Word.74 音士、集結 〈4〉
「戦うって保、お前…」
「勝手なことを言っているのは、わかっています。でも」
戸惑いの表情を向けるアヒルに対し、保はさらに真剣に、言葉を続ける。
「俺が、俺たちが、倒さなきゃならないんです」
複数になった保のその言葉が、何を意味しているのかを容易に理解し、アヒルがそっと眉をひそめる。
「決めたのか?」
「はい」
素直に頷く保を見ると、アヒルの眉間に寄っていた皺が消える。
「そうか…」
しみじみと頷いたアヒルが、穏やかな笑みを浮かべる。アヒルの笑みを見てか、保も強張っていた表情を崩し、そっと笑みを浮かべた。
「こんな、情けなさが服着て歩いてるような俺が、偉そうなこと、言っちゃってすみません」
「本当にな」
「はぁ!やっぱり、そう思ってたんですかぁ!?すみませぇ~ん!」
いつもとは違い、落ち着いた様子で謝る保であったが、あっさりと頷いたアヒルを見ると、焦った様子で謝り散らす。やっといつもの様子の戻った保を見て、アヒルは可笑しそうに笑う。
「ハハハ!やっぱ保は、こうでねぇとな」
「アヒルさん」
そう言って笑うアヒルを見て、保も焦りの表情を消し、そっと微笑んだ。
「俺の勝手を、許してもらえますか?」
もう一度、真剣な表情を作り、保が改めて、アヒルへと問う。その眼差しに応えるように、アヒルも真剣な表情を見せる。
「俺は、お前の神だ」
「わかっています」
アヒルの言葉に、保がすぐさま頷く。
「神の命は絶対。音士として、安団の一人として、どんなに勝手なことを言っているかは、理解しています。けれど…」
「そうじゃない」
「え?」
すぐに否定するアヒルに、戸惑うように首を傾げる保。
「神の役目は、命令を押しつけることじゃない。その勝手を、お前の意志を許すのが、お前の神である俺の役目だ」
アヒルが迷いなく、まっすぐに、保を見つめる。
「だから行って来い、保」
力強い言葉が、保へと向けられる。その言葉に、保は一瞬驚きの表情を見せた後、すぐに、心から嬉しそうな笑顔で笑った。
「はい!我が神!」
保の大きな返事を聞き、アヒルが満足げに笑う。
「何してる!?急げ!」
「神」
そこへ、すでに城内へと入った恵と篭也から、アヒルを呼ぶ声が飛ぶと、アヒルはまたすぐに笑みを止め、厳しい表情を見せた。スズメやツバメが必死に、終獣を抑えていてくれているのだ。今、ここで、アヒルが止まってしまうわけにはいかない。
「行って下さい、アヒルさん」
「ああ」
促す保に、アヒルがしっかりと頷く。
「保」
城内へと足を踏み出すその前に、アヒルがもう一度、保の名を呼ぶ。
「死ぬなよ。お前も灰示も、絶対」
「……はい」
命令というよりは、願うようなアヒルのその言葉。その言葉に、少しの間を置いた後、保はしっかりと頷いた。保の頷きを確認すると、アヒルが保へと背を向け、城内へと駆け出していく。
「アヒルさん!」
アヒルが城へと足を踏み入れたところで、保が大きく名を呼ぶ。屋上の出入口の扉が閉じていこうとする中、アヒルが後方を振り返り、保へと視線を向ける。
「“また明日”!」
まるで学校の放課後のように、いつもと同じように、保がそう言って、笑う。その言葉に、アヒルは少し驚いた顔を見せたが、すぐに、思いきり笑顔で言った。
「“また明日”!」
アヒルの大きな笑顔とその言葉を最後に、屋上の扉が、完全に閉じる。アヒルたちの姿が見えなくなると、保は笑みを止め、鋭い表情を見せて、制服のポケットから、自身の赤い言玉を取り出した。
「五十音、第十六音…」
保が右手で、強く言玉を握り締める。
「“た”、解放!」
保の力強い声と共に、言玉がその姿を変えていく。無数に枝分かれした赤い糸が、広げられた保の両手に、しっかりと巻きついていく。
「“高くなれ”!」
言葉と同時に、強く糸を地面へと打ちつけ、その反動を利用するようにして、空へと舞い上がっていく保。保が上がっていくその上空には、現が、まるで保を待つように浮かんでいる。
「何じゃ」
保が現と同じ高さまでやって来ると、現はどこかつまらなさそうに、肩を落とした。
「誰かと思えば、いつぞやの音士の小僧ではないか」
冷たいその瞳が、保の姿を捉える。
「わしの失敗作は、元気か?ん?」
そう問いかけ、小馬鹿にしたようないやらしい笑みを、保へと向ける現。挑発とはわかっていても、保は表情を歪めずにはいられなかった。
「あの黒い影たちは、あなたが?」
「ん?ああ。わしの四字熟語、“有象無象”で生み出したものたちじゃよ」
問いかける保に、現は特に迷うことなく、すらすらと答えた。
「じゃが、さすがは“つまらないもの”じゃのぉ。あれほどの数、生み出してやっても、お前さんらを止められんとは…」
現が呆れ果てた様子で、深々と肩を落とす。
「これでまた、あの毛守に嫌味を言われるわい。まったく、使えん奴等ばかり」
俯いていた現が、再び顔を上げる。
「わしの作品はどうも、失敗作が多い」
困ったように言う現であるが、その表情は、保をからかうように、試すように、いやらしく微笑んでいる。その現の笑みを見て、保は強く、眉間に皺を寄せた。
「あなたにとって、命は軽すぎる」
保が険しい表情で、現を見つめる。
「命は、あなたの玩具じゃない。命は、あなたが、あなたのその単純な言葉で、次々と生み出していいものじゃない」
「単純な言葉?」
保のその言葉に、現が眉尻を引きつる。
「神を相手に、失礼な発言をするもんじゃのぉ」
「あなたはもう、尊き神ではありません」
突き刺すような、鋭い視線を向ける現にも負けず、保がはっきりと言い放つ。
「だから、今日、ここで終わらせます」
保が鋭い表情を見せ、糸の巻きついた両手を、構えるように左右に広げる。
「あなたの言葉も、意味なく生み出され続けた命も、すべて!」
強く声を張り上げ、保が堂々と宣言するように、言葉を発する。
「……愚かな口を」
保のその発言が気に喰わなかったのか、表情を歪ませ、吐き捨てるように言葉を落とす現。
「良かろう。世界のすべての言葉を止める前に、その口、塞いでやるわ」
そう言って、現が右手の杖を振り上げる。保は警戒を強め、どんな攻撃にも対応できるよう身構え、ごくりと息を呑んだ。杖を振り上げた現が、大きく口を開く。
「“生まれろ”!」
現の口から放たれる、何度も口にされてきた、その言葉。言葉と共に、現の杖の先端についている金色の言玉から光が放たれると、保の周囲、四方向に、金色の光から噴き上がるように、黒い影の塊が形成されていく。
「こ、これは…!」
周囲に生まれ始める黒い影を見回し、険しい表情を見せる保。その影は、先程、城から湧き出てきたものたちよりも一回りほど大きく、形もより、人間に近い。顔と思われる部分に、目を思わせる、赤い二つの輝き。生まれ出る影に、保はまた眉間に皺を寄せ、睨みつけるように現を見た。
「あなたは…!」
「フハハハ!お主など、わしがわざわざ、相手してやるまでもないわ!」
高らかと笑い声を響かせ、現がさらに上空へと舞い上がっていく。現は初めから、保とまともにやり合う気などなかったのだ。それを知り、保が悔しげに、唇を噛み締める。
『グワアアア!』
「ク…!」
迫り来る四体の影に、戦わないわけにもいかず、保は険しい表情を見せながら、糸の巻きついた両手を振り上げようとした。
「“凹め”ぇぇ!」
「え?」
その時、保へ向かって来ようとしていた黒い影の一体が、何かに吹き飛ばされ、勢いよく屋上の地面へと叩き落される。保が振り上げようとした手を止め、目を丸くし、戸惑いの声を漏らす。
「“浸せ”」
「“葬れ”…」
「“踏みつぶし”ちゃえ!私のトラトラ子!」
保が戸惑ったままの中、新たな言葉が響き、保の周りにいた黒い影が、噴き上げた水に、強い白光に、咆える金色の虎に圧倒され、屋上へと落ちていく。
「な、何じゃ…?」
その光景に、現も思わず、焦りを見せる。
「ヘヘヘ!大人しく、自分で戦えってことじゃん!ジイさん!」
「何?」
下方から響く声に、現がすぐさま視線を落とす。
「あんたの“生み出し”芸当は、もう飽きたってこと。ヒヒっ」
「同じような黒い影ばっかり…見飽きるよね、ホホホ…」
「ホントぉ。私のトラトラ子みたいに、もう少し個性あるもの、生み出せないのって感じぃ?ウフフ」
「あ…!」
屋上の上に見えるその人影たちに、保が驚いた様子で、大きく目を見開く。
「あなたたちは…!」
「久し振りじゃん?灰示様の相方」
「相方じゃない。灰示様があの者を、媒体としているだけだよ」
「不二子の灰示様は、元気でしょうねぇ?」
そこに現れたのは、かつて灰示と共にアヒルたちに敵対した、五十音士ハ行の四人、比守のヒロト、不守の不二子、部守の兵吾、保守の蛍の四人であった。
「あなたたちがどうして、ここに…」
保が屋上へと下降していきながら、集まった四人へと問いかける。
「言姫に召集されたんじゃん」
「処罰を食らった言姫に、大人しく協力するのも癪だから、とりあえず近くで待機してたんだけどね」
ヒロトが兵吾の言葉を補いながら、皆の代表となって、保へと言葉を向け、現へと視線を送る。
「灰示様があの男を倒すためになら、協力してもいいかと思ってさ」
現を鋭く睨みつけた後、ヒロトが得意げな笑みを、保へと向ける。そのヒロトの視線を受け、保は嬉しそうに笑みを零した。
『グアアアア…』
先程、四人が屋上の地面へと叩き落とした黒い影が、ゆっくりと立ち上がり、またしても、保やヒロトたちの方へと迫って来る。それを見て、ヒロトは鋭く目を細めた。
「ここは、僕らが任されてあげるから、君は上へ」
ヒロトの言葉に、迷うことなく、しっかりと頷く保。
「ありがとうございます、皆さん」
「べっつに、あんたのためにやってるんじゃないわぁ。不二子の愛する灰示様のために、やってるだけ」
「はい。だから、ありがとうございます」
悪態づいた不二子であったが、灰示のために集まった皆を、自分のことのように喜ぶ保に、毒気も抜けるような気持ちとなり、不二子は呆れた様子で肩を落とした。
「灰示様の邪魔すんじゃないわよ」
「はい!」
不二子の言葉にしっかりと頷くと、保が飛び上がり、上空に浮かんだままの現の前へと、再び立つ。
「よくもまぁ、次々と音士が集まるもんじゃのぉ」
感心するように言いながらも、現の表情は険しい。
「また生み出しますか?」
そんな現へ、保は鋭い視線を向ける。
「消えゆくだけの、意味なき命を」
静かな口調ではあるが、確かに現を責める、保の言葉。
「あそこまで言われては、さすがのわしでも怒りを覚えるんでなぁ」
自分のことを客観的に語りながら、現がゆっくりと右手を動かし、杖を握り直す。掲げる様子はなく、またしても何かを生み出そうとする動きではなかった。
「光栄に思うがいい」
短く言葉を落とし、現が不敵に笑う。
「わしが直々に、相手してやる」
そう言い放った現と相対し、保も真剣な表情で、構えを取った。




