Word.75 最後ノ戦イへ 〈3〉
中央塔一階、居城玄関部。
「“閉ざせ”、か…」
十稀と埜亜の後方に広がった、真っ白な壁を見つめ、篭也が険しい表情を見せる。恵たちや永遠の居る左塔へと続く連絡口は、この階段を上がった先。だが、十稀の作り出した壁により、その道は、完全に塞がれてしまっていた。
「マズいな」
「先生と扇子野郎だけに、永遠と戦わせるわけにはいかねぇぜ!篭也!」
「わかっている」
焦ったように叫ぶアヒルに、すぐさま返事をする篭也。篭也も内心は、アヒルと同じ程に焦りを感じていた。二人にとって、永遠の存在がどれほどに重いものかは、二十数年前の真実を聞いた皆、十分に承知していた。
「だが、あの壁は言葉の力により、生み出されたもの。あの者を倒さねば、恐らくは消えない」
「ウフフ、その通りぃ~」
十稀が、篭也の言葉を認めるように、楽しげに笑う。
「あなたたちは、ここで私たちと遊んでいくしか道がないってわけぇ」
「そして、その間に我が神、永遠様が、先程の二名を消し、すべてを終わらせる…」
「クソ…!」
二人の言葉に、何も出来ないもどかしさを感じ、アヒルが悔しさを滲ませる。
「折角、ここまで来たってのに、向き合うことも出来ねぇなんて…!」
「朝比奈くん…」
焦った様子のアヒルを、七架が心配そうに見つめる。
「…………」
その七架のすぐ横で、何やら気難しい表情を見せ、考え込むような素振りを見せている囁。
「何とか突破の方法を…」
「篭也」
「ん?」
考えを巡らそうとした篭也が、囁に呼ばれ、戸惑った様子で振り向く。
「何だ、囁。今、僕は、この状況の打開策を考えて…」
「アヒるんを頼むわよ」
「何?」
急な囁の言葉に、篭也が戸惑うように眉をひそめる。
「一体、何を…」
「何が何でも、永遠のもとまで届けなさい。それが、神附きとしてのあなたの、最後の役目」
問いかけようとした篭也の言葉を遮り、囁が強く、篭也へと言い放つ。それは、強い指示のようにも聞こえたが、どこか、願いのようにも聞こえた。そんな、少し不自然な囁の様子に気付き、篭也がハッとした表情を見せる。
「囁、あなたは」
察した様子の篭也に、囁はそれ以上は何も言わず、微笑みだけを向ける。
「アヒるん」
「へ?」
焦りながら、頭を掻きむしっていたアヒルが、歩み寄って来る囁に名を呼ばれ、すぐに顔を上げる。
「今からあなたを、この階段の先に送るわ」
「え!?」
囁の言葉に驚き、アヒルが大きく目を見開く。
「んなこと、出来んのかよ!?」
「ええ、私の言葉を使えばね」
戸惑いながら問いかけるアヒルに、囁がそっと微笑みかける。
「出来れば、もう二度と、アヒるんには向けたくなかった言葉だけれど…」
「え?」
俯き、聞こえるか聞こえないかの小さな声で呟く囁に、アヒルが眉をひそめる。あまり頭の回転の良くない方であるアヒルだが、その囁の言う言葉には、思い当たるものがあった。
「それって、もしかして…」
「でも、この状況だもの。四の五の言ってられないわよね…」
アヒルの言葉を遮るようにして、囁が顔を上げ、また微笑みかける。
「アヒるん」
囁が改めて、アヒルの名を呼び、アヒルをまっすぐに見つめる。
「同じ言葉であっても、あの日とは、あの時とは、全然違うから、それだけはわかっていて」
まるで願うように、続けられる囁の言葉。
「この言葉は、二度と会わないための挨拶じゃない。明日、また明日、笑って出会うための、挨拶だから…」
「囁…」
必死に想いを伝えようと、言葉を紡ぐ囁を、アヒルがまっすぐに見つめ返す。そしてアヒルは、ゆっくりと、大きく、温かな笑みを作った。
「ああ」
頷くアヒルを見て、囁もどこか、安心したように笑う。
「何かやる気ね、彼等…」
「そう簡単に逃がしてたまるかっていうのぉ」
動き出したアヒルたちの様子に気付き、眉をひそめる埜亜。十稀も表情をしかめ、自身の言玉を、強く握り締める。
「折角、五十音士になれたのよぉ。いいとこ見せて、桃雪様に新たな力、もらえるくらいのこと、しなくちゃ」
十稀が握り締めた言玉を、アヒルたちに向けて突き出す。
「来るな。急げ、囁」
「ええ…」
構えた十稀に気付き、篭也が囁を急かすように言う。
「七架、あなたも、アヒるんたちと一緒に…」
「五十音、第二十一音“な”、解放!」
「七架?」
アヒル、篭也と共に、この場所を突破することを促そうとした囁であったが、七架は言玉を解放させ、目醒めた真っ赤な薙刀を構え、臨戦態勢を整えていた。そんな七架の様子に、囁が戸惑うように首を傾げる。
「私が、あの二人を引きつけるから、囁ちゃんはその間に、朝比奈くんと神月くんの脱出を」
「え…?」
七架の思いがけない発言に、険しい表情を見せる囁。囁の横で、アヒルも眉をひそめる。
「七架…?何を言って…」
「相手は、女の子二人だよ?私が残るのが、順当でしょう?」
「七架…」
明るく微笑みかける七架に、囁は困った表情を見せたまま、返答の言葉を詰まらせる。確かに相手は二人で、アヒルと篭也に残らせるわけにはいかない。今、この場に七架が残ってくれた方が、囁が助かることは明らかであった。
「けれど」
囁が七架のすぐ傍に駆け寄り、アヒルたちに聞こえないような小さな声を、七架へと向ける。
「それじゃあ、あなた、アヒるんと最後まで共に行けなくなるわよ…?」
「最後まで共に行くことだけが、仲間の役目じゃないもん」
アヒルの傍に居たいであろう、七架の想いを汲み、問いかける囁であったが、その問いかけにも、七架の気持ちが揺らぐことはなかった。
「進めることだって、大事な役目。今までも、たくさんの皆がそうやって、私たちをここまで進めてくれた」
穏やかな笑みを浮かべ、七架がさらに言葉を続ける。
「だから今度は、私の番」
「七架…」
囁が目を細める中、七架がゆっくりと振り向き、まっすぐにアヒルを見つめる。
「いいよね?朝比奈くん」
問いかける七架を、アヒルはまっすぐに見つめ返す。
「奈々瀬がそう、決めたなら」
「ありがとう」
笑顔で答えるアヒルに、七架はとても嬉しそうに、表情を綻ばせた。
「ちょっとぉ~、いつまで人のこと、そっちのけで会話してくれてんのよ!」
十稀の不満げな声が響き、皆が同時に、そちらを振り向く。
「もう、待ってやらないんだからぁ!」
口を尖らせた十稀が、突き出した言玉を、強く輝かせ始める。
「来るぞ!」
「囁ちゃん、言葉を!」
焦った篭也の声に、真剣な表情を見せた七架が、囁へと言葉を促しながら、薙刀を構え、皆に背を向けて、十稀のもとへと駆けだしていく。
「“尖れ”!」
アヒルたちに向け、無数の鋭い白光の塊を放つ十稀。
「“薙ぎ払え”!」
皆の前へと飛び出した七架が、大きく薙刀を振るい、やって来る白光を、一つ残らず払い落す。
「今の内だ、囁!」
「ええ…」
アヒルの言葉に頷きながら、囁が素早く、ポケットから言玉を取り出す。
「五十音、第十一音“さ”、解放…」
囁が言玉を解放させ、真っ赤な横笛を構える。
「我らが神を頼んだわよ、篭也」
「無論だ」
迷うことなく答える篭也に、囁が安心したように笑い、横笛を口へと当てる。七架たちの戦う音が響く中、それすらも掻き消すように、美しい、笛の音が響いた。
「じゃあ、アヒるん」
「ああ、頼む」
「さ…」
笛から口を離した囁が、まっすぐにアヒルを見つめる。
「“さようなら”…」
囁がまっすぐにアヒルを見つめ、その言葉を発する。だがその表情は笑顔で、晴れやかなものであった。赤い光に包まれていく中、アヒルも囁に応えるように、大きく微笑む。
「死ぬなよ、囁、奈々瀬」
赤い光の中でアヒルが、まるで願うように言う。その言葉に、十稀と戦闘を繰り広げていた七架が振り返り、どこか泣き出しそうな笑みを見せた。
「朝比奈くん!」
七架が大きく身を乗り出し、必死にアヒルへと呼びかける。
「“また明日”!」
七架のその言葉に、アヒルは真っ赤な光の中で、そっと微笑んだ。
「ああ」
アヒルが大きく頷き、また笑う。
「“また明日”!」
その言葉を最後に、アヒルと篭也を包む光が、より一層輝きを増し、その光が辺り全体を包み込んだ次の瞬間には、二人の姿はそこにはなかった。
「ふぅ…」
横笛を下ろした囁が、ホッとした様子で肩を落とす。
「どうやら、上手くいったようね…」
「あぁ~あ」
安心した様子の囁とは対照的に、どこかがっかりしたような、残念そうな十稀の声が響き渡る。
「埜亜ぁ~、逃げられちゃったぁ」
「あなたがチンタラしているから…」
「何よぉ?私だけが悪いっていうのぉ!?」
呆れたような物言いをする埜亜に、十稀は不満げに声を荒げる。
「逃げられてしまったものは、仕方ないわ…」
埜亜が一転して、十稀を責めることをやめ、諦めたように言い切る。
「獲物を一人や二人、逃したくらいで、怒り狂われるほど、永遠様も桃雪様も、心の狭い方ではない…」
感情の読めない、その虚ろな視線を、囁と七架へと、向ける埜亜。
「今、目の前に居る敵を消せば、お二人は十分に、我々を評価して下さるはず…」
「それもそうねぇ」
埜亜の言葉に笑みを見せ、十稀もまた、二人を見つめる。
「囁ちゃん」
七架が後方へと飛びさがり、十稀たちと距離を取って、囁のすぐ横へと並ぶ。
「あっちはどうやら、アヒるんたちを諦めて、私と遊んでくれる気みたいね…」
「うん、良かった」
囁の言葉に、七架が笑顔を見せる。
「これで後は、勝つだけだね」
「フフフ…強気な言葉ね」
はっきりと言い放つ七架に、囁が思わず笑い声を零す。
「けれど、あなたのそういうところ、好きよ。七架」
「ありがとう」
囁のその言葉に、七架が素直に嬉しそうに、笑う。
「さぁ、じゃあ行きましょうか」
囁が表情を引き締め、再び横笛を構える。
「私たちの、最後の戦いよ」
「うん!」
しっかりと頷き合い、囁と七架は、十稀と埜亜の二人に向き合った。
「痛つつつ…」
着地の時に打ちつけた背中を押さえながら、アヒルがゆっくりと起き上がる。
「ここは?」
「中央塔、四階部のようだな」
戸惑うように周囲を見回そうとしたアヒルであったが、見回す前に返って来る答えに、視線を止める。答えは、アヒルのすぐ傍で立つ、篭也の口から放たれたものであった。
「四階部って、なんで、んなとこまで、わかんだよ?」
「あれだ」
篭也に促され、アヒルが左方を振り向く。
「あ…!」
篭也の指し示したその先には、左塔へと続く連絡通路があった。どうやら無事に、十稀により閉ざされた空間を抜け、連絡通路のある四階まで、やって来れたようである。
「ばっちりだな。さっすが囁」
嬉しそうに笑みを浮かべながら、アヒルがその場で立ち上がる。
「皆の言葉が、作ってくれた道だ」
篭也が真剣な表情を見せ、まっすぐに連絡通路を見つめる。
「絶対に、無駄には出来ない」
「ああ」
篭也の言葉を十分に理解している様子で、アヒルも引き締まった表情で、深々と頷く。
「行こう、篭也」
「仰せのままに、我が神」
決意を新たに、アヒルと篭也は、左塔へと続く連絡通路を駆け抜けていった。




