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あノ神ハキミ。  作者: はるかわちかぜ
326/347

Word.81 別離 〈4〉

―――君も、“痛い”の?―――


 あの日、君がそう問いかけてくれなかったなら、今の僕は、きっと、この世界のどこにも居ないだろうね。


 誰かのために、何かをするような、こんな、僕は。




「どうするつもりじゃ?」

 答えを知るかのように、楽しげな笑みを浮かべた現が、まるで試すように、灰示へと問いかける。

「一応、言っておくが、この終獣は、以前、自爆させた礼獣の、およそ五十倍の力を体内に溜め込んでおる」

 後方の獣をわずかに振り返り、満足げな笑みを浮かべる現。

「お前ごときの力で、どうにか出来るようなものではないぞ?」

 再び灰示を見つめ、現が口元を緩める。

「それに、あの時は山ほどの音士で力を合わせたようじゃが、今のお前は、たったの一人」

「ハハハ」

「んん?」

 嘲笑うような笑みを零す灰示に、現が少し、眉をひそめる。

「何じゃ?」

「可笑しなことを言うものだと、思ってね」

 表情をひそめ、問いかける現に、灰示が前髪を払いのけながら、そっと答える。

「たったの一人、か。この場に、どれほどの音士がいたところで、僕は音士じゃない。忌だ。僕は初めから、たったの一人だよ」

 はっきりとした口調で、言葉を投げかける灰示を見つめ、現が少し、目を細める。

「では、たった一人のお前は、わしと、この強大な力を持つ終獣を前に、一体、何をしようという?」

「それはさっき、言ったはずだよ」

 また問いかける現に、灰示がまた、穏やかに笑う。

「僕は君に、“痛み”を贈る。人に“痛み”を与えることが、僕ら、忌の役目だ」

「“痛み”、じゃと…?」

 不敵に微笑む灰示に、現が眉端を吊り上げる。

「くだらん。“痛み”などと、今更、何を…」

「ギャアアアア!」

「な…!?」

 突如、後方から響く激しい叫び声に、現が驚いた様子で大きく目を見開き、すぐさま後ろを振り返る。現の後方では、金色の光を全身から発した終獣が、その巨体を捻り上がらせ、大きな口を限界まで開き、天へ向け、耳が割れんばかりの叫び声をあげていた。

「何じゃ?一体、どうしたと言うのじゃ!?我が可愛い獣よ!」

 終獣は勿論、現の問いかけになど一切答えず、ひたすらに、激しい叫び声をあげている。その声は最早、尋常ではない。その終獣の様子に、現が険しい表情を見せる。

「何を、我が終獣に一体、何をした!?」

「贈っただけだよ」

 身を乗り出し、問いかける現に、灰示は落ち着き払った笑顔で答える。

「贈った、じゃと?」

「そう。小さな、針を突き刺すような、小さな“痛み”をね」

 右手の中で、真っ赤な針を転がし、灰示がまた、そっと笑う。

「体内に埋め込まれた小さな“痛み”は、僕の力により、無限の増殖を繰り返す」

「な…!」

 灰示のその言葉に、すべてを察するように、青ざめた表情を見せる現。

「無限の増殖?まさか…」

「やがて、“痛み”が体のすべてを侵食し、“痛み”が体のすべてを支配して、“痛み”が、あの獣自身を呑み込んでいく…」

 灰示の言葉を受け、現が再び後方を振り返る。激しく歪む終獣の表情は、見るからに苦痛が滲み出ており、その叫び声は、痛々しいとしか言いようがなかった。“痛み”に蝕まれていっていることを、実感せざるを得ない。

「“痛み”が、呑み込む…」

 先程聞いた灰示の言葉を繰り返し、その唇を震わせる現。

「……そう。これが僕の、忌である僕の力。創造神だというのに、忘れてしまったのかな?」

「ク…!」

 挑発するように問いかける灰示に、現が強く唇を噛み締める。

「ならば!“痛み”に呑み込まれる前に、今すぐ、この場で自爆を…!」

「“はりつけ”」

「ううぅ…!」

 終獣が痛みに呑み込まれる前に、爆発を起こそうと、勢いよく右手を振り上げようとした現であったが、数本の針が空中を駆け抜け、現の四肢を貫き、その動きを止めた。

「貴様…!」

「くだらないことは、させないよ」

 針を構え、冷静に言い放つ灰示を、動きを止められた現が、恨みがましい瞳で見つめる。

「何故じゃ…?何故、貴様が人を、人の言葉を守る…!?」

 唯一、動く口を動かし、現が荒々しい声を、灰示へと放つ。

「貴様等、忌は、人の言葉から生まれる“痛み”により、生じたもの…!人の言葉を憎みこそすれ、守る義理など、ないはず…!」

「……そうだね」

 放たれた現の言葉を、灰示が、認めるように頷く。

「確かに、僕と同じ“始忌シキ”と呼ばれるものだった者たちは、人の言葉を憎み、“痛み”から解放されるために、人の言葉をすべて、消し去ろうとしたよ」

 かつての伍黄イツキたちの姿を思い出し、灰示がそっと、目を細める。

「人の言葉を消そうとすることの方が、忌としては、自然なのかも知れない…」

「そうじゃろう!?」

 突然、含みのある厭らしい笑みを浮かべた現が、灰示の言葉に、激しく同意するような声を発する。

「どうじゃ!?痛みの成れの果てよ!今すぐ、わしと手を組めば、すぐにでも人の言葉を、すべて消…!」

「くだらないね」

「う…!」

 現の流れるような言葉は、灰示の重い、たった一言により、あっさりと遮られた。灰示からの突き刺さるような視線に、思わず口を閉じた現の額から、薄らと、汗が滲む。

「くだらない。世界に、君の言葉のような、くだらない言葉しかないのなら、すべて消す道も、悪くはなかったと思うけどね…けど」

 言葉を付け加えた灰示が、現から上空へと視線を動かし、そっと、その口元を緩める。


―――君も“痛い”の?―――

―――なら、分かち合おう。一緒に、乗り越えていこう。この“痛み”を―――

 思い出される、優しい言葉。


「消させるわけには、いかないんだ」

 強い決意を言葉に漲らせ、灰示がはっきりとした口調で、言い放つ。

「人の言葉には、“救い”もあるらしいからね」

「救い、じゃと…?」

「ああ」

 戸惑いの表情で聞き返す現に頷きながら、灰示が一層、穏やかに笑う。

「僕の、神様の言葉だよ」

 迷いなく言い放った灰示が、素早く体を動かし、右手に、一本の赤い針を構える。

「ま、待て!わ、わしは…!」

 必死に制止を促す現の、その左胸へと目がけて、灰示が一瞬の迷いもなく、構えた針を投げ込む。

「は…」

 輝く針が、現へと向かう中、ゆっくりとその口を開く灰示。

「“てろ”」

「ううぅ…!」

 響き渡る言葉と、迫り来る針に、現の表情が歪む。

「うわあああああ!」

「ギャアアアアア!」

 現が針に打ち抜かれ、その身を砕かれると同時に、後方の終獣も、“痛み”が体のすべてに回ったのか、激しい悲鳴をあげながら、金色の光の粒となって、勢いよく飛び散った。

「わしが…わしが、こんな、痛みの成れの果て、など、に…」

「自身の生み出したものの手で逝けるんだ」

 光が飛び交う中、針に貫かれ、その体を、儚い光へと変えていく現を見つめ、灰示がそっと、言葉を向ける。

「本望だろう?創造神」

「うぅ…!うあああああ!」

 苦しげな声をあげると、現の体が完全に光と化し、次の瞬間、大きく弾けるような音を響かせて、完全に砕け散っていった。現というものを形成していたものは、すべて無くなり、その場にただ、光だけが舞い散る。最期に、灰示の言葉が、その耳に届いたのかはわからない。

「……終わったよ、伍黄…」

 金色の光粒が舞い、激しい風が吹き荒ぶ中、何も無くなってしまった前方を見つめ、灰示がそっと呟く。今度こそ現は、灰示の目の前で、完全に砕け散った。自身を生み出した者を憎み続けた、始忌としての灰示の戦いは、今、終わったのである。

「……っ」

 前へと出した、自身の両手を見下ろした灰示が、そっと眉をひそめる。その手は、淡い金色の光へと変わっていくようにして、徐々に霞んでいっている。手だけではなく、足も胴も、灰示の体のすべてが、消えいこうとしていた。

「“痛み”の最期、か…」

 少し皮肉ったように言って、灰示が笑う。現を消せば、現の言葉により生まれた灰示も消える。それは、灰示も十分に理解していることであった。

「頃合い、かな…」

「灰示…!」

 どこか寂しげな笑みを浮かべた灰示が、耳へと入って来るその声に、大きく目を見開く。消え逝く体で、灰示はすぐさま、声のした方を振り向いた。

「保…」

「灰示…!灰示…!」

 暗い空の中、灰示のもとへと、傷だらけの体を引きずるようにして、必死にやって来るのは、保であった。まだ相当に距離は開いているが、確かに届く、大きな声を響かせながら、こちらへと向かってくる保を見つめ、灰示がそっと目を細める。

「灰示っ…灰示…!」

「来てくれたんだね、保」

 名を呼び続ける保を見つめ、灰示がそっと、嬉しそうに微笑む。

「良かった。言っておきたいことが、あったんだ」

 必死にこちらへと向かってくる保を見つめたまま、灰示が穏やかに、言葉を続ける。

「さっきの言葉、ありがとう」

「さっき…?」

「君は、僕に出会えたことに感謝するって、そう言ってくれた」

 少し戸惑うように眉をひそめた保の、その疑問に答えるように、灰示が言葉を続ける。

「今までしたことなかったけど、僕も、僕も、神というものに、感謝してるんだ。保」

 灰示が保へと、優しく微笑みかける。

「君と出会えたことに、感謝してる」

「灰示…」

 曇りなどまるでない、心からの笑みを浮かべる灰示を見つめ、保がそっと目を細める。

「君と出会えたから、今、僕は、ここに居る…」

 光と化し、もうほとんど消えかかっている手を胸へと当てて、灰示が噛み締めるように呟く。

「人が、人が好きだった。忌として生まれたのに、もう、ずっと初めから」

 灰示が困ったように笑い、懐かしむように、目を細める。

「歩み寄れる足を持ってる人が、取り合える手を持ってる人が、知り合える言葉を持ってる人が、好きだった」

 まだ黒い影の塊だった頃、こっそりと、人の生きる場所を見に行ったことを思い出す。仲間に隠れて、何度も何度も見に行っては、人に憧れ、人への想いを強めた。

「人の言葉が、好きだった」

 灰示の言葉を聞く保の瞳からは、いつの間にか、大粒の涙が、溢れ出していた。

「君に会えて、僕はもっと、人に近づけた。もっと、人の言葉と巡り合えた」

 遠くを見ていたその瞳を、灰示が、涙に暮れる保へと戻す。

「もっと、人を好きになれた」

「灰示っ…」

 保の口から零れ落ちる、灰示の名を呼ぶ声が、震える。

「だから、感謝してる。ありがとう、保」

 礼の言葉を向ける灰示に対し、保は、涙を流したまま、何度も何度も、首を横に振った。

「それは、俺の台詞だよ、灰示」

 あまりの震えに、所々に言葉を途切れさせながら、保が、それでも必死に、言葉を紡ぐ。

「君が、君が居なかったら俺は、深い“痛み”に呑み込まれて、ただ、何もかもを諦めた人間のままだった」


―――“痛い”、“痛い”よ…―――

―――助けて…―――

 訪れる痛みに、ただ、灰示の助けばかりを求めていた、あの頃。


「他人に頼ってばっかりの、ダメな奴のままだった…」

 ふらつく体を何とか堪え、必死に前へと、灰示のもとへと進みながら、保がさらに、言葉を続ける。

「君が居たから、俺は、“痛み”を乗り越えられた。俺は、強くなれた」

 その声が、流れ出る涙に、さらに震える。

「君が居たから、俺も今、ここに居る…!」

 保のまっすぐな言葉を正面から受け止め、目を細めた灰示は、どこか、泣き出しそうな笑みを浮かべた。

「ありがとう、保」

 もう一度、噛み締めるように、保への言葉を繰り返す灰示。

「その言葉、貰っていくね…」

「あ…!」

 穏やかな微笑みと同時に、一気に、全身を金色の光へと包まれていく灰示。灰示のその姿に、保が大きく目を見開き、前へと進むその速度を、何とか必死に速める。

「待って!待って、灰示!待って…!」

 まだ届かない手を必死に伸ばし、光の中へ、その姿を霞めていく灰示へと、何度も何度も叫ぶ保。保が必死に空中を移動し、ようやく、灰示のすぐ前へと辿り着く。

「灰示…!」

 光と化した灰示へと、必死にその手を伸ばす保。

「保…」

 そんな保をまっすぐに見つめながら、灰示が静かに、保の名を呼ぶ。

「灰っ…!」

「さようなら」


―――パァァァァン!


「……!」

 大きく、光が弾けるような音が響き渡ると共に、灰示へと伸ばした保の手が、宙を舞った。

「あ…」

 何もない、誰も居ないその場に、ただ一人残された保が、唇を、肩を、全身を震わせる。

「はっ…灰示ぃぃぃぃぃぃ!!!」

 保の悲痛な叫びが、空を切り裂くように、辺りへと響いた。




―――君も“痛い”の?―――

―――うん、“痛い”よ。すごく、“痛い”―――


 さようなら、保。




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