Word.82 怒レル神 〈2〉
「城が、完全に…」
前線から引いた音士たちと共に、遠く離れた場所から、城の様子を見守っていた和音が、そっと眉をひそめる。徐々に崩れ落ちていっていた城は、下部から潰れるようにして、完全に崩れ落ち、巨大な城は最早、見る影も無くなっていた。
「皆さん、無事、避難出来たでしょうか」
「うん…」
不安げに呟く雅の横で、ツバメも、浮かない表情を見せる。
「しかし」
和音が表情を険しくし、崩れ落ちた城から、まっすぐその上、暗い空に明々と輝くようにして浮かぶ、真っ白な光の塊を見つめる。その光は明らかに人為的なものであり、その光が、何者の力によるものなのかも、和音にはだいたい、予想がついていた。
「あの光は…」
「厭離穢土」
和音の言葉に続くようにして、聞こえてくる言葉。
「宇の神」
和音が振り向くと、すぐ横で、同じように上空の光を見つめる、ウズラの姿があった。ウズラも恐らく、その光に予想がついているのだろう。浮かない、不安げな表情を見せている。
「たぶん、永遠が四字熟語を使ったんじゃないかな」
「四字熟語を…」
「恵!」
響き渡る茜の大きな声に、和音とウズラが、同時に後方を振り返る。
「恵、よく無事で…!」
「私はいい。こいつ等の手当てを、してやってくれ」
「え、ええ。彼女たちの手当てを!」
囁、七架を担ぎ、その場へと現れた恵に、茜が嬉しそうに声を掛けたが、恵は、いたって冷静に、二人と、そして二人が連れてきた十稀、埜亜の手当てを申し出た。恵の言葉に頷いた茜が、近くの従者に指示を送り、四人を後方へと運んでいく。
「神!」
「神ぃ~!泣いちゃうよぉ~。俺、泣いちゃうよぉ~!」
「うるさい…」
恵に続くようにして篭也がやって来ると、篭也と共に、その場へと現れたイクラに、シャコと、すでに泣いている様子の金八が、勢いよく抱きつく。大きな金八の声に、イクラは煩わしげな表情を見せていた。
「篭也…」
「ああ」
戻った篭也に、和音が安心したような笑みを浮かべ、声を掛けると、篭也はその声に応えるように、短く声を落とした。
「為介さん…!」
篭也の背負っている為介の姿を見つけたのか、少し離れた場所から、慌てた様子で、雅が駆け込んでくる。すでに為介が、雅の呼びかけに応えないことを知っている篭也は、駆け寄って来る雅の姿に目を細めながらも、向き合うように、ゆっくりと体の向きを変えた。
「為介、さん…」
篭也により、動きを停止した為介を手渡され、雅が茫然と、為介を見つめる。
「すまない」
「いえ、神月君が謝ることではありません」
篭也が少し俯いて謝ると、雅は静かに、首を横に振る。
「だが…」
「悔いたような、顔はしていません」
受け取った為介の顔を見下ろし、雅が言葉を続ける。確かに為介は、どこかすっきりしたような、そんな表情を見せており、苦痛の末に言葉を終わらされたとか、そういった風には見えなかった。
「言いたいことは、すべて言ってきたのでしょう」
為介の心を知るように、雅が穏やかに微笑み、また篭也の方を見る。
「それで、十分です」
微笑みを向ける雅に、篭也は礼を言いたいような気分になったが、まだ礼を言ってはいけないような気がして、返す言葉を呑み込んだ。
「篭也」
名を呼ばれ、篭也が振り返る。
「檻也」
篭也が振り返ると、そこには、弟、檻也の姿があった。檻也の姿を見て、篭也が一瞬、ホッとした様子を見せる。
「無事だったか」
「ああ、俺はな」
付け加えられる言葉に、篭也が少し眉をひそめ、檻也の見つめる方向へと視線を向ける。視線のその先には、言葉を終わらされ、すべての動きを停止して、地面に横たわっている紺平の姿があった。他にも守、チラシなど、言葉の終わってしまった音士が、並んで倒れている。
「小泉…」
「あいつの言葉を、守ってやれなかった」
紺平を見つめ、そっと目を細める篭也の横で、檻也が悔いるように、顔を俯ける。
「俺が、あいつの神である俺が、傍に居ながら…」
「小泉は」
続く檻也の言葉を、少し遮るようにして、篭也が口を開く。
「小泉は、何か言っていたか?」
篭也のその問いかけに、檻也が顔を上げ、真剣な表情を見せる。
「“また明日”、と」
「……そうか」
檻也の答えを聞き、篭也が満足した様子で頷く。その言葉は、言葉が終わってしまう最後の最後、その瞬間も、紺平がアヒルを信じたことを、示していた。その紺平の言葉が、篭也に、“諦めるな”と言ってくれているようで、篭也はどこか、勇気づけられたような、そんな気持ちとなった。
「なら、また明日、会えばいい」
「……ああ」
檻也を励ますように、篭也が優しく微笑みかけると、檻也は少しだけ、気持ちが軽くなったようで、後悔の滲んでいた表情を柔らかくし、小さく頷いた。
「よいしょっとぉ!」
「スズメ…」
そこへ、チュン吉に乗ったスズメがやって来て、それに気付いたツバメが、顔を上げる。
「皆は…?無事…?」
地面へと降りてきたスズメに、ツバメが歩み寄って、問いかける。だが、その問いかけに、スズメは表情を曇らせ、言葉を発そうとはしなかった。
「スズメ…?」
そのスズメの様子に首を傾げ、ツバメがチュン吉の背の上を見つめる。そこには、真っ赤に目を腫らした保と、見るからに元気のない、ハ行の面々の姿があった。暗い雰囲気を纏った皆を見て、何かを察するように、ツバメもそっと、目を細める。
「浮世現が、生きていたんだね」
そこへやって来たウズラが、スズメへと声を掛けた。
「ああ。浮世現が生きてて、阿修羅の時と同じように、あの獣を爆発させて、この町を俺たちを、一気に消そうとした」
顔を俯けたまま、ウズラの問いに、ポツリポツリと、言葉を落としていくスズメ。
「それで、彼が…?」
あえて、名前を口にしなかったウズラだが、皆の様子を見れば、何があったのか、ウズラはすでに理解していることだろう。ウズラの問いに、少し悔しげに唇を噛み締めて、スズメが、ゆっくりと頷く。
「ああ。自分の忌の力を使って、あの獣と浮世現を消して、そんで、あいつ自身も…消えた」
「そう…」
スズメの言葉を受け止めるように頷き、ウズラもまた、悲しげな表情を見せる。
「人はまた、彼に救われたんだね」
ウズラの言葉を聞き、その場に居る誰もが、どこか遣り切れない表情を見せ、俯き、“痛み”から生まれた、人ではないもののことを思った。その間に、ヒロトや兵吾に手を借りて、保がゆっくりと、チュン吉の背の上から降りる。
「ありがとう、ございます…」
「高市」
二人に礼を向けていた保が、背後から呼ばれる声に、振り返る。
「神月、くん…」
そこには、どこか心配するように保を見つめる、篭也の姿があった。
「転校生くん…」
「高市くん」
「真田さん、奈々瀬さんも」
篭也のすぐ横へと歩み寄って来る、囁と七架。韻の従者等により、簡単な傷の治療は終えている。二人もまた、心配するように、温かい目で、保を見ている。久々に見る仲間の姿に、保はどこかホッとするように、口元を緩めた。
「皆さん、ご無事だったんですね」
「ああ」
「良かった…。あ、こんな皆さんより情けない俺が、一丁前に、皆さんの心配をしちゃって、すみま…」
「高市」
いつもの大きな、叫ぶような声ではないが、いつもと変わらぬ言葉を、皆へと向けようとした保の声を、篭也が、もう一度名を呼ぶことで、そっと遮った。
「大丈夫か…?」
他の二人を代表するように、篭也が保へと問いかける。その問いかけに、保は一瞬、瞳を閉じて、小さな笑みを浮かべた。
「大丈夫、です」
自分で確かめるように、答える保。
「いつまでも、泣いていても仕方ないですし、それに…」
保がゆっくりと顔を上げ、上空に広がる、空を見上げる。
「約束、しましたから。灰示と」
空を見上げ、目を細めた保が、懐かしむように、穏やかに笑う。
「“痛み”を、乗り越えていくって」
胸にあるその言葉を確かめるように、保が、左手を力強く、自分の胸へと当てる。痛みを忘れず、そして、痛みを乗り越えようとする、その思いがある限り、この胸の中に、灰示は居る。何の確信もないが、保には確かに、そう思えた。
「そうか」
保のその思いを受け止めるように、篭也が、しっかりと頷く。
「あの獣が消えたのであれば、永遠は生きているとはいえ、世界中の言葉が一瞬にして終わらされてしまう、その脅威はなくなったのでは?」
「いや…」
鋭く問いかける熊子に、ウズラはすぐさま表情を曇らせ、首を横に振った。
「永遠の力があれば、一瞬にして、世界中の言葉を消すことは、可能なはずだよ」
決して望まぬことを、口にし、ウズラがさらに、厳しい表情を作る。
「永遠が浮世現を仲間としたのは、ただの気まぐれだろう」
そっと視線を落とし、浮かない表情を見せるウズラ。
「永遠はそれくらいのこと、浮世現の力など借りなくとも出来る力を、もともと持っているからね」
「そう、なのですか…」
ウズラの言葉を受け、熊子がどこか、残念そうに俯く。熊子の隣の塗壁も、そして近くに立っていたスズメも、厳しい現実を突き付けられたようで、何も言えず、ただ俯くことしか出来なかった。
「アヒルは?」
チュン吉を言玉の姿へと戻したスズメが、周囲を見回し、集まった音士の中に弟の姿がないことを確認して、恵へと問いかける。恵は険しい表情を見せ、ゆっくりと、城のあった方角を見つめた。
「あそこだ」
崩壊した城のすぐ上の空に浮かぶ、真っ白な光の空間を見据え、恵が言う。恵につられるようにして、そちらを見つめたスズメは、すぐにその言葉の意味を理解したのだろう。厳しい表情を作った。
「まだ戦ってんのか、あいつは」
「うん」
スズメの言葉に、ウズラが目を細め、そっと頷く。
「結局、あいつ一人に全部、背負わせちまった」
その場にしゃがみ込んだ恵が、深々と頭を抱え、悔やむように呟く。
「あいつ一人に全部、押しつけちまった…!」
「恵…」
苦しみを前面に押し出し、声を震わせる恵を見つめ、茜が険しい表情を見せる。苦しみは十分にわかるが、今の茜に、恵に掛けてやる言葉は、見つけられなかった。
「押しつけたのではない」
「え…?」
否定するように、すぐさま放たれる言葉に、戸惑うように顔を上げる恵。その言葉の聞こえてきた方には、同じようにまっすぐに、その白い空間を見つめる、篭也の姿があった。
「神月…」
「我々は皆、“懸けた”のだ」
皆の視線が集まる中、篭也が力強く、声を発する。
「我が神の、言葉に」
篭也のその言葉に、恵がハッとした様子で、目を見開く。
「そして、我が神は、必ず、皆の懸けた思いに、応えてくれる。僕は、そう信じている」
何の迷いもなく、はっきりと言い放つ篭也。
「ええ…」
「はい」
「うん!」
篭也の言葉に同意するように、囁、保、七架の三人も、笑みを浮かべ、力強く頷く。不安げな表情を見せていた皆も、その言葉を聞き、その様子を見て、再び表情を引き締め、まっすぐに、アヒルの居る空間を見据えた。
「そうですわね」
皆を代表し、篭也の言葉に賛同するように、頷く和音。
「皆で信じましょう。そして、皆で祈りましょう」
両手を広げた和音が、今後の道を指し示すように、他の皆へと声を掛ける。
「安の神に、我々の言葉の明日を」
和音の言葉に、反論する者など一人もなく、誰もが皆、しっかりと頷き、祈るような視線を、アヒルの居る空間へと送った。
「さっき、大気が一瞬、震えたね」
ただ、真っ白な空間の中、他の誰も居ない空間の中で、静かに向き合うアヒルと永遠。戦いの構えを取る前に、永遠は、ふと思い出した様子で口を開いた。
「外部からの手出しは一切出来ない、この空間にまで震動が伝わるなんて、余程のことが、あったんだろうね」
その永遠の言葉に、アヒルがそっと眉をひそめ、顔を俯ける。この空間へとやって来る前に、アヒルに吹き抜けた一陣の風。その風を浴びた途端、何も知らないはずのアヒルへと伝わった、確かな終わり。
―――灰、示…―――
風と共に伝わってきた、その残像。
「恐らくは、あの創造の神がしぶとく生き延びて、何かをやったんだろうけど」
永遠もアヒルと同じように、知るはずもないが、何が起こったのか、だいたい予想しているかの口振りで、言葉を続けた。
「何があったんだろう?気にならない?」
どこか試すように問う永遠に、俯いていたアヒルが、ゆっくりと顔を上げる。
「別に」
あっさりと答え、アヒルが表情を引き締める。
「お前が気にすることじゃねぇさ」
そう言いながら、真っ赤な銃を身構える手とは逆の手、左手で、手の中にある金色の言玉を、力強く握り締めるアヒル。
「俺の負けられねぇ理由が、一つ、増えただけだからよ」
はっきりと言い放つアヒルを見て、永遠はまた、楽しげに笑う。
「そう」
「ああ、そうだ」
永遠の頷きに答え、アヒルが、握り締めた左手を、高々と掲げる。
「五十音、第三音」
アヒルの左手の中で、強い金色の光を放っていく言玉。
「“う”、解放…!」
言玉が一層の輝きを放ち、アヒルの手の中で、その姿を一丁の銃へと変えていく。赤と金、二丁の銃を手にしたアヒルは、鋭い表情を見せ、素早く構えを取った。
「今度は、初めから二文字か…」
攻撃の態勢を変えたアヒルを見て、わくわくするように呟きながら、永遠も、言玉を握る右手に、そっと力を込める。
「行くぜ!」
強く声を張り上げ、アヒルが右手の赤色の銃を、永遠へと向ける。
「“当たれ”!」




