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あノ神ハキミ。  作者: はるかわちかぜ
306/347

Word.76 共ニ 〈4〉

「泣いているの?先生」

 恵の瞳から、とめどなく零れ落ちる涙。それに気付き、カモメが恵へと問いかける。床に倒れこんだままの恵が、ただ声もなく、ひたすらに涙を流している。

「そんなに苦しいなら、俺が、先生の苦しみも悲しみも全部、消してあげる」

 優しい笑顔を浮かべ、カモメが優しい言葉を、恵へ掛ける。思い出されたカモメの姿と、まったく同じ声、まったく同じ笑顔だが、その向けられた言葉だけは、恵が思い出したカモメの言葉とは、明らかに異なっていた。

「今、楽にしてあげるよ。先生」

 カモメが右手をあげ、従えていた巨鳥を、恵へと向ける。

「さようなら、恵先生」

 甲高い叫び声をあげ、恵へと向かっていく巨鳥。

「……五十音、第四十九音“ゑ”、解放」

 巨鳥の向ってくる気配を感じながら、閉じた瞳のまま、そっと言葉を落とす恵。恵の右足から零れ落ちた緑色の言玉が、強い輝きを放ち始める。

「“遠雷ゑんらい”」

「クワアアア!」

「な…!」

 天井から降り注いだ緑色の雷撃に撃ち抜かれ、カモメの巨鳥が、勢いよく砕かれる。金色の光の破片となって散った巨鳥を目の前に、驚きの表情を見せるカモメ。

「こ、これはっ…」

 自身の力を砕かれ、カモメが焦りの表情を浮かべる。

「今の言葉は、“ゑ”の…?」

「カモメは、言った」

 前方から聞こえてくる声に、戸惑っていたカモメが、前を見る。すると、先程まで床に倒れ込み、最早動くことすら出来ない状態であったはずの恵が、いつの間にか、その場で立ち上がっていた。

「私の、苦しみも悲しみも、無くしてあげることは出来ないって…」

 思い出されたカモメとの日々を、カモメの言葉の一つひとつを思い返しながら、恵がゆっくりと、自身の言葉を紡ぐ。

「けど、同じ時を生きられたなら、それを、一緒に背負っていけるって…」

 大きく開いた瞳を、目の前のカモメへと向ける恵。その瞳に、もう涙はなく、先程のような迷いもない。鋭く開かれた瞳は、言玉よりも強く、輝いていた。

「だから一緒に、歩んで行こうって…!」

 恵の声が大きくなると共に、床に落ちていた恵の言玉が、恵の肩のすぐ横まで浮き上がり、さらに強く輝きを増す。

「そう言ってくれた。その言葉で、私の心を救ってくれた」

 恵が左手で自身の胸を押さえ、鋭い瞳で、目の前のカモメを睨みつける。

「お前は、カモメじゃない」

 もう一度、先程と同じ言葉を繰り返す恵。だが、その言葉は、先程のものよりもずっと、強く、重みがあった。

「お前の安っぽい言葉で、カモメを騙るな!」

「う…!」

 恵に強く睨みつけられ、カモメが怯むように、思わず後ずさる。恵の纏う空気は重く、向き合っただけでも圧されているような、そんな感覚を、カモメは覚えていた。

「あいつの存在を穢すものは、例え何であっても、私が許さない!」

 肩まで上昇していた言玉を、恵が左手で力強く、握り締める。そのまま恵が左手を胸へと当てると、握り締めていた言玉が、恵の左胸へと吸収された。左胸へと吸収された言玉の輝きが、徐々に強さを増しながら、恵の全身へと広がっていく。

「し、心臓に?」

「身体強化の最高技。体への負担は大きいが、この強化じゃないと、使えないんだ」

 戸惑うカモメに答えるように、恵がはっきりと言い放つ。

「この言葉、私の、四字熟語ラスト・イディオムはな」

「何?」

 恵の言葉に、カモメの表情が青ざめる。

「もう数十年振りだ。この言葉を使うのは」

 全身が緑色に輝いていく中、恵が鋭く、カモメを見つめる。

「有り難く思うんだな」

 冷たく言い切り、恵がカモメへと、輝く右手を向ける。

「ゑ…」

 恵が大きく口を開き、自身の言葉を、神であった頃の自分の言葉を、口にする。

「“永永ゑいえい無窮むきゅう”!」

 恵の言葉が響いた途端、輝く恵の全身から、緑色の光が一気に、その真っ白の空間に広がり、あっという間に、その空間を包み込んでいく。周囲を呑み込んでいく緑色の光を見回し、恐怖に怯えた表情を見せるカモメ。その情けない姿は、最早、カモメではなかった。

「う、うわああああ!」

 広がる緑色の光に押し潰されるようにして、偽りのカモメの姿が、消えていく。それと同時に、真っ白な空間にヒビが入り、恵とカモメだけであったその世界が、一気に崩れ落ちていく。

「永遠の闇の中を、彷徨え」

 激しい断末魔を聞きながら、恵はそっと、言葉を呟く。

「カモメ…」

 崩れ落ちていく幻覚の世界の中で、恵の小さな声が、零れ落ちた。




 永遠の居城、屋上上空。保対現。

「“たけろ”!」

 空へと高々と舞い上がった保が、下方で浮かぶ現に向け、両手を突き出し、両腕に巻きついていた何本もの赤い糸を、一気に現へと向ける。

「あ…!」

 だが、糸が現へと届く前に、現の前に、現の“写せ”の言葉により生み出された、もう一人の保が現れ、先程の保とまったく同じ動きで、保自身へと、無数の赤い糸を向けた。

「“たけろ”!」

 二つの言葉が互いにぶつかり合い、相殺されていく。まったく同じ姿をした人間が、同じ動作で、同じ言葉を使ったのだ。相殺されるのは当然だろう。だが、先程からこの繰り返しで、保は、もう一人の自分を相手にするばかりで、まったく現に攻撃することが出来ていなかった。

「ク…!」

 現の思惑通りに進んでいることに焦りを感じ、保が厳しい表情を見せる。

「フフフフ、なかなか面白い光景じゃぞ?音士の小憎よ」

 嘲笑うかのように、高見の見物をしている現に、保の表情が歪む。

「さぁ、存分に自分自身の言葉と、戦うがいい!フハハハハ!」

「グ…!」

 現の高笑いに、強く力のこもる保の拳。だが、保は、必死にそのこもる力を抑えた。今、この状況で現の挑発に乗り、もう一人の自分と戦い続ければ、やがて、保の力が尽きてしまう。そうなっては、現の思う壺だ。

「でも、どうすれば…」

「……つ」

「え…?」

 どこからか聞こえる声に、俯き、考え込んでいた保が、ふと顔を上げる。だが、顔を上げたその先には、まったく同じ、少し戸惑った表情を見せた、もう一人の保の姿しかなかった。

「あ、あれ?気のせいかな?」

「……つ」

「……っ」

 周囲を見回し、不思議そうに首を傾げていた保であったが、もう一度届くその声に、ハッとした表情を見せる。気のせいなどではなく、はっきりと届いたその声。保が再び前を向き、目の前に立つ、自分自身を見つめる。

「……わかったよ」

 少しの間を置くと、保は笑みを浮かべ、そっと言葉を落とした。すぐさま真剣な表情となり、現へ向けて、糸の絡まった両手を構える。

「頭の悪い小僧じゃのぉ。無駄だということが、わからぬらしい」

 また攻撃態勢を取った保を見て、現が呆れたように肩を落とす。

「まぁいい。愚かな小僧は、愚かな言葉と共に、朽ちるさだめなのじゃろう」

「た…」

 何やら悟ったように静観する現へ向け、糸を構えた保が、真剣な眼差しで、自分の言葉を口にする。

「“たおせ”!」

 保が糸を放ったその瞬間、保と同じ動きで、糸を放つもう一人の保。また二つの同じ言葉が、相殺されるだけだろうと、現が静かに笑っていた、その時。

「“たおせ”!」

「何?」

 もう一人の保が、突然向きを変え、保と同じように、現へと糸を放った。

「グ…!」

 予想外の事態に驚きながらも、向かってくる糸たちに、現が素早く、持っていた杖を突き出す。

「“せろ”!」

 自身の言葉を発し、向かって来ていた糸を、次々と掻き消していく現。だが、二倍量の糸をすべて掻き消すことは出来ず、もう一人の保が放った方の糸を何本か、その右腕に受ける。

「ううぅ…!」

 突き刺さる糸に、その表情を歪める現。傷を確認しようと、突き刺されたその右手を見た途端、現が表情を変えた。

「こ、これは…!」

 血の流れ落ちる自分の右手を見つめ、現が大きく目を見開く。

「針…?」

 現の右腕に突き刺さっていたのは、保の真っ赤な糸ではなく、同じ赤ではあったが、鋭く細長い針であった。どこかで見覚えのあるその針に、現が眉をひそめる。

「ハハハ…」

 響く笑い声に、すぐさま顔を上げる現。

「ハハハ…」

 保らしからぬ、鋭い笑みを浮かべたもう一人の保が、体から滲み出てきた黒い光に包まれ、徐々にその姿を変えていく。


「ああ…!」

 屋上で、現が生み出した黒い影との戦闘を続けていた不二子が、その手を止め、上空の、黒い光に包まれていくもう一人の保の姿を見上げ、大きな瞳を輝かせる。

「ヘヘ、待ってたじゃん」

「ホホホ…ナイスタイミングだね…」

「さすがは、あのお方だ。ヒヒ」

 兵吾、蛍、ヒロトの三人も、不二子と同じように上空を見つめ、嬉しそうに笑みを零す。

「ウフフ、ウフフ!」

 何とも嬉しそうに微笑みながら、両手を大きく広げ、上空へと伸ばす不二子。

「灰示様ぁぁ!」


 まるで、不二子の呼びかけに応えるように、もう一人の保を包み込んでいた黒い光が、一気に晴れていく。晴れた光の先に見えるその姿に、現が、今までの余裕の表情など一切なく、険しい表情で、目を見張る。

「波城、灰示…!」

「ハハハ…」

 もう一人の保から姿を変え、その場へと現れたのは、灰示であった。険しい表情で名前を呼びあげる現を見つめながら、灰示はそっと、不敵な笑みを浮かべる。

「灰示!」

「やぁ、保」

 不二子たち同様、嬉しそうな笑顔で、灰示のもとへと寄って来る保の方を振り向き、灰示が穏やかに笑う。

「まさか君と、外の世界で会えるだなんて、思わなかったな」

「僕もだよ、保」

 互いに穏やかな表情を見せ、保と灰示が、言葉を交わす。二人は、同じ体を共有する存在。自身の中で言葉を交わすことは出来ても、こうして向き合ったのは、伍黄イツキとの戦いの際、保の心の中で対面したあの時の、たったの一度きりであった。

「さっきはよく、攻撃したね。保」

「うん、すぐにわかったから」

 感心したように言う灰示に、保が大きく笑みを向ける。

「灰示が、俺を呼んでるのが」

 どこか得意げに笑う保を見て、灰示は、また優しく微笑んだ。

「な、何故じゃ…!?」

 どこか慌てたその声に、保と灰示が同時に振り向く。二人が振り向いた先には、珍しく、その表情を戸惑いの色に染めた、現の姿があった。並んだ保と灰示の姿を見比べ、現は益々、混乱した様子となっていく。

「な、何故、音士の小憎とお前が共に…!」

「何故?くだらない問いかけだね」

 現の問いかけに、灰示はいつも通りの口癖で、呆れたように肩を落とす。

「“写せ”の言葉で、保をもう一人、生み出したのは、君だろう…?」

 灰示が現を見下ろし、すべてを見透かすような口調で、問いかける。

「保と僕は、二人で一つ…保をもう一人、生み出したということは、僕をもう一人、生み出したということにもなる」

「馬鹿な!あれは、わしの言葉じゃぞ!?」

 灰示の言葉を否定するように、現が必死に声を荒げる。

「わしの意志もなく、勝手に貴様の姿になるような、そんなことが有り得るはずが…!」

「随分と、理論染みたことを言うんだね」

 灰示の言い分に聞く耳も持たず、必死に否定しようとする現の言葉を、灰示があっさりと遮る。

「ねぇ、“創造神”」

「ク…!」

 嘲笑うかのように、挑発するかのように、わざと、現のことをそう呼んだ灰示に、現は大きく表情を歪め、返す言葉もなく、口を噤む。

「初めて、君に感謝するよ。神」

 まるで崇めていないその声で、灰示が現へと呼びかける。

「君の言葉のお陰でこうして、保と肩を並べて、君と戦えるのだから」

 灰示のすぐ横に並んだ保が、素早く身構え、現へと、鋭い瞳を向ける。保が構えを取る中、灰示もゆっくりと、右手の中で弄んでいた赤い言玉を、目の前へと突き出した。

「第二十六音“は”、解放…」

 灰示が言玉を解放させ、細長い真っ赤な針を数本、指の間に挟み込むようにして構える。

「行こうか、保」

「うん」

 灰示の言葉に、保がしっかりと頷く。

「さぁ、君にも贈ろう」

 保と並んだ灰示が、両手を広げ、現へと高らかに言い放つ。

「この、“痛み”を」

「グ…!」

 灰示のその言葉に、現の表情が、まるで気圧されるように、大きく歪んだ。


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