途端に表情を鋭くする。
「“踏み潰せ”っ!」
「ガアアァっ!」
不治子の言葉に反応し、トラが勢いよく囁のもとへと飛びかかってくる。
「クっ…!」
囁は厳しい表情を見せ、横笛を構えた。




