Word.75 最後ノ戦イへ 〈2〉
屋上からの長い階段を降りると、だだっ広い空間へと辿り着いた。空間の奥に、繭の張っていた跡があるところを見ると、恐らくは、終獣を生み出していた部屋なのだろう。だが今は、誰の姿もなく、閑散としている。途中、階段の側に設置されていた窓から見た景色からして、城の一階部分まで、一気に下ってきたようである。屋上から直接、一階以外の階に、行くことは出来ないのだろう。
「不気味なくらい、何も出なかったな」
「本当…外にあれだけ、黒い影が居るんだから、中でもたくさん、待ち構えてるものかと思ったけれど…」
空間の中央に立ち、少し肩透かしを食らったように、アヒルが言うと、囁が賛同するように頷いた。ここまでの道のりは、屋上の外とは違い、誰にも阻まれることなく、あっさりと来てしまったのである。
「恐らくは、この城自体を守るためでしょ」
「へ?」
為介の言葉に、アヒルが首を傾げながら、振り返る。
「この城は、屋上のあの生物を支える、大事な基盤。下手に戦わせて、基盤が崩れ落ちれば、その分、時間が無駄になる」
「成程な」
為介の言い分に納得するように、腕組みをした篭也が、深々と頷く。
「あそこに、左側に行く扉が見えますけど」
「あれは恐らく、別塔へ向かう連絡口だろう」
空間の左端を指差し、大きな扉があることを七架が伝えると、恵がすぐさま口を開いた。
「お前たちも外で見たから、知っていると思うが、この城は屋上のある右端の塔と、一番大きな中央の塔、そして、最も高い左塔で構成されている」
恵が懐から、城の外観写真を取り出し、皆へと指し示して、城の造りを説明する。韻従者に準備させたのだろう。城のことを、よく調べてある。
「ってことは、今ここが、屋上のあるこの右端の塔だから、あの扉を通って、行けんのは…」
「ああ、この中央の塔だ」
アヒルの視線が、写真に写った中央の塔へと移ると、恵が大きく頷いた。
「塔が変わるということは、あちら側にとって、金獣さんの基盤を守るどうこうという、心配はなくなるということね…」
「ああ、何かを仕掛けてくる可能性が高い。十分に注意して行くんだ」
「おっしゃ、行くぜ!」
気合い十分の声をあげ、アヒルが先頭を切って、その場を駆け出し、空間にあるその連絡口へと入る。他の皆もアヒルに続き、屋根の取り付けられた、長い橋のような通路を急速に駆け抜けた。やがて、通路が終わり、広い部屋へと出る。
「着いた!」
視界が開けたところで、アヒルが立ち止まり、その場所を確認するべく、周囲を見回す。
「ここは…?」
恵たちも同じように、周りの確認をする。左側には連絡口よりもさらに大きな、天井まで続く扉があり、右側には、上へと続く、赤い絨毯の敷かれた、長い階段が見える。
「どうやらここは、正門を抜けた先、城の正面玄関のようだな」
「ようこそ、永遠様の居城へ」
『……!』
その場に響く、聞き慣れない女性の声に、皆が表情を険しくし、一気に振り向く。上へと続く長い階段のその途中に、二人の少女の姿が見えた。赤い短髪と、青い長髪の少女、十稀と埜亜である。
「お前たちは…!」
「五十音、第二十音“と”、解放」
「第二十五音“の”、解放…」
「え…?」
問いかける間もなく、懐から白い言玉を取り出し、文字の解放を行う十稀と埜亜。二人の解放するその文字に、囁が戸惑った表情を見せる。
「“飛ばせ”!」
「“残れ”…」
『う…!』
またしても問いかける間すら与えず、十稀と埜亜は、解放され、先程よりも強く輝く言玉を、アヒルたちへと向け、それぞれの言葉を放った。部屋全体を真っ白な光が包み込み、あまりの眩しさに、アヒルたちが目を細め、身を伏せる。
「ク、うぅ…」
やがて光が収まると、アヒルはゆっくりと目を開いた。そこは先程の部屋と何ら変わりなく、アヒルの体も、特に異常はない。
「今の言葉って、確か…」
「朝比奈くん!」
戸惑うように言葉を落としていたアヒルが、七架の焦ったその声に、慌てて振り向く。
「恵先生と井戸端さんが、居ない!」
「何!?」
七架の言葉に目を見開き、すぐさま周囲を見回すアヒル。周りを確認すると、篭也と囁の姿はあるが、確かに先程までそこに居たはずの恵と為介の姿が、どこにもなくなっていた。
「先生!扇子野郎!」
アヒルが広い部屋中を見回すが、二人の姿はやはりなかった。
「お前等…!」
何かを確信したように、アヒルが鋭い表情で十稀と埜亜の方を振り向くと、二人は何やら楽しげな様子で笑みを浮かべていた。この二人が恵たちに何かをしたことは、すでに明らかだった。
「お前等、恵先生たちに何をした!?」
「何をしたぁ~?」
アヒルの問いかけを繰り返した十稀が、少し表情をしかめる。
「今更、何言っちゃってんのぉ?さっきの私の言葉、聞いてなかったわけぇ?」
「さっきの言葉?」
「“飛ばせ”」
首を傾げるアヒルの代わりに、答えるように、先程の十稀の言葉を発する篭也。
「言葉を使って、二人をどこかへ飛ばしたというわけか。そして僕等は、ここに“残した”」
埜亜の発した言葉を繰り返しながら、篭也が鋭く埜亜を見つめる。
「“と”と“の”の言葉…何故、あなたたちがその文字を…」
表情を曇らせた囁が、戸惑うように二人へと問いかける。二人の使った文字は、かつて、囁の仲間たちが使っていた、囁にとっても馴染みのある文字であった。
「私たちのこの文字は、桃雪様により“齎された”もの…」
「齎された?」
埜亜の答えに、アヒルがさらに眉をひそめる。
「桃雪様のその言葉は、今、音士の附いていない空席の文字を、自由に第三者に与えることが可能なの…」
「“と”と“の”の文字は、轟と罵が捕まってから、音士の後任がないから、空いていたのね…」
「そういうこと…」
感情を表に出すことなく、埜亜が静かに頷く。
「俺たちは残したって、どうして二人だけを飛ばした!?」
「ご指名が入ったからよぉ」
「指名?」
「そぉお」
首を傾げるアヒルに、十稀がゆっくりと頷く。
「指名の入った二人にはぁ、この塔の左側にある塔まで、とっとと飛んでもらったわぁ」
「左の塔まで?」
十稀の言葉を受け、アヒルが部屋の左側を見る。恵と為介は、やって来たばかりのこの塔にはすでにおらず、また別の塔へと移ってしまったということになる。先程と同じように、左の塔へと続く連絡口を探し、アヒルがまた、部屋を見回す。
「連絡通路は、この階には存在しないわ…」
アヒルが何を探しているのかを知るように、埜亜がアヒルへと答えを向ける。
「左の塔へと続く連絡通路は、この塔の四階部分…この長い階段を上った先にある…」
埜亜が視線を動かし、階段の上方を見上げる。その視線につられるように、同じように、階段の先を見つめるアヒル。あまりはっきりとは見えないが、確かに四階くらいの高さのところで階段が終わり、部屋の入口のような場所へと続いていた。
「マズいぞ、神」
「へ?」
篭也がアヒルの傍へと寄り、険しい表情を見せる。
「指名されたのがあの二人ということは、指名したその者というのは…」
「永遠か」
篭也の言葉に促され、その名を口にしたアヒルが、厳しい表情を見せる。永遠にとって、恵と為介は特別な相手。だからこそ、二人が指名されたのだとすれば、永遠は左側の塔に居るということになる。
「二人を追いかけよう!」
アヒルの言葉に皆が頷き、その場を突破しようと、四人が長く続く階段へと足を掛ける。
「“閉ざせ”」
『な…!?』
アヒルたちが連絡通路を目指し、階段を駆け上ろうとしたその時、十稀の口から言葉が放たれ、十稀と埜亜、二人の後方に白い光の壁が張り巡らされた。壁は天井まで突き上げ、階段のその向こうを、完全に塞いでしまう。塞がれた壁に、アヒルたちは思わず、足を止めた。
「残念だけれど、指名の入らなかったあなたたちはぁ、左塔へと行くことは出来ないわぁ」
「あなたたち四人は、この場で、私たちに倒されて終わる…」
「ク…!」
強気に言葉を投げかける十稀と埜亜に、アヒルは険しい表情で、唇を噛んだ。
「ん、んん…」
床にうつ伏せに倒れていた恵が、ゆっくりと目を開く。少し頭を押さえながら、恵はすぐに体を起こした。
「ここ、は…?」
そこは何もない、天井も床も壁も、ただ真っ白な部屋であった。無機質な空間は、気味悪く設計された部屋よりも、ある意味、不気味である。恵がその場に立ち上がり、部屋を見回す。その部屋には、恵以外の者の姿はなく、恵一人のようである。
「朝比奈たちは…」
「彼等はまだ、中央塔ですよ」
すぐ傍から聞こえてくるその声に、恵が大きく目を見開き、勢いよく振り返る。
「桃雪…!」
「ああ、ちなみに、ここは左塔です」
大きく名を呼ぶ恵に対し、突如、その場に現れた桃雪は、いたって平静に言葉を続ける。先程までこの場にいなかったはずの桃雪が、何故、この場に現れたのか。表情も感情も読めない桃雪には、最早、問いかけるだけ無駄であろう。
「左塔だと?そうか、さっきの小娘の言葉で…」
少し考え込むように俯いた恵が、すぐに状況を理解する。
「朝比奈たちは、どうした!?」
「安の神たちには、中央塔で、僕の駒と戦っていただいていますよ」
「駒ってのは、あの二人の小娘か」
「ええ」
あっさりと頷いた桃雪が、どこか冷たく笑う。
「何だって、私だけを左塔へ…」
「指名されたのは、あなただけではありませんよ」
「何?」
桃雪の言葉に、恵は眉をひそめる。だが、恵はすぐに、何かを察したように目を細めた。
「為介か」
「ええ、我が神から、左塔へ連れてくるよう指示を受けたのは、あなたと為の神のお二人」
桃雪が右手の指を二本突き立て、強調するように言う。
「あなた方お二人だけは、直接、我が神のもとへ飛ばすよう、命を受けました」
「え?」
その言葉を受け、恵が改めて、部屋の中を見回す。もう一度、部屋中を見るが、この部屋には、永遠の姿も為介の姿も見当たらなかった。
「ですが僕は、為の神だけを、我が神のもとへと飛ばした」
恵の疑問に答えるように、桃雪がさらに言葉を続ける。
「あなたは、我が神にとって、最も近しい存在。ですが少々、近し過ぎる…」
冷静だった桃雪の表情が、わずかに曇る。
「今はすべての言葉を終わらせる、重要な時。なるべく、あなたとの接触は避けた方が良いと踏んで」
「私だけを、ここへ飛ばしたということか」
「はい」
先を読むように答えた恵に、桃雪が再び笑みを見せる。
「私なら、今のあいつを止められるとでも?随分と、買い被られたものだな」
恵が少し肩を落とし、厳しい表情を見せる。
「止められるのなら、二十数年前のあの時に…」
「止められるなどとは、思ってはいませんよ」
恵の言葉を、その言葉が終わる前に、あっさりと否定する桃雪。
「我が神を止められる者など、この世界には存在しない」
少し上方を見た桃雪が、どこか遠くを見つめるような視線を見せる。まるで自身の神である永遠が、誰も手に届かない、遠い存在であることを、示しているようであった。
「僕が、あなたと我が神の接触を避けた方がいいと踏んだのは、我が神を止められてしまうからではありません」
桃雪がまた視線を下ろし、恵を見る。
「我が神が、止まらなくなるからです」
それすら楽しむように、大きく笑みを浮かべる桃雪に、恵がさらに険しい表情となる。
「さぁ、では、遊ぶとしましょうか。恵の神」
戦いを始めるような桃雪の言葉に、恵がさらに警戒を強め、素早く緑色の言玉を取り出し、いつでも文字を解放できるよう、構えを取る。
「といっても、戦うのは僕ではありませんけれど」
「何?」
恵が眉をひそめる中、桃雪が自身の白い言玉を、右方へと突き出した。
「“模せ”」
桃雪の言葉が落とされると、桃雪の右方に、言玉から零れ落ちるように、大きな白い光の塊が生まれ、形を作っていく。恵が訝しげに見つめる中、その形は、徐々に人の形へと近付いていく。明らかになっていくその姿に、大きく目を見開く恵。
「な…!」
はっきりと見えるその人物に、目を見開いた恵が、思わず息を呑む。
「カ…」
声にならない声を、詰まる喉から、必死に押し出す恵。恵の目の前へと現れたのは、もう出会うはずがないと思っていた、恵にとって、とても大切な人物であった。
「久し振りですね」
水色の制服を纏った、爽やかな青年は、とても優しい笑顔を、恵へと向ける。
「先生」
「カモメ…」
久々に向けられるその笑顔に、恵はただ、戸惑いの表情を見せた。




