Word.8 転校生ト言姫 〈3〉
その後、アヒルと囁が手を貸して、何とか地割れから篭也を引き上げると、話をするため、三人は謎の少女・和音とともに、アヒルの部屋へと入った。
『…………』
満面の笑顔を見せている和音と、見るからに不機嫌そうな表情の篭也を見比べ、少し困った顔を見せるアヒル。囁はというと、マイペースに壁にもたれて、恋盲腸を読んでいる。
「え、えぇ~と、で、あんたはっ…?」
長い沈黙にも耐えきれず、アヒルがやっとのことで和音へと問いかける。
「申し遅れました。わたくし、五十音第四十六の音、“わ”の力を持ちます、二十八代“言姫”、和音と申します」
「言姫っ?」
「“わ”の力を持つ者に、代々受け継がれる呼び名のようなものよ…」
「へぇっ」
首を傾げたアヒルに、恋盲腸を読んでいたはずの囁が、話の流れを理解しているように、素早く答える。答えた後、囁は恋盲腸を閉じ、床へと置いて、和音の方を見た。
「代々、言姫は…五十音士の中で唯一、韻に属する…」
「韻って、さっき言ってた?」
「ええ…だから彼女は、五十音士でありながら…五十音士を管理する力を持つ…つまり…」
囁が、和音を見つめる瞳を、より一層、鋭くする。
「五十音士の中でただ一人…神よりも上の存在となる者…」
「……っ」
その囁の言葉に、そっと表情を曇らせるアヒル。
「わたくしは、そんな大それたものではありませんわ」
表情を曇らせたアヒルを、まるで安心させるように、和音が穏やかな笑みを向ける。
「今日も、新たに安の神となられた、朝比奈アヒルさんに挨拶をと思い、参っただけであってっ…」
「嘘をつくな。あなたが挨拶だけのために、わざわざ来るはずっ…」
「今、話しているのは、わたくしですわよ?篭也」
「…………」
和音に、どこか凍りつきそうになるほど、冷たい笑みを向けられ、自分の言葉を呑み込み、急に大人しくなる篭也。
「あの偉そう、この上ない篭也がっ…」
「明日は大雪かしらね…フフっ…」
そんな篭也を、アヒルたちは驚いた様子で見つめる。
「お二人は知り合いで…?」
「ええ。家同士の仲が良くて、子供の頃、よく一緒に遊んだりしておりましたの」
「……っ」
囁の問いかけに答える和音の声を聞きながら、篭也がどこか悲しげに俯く。
「……っ?」
そんな篭也を見て、アヒルは不思議そうに首を傾げた。
「そんな話はどうでもいいだろう。それよりこの前、僕が報告を入れた件は?どうなっている?」
「報告?」
「ああ、為の神のことですわね」
鋭く問いかける篭也に、アヒルが眉をひそめる中、和音が笑顔を崩さぬまま頷く。
「彼は何を考えているのか、わからぬ男ですが、我々に危害を加えるようなことをする者ではありません。放っておいても、問題ないでしょう」
「しかしっ…!」
「問題は、忌増発の方です」
「えっ…?」
言い返そうとした篭也が、強く言い放つ和音に、その表情を変える。
「忌増発の原因がわかったのかっ!?」
「ええ」
「……っ」
ずっと浮かべていた笑みを消し、真剣な表情で頷く和音に、アヒルも表情を曇らせた。
「我々、韻が調査した結果、忌増発の裏に、ある五十音士の名が浮かび上がりました」
「ある、五十音士?」
「誰だ?それはっ」
座っていた椅子から身を乗り出し、必死に問いかける篭也。
「名を波城灰示。五十音第二十六の音、“は”の力を持つ、“波守”の男です」
『……っ』
伝えられる名に、三人が皆、険しい表情を見せる。
「だが、一介の五十音士が、どうやって忌の増発などっ…」
「その詳細は不明ですわ」
怪訝そうに眉をひそめる篭也に、和音も表情を曇らせて答える。
「波、守っ…?“は”って…」
和音の発した言葉を繰り返し、アヒルが少し考え込むように首を捻る。
「ア段っ!?」
「よくわかったわね…アヒるん…」
「奇跡だな」
“は”をア段を理解したアヒルを、感心した様子で見つめる篭也と囁。
「っつーことは、その忌を増発させた奴は、俺のっ…安団の一人ってことかぁっ!?」
「いやっ」
「へっ?」
すぐさま首を横に振る篭也に、アヒルが目を丸くする。
「安団に含まれるのは、ナ行、つまり“奈守”までの五人。“波守”は安団には含まれない」
「なんで?」
「五十音でもね…前半二十五音と後半二十五音は、まったく違う組織で動いているのよ…アヒるん…」
「違う、組織っ…?」
人差し指を突き立て、説明をする囁に、困惑した表情を見せるアヒル。
「前半二十五音…つまりア行からナ行までは、横の系列、段を繋がりとして、私たち安団のように、団単位で行動を共にしているわ…」
「だが、後半二十五音、ハ行からワ行までの五十音士は、団には属さず、自由に動く」
「う、うぅんっ…」
もうすでに頭の中が混乱している様子で、アヒルが天井を見上げながら、何となく頷く。
「あなたの出会った、為の神に附いている“美守”の青年も、以団には属していないのですよ」
「雅さん?」
「ええ」
確かめるように問いかけるアヒルに、和音が笑顔を見せる。
「それにわたくしも、ア段ではありますが、あなた方の安団には属さず、こうして自由に動いておりますし」
「成程っ…」
微笑む和音に、やっと納得したように頷くアヒル。
「だから波守は安団じゃないってわけかっ」
「本当にわかったのか?」
「何となくはわかったっての!」
疑うように問いかけてくる篭也に、アヒルが勢いよく怒鳴り返した。
「でも…それを伝えるためだけに、わざわざ言姫さまが、こんな所へいらっしゃったとは思えないけれど…」
「……ええ」
「へっ?」
含んだ笑みの囁の言葉に、そっと頷く和音を見て、アヒルが再び目を丸くする。
「じゃあ一体、何の用でっ…」
「今日はあなたにお願いがあって参りました。安の神」
「えっ?俺?」
和音に真剣な眼差しを向けられ、戸惑うように聞き返すアヒル。
「俺にお願いって、なっ…」
「あなたに、波守・波城灰示の討伐を行っていただきたいのです」
「えっ…」
「はぁっ!?」
思いがけない和音の言葉に、アヒル以上に驚きの声をあげたのは、篭也であった。
「何を馬鹿なことをっ…!昔から変わった所があるとは思っていたが、ついに頭のネジが取れたんじゃっ…!」
「あなたは少し黙っていて下さいます…?篭也…」
「はい…」
「フフフっ…情けないものね…」
和音に凍りつく笑みを向けられ、大人しく頷く篭也。そんな篭也を、囁は、どこか嘲笑うように見つめる。
「ですが…それについては、私も異論があります…言姫さま…」
「……っ?」
篭也に続くように話す囁に、和音がそっと振り向く。
「我が神は、まだ神になって間もない身…使える言葉もたった四つの、超未熟、ド素人ですよ…?」
「悪かったなっ、ド素人でっ」
本人を目の前にしても、遠慮なく言い放つ囁に、思い切り顔をしかめるアヒル。
「そんな、忌を増発させるような、未知の力を持つ者の相手…他の神を行かせる方が得策かと思いますが…?」
「そうだ!他の神を行かせればいい!」
「……っ」
「よ、ような気がするっ…」
和音に睨まれ、篭也がすぐさま発言を弱気なものへと変える。
「お前、だっせぇなっ」
「うるさい。僕には僕の事情があるんだ」
改めて言い放つアヒルに、篭也が少し表情を引きつって言い放つ。
「安の神にお願いする前…」
『……っ』
口を開く和音に、アヒルたちが皆、言葉を止め、和音の方を見た。
「わたくしは、とある神に、安の神に対してと同じように、波城灰示の討伐を依頼しました」
「とある、神っ…?」
和音の言葉に、アヒルが眉をひそめる。
「ですが、戻って来たのは瀕死の附き人のみ…その神との連絡は途絶え、未だに行方は不明です」
「……っ」
深刻そうに話す和音に、部屋全体に不穏な空気が流れて、篭也も思わず表情を曇らせた。
「波城灰示により囚われているのか、もしくは…」
「すでに殺されているか…」
「お、おいっ…!」
「だって…その可能性の方が高いでしょう…?」
「うっ…」
不吉なことを言う囁に、思わず怒鳴ってしまうアヒルであったが、囁の言葉は正しく、それ以上、言葉を続けることは出来なかった。
「ええ…ですがわたくしは、その神が無事であることを信じ、一刻も早く救出をと考えております」
顔を上げた和音が、力のある強い瞳を見せる。
「他の神を呼び寄せていては、手遅れになってしまう…。ですから、一番近くにいる、あなた方へとお願いに参ったのです」
「近く?」
「これが、忌の発生地点から割り出した、波城灰示の根城と思われる場所ですわ」
首を傾げたアヒルへ、和音が差し出したのは、一枚の地図であった。それはアヒルの住む言ノ葉町近辺の地図で、一ヶ所、赤く丸をつけられた場所がある。
「確かに近くだな…」
「忌増発は、この町付近限定で起こっている現象。恐らくは波城灰示が、この近くに居るからだと踏んだのです」
「成程ねっ…」
地図の丸を見つめながら、囁が納得した様子で頷く。
「それでアヒるんに依頼をっ…」
「ええ。どうでしょう?篭也。わたくしの判断、間違っているでしょうか?」
「……っ」
問いかける和音に、きつく唇を閉じ、厳しい表情で黙り込む篭也。確かに和音の考えに間違いはなく、いくらアヒルが未熟とはいえ、これが一番、得策のように思えた。
「神の意志が、僕の意志だ。僕から言うことは、何もない」
「……っ」
はっきりと答える篭也に、和音が少し驚いた表情を見せる。
「そうですか。では、どうでしょう?安の神」
「へっ?」
落ち着いて頷き、篭也からアヒルへと視線を移す和音に、アヒルが少し焦ったように声を出す。
「わたくしの願い、聞き入れてはいただけないでしょうか?」
「あ、いやぁ、そのっ…」
和音に真剣な表情を向けられ、アヒルが困ったように視線を逸らす。状況すらあまり理解出来ていないアヒルには、簡単に返事をすることが出来ない。
「あなたと同じ神を救う為…そして、これ以上、忌増発で苦しむ者を増やさぬ為にもっ…」
「……っ」
その和音の言葉に、アヒルが急にハッとした表情を見せる。この辺りで忌が増発しなければ、紺平や奈々瀬、そしてツバメや想子も、苦しい思いをしなくて済んだかも知れないのだ。
「わかった。やるっ」
「アヒるん…」
「そいつのせいで、やたらと忌が多いんだろ?俺って、臭いはもとから断つ主義だし、丁度いいってっ」
どこか止めるように名を呼ぶ囁に、アヒルが笑顔を向ける。
「それに、その捕まってるかも知れない神様も、放っておけねぇしなっ」
「まぁ…アヒるんがそう言うなら、私はそれに従うけれど…」
頷きながらも、囁は少し困ったように肩を落とした。
「決まりですわね」
「ああっ」
笑顔を見せる和音に、もう一度、大きく頷くアヒル。
「では早速、行っていただけます?」
「へっ…?」
さらに大きな笑みを浮かべてくる和音に、アヒルが間の抜けた表情で声を漏らす。
「さ、早速って、もしかして今からっ…?」
「ええ。必要なものはすべて、こちらで揃えておきましたので」
「…………」
携帯用の食料や水、懐中電灯に時計まで、ありとあらゆる物の入ったリュックを、どこからともなく人数分取り出してくる和音に、アヒルが思わず固まる。
「何かあったら、こちらで連絡して下さいね」
「は、はぁ…」
携帯電話を手に持ち、笑顔を見せる和音に、引きつった表情で頷くアヒル。
「ですが、夜十一時以降の電話は遠慮して下さいます?」
「へっ?な、なんで?」
「わたくし、眠りを妨げられることが、この世の中で一番、嫌いですの」
「…………」
和音の満面の笑みに、アヒルが呆れを通り越して、少し恐怖すら覚える。
「な、何か俺…お前があの人に頭上がらねぇ理由っ…何となくわかった気がする…」
「だろう…?」
引きつった表情を見せ、小声で呟くアヒルに、篭也も小声で返事をした。
「では、わたくしは韻への報告などもありますので、これで。善戦を期待しておりますわ」
「は、はぁ…」
言いたいことだけ言って、すぐさま立ち上がる和音を、アヒルたちが皆、唖然として見上げる。
「下まで送って下さいます?安の神」
「へっ?あ、ああ」
そんな誘いを断ることが出来るはずもなく、アヒルは和音と共に、和音を送るため、自室を後にした。篭也と囁だけが残った部屋に、二人が階段を降りていく足音が響く。
「で…どう思う…?」
足音が聞こえなくなったところで、タイミングを計るかのように、口を開く囁。
「本当に“一番近いから”って、理由だけなのかしら…?」
「さぁな」
深々と肩を落とした篭也が、短めに答える。
「あの人の考えは、どうにも読めない」
「あら…随分と弱気ねっ…」
「苦手なんだ。昔からな…」
少し遠くを見るような瞳で、窓の外の景色を眺める篭也。
「だが…」
景色を眺める篭也が、ふとその瞳を鋭くする。
「我が神がやると決めた以上、迷うつもりはない」
「フフフっ…そうね…」
はっきりと言い放つ篭也に、囁はどこか楽しげな笑みを浮かべた。
「あっれぇ~?和音ちゃん、もうお帰りぃ~?」
一階へと降り、居間を抜けて店へと出たアヒルと和音に、店頭で商売中であった父が気づき、明るく声を掛ける。
「ええ、お邪魔しましたわ」
「いやいやぁ~!和音ちゃんみたいな美人さんなら、いつでも大歓迎だよぉ~また遊びに来てねぇ~!」
「ええ、是非」
「言葉の姫様とも知らずに…馴れ馴れしい親父だぜっ…」
和音へと気安く話しかけている父に、アヒルが呆れた表情を見せながら、二人には聞こえないように、そっと呟く。父に見送られながら、二人は家を出て、道を歩き始めた。
「篭也は、随分とあなたを信頼しているのですね」
「へっ?」
急な和音の言葉に、アヒルが目を丸くする。
「あなたをよく認めている…」
「そうかぁ?」
そう言われ、大きく首を傾けるアヒル。
「あいつ、いっつもバカにしてくるぜ?玉ネギもぶつけてくるし、絶対、俺のこと、神と思ってなっ…」
「思っていますよ」
「えっ…?」
遮る和音に、アヒルが戸惑うように振り向く。
「あなたを、“神”と呼んでいますもの」
「……っ」
和音が微笑むと、アヒルが少し目を見開く。
「彼は、認めていない人間を、間違っても“神”などとは呼びませんわ」
「篭也のことなら、何でも知ってるって口振りだな」
「……っ」
眉をひそめ、鋭い視線を送るアヒルに、和音は動じることもなく、ただ感情の読めない笑顔を浮かべた。
「知っているわけではありませんわ」
アヒルから視線を逸らし、和音が上空を見上げる。
「ただ、ずっと見てきましたの…彼を…」
「えっ…?」
不意に笑みを優しいものへと変える和音を、アヒルが戸惑うように見る。
「わたくしが見てきた限り、彼は、周りを誰一人信用しておらず、自分すら信じていないように見えました」
「……っ」
和音から聞かされる篭也の事実に、そっと表情を曇らせるアヒル。
「いつもいつも一人きりで、他者との繋がりをすべて拒絶しているようで…」
空を見上げていた和音が、ゆっくりと顔を下ろす。
「ですから、あなた方を見た時は驚きましたわ」
「えっ?」
「篭也がまるで仲間のように、自然に共に居るんですもの」
「……っ」
再びアヒルの方を見て微笑む和音に、アヒルが少し顔をしかめる。
「まるでじゃねぇよ。あいつは俺の仲間だ」
「そうですわね」
どこかムキになるように答えるアヒルに、そっと目を伏せ、余裕ある笑みを浮かべる和音。怒る子供を、冷静に見つめる大人のような笑みであった。
「もうここで結構ですわ」
和音がふと足を止め、少し後ろで立ち止まったアヒルの方を振り返る。
「期待しております。篭也が認めた、あなたの力」
アヒルへと、愛らしい笑みを向ける和音。
「ではまた、安の神」
「あ、ああっ」
あっさりとそう言い放ち、アヒルに背を向けると、和音はそのまま一度も振り返ることなく、アヒルの前を去っていった。アヒルはしばらく立ち止まったまま、見えなくなるまで、和音の背中を見つめていた。
「なぁ~んか、よくわかんねぇお姫様だったなぁ」
「神」
「んあっ?」
頭を掻いていたアヒルが、後方から呼ばれ、振り返る。するとそこには、先程、和音の置いていったリュックを持った、篭也と囁が立っていた。
「とっとと行くぞ。夜になったら、こちらも分が悪い」
「ああ、そうだな」
「私は暗闇の方が得意だけど…?フフっ…」
「やめろ。余計な不安が増える」
怪しげに微笑む囁に、少し表情を引きつって答えるアヒル。
「じゃあ…安団の初陣と行きましょうか…フフっ…」
「油断するなよ、神」
「ああっ!」
二人の言葉に、アヒルは大きく頷いた。




