Word.75 最後ノ戦イへ 〈4〉
「景色からすると、結構上の階に来ちゃったっぽいなぁ」
真っ赤な絨毯の敷き詰められた、長い廊下を歩きながら、為介が廊下の窓から、景色を見つめる。地面は、遥か下方にかすかに見えるだけだ。先程まで、為介の居たはずの一階とは、到底思えない。相当に上の階へと、一気に飛ばされてきてしまったようである。
「さっきの赤毛の子の言葉かぁ。同じ塔の上階か、それとも」
考えを巡らせていた為介が、ふと、その場で足を止める。止めたのではなく、止めざるを得なかったという方が正しいだろう。長い廊下は終わり、為介の目の前には、この豪華な廊下とは不釣り合いな、簡素な木製の扉があった。
「罠かな」
導かれるようにしてやって来たその扉を見つめ、為介が少し、その状況を楽しむように、笑みを浮かべる。
「まぁ、罠であったとしても、引き返す道なんてないけど」
どこか諦めるように肩を落とすと、為介は迷いなく扉へと手をかけ、勢いよく、その扉を開いた。木製の扉と、金具が擦れるような音が響き、ゆっくりと扉が開いていく。扉のその先に広がっていたのは、巨大な一つの部屋であった。天井は鏡張りにされており、その広い部屋の中央には、部屋の大きさには釣り合わないが、十分に大きな寝台が一つ、置かれている。その寝台の上に見える人影に、為介はそっと目を細めた。その寝台の上の人物も、入って来た為介に気付いた様子で、ゆっくりと振り返る。
「やぁ、為介」
呼び慣れた様子で為介の名を口にし、そっと笑みを浮かべる永遠。
「年を、取ったね…」
「…………」
もう何度も向けられてきたその言葉に、為介がさらに目を細め、厳しい表情を見せる。
「遠久さん…」
為介が少し戸惑いながらも、ゆっくりと、永遠の本当の名を口にする。為介を神試験に合格させ、神への道を開いてくれた神。出会った二十数年前のあの頃から、永遠のその姿は、何ら変わっていない。
「あなたが、ボクをここへ?」
「うん、桃雪に頼んでね」
寝台の上に座ったまま、永遠が微笑んで答える。
「本当は恵も呼んでたんだけど、桃雪が、それを許可してくれなかったみたい」
永遠が、すべてを見透かすように話す。
「そう…ボクら、二人をここへ…」
「聞かないの?」
為介をまっすぐに見つめ、永遠がまるで、試すように問いかける。
「“何故”って」
「……わかりきってることを、質問するほど、馬鹿じゃないよ」
厳しい表情を見せたまま、為介が、かつては見つめることすら億劫であった永遠の姿を、まっすぐに見つめる。変わらぬ姿、終わらぬ時、為介が原因となって作り出した、永遠。
「満足…?」
永遠を見つめたまま、為介が短く問いかける。
「何の関係もない人たちの言葉を止めて、明日を奪って、満足なんですか?あなたは」
責めるような為介の口調にも、永遠は動じる様子を見せなかった。
「満足じゃないよ」
永遠は迷うことなく、ごく自然と答える。
「だってまだ、君たちの言葉が残ってる」
為介を見つめる永遠の瞳が、鋭く変わる。
「だってまだ、君たちの“明日”が終わってない」
鋭い瞳が、見つめ合っているだけだというのに、ただ痛く感じた。
「だから、俺はまだ全然、満ち足りてないよ。為介」
永遠のその言葉を受け、為介は一瞬、表情をしかめた後、何やら考えるように深く瞳を閉じ、そっと顔を俯けた。少しの間をあけ、為介がまた瞳を開く。
「どうして、ですか…?」
顔を俯けたまま、また言葉を落とす為介。
「どうして、こんなこと…」
「随分と今更な問いかけだね、為介」
永遠がそっと微笑み、少し天井を見上げ、鏡に映った自身の姿を見つめる。
「君には、初めに言ったじゃないか。そう、俺が初めて、人から言葉を奪った二十数年も前の頃に」
自身の姿を見つめたまま、永遠が懐かしむように、目を細める。
「俺には、“明日”がない。でも、君たちには“明日”がある。だから、君たちから“明日”を奪う」
すらすらと言葉を放ち、永遠がまた、為介を見つめる。
「これで、“対等”だ」
永遠が視線を戻すと、顔を上げた為介と、再び視線が合った。
「対等、ですか…」
「うん」
その言葉を繰り返す為介に、永遠がそっと頷きかける。
「奪うことでしか、対等になり得ないんですかねぇ…」
「なら、君が与えてくれるの?」
困ったように頭を掻く為介に対し、永遠がすかさず問いかけを向ける。
「俺に、“明日”を」
強調されるその言葉に、眉をひそめる為介。
「俺から“明日”を奪った、君が」
「……そうですね」
永遠の言葉を認めるように、為介がそっと頷く。
「あなたの“明日”がなくなった原因は、あなたの時を、“永遠”としたすべての原因は、ボクにある」
―――遠久、さん…?―――
―――為介、逃げて…―――
神となり、愚かな振る舞いをした為介は、他の音士から疎まれ、罠に嵌められた。そして、そんな為介を助けようとして、遠久は大きな傷を負い、時を“永遠”にすることでしか、生き残れなかったのである。
「だから、あなたがボクから“明日”を奪うことで、ボクと対等になるというのなら、ボクはそれを、受け入れる」
「へぇ」
為介の言葉に、感心したような声を漏らす永遠。
「随分と潔いんだね」
「けれど」
「え?」
さらに付け加えられる言葉に、寝台の上の永遠が、少し首を傾げた。
「何の関係もない人たちの“明日”を、二十数年前は生まれてもいなかったような子たちの“明日”を奪うことは、対等でも何でもない」
顔を上げた為介が、まっすぐ睨みつけるように、強く永遠を見る。
「ただの、暴虐だ」
為介の鋭いその言葉に、ずっと浮かべられていた永遠の笑みが、そっと止まる。
「暴虐、か…」
その言葉を繰り返し、永遠が少し目を細める。
「ボクも、どんなに腐っていたとしても、一度は“神”の名を名乗った者…」
為介が右手の扇子を握り直し、その姿を、青い言玉の姿へと変えさせる。
「だから、神の暴虐を認めはしません」
「……ふぅーん」
言玉を握り締めた為介を見つめ、永遠が、あまり興味のなさそうな声を漏らす。
「つまり、俺を倒すってこと?」
「はい」
「そう」
あっさりと頷いた永遠が、その口元を緩める。
「くだらない行為だね。でもいいよ、為介」
微笑んだ永遠が、寝台の下に広がる床へと足をつけ、やっとのことで、寝台の上から立ち上がる。
「神としての君を始めたのは、俺」
やっと為介と向き合った永遠が、どこか楽しげに笑う。
「だから俺が、神としての君を終わらせてあげるよ」
永遠が両手を広げ、楽しげに笑う。為介はそんな永遠を見つめたまま、自身の言玉を握る手に、力をこめた。
「五十音、第四十七音…」
じっくりと言葉を溜め、為介が右手の中の言玉を輝かせていく。
「“ゐ”、解放」
為介の右手の中で、強く輝く青い光を見つめ、永遠はさらに楽しげに、口角を吊り上げた。
「……っ」
何かを感じた様子で、ふと顔を上げた雅が、視線を移し、正面にそびえ立つ永遠の居城を見つめる。
「“廻せ”!」
『ギャアアア!』
「あ…」
その時、大きく言葉が響き渡り、激しい叫び声が響き渡った。城に目を向けていた雅へと、向かってきていた黒い影たちが、掻き消されたようである。
「なぁ~に、余所見してんだよ!雅!」
少し怒るように言いながら、雅のすぐ前へと現れたのは、両手に真っ赤な円月輪を構えた、守であった。どうやら守が言葉を放ち、雅を助けてくれたようである。
「敵さんはまだまだ、わんさかなんだ。油断してたら、すーぐヤラれちまうぞぉ」
「すみません」
あっさりと自分の非を認め、謝罪する雅。確かにここは、気を抜いていい場所ではない。守の主張が、十分に正しかった。
「末守さん」
「んあ?何だよ?」
「先程、もしや、“雅”とか呼びました?」
「あ?」
雅の問いかけに目を丸くした守が、自分の発言を思い出すように、大きく首を傾げる。
「ああぁ~、呼んだな。呼んだ呼んだ」
「不快です。金輪際、二度と呼ばないで下さい」
「何でだよ!失礼過ぎるだろうが!」
冷たく言い放つ雅に対し、守が勢いよく怒鳴りあげる。
「ほら、また敵が来ますよ。僕を怒鳴っている暇があるなら、とっとと倒しちゃって下さい」
「クソー!お前なんか、嫌いだぁー!」
自棄になったような叫び声をあげながら、守は再び、黒い影の集団の中へと駆け込んでいった。雅もまた戦うべく、自身の言玉を強く握り締める。
「確かに、余所見している場合ではありませんね。こんなことでは、我が神に緩く文句を言われてしまう」
自分自身に言い聞かせるように、言葉を放って、雅がその表情を鋭くする。
「今はただ、目の前の敵を倒すことだけを考えなくては…!」
力強くそう叫んで、雅もまた、黒い影たちの中へと、飛びこんでいった。
その頃、囁の言葉により、十稀たちの手から逃れたアヒルと篭也は、中央塔からの連絡通路を抜け出ていた。
「ここが左塔か!?」
細長い通路から、開けた空間へと出ると、アヒルが足を止め、周囲を見回す。そこは、天井も壁も床も真っ白な、どこまでも広がる、巨大な部屋であった。
「そのはずだが…」
「その通りですよ」
聞こえてくるもう一つの声に、アヒルと篭也が、素早く振り向く。
「ここは左塔、四階部です」
「桃雪…!」
真っ白な空間の中に、一際目立つ、鮮やかな桃色の髪。広い空間の中央に立っているのは、何度かの対峙で、もう見慣れてきた、桃雪の姿であった。
「随分と早い到着でしたね、安の神」
桃雪が本心の見えない、穏やかな笑みを、アヒルへと向ける。
「まぁ別に、急ごしらえで作った駒で、完全に止められるとは思っていませんでしたけれど」
「駒?」
「こちらの話ですよ」
眉をひそめるアヒルに、桃雪は誤魔化すように笑う。
「我々より先に、恵先生と何でも屋が来たはずだが?」
「ああ」
アヒルの隣から、一歩前へと踏み出した篭也が、桃雪へと鋭い言葉を向ける。その問いかけに、桃雪は軽い調子で頷いた。
「為の神ならもっと上です。そして恵の神は、そこ」
「そこ?」
桃雪の言葉に戸惑いながら、アヒルが、桃雪の指差す方向を振り向く。桃雪の指の先、広い空間の奥に、大きな白光の塊のようなものが見えた。中で何かが行われているのか、白い光は、時々、大きく蠢いている。
「あの中に、恵先生が?」
「ええ。今、あなたのお兄さんと、戦っていただいています」
「え?」
桃雪のその言葉に、アヒルの表情が変わる。
「恵先生がカー兄と?ど、どういうことだよ!?」
少し慌てた様子で、桃雪に向かい、身を乗り出すアヒル。
「言葉の通りですよ。あなたもかつて、戦ったでしょう?」
焦るアヒルを嘲るように、桃雪が、さらに冷たく微笑む。
「僕の力の中で、あなたのお兄さんと」
「え…?」
桃雪の言葉に、戸惑いの声を発するアヒル。
「あ…」
―――アーくんが言ったんだよ?“居なくなれ”って…―――
アヒルの脳裏に過ぎったのは、桃雪に取り憑いていたとされる始忌の一人、桃真が作り出した幻惑の中で出会った、アヒルを憎む、カモメの姿であった。
「まさか、あの時のカー兄を、恵先生にも…!?」
「ええ、そうです」
「何てことをっ…」
あっさりと頷く桃雪に、アヒルが唇を震わせる。
「恵先生…!」
「待て、神!」
恵の居るという、白い光の塊へと、駆け寄って行こうとしたアヒルを、力強く止めたのは、篭也の大きな声であった。
「何だよ、篭也!このままじゃ、恵先生が…!」
「外から下手に攻撃をすれば、中に居る者の精神そのものを、壊してしまう可能性がある」
「え…?」
声を荒げるアヒルに対し、篭也が冷静に言葉を向ける。
「あなたが幻惑に捕らわれた時、あの男が言っていた言葉だ」
「よく憶えていますねぇ」
視線を向けてくる篭也に、桃雪が感心するように呟く。
「どこまでが事実かは知れないが、軽はずみな行動はしない方がいい」
「けど…!」
「大丈夫だ」
まだ訴えかけようとするアヒルに、篭也は確信を持った様子で、はっきりと言葉を放った。
「あの人は、見かけだけがカモメさんの、幻惑などに負けるほど、弱くはない」
篭也のその言葉に、アヒルがハッとした様子で、目を見開く。
「あの人と、カモメさんとの絆を信じろ」
「篭也」
力強い篭也の言葉に、アヒルの表情から徐々に、焦りの色が消えていく。
「わかった」
落ち着いた表情を取り戻し、大きく頷くアヒル。
「わかったのであれば、進め」
「え…?」
篭也の言葉に、アヒルが首を傾げる。
「あの男とは、僕が戦う」
はっきりと言い放った篭也に、アヒルは厳しい表情を作った。




