Word.80 消エユク言葉 〈3〉
永遠の居城、屋上手前。
「“焼き尽くせ”!」
アヒルたちの救援としてやって来た、三言衆の一人、“也守”の刃が、武器である巨大な剣を振るい、迫り来る黒い影を数十匹、まとめて一気に焼き払う。構えを取り直しながら、刃が目を細め、険しい表情で城を見た。
「城が崩れれば崩れるほど、影は増え、その勢力を増していく…」
城の崩壊により、地面へと落ちた瓦礫から、次々と生まれ出る黒い影の、その様子を見下ろしながら、刃がまた、眉間に皺を寄せる。この城がすべて崩れ落ちれば、一体どれほどの影が生まれ出るのか、最早、想像もつかない。
「このままでは…」
「刃!」
「弓」
刃が表情を曇らせていたその時、金色の象に乗った弓が、空を翔け抜け、やって来た。
「言姫様からの命で、この場を凌ぎ、言姫様たちの居る場所まで退くようにと!」
「退く…?」
弓から伝わる指示に、刃が少し眉をひそめる。
「そうか」
「これ以上戦っても、我らは全滅するだけだ」
「鎧」
冷静に言葉を発しながら、弓のすぐ横へと現れる、厚い鉄仮面の男。固く腕を組みながら、周囲を見回し、和音の命に納得した様子で、鎧が頷く。
「適切な判断だろう」
「ああ」
刃も、鎧の言葉に納得するように頷く。
「命令通り、退こう。後は、安の神を信じるしかない」
「安の神…」
弓象の上で、両手を組んだ弓が、不安げな表情で、城を見つめる。
「大丈夫」
そんな弓を元気づけるように、軽く肩を叩く刃。
「我らを救ってくれたのは誰だ?」
不安げな弓へと、刃が優しく微笑みかける。
「安の神ならば必ず、皆の言葉を救ってくれる」
「刃…」
刃の微笑みに、弓が、少し安心した様子で笑う。
「うん」
刃の言葉に、弓はどこか祈るような思いで、頷いた。
永遠の居城、正面左方向部。
「きゃあああ!」
「誠子お姉さま!」
黒い影の攻撃を受け、悲痛な叫び声と共に、その言葉と動きを止める誠子。双子の姉のその叫びに、気を取られている徹子へと、生み出された黒い影たちが、一気に迫る。
「あ…!」
迫り来る影たちに気付き、徹子が大きく目を見開くが、時はすでに遅かった。
「きゃああああ!」
影たちの放った光を浴び、徹子が誠子と同じように、悲痛な叫びをあげる。
「誠子、徹子!」
二人の声を聞き、少し離れた場所で戦っていたエリザが、素早くその場の影たちを振り払い、二人の居る方へと駆けていく。
「“抉れ”!」
エリザが緑色に輝く右足を振り切り、誠子たちの周囲に居た影を、一気に掻き消す。
「誠子、徹子…!」
周りの影をすべて倒し、必死に二人のもとへと駆けつけるエリザ。だが、二人がエリザの呼びかけに答えることはなかった。
「誠子、徹子…」
完全に動きの止まった二人の姿を見て、エリザがどこか茫然とした表情を見せる。
「エリザ様!」
そこへ、どこからか現れる慧。
「今、言姫様からの指示がありまして…!こ、これは…!」
エリザに和音からの指示を伝えようとした慧であったが、それよりも先に、動きの停止した仲間たちの姿が目に入り、連絡の言葉は続かなかった。
「誠子!徹子!」
慧が二人に駆け寄り、必死に呼びかけるが、二人に反応はない。音音に続き、さらに二人の仲間の言葉も終わらされた慧を、絶望感が一気に襲った。
「こんな…」
「慧」
発する言葉も失った慧が、静かに呼びかけるエリザの声に、ゆっくりと振り向く。エリザは慧に背を向け、まっすぐに崩れゆく城を見つめていた。
「三人を連れて、この場から退避するわ」
「エリザ様…」
背を向けたまま、言葉を発するエリザを見つめ、そっと目を細める慧。最後まで、アヒルたちの為に力になると、共に戦うと決めていたエリザにとって、それは苦渋の決断であろう。そのエリザの気持ちが十分に伝わり、慧は、苦しげな表情で俯く。
「仰せの、ままに」
慧は、エリザからの命に、ただ、いつもと同じように頷いた。
永遠の居城、正面部。
「その場を凌いで、合流ったってなぁ~」
伝わった和音からの指示を繰り返しながら、金八が、困った様子で頭を掻く。
『グアアアアア!』
「どうやって凌げってんだよ、これを」
周囲を、もう終わりすら見えないほどの数の黒い影に囲まれた金八が、深々と肩を落としながら、情けない声で呟く。これでは逃げ道もなく、逃げ道を作るにも、相手の数が多すぎて、逃げる前にこちらの体力が尽きてしまう。
「金八!」
「お前はチラシとニギリについてろ、シャコ!」
金八より少し後方から、不安げな表情で呼びかけるシャコに、金八が素早く言葉を向ける。シャコの傍には、言葉を終わらされたチギリと、チギリのことで未だ放心状態のニギリの姿があった。シャコは、黒い影たちから二人を守るようにして、構えている。
「金八…カッコつけ、カイワレ大根、カブトガニ…」
「最早、関係ない言葉の方が多いよぉ!?シャコ!」
ひっそりと呟いたシャコに、金八はこの状況であっても、緊張感のカケラもなく、突っ込みの言葉を投げかける。いつものやり取りに、少し冷静さを取り戻したのか、先程よりは落ち着いた表情となって、金八が改めて、周囲の影たちを見回した。
「ごちゃごちゃ言ってても仕方ねぇし、とりあえずやるかぁ」
諦めたようにそう言って、金八が、青い言玉を握るその手に、力を込める。
「よっしゃあ!“き…!」
「“凍てつけ”」
「あり?」
金八が言葉を発する前に、別の言葉が放たれ、金八の前面の影たちが、一気に凍りついていく。その光景に言葉を止め、戸惑った様子で目を丸くする金八。
「今の言葉って…」
「“一碧万頃”」
「うお!」
金八が首を傾げていると突然、金八のすぐ横の地面から、巨大な水の像が現れる。溢れ出るその水の中に呑み込まれないように、必死に横へと避ける金八。
「ふっはぁ~」
「邪魔だ、どけ」
「神!」
焦った様子で金八が呼吸を整えていると、不機嫌そうに言葉を発しながら、金八のすぐ横へと、イクラが現れた。
「そういう冷たいこと言うと、また俺、泣いちゃうよぉ!?」
横へとやって来たイクラに、いつものように言葉を投げかける金八。
「だいたい、こんな皆近くに居る場所で、四字熟語なんか使ったら、危な…」
「金八」
金八の言葉を遮り、イクラが金八の名を呼ぶ。イクラはまっすぐに前を見据えたまま、いつものように厳しく、鋭い表情を見せていた。
「行け」
イクラの短いその言葉に、瞬時に意味を感じ取った様子で、金八が眉をひそめる。
「神…」
「道は俺が作る。他の奴らを連れて、行くんだ」
そっと呼びかける金八に、イクラがさらに言葉を続ける。その言葉に、金八は迷うように俯いた後、険しい表情で顔を上げた。
「けど…!」
「神の言葉を聞け。聞けないなら、死ね」
言葉を遮るイクラの声に、金八が思わず押し黙る。
「……仰せのままに、我が神」
俯いたまま、金八がそっと、言葉を落とす。イクラに命令だと言われては、金八は、その言葉以外を、口にするわけにはいかなかった。
「ちゃんと命令は聞くからさ、俺の言葉も一つだけ、聞いといれくれないか。神」
金八のその言葉に、ずっと前だけを見ていたイクラが少し振り向き、金八の方を見る。すると、顔を上げた金八が、真剣な表情で、まっすぐにイクラを見つめた。
「死なないでくれ」
切に願うように放たれる、金八の言葉。その言葉に、イクラが目を細める。
「あんたが死ぬと、俺、泣いちゃうよぉ?」
「……勝手に言ってろ」
そっと微笑んで、いつもと同じ言葉を発する金八に、イクラはまた目を逸らすように前を向いて、素っ気ない言葉を返した。そんなイクラの様子を見て、金八がまた、微笑む。
「行け、金八」
「おう!」
イクラの言葉にしっかりと頷き、シャコたちのもとへと、駆け出していく金八。金八が駆けていくのを確認すると、イクラが言玉を持った右手を掲げた。
「“祈れ”…!」
イクラが強く言葉を発すると、先程出来上がった巨大な水像が、その場で倒れ込み、前方に居た黒い影の集団を、一気に呑み込んでいく。
「行くぞ、シャコ!」
「え?」
動きの停止したチラシを背負い、放心状態のニギリの手を引いて、イクラの言葉により掻き消えた影たちにより、出来た逃げ道へと、駆け出していく金八に、シャコが戸惑いの声を漏らす。
「で、でも、神が…」
「いいから行くんだ!」
ニギリを引く手とは逆の手でシャコの手首を掴み、戸惑うシャコを無理やり引っ張って、イクラにより作られたその道を、必死に駆け抜けていく金八。金八に引かれながら、シャコが振り返り、黒い影たちの中に、たった一人、残るイクラの方を見つめる。
「神っ…神!」
どんどんと遠ざかっていきながら、それでも必死にイクラを呼ぶシャコ。
「…………」
そんなシャコを、金八を、仲間たちを見つめながら、イクラがそっと、目を細める。
―――俺だってなぁ、半端な覚悟で、神になろうってんじゃねぇんだよ!―――
「……あの時のあいつの言葉が、今になって、わかるとはな」
神試験でのアヒルの言葉を思い出し、イクラが少し、口元を緩める。だがその表情は、すぐに鋭いものへと変わり、イクラはまた、言玉を持った右手を突き上げた。
「“祈れ”!」
永遠の居城、正面右方向部。
「退避?和音が?」
「はい。そのように指示が来ています」
聞き返した檻也に、雅が眼鏡を指で押し上げながら、冷静に答える。雅の答えを聞くと、檻也は少し考え込むように俯いた。
「そうか。和音が…」
もう一度頷きながら、檻也がそっと、城へと視線を送る。崩れゆく城では、恐らくまだ、檻也の兄でもある篭也が、戦いを続けているだろう。不安げに目を細めながらも、どうにも出来ないことを知っており、檻也はどこか、もどかしそうな表情を作った。
「この場から退避する!全員、一箇所に集まれ!」
「え?」
檻也から飛ぶ指示に、檻也よりも前方で戦っていた空音が、驚いた様子で振り返る。
「退避?」
戸惑いの表情で、檻也の方へと体を向ける空音。
「退避とは、神っ…」
「あ…!」
檻也に問いかけを向けようとする空音の、すぐ後ろへと迫る黒い影に気付き、空音を見ていた檻也が、大きく目を見開く。
「後ろだ、空音!」
「え…?」
檻也の声に空音が振り向くと、空音のすぐ間近へと迫る、黒い影の鋭い爪先。
「あ…!」
「空音…!」
空音が表情を強張らせる中、檻也が何とかしようと、必死に言玉を構えるが、黒い影の爪が、振り下ろされる方が早い。
「う…!」
空音が諦めるように、唇を噛み締めた、その時、空音の前に、飛び出してくる者の姿があった。
「ああ…!」
飛び出してきたその者は、空音を庇うように空音の前面へと立ち塞がり、空音に代わって、振り降りてきた黒い影の爪を、胸へと受ける。
「こ…紺平!」
放たれる空音の、悲痛な叫び。空音に代わり、黒い影の攻撃を受けたのは、紺平であった。後方へと倒れ込む紺平へと、空音が必死に両腕を伸ばす。
「“落ちろ”!」
「“満ちれ”!」
一歩遅く、やっと攻撃態勢の整った檻也と雅が、それぞれの言葉を発すると、巨大な波と、白い光の雨が、紺平と空音の周囲の黒い影を襲い、一気に掻き消した。
「“迎えろ”!」
檻也たちの横から六騎が言葉を放ち、金色の馬を使って、紺平と空音を、檻也たちのすぐ傍まで運んでくる。
「紺平!紺平…!」
倒れた紺平の体を支えながら、泣きだしそうな表情で、必死に紺平へと呼びかける空音。そんな二人のもとへと、檻也たちが歩み寄っていく。
「紺平…」
「檻也、くん…」
静かに名を呼ぶ檻也の方へと、紺平がそっと、視線を向ける。
「ごめん、ね…最後まで、附いて…いけなくて…」
謝罪する紺平に、檻也は険しい表情を見せながら、言葉もなく、ただ、首を横に振った。
「紺平、ごめん!ごめん…!私の、私のせいで、こんな…!」
「大丈夫、だよ…空音さん」
目に涙を浮かべながら、必死に謝る空音へ向け、紺平が安心させるように、笑みを向ける。
「言葉は、終わったりしない…明日は、来る…」
紺平が、確信を持って、言葉を紡ぐ。
「ガァがきっと、明日を、持って帰って来てくれる…」
紺平のその言葉には、迷いなどまるでなく、心からアヒルを信じているその様子が眩しく映り、檻也は思わず目を細めた。
「だから…」
もうほとんど閉じかけの瞳で、ゆっくりと、青く広がる空を見つめる紺平。
「“また明日”ね、ガァ…」
まるで自然の挨拶のように言葉を発し、そっと微笑むと、紺平はそのまま瞳を閉じ、完全に動かなくなった。動かなくなった紺平の体を、握り締める手に力を込め、空音が俯き、瞳に溜め込んでいた涙を流す。
「小泉君…」
雅も六騎も、動かなくなった紺平を見つめ、厳しい表情を見せた。
「武守、悪いが、紺平と末守を運んでくれるか?」
「あ、うん」
檻也からの指示に、六騎が素直に頷く。
「全員、この場から退避する」
はっきりと言い放たれた檻也の言葉に、首を振る者は、誰も居なかった。




