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あノ神ハキミ。  作者: はるかわちかぜ
305/347

Word.76 共ニ 〈3〉

――――初めての出会いが、どんなものだったのかなんて、もう、ろくに憶えていないけれど。


「朝比奈!」

「ひゃい?」

 大きく怒鳴りあげた恵に対し、弁当のおかずだったのか、口いっぱいにナスビを頬張りながら、暢気そうな顔で振り返るカモメ。

「国語の赤点、学年でお前、たった一人だったぞ!今日、放課後、居残りだ!」

「はぁーい」

「嬉しそうに返事をするな!」

 明るく返事をするカモメに、さらに怒鳴りあげる恵。最初の印象はただ、出来の悪い生徒。毎度、赤点ばかり取るので、嫌でもすぐに名前は覚えた。それから、年相応といえば年相応だが、他の生徒たちと比べ、妙に純粋で、子供っぽいところがあるように見えた。今の大人びている生徒たちの中では珍しいほどに、素直で、誰にでも、信用しきった笑みを向ける。

「とにかく今日、放課後な」

「はぁーい!」

「だから、嬉しそうに返事をするな!」

 だがその頃、恵にとってカモメは、その程度の印象の、ただの生徒の一人であった。



「毎度毎度、赤点ばっかり。よく懲りないな、お前も」

「そんなに誉められると、照れます」

「誉めていない!」

 少し頬を赤くし、頭を掻くカモメに、恵が勢いよく怒鳴りあげる。放課後の国語資料室で、恵は、カモメと一対一の補習授業を行っていた。

「これがプリントだ。とっとと始めろ」

「はぁーい」

 恵からプリントを受け取ったカモメが、相変わらずの暢気な笑顔で返事をする。赤点を取った悪びれさも、補習をやることへの嫌気も、カモメからはまったく感じなかった。そんなカモメを見て、恵がどこか呆れたように肩を落とす。

「えぇーっと、朝比奈カモメ、と」

 氏名のところに自分の名を書くカモメを見つめ、恵はそっと目を細めた。

「お前」

「へ?」

 プリントを始めようとしたまさにその時、呼びかけられ、カモメが間の抜けた様子で、顔を上げる。

「お前ん家、八百屋か?」

「あ、はい。そうです」

 恵の問いかけに戸惑いながらも、カモメがあっさりと頷く。

「先生、よく知ってますね。あ、でも、先生なんだから知ってても普通かぁ」

 自分で納得するように、あれこれと言葉を呟いているカモメを見つめ、恵がさらに目を細める。


―――見て、恵。可愛いでしょ?“カモメ”っていうのよ―――


 十数年前、親友の茜が見せに来た赤子。あの日から、恵の姿は変わっていないが、あの小さかった赤子は、これほどまでに大きくなっているのかと、時の流れに驚かされる。そして、驚かされると同時に、成長を封じられた、弟の姿を思い出した。


―――どうして俺は、ここに居るんだろう―――


 いつまでも卒業の日を迎えることの出来なかったこの場所で、苦しむような、悲しむような、絶望したような表情を見せていた弟。その姿を思い出し、恵がそっと険しい表情を見せる。

「先生?」

「あ…」

 カモメに戸惑いの表情で呼びかけられ、恵がハッとなって、再びカモメの方を見る。

「とっとと始めろ」

「はい」

 悔いても仕方のないこととは思いながら、恵の心に、遠久の存在は、重く圧し掛かり続けていた。




 それから、一年以上の時が流れた。

「まぁーた、赤点取りやがったな!カラス!」

 国語資料室に今日も、恵の怒鳴り声が響き渡る。

「だから、俺の名前はカモメですって。恵先生」

「んなもん、どっちでもいい!ってか、いい加減、考えろ!」

 カモメの名前の訂正をあっさりと無視し、恵がさらに怒鳴りを続ける。

「毎度毎度、お前のためだけに、補習プリントを作らなきゃいけない、私の面倒を!」

「潔いほど、自分勝手ですね」

 教師らしからぬ恵の言葉に、カモメは少し呆れたような、感心したような表情で、言葉を落とした。

「別に私のためだけに言ってるんじゃない」

 椅子に腰をかけた恵が、固く腕組みをし、まっすぐにカモメを見つめる。

「お前だって、こんなうるさい教師と二人きりでの補習なんてせずに、とっとと帰って、遊びたいだろうが」

「うぅーん、それが困った話なんですよねぇ」

「はぁ?」

 首を捻らせるカモメの言葉の意味がわからず、恵が大きく顔をしかめる。

「俺、そんなに嫌じゃないんです。補習」

 穏やかな笑顔で恵を見つめ、カモメはまっすぐに、そう告げる。

「こうして補習を受けてると、恵先生が本当に、言葉を大切にしてるっていうのが、よくわかるし」

「授業だけで、わかれよ」

「授業中は、何故か睡魔が襲ってくるんですよぉ」

 鋭く指摘する恵に、カモメは困ったように笑う。

「それに」

 言葉を付け加え、カモメがまっすぐに恵を見る。

「先生と二人の時間は、心地いい」

「……っ」

 その言葉に衝撃が走ったのは、恵もどこかで、同じ気持ちを抱いていたからなのかも知れない。



 初めは、ウズラと茜の子で、あの時の子であるから、気になるだけだと思っていた。アケルと同じ苗字で、明のあの八百屋の子供ともなれば、嫌でも気になる。そう、自分に言い聞かせていた。自分の中にわずかに芽生えた感情を、必死に掻き消すように。



「先生、知ってます?この本」

 ある日、補習でもないのに国語資料室へとやって来たカモメが、恵へと、とある本を見せた。

「ああ?何だぁ?その見るからにデロ甘そうな、吐き気のする表紙の本は」

「“恋盲腸”っていうんですよ!俺のバイブル!」

「へぇ~、お前にも読める本があったんだな」

「自分の生徒に、ひどい言いようだなぁ」

 冷たい言い方をする恵に、カモメが少し表情をしかめる。

「一途な少女ヒトミと、その担任の先生との、切ない恋物語なんですけどね」

「くだらなさそうだな」

「何でですか!素敵じゃないですか!」

 興味なさそうな言葉ばかりを落とす恵に、カモメが強く訴える。

「いつか俺も、ヒトミと先生のように、燃える恋をするんです!」

「へぇ~、お前が色恋に興味があるとは、思わなかった」

 意外そうに笑い、恵が本から顔を上げ、カモメを見る。

「当てでもあんのか?」

 少し試すように問いかけた恵に、カモメは笑うでもなく、珍しく、真剣な表情を見せた。予想とは違うカモメの表情に、恵が少し戸惑うように、首を傾げる。

「朝比奈?」

「はい」

 名を呼びかけた恵に、カモメは、はっきりと頷いた。

「目の前に」

 微笑んだカモメは、何の迷いもなく、そう告げた。

「だから、それもあって、妙にヒトミに感情移入しちゃって!って、先生、俺の話、聞いてます?」

 再び微笑んだカモメは、まったく何の反応も示さない恵を不思議に思ったのか、少し腰を屈め、椅子に座ったままの恵の顔を覗き込む。

「無視はさすがに凹むんで、何か言ってくれると有り難いんですけど。先生?」

 カモメがゆっくりと、恵の顔を見る。

「先っ…」

 恵の顔を見た途端、カモメはその表情を止める。

「…………」

 カモメの見た恵は、今にも壊れてしまいそうな、とても辛い表情を見せていた。


 どんどん、踏み込んでくる。どんどん、動かされる。

 それでも、受け入れるわけにはいかない。

 “永遠”が、“永遠”が、この心を、縛りつけている限り。



 それからまた一年が経ち、入学したばかりだったカモメもすでに、高校最後の年を迎えていた。

「来年の春には、卒業かぁ」

 もうすでに自分の場所かのように、すっかり国語資料室に居慣れた様子のカモメが、ホウキを片手に資料室の掃除をしながら、壁に掛かったカレンダーを見つめ、しみじみと呟く。

「補習の方はまだ、卒業出来てないけどな」

「アハハ」

 鋭く言い放つ恵の言葉に、カモメが乾いた笑みを浮かべる。

「卒業後は、父親の八百屋を手伝うんだろ?」

「はい。弟たちもまだ小さいし、父一人じゃ、大変そうなんで」

 恵の問いかけに、カモメが穏やかな笑顔で答える。明の八百屋をカモメが継ぐのかと思うと、少しだけ救われたような、そんな気持ちになった。

「良かったな。お前文系のくせに、国語最低だから、進学組だったら、行くとこなかったぞ」

「ひどい言われようだなぁ」

 歯に衣着せず言う恵に、カモメが少し拗ねるように、口を尖らせる。

「卒業、か…」

 カモメがもう一度カレンダーを見つめ、真剣な表情を見せる。

「ねぇ、恵先生」

「ん?」

 呼びかけるカモメに、本を読みながら、適当な返事をする恵。

「先生はどうして、年を取らないの?」

 カモメの問いかけに、恵の表情が止まる。

「なっ…」

「…………」

 驚きの表情で恵が顔を上げると、いつになく真剣な表情を見せたカモメが、まっすぐに、恵を見つめていた。責めるでも、憐れむでもない、ただまっすぐな視線に、誤魔化すことなど出来ないことを、すぐさま感じ取る。

「いつ、気付いた…?」

「音士になって、一ヶ月くらいかな」

「そうか」

 カモメの言葉に頷いた恵が、読んでいた本を閉じ、机の上へと置くと、そっと目を細める。

「言葉の力を持つ者には、わかるんだな」

 恵が口元を緩め、自嘲するような笑みを浮かべる。

「同じ言葉である、“永遠ゑいえん”が…」

「永遠…?」

 首を傾げるカモメの方を振り返り、恵が、厳しい表情を見せる。

「二十数年前、当時“の神”だった私は、自身の言葉“永遠ゑいえん”を使い、自身の若さと命を、永遠のものへと変えた」

「え…?」


 それから恵は、自身の弟遠久のこと、永遠のこと、旧世代の神のことをすべて、カモメへと話した。



「そっか…」

 頷きながらも、カモメは驚きを隠せない表情を見せていた。当然といえば、当然であろう。いくら五十音士の一人とはいえ、早々簡単には、受け入れられる話ではない。

「だから先生は、年を取らないんだ」

「ああ」

 カモメの言葉に答えた恵が、その場で深く俯く。

「私とお前たちとでは、生きてる時間軸が違う」

 どこか壁を張るように、冷たく言葉を投げかける恵。拒絶しなければならないと、思っていた。生きる時間が違うことを告げ、拒絶しなければ、恵は、カモメに向けられるまっすぐな思いに、流されていってしまう。この思いに包まれてもいいのではと、変な希望を持ってしまう。

「私とお前たちとでは、同じ時を、生きることは出来ない」

 その言葉は、まるで諦めたような、そんな言葉であった。俯いたままの恵を見つめ、カモメがそっと目を細める。しばらくの間、沈黙のまま、時が流れた。

「でも…」

 口を開いたカモメに、恵がゆっくりと顔を上げる。

「でも、俺は」

 顔を上げた恵を、カモメがまっすぐに見つめる。

「俺は、先生と同じ時を生きてみたいな」

 偽りのない瞳、どこまでも深く、包みこむような優しい笑顔。向けられたその言葉を聞き、恵が大きく、目を見開く。重く縛りつけられていた心が、一気に解放されていくような、そんな感覚であった。

「な、何を…」

 動揺を隠しきれず、少し震えた声を、恵が発する。

「馬鹿なことをっ…」

「馬鹿なことなんかじゃないよ」

 恵が言葉を言い切る前に、あっさりとその言葉を否定するカモメ。

「俺は、たった今、話を聞いただけで、恵先生の苦しみも悲しみも、全然わかってあげられないし、無くしてあげることも出来ないけど」

 優しい声が、恵の耳に、言葉を届ける。

「同じ時間を生きれば、苦しみも悲しみも、一緒に背負うことが出来るでしょう?」

 もう一度、大きく、恵へと微笑みかけるカモメ。

「一緒に背負って、一緒に歩んでいくことが出来るでしょう?」

 その言葉の一つひとつに、どうしようもないほど、心が救われていく。

「一緒に、歩む…?」

「うん」

「そんな、こと…」

「“出来ない”なんて、諦めないで」

 再び俯いた恵に、カモメはすぐさま、声を掛けた。


―――遠久…!―――


 明の犠牲にし、遠久を封印したあの日、一生、この永遠を背負って生きていくことを決めたというのに、カモメの言葉を受け、恵の心の中で、どうしようもないほどに、希望が溢れ出してきた。

「ねぇ、恵先生」

 膝に置いていた恵の手を、カモメが強く握り締める。

「俺、探すから、恵先生も、一緒に探そう」

 カモメが恵の前へとしゃがみ込み、俯いたままであった恵を、下から覗きこむように見つめる。

「一緒に、生きていく道を」

 永遠ではなく、刹那を生きたいと、ただ強く、そう思った。



 好きだった。

 好きだった。

 あの頃は、こんな感情を、持っていいはずがないと、ただ、自分の心に首を振っていたけれど、カモメの思いに、ただ辛い顔を見せることしか出来なかったけれど、今は、はっきりとわかる。

 はっきりと、言える。

 優しい笑顔が、誠実な瞳が、まっすぐな言葉が、カモメのすべてが、大好きだった。


 大好きだったよ、カモメ……――――



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