Word.80 消エユク言葉 〈1〉
―――我が魂は、永遠に、我が神と共に…―――
永遠の居城。左塔、最上階。
「…………」
永遠のすぐ近くに、不意に現れる、小さく弱々しい白色の光。少し戸惑うような表情を見せた永遠が、その光へと左手を伸ばす。その光に永遠が触れると、光は一瞬、強く輝き、次の瞬間、光を失った白い言玉が、永遠の左手の上へと落ちた。落ちた言玉を見て、永遠がそっと表情を曇らせる。
「君も、俺を置いて、逝ってしまうんだね」
左手で言玉を握り締め、永遠が低い声を落とす。
「桃雪…」
共に在った神附きの名を呼び、永遠は、どこか哀しげな笑みを浮かべた。
「ハァ…ハァ…ハァ…!」
その頃、桃雪の言葉によるカモメの幻覚を倒した恵は、ひたすらにその足を動かし、永遠の待つ最上階を目指して、長い階段を上り続けていた。長く続く階段に、息を乱し、滲む汗を辺りに撒き散らしている。
「ん?」
その時ふと、恵が何かに気付いた様子で顔を上げ、階段の途中で足を止める。どこからか、低く重い音が響いてくる。まるで底の方から崩れ落ちようとしているような、地響きのような音だ。音が響き始めたと同時に、天井や壁が震え始めると、恵はすぐさま、表情をしかめた。
「城が、崩れ落ちようとしているのか…?」
その考えが過ぎると、恵はさらに一層、険しい表情を見せる。
「クソ…!」
響く崩壊の音の中、それでも今更、引き返すことも出来ず、恵が再び、階段を駆け上り始める。
「朝比奈っ…」
どこか不安げに、アヒルの名を口にする恵。
「遠久…!」
必死に名を呼ぶその声がさらに、恵の足を速めた。
永遠の居城、屋上。
「行くぜ、チュン吉!」
巨大な金色の巨鳥の背に立ち、一気に空を下降して、屋上で待つ終獣へと、気合い十分の様子で向かっていくスズメ。スズメが右手を振り上げ、大きく口を開く。
「す…!」
「グアアアアア!」
「何!?」
スズメが終獣との距離を詰め、攻撃の言葉を向けようとしたまさにその時、屋上の床の一部が突然崩れ落ち、崩れ落ちた部分に後ろ脚を取られた終獣が、激しい叫び声をあげる。終獣の叫びを聞いたスズメが、戸惑いの表情を見せながら、慌ててその場で動きを止める。
「こ、これは…」
チュン吉を上昇させながら、屋上のある右塔全体を見渡し、表情を曇らせるスズメ。突如、崩れ落ちたのは屋上だけではなく、右塔の外壁の至るところにもヒビが入り、塔全体が、崩れ落ちようとしている。
「スズメ!」
「ツバメ」
唖然とした様子で、崩れゆく塔を見つめていたスズメが、自分の名を呼ぶ声に振り向く。すると、チュン吉の飛ぶすぐ横の方向に、ツバメのスワ郎が飛びあがっていた。スワ郎の背の上には、ツバメの他に、熊子と塗壁の姿もある。崩れゆく屋上の上から、ツバメが二人を回収したのだろう。
「熊子、これは…」
「原因は分かりかねますが、この城全体が崩れ始めているのは確かです」
戸惑いの表情で問いかけるスズメに、熊子が冷静な口調で答える。
「スズさんたちの弟さんがぁ、永遠を倒したんじゃあ、ねぇのかぁ?」
「それは、ありません」
塗壁の考えを、熊子があっさりと否定する。
「そうであれば、あの獣も消えるはずです」
「そ、そうかぁ」
「ですが、城内で何かが起こったことは、間違いないでしょう」
塗壁が少し残念そうに肩を落とす中、冷静な言葉を続ける熊子。
「とにかく、ここに居ては危険です。幸い、足元を取られ、あの獣も動けない状態です。今のうちに一旦、避難を、スズメ氏」
「ああ」
熊子の言葉に、スズメが表情を引き締め、頷く。
「ツバメ、お前は熊子と塗壁を連れて、先に親父たちの居るところまで、降りといてくれ」
「スズメは…?」
「俺は、たもっちゃんとハ行の連中を回収してから行く」
「わかった」
スズメとツバメが頷き合うと、二羽の巨鳥は、それぞれ別の方向へと、飛び立っていった。
永遠の居城、正面部。
「うおおおお!」
無数に生み出され続ける黒い影との、戦いを続けていた以団の金八が、急にやって来る地震のような地面の激しい揺れに、焦りの声をあげる。
「な、何…あ!」
しっかりと足を踏ん張りながら、戸惑いの表情で城を見上げた金八が、また大きく声をあげる。前方に見える城の、堅く閉ざされていた巨大な正門が、中央から大きくねじ曲がり、地面へと崩れ落ちていた。崩れていっているのは正門だけではない。城全体が揺れ動き、下方から一気に崩れ落ちようとしている。この巨大な城の崩壊が、周囲の地面すらも揺らしているのだ。
「神、城が…!」
焦った様子で、後方に立つイクラの方を振り返る金八。
「城が、城が崩れてってる!」
「そんなもの、見ればわかる。いちいち、口にするな。死ね」
「泣いちゃうよぉ!?そんな冷たいこと言うと、俺、泣いちゃうよぉ!?」
吐き捨てるように言い放つイクラに、すでに泣き出しそうな表情で、金八が訴える。
「城が崩れるのは、どうでもいい。問題は別にある」
「別?」
イクラの言葉の意味を探すように、金八がまた、城の方を振り向く。
「な…!?」
振り向いた瞬間、金八が大きく目を見開く。先程、地面へと崩れ落ちた正門が、白い光に包まれ、分解されていくように無数の光の塊を生むと、その光が、金八たちの戦っている黒い影へと姿を変えた。正門だけではなく、崩れ落ちていく城のあらゆる部分が、その姿を、黒い影へと変えていく。
「ど、どうなってやがんだよ…?」
「知るか」
戸惑いのあまり、疑問を口にしてしまった金八に、イクラが冷たく答えながら、表情をしかめる。
「神…」
そこへ、イクラの横から、不安げな表情のシャコが声を掛ける。シャコが一瞬、視線を後方へと流し、言葉を終わらされてしまったチラシと、そのチラシを抱え、未だ泣いているニギリの姿を、瞳に捉え、またイクラの方を見る。
「すでに、こちらも限界です。一旦、退かねば、このままでは全滅します」
「…………」
シャコの言葉に、イクラは眉間に皺を寄せ、気難しい表情を見せた。
「エリザ様…」
以団と同じように、城の変化に気付き、困惑したような、険しい表情を見せながら、前方に立つエリザへと、呼びかける慧。
「アヒル…」
その場に立ち尽くし、エリザはただ、アヒルの名を呟いた。
「檻也くん」
「神」
それぞれ不安げな表情を見せながら、すぐ横へと立つ檻也へと、視線を投げかける紺平と空音。二人の視線を感じながら、檻也は厳しい表情で城を見つめる。
「ここまでか…」
檻也の口から、どこか諦めるような、弱々しい言葉が零れ落ちた。
永遠の居城、程近くの公園。
「あれは…」
遠目からでも十分に確認出来る、城の崩壊。その地響きのような音は、離れた場所に居るウズラたちの耳にも、届いていた。その音を聞き、崩壊していく城を見つめながら、茜がより一層、不安げな表情を見せる。
「あなた、あれは…」
「恐らくは、あの城を造り出していた者が死んだ影響で、言葉の効果が消えて、城が崩れ始めてるんだろうね」
「城を、造り出した者…?」
ウズラの言葉に、茜が首を傾げる。
「では、百井桃雪が…」
「うん、たぶん」
眉をひそめ、その名を呟いた茜に、ウズラがそっと頷く。
「では、城の残骸が、黒い影へと姿を変えているのは?永遠が、桃雪の言葉をも呑み込んだということですか?」
「いいや」
茜の問いかけに、ウズラが静かに首を横に振る。
「あれは、死んでもまだ、永遠の力になりたいっていう桃雪の思いが、形になったんじゃないかな」
「思いが、形に…?」
「うん」
戸惑いの表情で聞き返した茜に頷きながら、ウズラがどこか、遣り切れない表情を見せる。
「神への忠義の点では、彼ほど、神附きに相応しい者はいなかったからね」
ウズラの言葉を背中で聞きながら、和音がそっと視線を地面へと落とす。
―――我が神に再び会う為なら、僕は何でもしますよ―――
思い出される、共に在った頃の、桃雪の言葉。桃雪に利用され、酷い目に遭わされた和音にとって、桃雪はとても許せるような存在ではないが、桃雪の、ただ自身の神を復活させたいという思いは、ただ、母親の記憶を取り戻したいという和音の思いと、どこか通じるものがあった。利用する者と、利用される者になってしまったが、和音と桃雪の、自身の願いを叶えようとするまっすぐな気持ちは、同じだったのかも知れない。
「死してもなお、自身の神に尽くす…」
「うん」
そっと呟く茜の横で、ウズラが悲しげに微笑む。
「彼もまた、五十音の世界に狂わされた者の一人、だったのかも知れないね…」
ウズラの言葉を聞き、俯いていた和音が顔を上げ、何かを決意した様子で、固く唇を噛み締める。
「……前方で戦う者たちに、その場を凌ぎ、我々と合流するよう、連絡を」
和音が近くで待機する従者へと、言葉を向ける。
「和音ちゃん?」
「ここは危険です。もっと離れた場所へ移動しましょう、宇の神」
首を傾げるウズラの方を振り返り、和音がはっきりとした口調で言い放つ。
「百井桃雪を倒したとはいえ、あの状況では、こちらに不利。これ以上、戦いを続けても、ただ、音士の言葉を失うだけです」
ウズラへと、真剣な眼差しを向ける和音。
「後は中に居る安の神と、安団の皆さんを信じて、待ちましょう」
和音のその表情を見つめ、ウズラがそっと目を細める。中に居る篭也のことを思えば、不安なはずがない。それでも気丈に振る舞い、的確な指示を出す和音のその姿は、胸を打たずにはいられなかった。
「うん、そうだね」
和音の言葉に、ウズラはしっかりと頷いた。
「痛つつつ…」
壁際で倒れ込んでいたアヒルが、表情をしかめながら、ゆっくりとその場で上半身を起こす。永遠の自室だった最上階は、すでに為介、アヒルとの戦闘により荒れ果て、天井の巨大な鏡は割れ、壁や床も傷だらけとなり、中央に置かれていた永遠の寝台も、壁際へと追いやられていた。
「思いっきり、ケツ打ったぁ。んあ?」
痛む腰付近を、両手で撫でていたアヒルが、天井や床の下から聞こえてくる、地響きのような、底の方から聞こえてくる重い音に気付き、首を傾げる。
「何の音だ?」
その音に耳を澄ませ、アヒルが少し眉をひそめる。
「桃雪が死んで、桃雪の“設けろ”の言葉によって造られたこの城が、崩れ落ちようとしている」
「え?」
アヒルの問いかけに答えるように、口を開いた永遠の言葉に、アヒルが素早く顔を上げる。
「崩れ、落ちる?ここが?」
「ああ」
不安げに聞き返すアヒルに、永遠が間を置くことなく、すぐさま頷く。その頷きを見て、さらに険しい表情を見せるアヒル。この城の中では、安団の仲間たちがおり、城の傍や屋上でも、多くの仲間が戦っている。今、この城が崩れ落ちればどうなるか、そう考えると、アヒルの表情は強張った。
「皆…」
「逃げるなら、逃げてもいいよ」
「へ?」
思いがけない永遠の言葉に、アヒルが戸惑いの声を漏らし、顔を上げる。
「仲間たちと、この城からなるべく遠くまで、逃げたらいい」
穏やかな微笑みを浮かべた永遠は、少しも笑っていない冷たい瞳で、まっすぐにアヒルを見つめている。
「俺は別に、追いかけたりしないから」
「何を…」
「まぁ、君たちが逃げても」
戸惑うアヒルの言葉を遮り、永遠はまた、笑う。
「崩れゆくこの城から生まれ出る影たちは、やがて世界中に広がって、君たちの言葉を終わらせるだろうけどね」
涼しげな表情で、永遠が言葉を続ける。
「それまでの間、大切な仲間たちと、ゆっくりと言葉を交わすといい」
微笑む永遠を見ながら、アヒルが眉間に皺を寄せ、少し考えるように、視線を下へと向ける。一瞬の間、深く目を閉じると、アヒルがその場で立ち上がり、顔を上げた。迷いも戸惑いもない表情で、ただまっすぐに永遠を見つめる。
「俺は、逃げない」
アヒルの口から放たれる言葉に、永遠が笑みを止める。
「俺は、お前を倒して、言葉の明日を手に入れる」
「……そう」
笑みを止めた永遠が、特に感情も無い表情で、興味なさそうに頷く。
「折角、仲間たちと言葉を交わせる、最期のチャンスをあげたのに…」
「そんなものはいらねぇさ」
永遠の言葉にはっきりと答え、右手の中の、真っ赤な銃を握り締めるアヒル。
「俺たちは、また、いくらでも言葉を交わす」
アヒルが握り締めた銃を振り上げ、その銃口を、永遠へと鋭く向ける。
「明日の中で!」
はっきりと響くアヒルのその声を聞きながら、永遠がそっと目を細める。
「そう…じゃあ、この崩れゆく城の中で、決めようとしようか。安の神」
アヒルの言葉に動じた様子一つ見せず、崩れ落ちようとしている城の中でも焦りすらなく、言葉を放った永遠が、左手を強く握り締め、桃雪の言玉を光へと変えて、自身の手の中へと吸収する。
「言葉の明日、その行く末を」
楽しげに笑う永遠に、アヒルはまた、厳しい表情を作った。




