Word.79 神ニ、誇ル 〈3〉
――――三十数年前。
「ぎ、ぎゃあああ!」
闇夜に響く、凄惨な悲鳴。
「や、やめろ!やめてくれ!」
真っ暗な道端に腰をついたまま、後退していきながら、必死に前方へと右手を突き出し、命乞いをする、まだ若い男。
「な、何故だ!?何故なんだ!?桃雪!」
戸惑いと恐怖に満ちた表情で、男が、目の前に立つ者の名を呼ぶ。
「俺は、お前の神で…!」
「“燃えろ”」
「う、うわああああ!」
男の言葉を遮り、その者が酷く冷たく言葉を落とすと、真っ白な炎が男を包み込み、容赦なく、男を焼いた。男の激しい悲鳴が響き渡り、その悲鳴も、やがて聞こえなくなる。
「脆いものだ…」
闇夜に輝く炎を見つめながら、そっと呟く、まだ十代半ばほどの、幼さを表情に残した青年であった。目立つ桃色の髪に、氷のような、冷たい瞳をしている。
「残念ながら、あなたは僕の、神ではなかったようだ」
自身の神だった男を焼く炎を見つめながら、桃雪は、感情のない声で呟いた。
当時、韻本部。
「“遠の神”が重体で見つかった?」
着物を身に纏った美しい女性、和音の先代である言姫は、韻の従者からの報告を受け、困ったような表情を見せた。
「またですか…」
「はい。命に別状はないようですが、酷く怯えた様子で、神を辞めると、そう申し出ております」
「はぁ…」
続く従者の報告を聞き、言姫が、深々と溜め息をつく。
「困ったものですね」
肩を落とし、目を細める言姫。
「“毛守”百井桃雪」
「追及し、処罰しますか?」
「いいえ」
従者からの問いかけに、言姫はすぐさま、首を横に振った。
「彼のことです。証拠など、一切、残していないでしょう。追及したところで、何にもなりません」
「ですが、このままでは…」
「神が」
従者の言葉を遮り、言姫が口を開く。
「彼の心を満たす神が、一刻も早く、現れてくれると良いのですがね」
そう言った言姫は、少し祈るような、遠い瞳を見せていた。
数年後。
「ウズラ、てめぇ!」
「うわあぁ」
韻本部に設けられている“宇の神”の部屋に、まるで道場破りか強盗かのような勢いで、扉を蹴破って入ってきたのは、怒りに満ちた表情を見せた恵であった。恵の怒鳴り声に、部屋のソファーでのんびりと寝転がっていたウズラが、飛び起きる。
「びっくりしたなぁ、もう~。なぁにぃ?恵ちゃん」
「ウズラ、てめぇ!神試験で、遠久を“遠の神”にしやがったとは、どういうことだぁ!?」
起き上がったばかりのウズラの胸倉を掴み上げ、恵がさらに声を張る。
「ああ!遠久くんだっけ?とっても優秀だったよぉ~さすがは、恵ちゃんの弟でっ…」
「誰が誉めろっつったぁ!」
「ぎゃああ!」
恵に殴り飛ばされ、ウズラがソファーの後ろへと、転がり落ちる。
「か、神!」
「恵さま、落ち着いて!」
倒れたウズラへ駆け寄る宗吉と、まだ怒りの収まっていない様子の恵を、必死に宥める芽衣子。
「今の“遠の神”の神附きが、どんな野郎かってことくらい、てめぇだって知ってんだろうが!」
「遠の神の神附きぃ~?」
宗吉の手を借り、ゆっくりと体を起こしながら、ウズラが恵の言葉を繰り返し、思い出そうと頭を掻く。
「ああ、問題児の、毛守くんだっけ?」
「気に入らなかったからって、自分の神を次々と重体にしてくる奴が、問題児なんて、可愛いもんか!」
恵が、どこか吐き捨てるように、言葉を放つ。
「あんな野郎の神にして、遠久に何かあったら、どうしてくれるんだよ!ああ!?」
「そんなこと、言われてもぉ~」
「大丈夫だよ、お姉ちゃん」
恵の責め立てに、ウズラが困ったように口を尖らせていたその時、二人とはまた別の声が、部屋へと入ってきた。その声にウズラと恵が同時に振り向くと、部屋の入口に、まだ幼い少年が立っていた。神になったばかりの、まだ十四歳の遠久であった。
「遠久、なんでここに…」
「あれだけ大声出してたら、韻本部のどこに居ても聞こえるよ」
戸惑う恵に、遠久が困ったような笑顔を向ける。
「ごめんね、ウズラさん」
「いやいやぁ~全然いいよぉ。ちょっと痛かったけどぉ」
恵の代わりとばかりに謝る遠久に、ウズラが優しい笑みで答える。
「ウズラさんを責めないでよ、お姉ちゃん。俺、遠の神になれて、本当に嬉しいんだから」
「だが遠久!お前の神附きになる、あの男は…!」
「大丈夫だよ」
恵の言葉を遮り、遠久が、大きく微笑む。
「俺、頑張って、歩み寄るから」
「駄目だ。危険すぎる!」
「最初から駄目だなんて決めつけたら、誰とも交われないよ」
姉の恵に対し、遠久がどこか大人びた表情で、まるで諭すように、言葉をかける。
「俺、俺の言葉を信じてみたいんだ」
「遠久…」
まっすぐな笑顔を見せる桃雪に、困ったような表情を見せる恵。
「わ、わかったよ…」
肩を落とした恵が、渋々、頷く。
「弟くんには、めっぽう弱いねぇ~恵ちゃん」
「うるさい!」
「ぎゃああ!」
茶化すように口を挟んだウズラに、恵の蹴りが飛んだ。
それから数日後。遠久と桃雪の顔合わせが行われた。
「新しく“遠の神”になった、目白遠久。よろしくね、桃雪」
「……よろしくお願いします」
自己紹介をし、大きな笑顔を向ける遠久に対し、桃雪は同じように、よろしくとの言葉は呟いたものの、見定めるような、そんな冷たい瞳で、遠久を見つめていた。年相応のあどけない笑顔に、桃雪のことを知っているだろうに、まるで警戒心のない明るさ。言葉の神としての貫禄など、たったの一つも持ち得ていないその少年に、桃雪が呆れるように顔を俯ける。
「また、僕の神じゃない…」
俯いた桃雪が、遠久には聞こえないほどに、小さな声で呟く。だが、その言葉が届いたのか、遠久はそっと目を細め、穏やかに微笑んだ。
「ねぇ、桃雪」
名を呼ばれ、桃雪が顔を上げる。
「今から俺と、戦わない?」
「え…?」
遠久の思いがけない言葉に、桃雪はただ、戸惑いの表情を見せた。
「“燃やせ”…」
「“慄け”!」
それから、韻の実習室を借りて、遠久と桃雪は、本当に戦いを始めた。桃雪の放った炎を、遠久が強い光で弾き返す。すでに戦いは一時間に及び、その間中、二人は互角の戦いを見せていた。
『ハァ…ハァ…』
さすがに疲れが見え始め、二人が、乱れた呼吸を重ね合わせる。肩を揺らし、大きく口を開けて呼吸する、前方の遠久を見つめながら、桃雪がそっと目を細める。
「強い…今までの、どの神よりも…」
また見定めるように、桃雪が遠久を見つめる。
「最年少で神になっただけのことはあるか…」
「桃雪」
どこか考え込むような表情で俯いた桃雪が、呼ばれる名に、またすぐに顔を上げる。桃雪が顔を上げると、目の前の遠久は、とても穏やかな表情で、まっすぐに桃雪を見つめていた。
「俺はまだ子供だし、お姉ちゃんやウズラさんたち、他の神に比べたら、まだ全然弱いけど」
口元を緩め、遠久が笑う。
「いつか必ず、君の望む神になってみせる」
はっきりと放たれた、どこまでも純粋なその言葉に、思わず目を見開く桃雪。
「約束する」
力強い言葉を続け、遠久が桃雪を見つめる。
「だから、ねぇ桃雪。君も、約束して」
一つの曇りもない、まだあどけない、それでもどこか強い笑みを、桃雪へと向ける遠久。
「俺が、君の望む神に、誰よりも強い神になるその日まで、俺に、附いてくるって」
まるで目が離せなくなったように、ただ遠久を見つめ、桃雪が真剣な表情を見せる。氷のようだった、感情の見えなかったその瞳には、何か熱いものが、灯り始めたようにも見えた。
「例え俺が」
遠久が桃雪へと、右手を伸ばす。
「どんな道を、選んだとしても」
その力強い言葉に吸い寄せられるように、桃雪も、差し出されたその手へと、左手を伸ばす。
「仰せのままに、我が神」
桃雪がその言葉を口にしたのは、その日が、初めてのことであった……――――
―――例え俺が、どんな道を選んだとしても…―――
「ええ、我が神」
思い出される遠き日の言葉に、答えるように呟き、白い光の中で、桃雪が微笑む。
「附いて行きましょう、例えどんな、茨の道であったとしても」
溢れ出す思いを言葉へと変え、桃雪が上階の遠久へと捧ぐように、両手を突き上げる。
「あなたを最強の神とし、あなたの願いを叶える、その日まで…!」
桃雪が声を張り上げると、その声に呼応するように、光も一層、輝きを増す。
「ううぅ…!」
眩い光が、まるで強い圧のように、篭也にのしかかり、思わず身を屈めた篭也が、苦しげな声を漏らす。これほどの光は、今までに見たことがない。阿修羅たちとの戦いで見た、四字熟語の光よりも、遥かに強い力を感じた。
「この、言葉はっ…」
「“門戸開放”」
戸惑う篭也に答えるように、放った言葉を再び口にする桃雪。その声に、篭也が苦しげな表情のまま、ゆっくりと顔だけを上げる。
「体の制御をはずし、自身の力を最大限に発揮することの出来る、僕の四字熟語」
「制御を、はずし…?」
桃雪の言葉を繰り返し、篭也がそっと眉をひそめる。
「そんなことをしたら、あなたの体が…」
「構いません」
桃雪の身を案じるように呟いた篭也に、桃雪は迷うことなく答える。
「僕のすべては、我が神の為に在る。我が神の願いを叶え、朽ち逝けるなら、本望」
晴れやかに笑う桃雪に、益々表情を曇らせる篭也。
「さぁ、始めましょうか」
「え…?」
そう言って微笑んだ桃雪の姿が、篭也の視界から、突然消える。
「ど、どこに…」
「も…」
「あ…!」
一瞬にして、篭也のすぐ左側へと、姿を見せる桃雪。戸惑った表情で、周囲を見回していた篭也が、突如現れた桃雪に焦りながらも、必死に武器を振り上げる。
「か、“駆け…!」
「“もげろ”」
言葉を放とうとした篭也であったが、桃雪の言葉の方が先に落ち、強烈な白光が、篭也へと襲い掛かった。
「うああああ!」
鋭い光に左肩を抉られるように、切り裂かれ、篭也が痛々しい叫び声をあげながら、後方へとさがる。ボタボタと流れ落ちる血が、一気に床へと広がっていく。
「“燃やせ”」
必死に左肩の傷を押さえ、呼吸を整えていた篭也だが、篭也に休む暇すら与えず、桃雪が言葉を放ち、またしても白い炎を篭也へと向ける。左肩の傷で、血に染まった右手で、何とか武器を握り締めた篭也が、刃を、向かってくる炎へと振り上げる。
「“駆けろ”、“火炎”!」
刃に纏わせた赤い炎を放ち、桃雪の炎と衝突させる篭也。だが二つの炎がぶつかり合った瞬間、篭也の炎が、あっという間に桃雪の炎に呑み込まれてしまう。
「え…?う、うあああ!」
あっさりと敗れてしまった自分の力に、戸惑う間もなく、向かってきた桃雪の炎に焼かれ、後方へと吹き飛ばされる篭也。全身に火傷を負った篭也が、刃を床へと食い込ませ、それを支えとして、何とか必死に体を起こす。
「同じ言葉でも、さっきまでとは、力のレベルが、全然違う…」
受けた言葉を冷静に分析しながら、それでも苦しげな表情のままで、篭也が言葉を落とす。
「考え事をしている場合ですか?」
向けられる桃雪の言葉に、篭也が顔を上げると、すでに篭也へと、言玉を向けている桃雪の姿が、前方に見えた。少し唇を噛み締め、篭也が上方の刃を見る。
「“隠せ”、“陽炎”!」
篭也が言葉を放つと、一瞬、強い赤色の光が瞬いて、篭也の周囲の姿が霞み、篭也の姿がどこへともなく消えていく。見えなくなった篭也の姿に、少し眉をひそめる桃雪。
「傷の回復のため、一度、身を隠したといったところですかね」
余裕の笑みを浮かべた桃雪が、言玉を握り締める。
「“模索”…」
そっと言葉を呟き、そのまま黙り込んで、訪れる静けさに、耳を澄ませる桃雪。部屋全体に広がった白い光が、周囲を探るように波打ち、そして、その波が部屋の隅の一ヶ所に辿り着いた途端、激しく波打つ。
「そこですか」
鋭く微笑んだ桃雪が、激しく波打ったそこへと、言玉を向ける。
「“齎せ”」
「うあああああ!」
床から激しく突き上げた波に押し出され、叫び声をあげながら、篭也が再び姿を現す。波に突き上げられた篭也は、そのまま勢いよく、床へと叩きつけられた。
「かくれんぼなど、僕には無意味ですよ」
「ク…」
冷たく微笑む桃雪に、床に倒れ込んだまま、顔だけを上げた篭也が、表情を歪める。篭也の負った傷は、特に治っている様子もない。すぐに見つけられたため、回復をする時間がなかったのだ。
「さぁ、あまり長い時間、我が神の手を煩わせたくはない」
冷静に言葉を落とし、桃雪がその瞳を鋭くする。
「あなたの言葉、終わりにさせていただきますよ」
桃雪の冷たい笑みに、曇る篭也の表情。だが、どうにかしたくとも、篭也の傷だらけの体は、すでに動いてくれる状態ではなかった。
「“藻掻け”」
言玉を輝かせ、桃雪が言葉を落とすと、篭也の倒れている辺りの床から、白い光の波が突き上げ、篭也の体を包み込み、軽々と持ち上げる。波に囲われ、宙に浮いた状態となった篭也が、呼吸が出来ないのか、波の中で苦しげな表情を見せる。
「さようなら、神月篭也」
波の中で苦しむ篭也を見つめ、桃雪がどこか、楽しげに笑う。
「大丈夫。すぐにあなたの神も、送って差し上げます」
安心させるような、だが、まったく優しくはない言葉。
「だから先に逝って、神を待っていてあげて下さいね」
桃雪がまた、言玉を握り締めると、篭也を包み込む光波が、より一層、強さを増した。




