Word.78 創造ト終焉 〈2〉
永遠の居城。左塔、最上階。
「あれは…」
永遠が、自室に設置された大窓から見える、屋上上空の巨大な金色の光を見つめ、そっと目を細める。その光はあまりに強く、光の周囲のものは一切見えなかったが、光から感じる力のようなものは、遠く離れた永遠にまで、伝わってくるようであった。
「あの男でも、本気で戦うことがあるんだな…」
その光の主を知る様子で、永遠がどこか感心したように呟く。
「“凍てつけ”!」
窓とは反対側、部屋の内側から聞こえ漏れてくる言葉に気付き、永遠がそちらを振り返る。床を走るようにして、永遠へと向かってくる氷の波。向かってくる波に慌てることなく、永遠が言玉を持った右手を素早く向ける。
「“被え”」
永遠の言玉から放たれた白い光が、向かって来ていた氷波に、上から被さるようにして広がり、あっという間に呑み込む。永遠が右手を下ろし、波のなくなったその先を見ると、青色の扇子を永遠へと向けた為介が、立っていた。為介は休むことなく、また扇子を振り上げる。
「“一碧万頃”…!」
「四字熟語か…」
やって来る部屋を埋め尽くすほどの大波を見ても、永遠は焦ることなく、そっと微笑む。
「懐かしいね、為介」
緩やかに右手をあげながら、下降してくる大波を見上げる永遠。
「神試験で、君と戦った時のことを思い出すよ」
永遠の右手の中で、言玉が強く輝く。
「“汚染”」
「あ…!」
永遠の言玉から放たれた白光が、大波に伝わると、大波が一瞬にして白い光の波へと変わり、その流れの向きを変えて、為介へと降り注ぐ。
「うああああ…!」
自身が放ったはずの大波に襲われ、その場に倒れ込む為介。
「ふぅ」
また言玉を持った手を下ろし、永遠が一息つく。
「ク、う、うぅ…」
「ん?」
苦しそうなその声を耳に入れ、永遠が少し目を細め、ゆっくりと振り返る。広い部屋の入口付近には、無傷の永遠とは対照的に、先程の攻撃や、今までの攻撃により、傷だらけとなった為介が、血を流しながら、それでも何とか立ち上がろうと、もがき、動いていた。
「まだ、立ち上がるつもり?為介」
永遠が抑揚のない声で、為介へと問いかける。
「やめておきなよ。無駄な努力だ」
必死にもがく為介に、永遠が制止を促す。
「俺の“終えろ”を受けた。君の言葉は、もうじき消える」
「消える…」
永遠の言葉を繰り返しながら、床に両手をつき、上半身を起き上がらせる為介。
「じゃあ、その前に…消える前に、言っておかないと…」
自分に言い聞かせるように言葉を発しながら、まだ立ち上がろうと、膝を立たせ、必死にもがく為介の様子に、永遠が少し戸惑うような表情を見せる。
「言っておく…?」
永遠がゆっくりと、為介の言葉を繰り返す。
「何?今までの恨み辛みかな?」
少し首を傾げ、冗談のように問いかける永遠。
「いいよ、聞いてあげる。それで君が満足するなら、君の言葉が消え逝くまで、いくらでも」
永遠が為介の言葉を待っている間に、為介が何とかその場に立ち上がり、顔を上げ、もう間もなく消えてしまいそうな、弱々しい目の光の中、まっすぐに永遠を見つめる。
「ボクは…」
少し躊躇うように、落とされる声。
「ボクは、あなたに、感謝しています」
為介の口から零れ落ちた、思いがけないその言葉に、永遠の表情から笑みが消える。
「感謝…?」
為介の言葉を繰り返し、眉をひそめる永遠。
「何を…何を言っている?為介」
永遠が険しい表情を作り、戸惑った様子で為介へと問いかける。
「君が、俺に、この俺に、感謝なんてするはずが…」
「幼い頃」
信じ難いといった様子で、必死に為介の言葉を否定しようとする永遠であったが、その永遠の言葉は、為介の声により遮られた。
「ボクの言葉は、誰にも、届きませんでした」
今にも膝から崩れ落ちてしまいそうな足を、必死に奮い立たせ、もう張ることも出来ない声を何とか紡いで、為介が自身の言葉を続ける。
「何を言っても、誰にも聞いてもらえない。ボクの言葉なんて、発する価値もない。そう、諦めていた時にボクは、神試験で、あなたに出会いました」
血の流れ落ちる頬の筋肉を動かし、為介がそっと、笑みを浮かべる。
「そして、あなたから、言葉を貰いました」
為介が過去を懐かしむように、目を細める。
「“君の言葉には、誰かを救えるだけの価値がある。だから君を、神にする”と」
一つひとつの言葉を噛み締めるように、言い放つ為介。その表情は、どこか晴れやかで、こんな状況であるというのに、少しも苦しげではなかった。
「嬉しかった」
込み上げる思いを、溢れ出させるように、為介が言う。
「あの言葉を貰えて、ボクは本当に、嬉しかった」
笑顔を見せる為介に、ますます曇っていく永遠の表情。
「だから、あなたに、感謝しています」
為介が胸を張り、またはっきりと言い放つと、ゆっくりと、その頭を下げていく。
「ありがとう、ございました…」
深々と頭を下げ、永遠へと感謝の言葉を述べる為介。そんな為介に、永遠が眉間の皺を深くし、何かを振り払うように、何度も首を横に振る。
「そんな…」
表情に浮かんだ戸惑いを押し殺すように、低く、落ち着いた声で言葉を発する永遠。
「そんな言葉を向けられて、俺が、喜ぶとでも思っているのか…?」
眉をひそめ、永遠が為介へと険しい表情を向ける。
「俺が君に感謝されて、喜ぶとでも…」
「思って、いません」
永遠の問いかけの途中で、為介がもう、答えを口にする。
「けど、初めから、喜んで貰えるって確証のある言葉なんて、どこにもないでしょう…?」
徐々にゆっくりと、おぼつかなくなっていく為介の言葉。それでも為介は、言葉を止めることなく、必死に自身の主張を続ける。
「皆、喜んで貰えるかなって思って、考えて、その言葉を発する…」
もう間もなく、言葉が消え失せてしまうとは思えないほどに、穏やかな笑みを浮かべる為介。
「言葉の可能性を信じて、言葉を発する…」
噛み締めるように呟いて、為介が扇子を持っていない左手を、そっと胸に当てる。
「だからボクも、最後まで、自分の言葉の可能性を信じます。それに」
浮かべた穏やかな笑みを、永遠へと向ける為介。
「一番伝えたいことを伝えるのが、“言葉”っていうものでしょう…?」
険しい表情を見せる永遠に、為介が、躊躇うことなく、微笑みかける。過去、まっすぐに永遠の姿を見ることすら出来なかった為介が、今はまっすぐに、永遠を見つめる。
「色々考えたけど、ボクが一番、あなたに伝えたかった言葉は、恨みでも辛みでもなかった」
為介の足元が、徐々に白い光へと覆われていく。光に包まれると、先程までふらつくように動いていた足が止まり、まるで動きを封じられたように、まったく動かなくなる。永遠より受けた“終えろ”の言葉により、為介の言葉が、すべての活動がもう間もなく、停止しようとしているのだ。
「感謝の言葉だった。ただ、それだけのことです」
為介を包む光が徐々に広がり、為介の上半身が腕が首が、体中のすべての動きが、止められていく。やがて光は、為介の頭まで包み込み、為介の口の動きが、遅くなっていく。
「と…ぉ、ひさ…さ…」
「お別れだ、為介」
言葉を発することもままならなくなった為介が、声にならない声で、かすかに永遠の名を呼ぶ。その呼び声を耳に入れながら、永遠は冷たく言い放ち、そっと右手を振り上げた。
「“終えろ”」
永遠が短く言葉を落とすと、為介の全身を包み込んだ光が、強い輝きを放ち、その光に包まれながら、ゆっくりと、為介が後方へと倒れていく。最後に、二十数年前と変わらぬ、永遠の姿を目に焼きつけ、後方へと倒れながら、為介がその瞳を閉じていく。
「扇子野郎!」
勢いよく扉が開く音と共に、入ってくる大声に、閉じかけていた為介の瞳が、わずかに動く。
「扇子野郎…!」
動かした視線の先、部屋の入口から、こちらへと駆け込んでくるアヒルの姿。もうアヒルの名を呼ぶことも出来ない為介は、その姿を確認すると、言玉を持っている右手を、わずかだが上げた。
「“ゐ……”」
最早、誰の耳にも届かない為介の言葉が、その場に落とされる。その言葉を口にすると、為介は完全に瞳を閉じ、床へと仰向けに倒れ込んだ。
「あ…!」
倒れた為介を見て、アヒルが大きく目を見開く。
「扇子野郎!」
アヒルが必死に駆け込んでいき、倒れた為介の傍へと駆け寄る。床に倒れた為介は、深く瞳を閉じており、体どころか、指の一本を動かす気配も見られなかった。
「扇子野郎!扇子野郎!!」
「無駄だよ」
為介へと必死に呼びかけるアヒルを止めるように、永遠が背後から声を掛ける。その声にゆっくりと振り返り、永遠を見るアヒル。
「彼の言葉は、今、終わった」
落ち着いた表情で言い放つ永遠を見つめ、アヒルがそっと目を細める。もう一度、為介へと視線を戻すと、気持ちを切り替えるように、一度、深く目を閉じて、また瞳を開き、その場で立ち上がって、永遠と向き合う。
「楽しいか…?」
厳しい表情を見せたアヒルが、シンプルな問いかけを、永遠へと向ける。
「皆の言葉を止めて、消して…楽しいか?」
アヒルからの問いかけに、永遠が少し、目を細める。
「楽しいよ」
短く答えを返す、永遠。
「終わらぬ時を、数えるよりは」
素っ気なく答え、永遠が、冷たく笑う。その言葉を聞き、アヒルが気難しい表情を見せる。そんなアヒルの表情を見て、永遠はまたそっと微笑んだ。
「驚かないんだね」
「え?」
永遠のその言葉に、戸惑うように声を漏らすアヒル。
「聞いたのかな?恵に」
永遠が少し、首を傾ける。
「俺の、“永遠”のこと」
その言葉に、アヒルが表情を曇らせる。
―――かつて“恵の神”であった私は、自身の言葉“永遠”を使い、自分の若さと命を、永遠のものとした…―――
悲しげであった恵の言葉を思い出し、アヒルがそっと目を細める。
「君に想像が出来るかい?」
問いかけを向ける永遠に、アヒルが俯けていた顔を上げる。
「今の君と同じ、十六という年齢から、まったく年を取らなくなった俺の気持ちが」
永遠が求めるように、アヒルへと笑みを向ける。
「皆が、この絶対の時の流れの中で年老いていく中、たった一人、その場に取り残された俺の気持ちが」
口調は穏やかだが、その言葉はどこか、アヒルを責めているようであった。
「ねぇ」
まっすぐにアヒルを見つめ、永遠が鋭く笑う。
「“安の神”朝比奈アヒル」
永遠に名を呼ばれ、アヒルの表情が強く引き締まる。
「俺は…」
真剣な表情を作り、アヒルがゆっくりと口を開く。
「俺には、わからない」
そう間を置くこともなく、アヒルがあっさりと、答えを出す。
「恵先生から話を聞いたけど、正直、“永遠”てものがどんなに長いのか、どんなに、お前や恵先生に重くのしかかったのか、理解しきることなんて出来なかった」
「本当、正直だね」
アヒルの素直な、誤魔化しのない心からの言葉に、永遠がどこか感心するように言う。
「けど、それが正しい答えだと思うよ」
そう断言し、永遠がアヒルへと笑いかける。
「永遠を生きてもいないのに、永遠の重みがわかる人間なんて、きっとこの世界にはいない」
そっと目を細め、どこか遠くを見つめるような瞳を見せる永遠。その永遠を見て、アヒルも少し考え込むように、目を細める。
「君が過去を理解し、色々と考えを巡らせて、ここへやって来たのは、よくわかった」
視線を下ろした永遠が、またまっすぐに、アヒルを見つめる。
「じゃあ、それで?」
首を傾け、永遠がまたしても、アヒルへと問いかけを向ける。
「俺のすべてを知った上で、俺のやろうとしていることを知った上で、君の出した答えは?」
求められる答えに、アヒルがまた、真剣な表情を見せる。
「俺は、お前が憎いわけじゃない。お前を、倒したいわけじゃない。けど…」
―――ガァ!―――
笑顔で呼びかけてくれた想子の、クラスの皆の、町の人々の姿を思い出し、アヒルが深く目を閉じる。
「俺は」
そしてまた目を開き、言葉を発するアヒル。
「俺は、皆の言葉を守りたい」
一切の曇りのないアヒルの声が、その部屋に、響き渡る。
「俺は、皆の言葉を、消させたりしたくない。終わらせたりしたくない。だから」
その声に、さらに力がこもる。
「だから俺は、お前を倒す!“遠の神”永遠!」
突き抜けるアヒルのその言葉を聞き、永遠は表情をしかめるどころか、どこか満足げな笑みを浮かべ、小さく頷きを零す。
「倒す、か…」
アヒルが放った言葉を繰り返し、また笑う永遠。
「何故かな。君は、必ずそう言うと思ったよ…」
永遠が一人、納得した様子で笑う。
「やっぱり君は、よく似てる」
永遠の瞳が、まっすぐにアヒルの姿を捉える。
「俺が憧れた、かつての安の神に」
誰よりもまっすぐであった、アヒルとよく似た男の姿を思い出し、永遠が懐かしむように、そっと目を細める。
「じゃあ、始めるとしようか。安の神」
誘うように、永遠が、言玉を持った右手を、アヒルへと向ける。
「すべての言葉の、“明日”を賭けた、戦いを」
永遠のその言葉に、アヒルが表情を引き締め、右手に持った赤い言玉を突き出す。
「五十音、第一音」
大切に、一文字一文字を発するアヒル。
「“あ”、解放…!」




