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あノ神ハキミ。  作者: はるかわちかぜ
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Word.77 あリガトウ 〈1〉

 永遠とわの居城、中央塔。正面玄関部。

「“とがれ”!」

 輝く白色の言玉を持った右手を突き出し、鋭く尖った白い光を、無数に飛ばす、真っ赤なショートカットの少女、十稀とき。その光の向かう先には、横笛を持った囁が、特に焦った様子もなく、静かに佇んでいる。

「……“さまたげろ”」

 囁がそっと言葉を落とすと共に、横笛を奏でると、美しい音色がその場に響き渡り、囁を赤色の光の膜が包んで、十稀の向けた攻撃をすべて、弾き飛ばした。

「なら、“とらえろ”!」

 突き出した右手をそのままに、十稀がさらに言葉を続ける。言玉から縄状の光が何本か放たれると、囁を捕えるべく、勢いよく襲いかかった。だがそれにも、囁は動じず、口から横笛を離し、素早く振りかぶる。

「“変格”」

 囁が言葉を発すると、横笛の先から鋭い刃が伸び、その形状が槍へと変化する。

「“け”」

 変化したばかりの槍を、囁が振り切り、向かって来ていた縄状の光を、一本残らず、斬り落とす。その時に放たれた鋭い光が、十稀自身にも襲いかかった。

「“と…!ううぅ!」

 すぐさま言葉が出ずに、十稀はそのまま光を受け、勢いよく左腕を斬り裂かれた。裂かれた赤い服の下から、同じように赤い血が滴り落ちる。床へと落ちる自身の血を見て、十稀はそのあどけない表情を歪め、どこか悔しげに唇を噛み締めた。だが、すぐに平静の表情に戻し、囁へと視線を移す。

「さすがね」

 まるで上から見るかのように、余裕ある言葉を向ける十稀。

「どんな言葉も、最良の言葉で対応してる。まるで私が何の言葉を使うか、予想がついてるみたい」

「ついているのよ、実際」

 十稀の言葉に、囁があっさりと強気の答えを発する。

「あなたの持つその文字は、かつて、私の仲間だった者が使っていた文字…」


―――こんにちはぁ、囁さん―――

 囁の脳裏に、かつて、七声として共に夢言玉を奪った、“止守ともり”の棘一とげいちであった、とどろきの姿が過ぎる。


「特に好きでもなかったけれど、一緒に居た時間が長かったから、彼の言葉はよく知っているの…」

「ふぅーん」

 話題を投げかけたわりには、十稀が特に興味もなさそうに相槌を打つ。

「それに…」

 その瞳を鋭くし、まっすぐに十稀を捉える囁。

「あなた、その文字を、あの毛守ももりさんに“もたらされた”と言ったわね…?」

 確認するように、囁が問いかける。

「それ、つい最近の話なんじゃないの…?」

 囁の問いかけに、十稀は少しだけ眉をひそめるが、答えようとはしなかった。

「あなたはまだ、全然、その文字を使いこなせていない。言葉で戦うことに、慣れてもいない」

 突き刺すような鋭い言葉を、囁が次々に投げかける。

「さっき、咄嗟に言葉が出ずに、私の攻撃を受けたことが、いい証拠…」

 囁の言葉に、十稀が深く俯く。囁からその表情は見えないが、言玉を握り締めている右手が、わずかに震えているように感じた。

「だったら?何?」

 俯いたまま、変わらぬ強気の口調を、囁へと向ける十稀。

「まさか年季の違いだけで、私に勝てるとでも言う気ぃ?オバサン!」

 顔を上げた十稀が、嘲笑うかのような表情で、囁へと言葉を投げかける。その、いかにも挑発している言葉に、囁はわかっていながらも、その表情を引きつった。

「随分な言われようね。まだピチピチの十六歳だっていうのに」

 あからさまに不機嫌な表情となって、囁が槍を身構える。

「毛守さんに利用されてるだけなら、説得でもして、倒すのは避けようと思っていたけれど…もういいわ」

 囁の表情が、冷たく変わる。

「皆も戦ってるし、時間もないの。とっとと決めさせてもらう」

 槍を身構える囁を、十稀は微笑んだ表情のまま、黙って見ている。動こうとしない十稀に遠慮することなく、囁は勢いよく槍を振り切った。

「“け”!」

 振り下ろされた槍の先から、真っ赤な光の刃が駆けぬけ、まっすぐに十稀へと向かっていく。十稀は特に避ける様子も見せず、だが、焦った表情もせずに、言玉を持った右手を、突き上げた。

「“ざせ”…」

 静かに言葉を落とした十稀が、さらに大きく、口を開く。

「“とびら”!」

「え…?」

 続けて放たれたその言葉に、眉をひそめる囁。十稀の言葉の通りに、十稀の目の前に、真っ白な光で造られた扉が現れ、大きな音を立てて閉まり、囁が放った刃を、十稀を守るようにして、受け止めた。囁の刃が消えると、現れた扉もそれを確認したように消え去り、再び、囁から十稀が見えるようになる。

「今のは、私たちをこの場所へと閉じ込めた言葉…」

 どこか考え込むように、左手を顎へと当てる囁。


―――“れろ”…“あらし”!―――


動詞ヴァーブ名詞ナウンの組み合わせ…」

 かつて、神試験でのイクラとの戦いの際に、アヒルが放った言葉を思い出し、囁がそっと目を細め、十稀を見つめる。

「“語句フレーズ”」

「そうよぉ、さすがは音士の先輩。詳しいじゃない」

 感心するような口振りで話す十稀であったが、内心ではまるで感心していないことが、すぐさまわかる声色であった。

「素人でもねぇ、これくらいのことは出来るの。凄いでしょ?」

 さらに言葉を向けながら、十稀が再び、右手の中の言玉を輝かせていく。

「ねぇ、先輩!」

 張り上げられる十稀の声に何かを察し、身構えようとした囁であったが、その動作は、すでに遅かった。

「“ざせ”、“とびら”!」

「う…!」

 囁が何の言葉も放たぬうちに、先ほどの扉が、今度は囁の四方に四つ現れ、さらに上方も覆い、囁は完全に扉の中へと閉じ込められてしまう。

「私の“語句フレーズ”はねぇ、こぉんなことも出来るのよ?凄いでしょ?そして…」

 十稀が口角を吊り上げ、閉ざされた扉へと、言玉を向ける。

「これで終わり。“び出せ”、“とげ”!」

 扉の中側で、無数の何かが飛び出し、また何かを突き刺したような音がいくつも響いた。やがてすべての音が止み、その場が静寂に包まれる。腕組みをした十稀は、様子をうかがうように、音の消えた扉の向こうを見つめていた。

「さぁーて、そろそろ穴ぼこだらけの作品が、出来上がった頃かしらぁ?」

 閉ざされた扉を開こうと、十稀がゆっくりと腕組みを崩す。

「“取…」

「さ…」

「え?」

 自身の声に被さるようにして聞こえてくる声に、十稀がそっと眉をひそめる。

「“き乱れろ”」

 空耳などではなく、はっきりと十稀の耳に入る、その言葉。

「“さくら”」

 二つめの言葉が聞こえたその瞬間、十稀が形成した扉に勢いよくヒビが入り、内側から一気に崩れ落ちる。崩れゆく扉の向こうから見えるのは、屋内で、春の穏やかな季節でもないというのに降り注ぐ、無数の桜の花びら。

「な…!」

 桃色の花弁の降り注ぐ、あまりにも美しいその景色に、十稀が大きく目を見開き、信じられないといった表情を見せる。

「い、今のは…」

「私の“語句フレーズ”」

 少し震わせた声を発する十稀に対し、その桜吹雪の中に佇む、まったく怪我を負った様子もない囁が、堂々と言い放つ。

「凄いでしょう…?」

「う…!」

 まるで十稀の言葉を真似るように、そっと微笑んで問いかける囁に、十稀は一瞬、怯えるように肩を上げたあと、そんな自分自身に腹が立ったのか、強く唇を噛み締めた。

「オバサンではないけれど、確かに年季が違うの…」

 余程、十稀の先程の言葉を根に持っているのか、もう一度、しっかりと否定しながら、囁が右手の槍を、もとの横笛の姿へと戻す。

「変格を解除した…?」

 その囁の行動に、戸惑いの表情を見せる十稀。

「だから、素人の小娘さんごときに、手こずっているわけにはいかないのよ」

 姿の戻った横笛を構え、囁が再び、口を開く。

「“左変さへん”」

「あ…!」

 囁の口から放たれたその言葉に、十稀がまた、驚きの表情を見せる。

「あれは、まさか…!」

「“け”」

 十稀が動揺した様子で叫ぶ中、囁が言葉を発する。先程、扉を壊す際に散っていた桜が、またさらに舞い上がり、辺り一面、十稀の居る場所までもを、あっという間に美しい桜吹雪が覆い尽くす。

「“け”!」

 囁の言葉により、美しい桜の花びらが、無数の刃へと変わる。

「ああああああ!」

 その無数の刃に、容赦なく全身を斬り裂かれ、十稀は、桜の舞い散る中を、赤い血を舞わせながら、力なく後方へと倒れこんでいった。横笛を口から離した囁が、倒れていく十稀を、冷静な表情で見つめる。

「う、うぅ…」

 床へと仰向けに倒れ込んだ十稀が、苦しげな声を漏らす。全身に走る痛みに体が痺れ、十稀は起き上がることが出来なかった。

「左、変…一部の神附きしか辿り着けない、変格の上をいく変格…」

「ええ…」

 倒れた状態のまま、よく知った様子で言葉を零す十稀に、囁が歩み寄っていきながら、そっと頷く。

「あなたとは、年季も、背負っているものも違うのよ」

 倒れた十稀のすぐ前方へと立った囁が、十稀を見下ろし、意志の強さをうかがわせるような、はっきりとした口調で言葉を発する。

「これは、すべての言葉の明日を賭けた戦いだから」

 思いを握り締めるように、囁が力一杯、拳を握る。

「だから私は、あなたに負けるわけにはいかない。だからもう、やめなさい」

 またはっきりとした言葉が、十稀へと落とされる。

「つい最近、文字を齎されたくらいなんだから、の神や毛守さんに特別、思い入れがあるわけでもないのでしょう…?」

 少し細めた瞳で、まっすぐに天井を見上げたまま、十稀が静かに、囁の言葉を聞く。

「だったらもう、こんなことはやめて…」

「思い入れなら、あるわ」

「え…?」

 途切れがちに返って来たその言葉に、囁が眉をひそめる。

「ずっと、五十音士に憧れてた…」

 天井を見つめたまま、十稀がゆっくりと、言葉を続ける。

「ずっと、五十音士になりたかった…」

 その十稀の言葉が、今までとは異なり、どこか切なく響き渡って、まるで、偽りではないことを示しているようで、囁は真剣な表情で、耳を傾けた。

「絶対に文字の力を手に入れたくて…候補生の誰にも負けたくなくて…必死に、必死にやってきたわ…」

 過去の自分の思い出したのか、懐かしむように目を細め、十稀がそっと笑みを浮かべる。

「折角手に入れたの、この文字を。だから…」

 床についたままの十稀の右手が、強く握り締められる。

「だから私は、あんたなんかに負けたりしない!」

 十稀の高ぶる思いに応えるように、傷だらけの体が立ち上がっていく。張り上げられた十稀のその声に、圧されるように、囁は少し後方へと体を引き、放とうとしていた言葉を呑み込んだ。

「“まれ”!」

 大きな声で、自身の言葉を発する十稀。

「“とき”!」

「え…?」

 十稀の放った言葉に驚いたその瞬間、囁は一瞬、脳を暗闇に覆われるような、変な感覚に囚われた。

「ううぅ…!」

 感覚が戻った時には、囁の左肩に、尖った白光の刃が突き刺さっていた。いきなり走る痛みに、囁が大きくその表情を歪める。

「な、何…?」

 突き刺さった刃が消えると、囁の左肩から、赤い血が滴り落ちる。湧きあがったのは、痛みよりも戸惑いであった。いつ刃を受けたのか、その記憶がまったくない。見えなかったとしても、突き刺さった時の感覚くらいは残るであろうが、それすらまったく、囁の記憶には残っていなかった。

「“時”…」

 寸前に十稀が放った言葉を思い出し、囁がハッとした表情で顔を上げる。

「止めたというの…?時を」

 戸惑いの表情で問いかける囁を見て、立ち上がった十稀が、楽しげに微笑む。

「さぁ?どうかしらぁ?」

 はぐらかすように答える十稀の声を聞いていると、またしても囁を、あの暗闇に覆われていくような、おかしな感覚が襲った。

「うあ…!」

 感覚が戻ると、今度は右足に、白光の刃が突き刺さっていた。膝下を鋭く突き刺され、バランスを崩した囁が、思わずその場にしゃがみ込む。囁の赤い血が、床に敷かれた絨毯に滲み、その広がっていくシミを見下ろしながら、囁は険しい表情を作る。

「どうやら本当に、止められるみたいね。時を…」

 今度は確信した様子で、囁が十稀へと言葉を向ける。

「ええぇ。まぁ、止められるのは一瞬だけだから、の神の“永遠”に比べたら、大したものじゃないけどぉ」

 自分を卑下するように言いながらも、十稀は得意げに笑う。

「でも、先輩を倒すには、十分な時間かしらぁ?」

 挑発するような十稀の言葉に、表情をしかめた囁が、しゃがみ込んだまま右腕をあげ、横笛を口元へと当てて、音色を奏でる。

「“さわれ”」

 音色のすぐ後に放たれた言葉により、十稀の周囲を取り囲む、淡い赤色の光。

「“さわれ”!」

 その光が、閃光を放って、激しく輝いた。

「え…?」

 だが、光が止んだその時、閃光の輝いたその場所に、十稀の姿はなかった。いつの間にかなくなっている十稀の姿に、囁が戸惑いの表情を見せる。

「どこへ…」

「こぉーこ!」

 背後から明るく聞こえてくる声に、囁が素早く振り返る。囁が振り返ると、囁のすぐ後ろに立った十稀が、囁へと、言玉を向けていた。言玉はすでに、白く輝き始めている。微笑んだ十稀は、迷うことなく大きく、その口を開いた。

「“とがめろ”」

「“け…!うぅ…!」

 向けられる巨大な光に、言葉を使い、逃れようとした囁であったが、言葉を言い切る前に、またしても、あの変な感覚に囚われた。

「あああああ!」

 言葉を発することの出来なかった囁が、十稀の攻撃をもろに食らい、勢いよく後方へと吹き飛ばされる。広間の壁へと背中を打ちつけた囁が、壁にもたれかかるようにして、力なく床に座り込んだ。



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