Word.75 最後ノ戦イへ 〈1〉
永遠の居城、内部。
「よっ」
保と話していたため、皆より遅れていたアヒルが、やっと屋上の入口を通り、城の内部へと侵入する。すでに他の仲間たちは城に入っており、扉のすぐ前にある階段の踊り場で皆、アヒルを待っていた。
「悪りぃ、遅れた」
「転校生くんは…?」
微笑みかけるアヒルに対し、囁が少し眉をひそめ、問いかける。囁のその問いに、アヒルはそっと視線を落とし、またすぐにそれを上げた。
「保は、来ない」
アヒルの言葉に、皆が表情を厳しくし、踊り場が静まり返る。
「大丈夫なのか?」
少し不安げな表情を見せ、篭也がアヒルへと問いかける。相手は、あの浮世現である。皆で束になって戦っても、勝てるかもわからない敵を、保一人に任せることは、誰しも不安であった。だがアヒルは、そんな篭也へと、笑みを向ける。
「大丈夫だ」
迷いのない笑みと言葉を、篭也へと向けるアヒル。
「俺は、保を信じる」
まっすぐに通るその言葉に、険しかった皆の表情が、ほんの少しだけ緩む。
「ならば、僕はあなたのその言葉を信じる」
いつものように、忠義に溢れた返事をする篭也。
「そして、僕等の仲間の力も」
付け加えられた篭也の言葉に、驚いたように、アヒルが目を丸くする。篭也がアヒルを信じるといった発言をするのはいつものことであったが、保を仲間と呼び、そして、信じると言ったのは、これが初めてであった。驚いていたアヒルだが、すぐに、笑みを零す。
「ああ」
笑って頷くアヒルにつられるように、笑みを浮かべる囁と七架。城内部へと侵入し、張り詰めていた緊張感は、そこで少し和らいだ。
「少しの時間も無駄に出来ない」
和らいだ空気を再び引き締めるように、恵がアヒルたちへと、鋭く声を掛ける。
「外では皆、戦っている。急ぐぞ」
「ああ」
恵の言葉にアヒルがしっかりと頷くと、アヒルたちは、城の奥へと進むべく、目の前の階段を駆け降りていった。
永遠の居城、正面部。
「おっしゃあ!“築け”!」
気合い十分に金八が言葉を発すると、周囲から四方に水壁が突き上がり、以団と戦闘中の黒い影の軍団の大部分を、一気に取り囲む。すると素早く、シャコが金八の前へと飛び出し、言玉を持った右手を突き出した。
「“沈め”…」
金八の築いた水壁の中で、シャコがさらに水を浸透させ、黒い影たちをあっという間に呑み込んでいく。
「“千切れろ”!」
「やれやれやっちゃえ、“仁王”!」
チラシとニギリも、それぞれの言葉を使い、影達と応戦する。
「い…」
皆の後方から、イクラがゆっくりと、自身の文字を口にする。
「“祈れ”」
美しい女性の水像が、被さるように倒れ込み、攻め立てる影達を呑み込んだ。
永遠の居城、正面左方向部。
「行きますわよ、徹子」
「ええ、誠子お姉さま」
同じ顔で頷き合った、白と黒、色違いのドレスを纏った誠子と徹子の双子が、それぞれ、左手と右手に、自身の緑色の言玉を吸収させる。誠子の右手が、徹子の左手が、強い緑色の光を発する。
「“正拳”!」
「“鉄拳”!」
二人は息の合った動きで、輝く拳を繰り出し、迫り来る黒い影を粉砕した。
「“粘れ”…」
着物姿の少女、音音は、粘着力のある緑色の光を地面に張り巡らし、向かってくる影達の動きを、人知れず止めている。
「“蹴散らせ”!」
音音の止めた影達の中央へと飛び込んでいき、短くなった髪を飛ばして、影を倒していく慧。
「“抉れ”!」
エリザが輝く右足を振り切り、他の者たちとは比べものにならないほど多くの影を、一気に掻き消していく。影の猛攻が落ち着くと、エリザが顔を上げ、居城を見つめる。
「アヒル…」
エリザは、どこか不安げに眉をひそめた。
永遠の居城、正面右方向部。
「変格、“蒼穹”!」
「変格、“紺碧”!」
黒い影の一団と交戦を続ける於団を主とする音士たちから、紺平と空音が飛び出していき、それぞれ、自身の変格の言葉を発する。二人の言玉から放たれた白い光が、それぞれ空と地面を覆い、真っ白な空間を作りあげる。
「“注げ”!」
「“凍れ”!」
白い空から水滴のような光が降り注ぎ、白い地面から鋭い氷が突き上げて、向かって来ていた影たちを一気に掻き消していく。
「“向かえ”!」
「“満ちれ”」
「“舞え”!」
和音の命により、於団の救援にやって来た六騎、雅、守の三人も、それぞれの言葉を使い、影を次々と倒していく。
「皆サン、頑張ッテ下サァ~イ!」
「だっから、お前は何の為に来たんだよ!」
皆の後方で、ひたすら声援を送っているライアンに、守が思わず怒鳴り声をあげる。
「神!」
「檻也くん!」
紺平と空音に呼びかけられ、檻也が言玉を持った右手を突き上げる。
「“落ちろ”」
檻也の言葉により、豪雨のように、白い光の粒が、辺り一面に降り注いだ。
永遠の居城、前面空中。
「弓象、“行け”!」
「パオォォン!」
黄金の象に乗った弓が、その象を勢いよく前進させ、取りつく影達を一気に振り切る。
「“抑圧”」
圧縮させた光で、黒い影を次々と押し潰していく鎧。
「“焼き払え”!」
二人のさらに上方で、刃が勢いよく大剣を振り下ろした。
永遠の居城、終獣付近。
「グアアアア!」
激しくおたけびをあげ、終獣が大きな口から、金色の光玉をいくつも放つ。
「“抜けろ”!」
塗壁が言葉を口にすると、塗壁の言玉、ゴリ男が、次々と光玉を蹴散らし、終獣へと向かっていっていたスズメ、ツバメ、熊子の道を開く。塗壁により攻撃を防いだ三人が、それぞれの言玉の変化した動物を、終獣へと向ける。
「“朽ちろ”」
「“進め”!」
「“貫け”…」
おクマ、チュン吉、スワ郎の三匹が、三人の言葉に乗り、終獣へと立ち向かった。
永遠の居城、屋上。
「ホホホ…“吠えろ”…」
「ヘヘヘ!“減らせ”ぇぇ!」
現の生み出した新たな生物を、保の代わりに相手することになったハ行の音士、蛍と兵吾が、それぞれの言葉を使い、相手を圧倒する。
「ヒヒ、“翻せ”」
素早く言葉を落とし、勢いよく突進してくる黒い影から、身をかわすヒロト。
「ウフフ!“踏み潰し”ちゃえ~私のトラトラ子!」
楽しげに微笑みながら、鋭く言葉を発し、不二子が金色のトラを、黒い影へと向かわせる。トラの鋭い爪が影へと突き刺さり、影が激しい悲鳴をあげる。
「さすがよぉ、私の可愛いトラトラ子」
見事な攻撃を決めたトラを誉めながら、不二子が視線を移し、屋上の真上を見つめる。
「灰示様…」
自信に満ち溢れた不二子の表情が、少しだけ、不安げに曇った。
永遠の居城、屋上のさらに上空。
「光栄に思うがいい。音士の小僧よ」
得意げな笑みを浮かべ、現が正面に立つ保を、鋭く見つめる。
「何せおぬしは、この世でもっとも偉大な神の言葉を受け、散ることが出来るのじゃからなぁ」
現の言葉に、保が目を細め、厳しい表情を、さらに厳しく変える。
「行こうか、灰示」
もう一人の自分に呼びかけ、保は、糸の絡みついた右拳を、強く握り締める。
「“猛ろ”!」
「“奪え”!」
力強い二人の言葉が、同時にその場から飛び出した。
永遠の居城、近くの公園。
「アヒルたちは、無事、城内に侵入することが出来たでしょうか…」
息子の身を案じるように、胸の前で両手を組み、まっすぐに城を見つめる茜。そんな茜のすぐ隣で、ウズラも厳しい表情を見せ、アヒルたちの向かった城を見つめる。
「グアアアア!」
「あ…!」
城を見守る二人のもとへと、飛び出してくる一匹の黒い影。
「あの影が、ここまで…!」
「ク…!」
焦ったように叫ぶ茜を背に押し込みながらも、今は言葉も持たないウズラが、険しい表情を見せる。
「“分かて”」
「ギャアアア!」
『え?』
黒い影がまさにウズラたちへと襲いかかろうとしたその時、二人と黒い影の間に、赤い光の膜のようなものが現れ、その膜に触れた瞬間、黒い影が激しい叫び声をあげ、消えていく。目の前で起こったその光景に、ウズラと茜が、戸惑いの表情を見せる。よく見れば、赤い光の膜が、まるで二人を守るように、二人の周囲を包み込んでいた。
「今の言葉は…」
「和音ちゃん」
誰の言葉かすぐに理解した様子で、ウズラが後方を振り返り、和音を見つめる。和音の右手には、和音の言玉の解放された姿である、真っ赤な手鏡が握られていた。
「あなた方、お二人は、わたくしが言姫の名にかけて、必ずお守りいたします」
和音がまっすぐに二人を見つめ、決意のこもった表情を見せる。
「あなた方は、安の神の“帰ってくる場所”です」
和音のその言葉に、自身の存在の重みを噛み締めるように、ウズラと茜は、真剣な表情を見せた。
永遠の居城、四階部分。桃雪、自室。
「素晴らしい」
真っ白な何もない壁に映し出された、居城付近のいくつもの映像を目にし、桃雪が満足げな笑みを浮かべる。壁には、城の正面や前面、屋上で戦う、五十音士たち、そして、城内部へと侵入したアヒルたちの姿が映し出されている。
「素晴らしいですよ、本当に」
「桃雪様?」
桃雪の言葉に戸惑うように、すぐ前で膝をついている短い赤毛の少女、十稀が、首を傾ける。
「あ、い、う、え、お…」
五十音の最初の五文字を繰り返し、桃雪がアヒルから始まり、イクラ、エリザ、檻也、この場に居る神の姿を次々と確認する。
「かきくけこ、さしすせそ…」
次々と五十音を口にし、その文字を持つ音士の姿を確認していく桃雪。
「わ、ゐ、う、ゑ…」
四十五音までの音士を確認し、最後に、和音、為介、ウズラ、恵の姿を確認し、桃雪がゆっくりと、その視線を上げていく。
「“を”…」
まるでその文字だけは特別であるかのように、桃雪が大事そうに、重たそうに、その文字を口にする。
「今、この場に、五十音、それぞれの文字を持つ音士がすべて、揃いました」
画面から、十稀と、青い長髪の少女、埜亜の方をゆっくりと振り返る桃雪。振り向いた桃雪は、とても楽しげな笑みを浮かべており、その声は、どこか弾んでいるようにも感じられた。
「韻本部であっても、こんなことはありませんでした。未だかつてない、音士の集結…実に素晴らしい」
桃雪がもう一度、強調するように、言葉を発する。
「言葉の終焉には相応しい」
再び映し出された映像へと視線を戻し、桃雪がさらに、口角を吊り上げる。
「城に数名の侵入者が現れたようです。十稀、埜亜、対処を」
『はい』
桃雪の命令に、二人が深々と頭を下げる。
「すべては我が神」
「永遠様の為に」
決まりきったことのように言葉を残して、十稀と埜亜は一瞬にして、部屋から姿を消した。その場に桃雪だけが残り、静かな空間が訪れる。
「さぁ、五十音士、全員で祝おうではありませんか」
桃雪がゆっくりと両手を広げ、また、笑う。
「我々の愛した言葉の終わる、その瞬間を」
永遠の居城、最上階。永遠、自室。
「……聞こえる」
部屋の中央に置かれた、大きな寝台の上に寝転び、深く瞳を閉じていた永遠が、ゆっくりとその瞳を開く。永遠が虚ろな瞳を開くと、前方の、天井に設置された鏡には、寝むたそうな自身の姿が映った。
「聞こえる…たくさんの、言葉…」
ゆっくりとした口調で、永遠が言葉を呟く。城の外で飛び交う、いくつもの五十音士たちの言葉が、耳に届いたのだろうか。寝台の上に転がせていた右手を、そっと耳に当てる。
「さぁ、終わりにしよう…」
永遠が左手を支えに、寝台の上で、ゆっくりと起き上がる。
「一つ、残らず…」
冷たい微笑みが、言葉と共に、静かに部屋の中へと落ちた。




