Word.74 音士、集結 〈1〉
言ノ葉町、北東部。永遠の居城、屋上。
「ふむ」
自らの言葉で生まれた、黒い影の塊たちが、飛び出していく光景を眺め、現が満足げに頷く。現は掲げていた杖を下ろすと、再び、その杖の先を、屋上の床へと付けた。
「良い眺めですね」
「ん?」
声が聞こえ、現が振り返ると、屋上の入口から、桃雪が姿を現した。桃雪も先程までの現と同じように、飛び出していった黒い影たちを見つめ、不敵な笑みを浮かべている。
「今度は一体、何を生み出したんです?」
「いや、何」
桃雪の問いに、短く言葉を落としながら、現が口元を歪める。
「“つまらないもの”じゃよ」
永遠の居城、程近くの公園。
「んで?」
茜と共に現れ、茜に代わり、この場の指揮を取ることとなった和音に、恵が腕を組んだまま、相変わらず、鋭い視線を向ける。
「あの城に侵入するったって、具体的にはどうするんだ?」
アヒルたち安団へと、居城に潜入し、永遠を倒すよう指示した和音に対し、恵が素朴な疑問をぶつける。
「侵入口は、正面の扉一つ。いくら、他の神連中が、あの黒いのを抑えてるとはいえ、あいつらが戦ってる正面方向を通らなきゃ、城には行けねぇぞ」
「侵入口はもう一つ、あります」
「何?」
間を置くことなく、すぐさま答える和音に、恵が眉をひそめる。
「もう一つって?」
恵に代わり、アヒルが問いかけると、和音はすぐに真剣な表情を作り、ゆっくりと城の方を振り向いて、右手を向けた。
「屋上です」
『なっ…!?』
巨大な金色の獣の陣取った、城の屋上を指差す和音に、恵や篭也たちが皆、驚きの表情を見せる。
「屋上!?」
「あの獣のとこに、わざわざ、こっちから飛び込んで行くってのか!?」
「あの獣こそ、人々の言葉を止めているもの、そのものです」
批判的に問いかける恵たちに対し、和音は冷静な口調のまま、言葉を続ける。
「あれを倒さねば、このままどんどんと、人々の言葉は止められていってしまう」
はっきりと事実を告げる和音に、皆が思わず、口ごもる。すべての人々の言葉を守るためには、あの巨大な獣とも、戦わないわけにはいかないのだ。
「それに、正面全体を攻められている、この状況であれば、屋上は逆に、守備が手薄なはずです」
「それは、そうかも知れないが…」
和音の言葉に納得はしながらも、険しい表情で屋上を見つめる篭也。
「守備が手薄かどうか以前に、そもそもまず、どうやって屋上まで行くのかが問題じゃない…?」
「確かに」
鋭く問いかける囁の横で、七架も大きく頷き、手を叩く。
「アヒるんのガァスケに乗っていくとしても…乗れるのは精々、三、四人よ…?」
「そこで、俺らの出番ってわけだなぁ!」
「え?」
横から入って来る威勢のいい声に、アヒルたちが皆、同時に振り向く。
「俺ら、“宇団”の!」
「スー兄、ツー兄!」
公園へと姿を現したのは、スズメとツバメ、それに熊子、塗壁の、宇団の面々であった。皆よりも一歩前に出たスズメが、得意げな笑顔で胸を張っている。
「それに、親父も」
四人の後方からやって来たウズラが、こちらへと視線を送るアヒルを見て、小さく頷き、穏やかな笑みを零す。その表情はいつになく真剣で、いつものような明るい笑顔で、アヒルに抱きつくこともしようとはしなかった。
「宇の神」
「ごめんね、和音ちゃん。少し遅れちゃったかな」
「いえ、問題ありません」
ウズラに笑顔を向けると、和音が再びアヒルたちの方を見て、鋭い表情を作る。
「安団、宇団の皆さん、及び恵の神、為の神には、朝比奈スズメ、ツバメ、アヒル、三名の言玉、チュン吉、スワ郎、ガァスケに乗って、城の屋上から、城内部へと侵入していただきます」
和音の言葉に、アヒルたちの表情が、厳しく引き締まる。
「それ以外の皆さんは、於団の加勢にあたって下さい」
「何ぃぃぃ!?」
冷静な和音の指示に、初めて反発の声をあげたのは、リーゼント男のアニキこと、守であった。
「この俺が、侵入組に入らないったぁ、どういうことだぁ!?言姫様ぁぁ!」
「うっせぇなぁ。忙しいんだから、ごちゃごちゃ騒ぐなよ」
「うるっしゃーい!俺にとっては、大問題なんだ!お前は引っこんでろ、朝比奈!」
煩わしそうに言い放つアヒルにも強く言い返して、守がまたまっすぐに、和音へと視線を送る。
「末守さんが何故、侵入組に入らないか…それは」
和音はいたって落ち着いた様子で、守の問いかけを口にする。答えを待つ守は、次の言葉を待ちきれない様子で、大きく唾を飲み込んだ。
「侵入組にするには、戦力的に不十分だからです」
「ぐっはぁぁ、はっきり言ったぁ!」
和音の歯に衣着せぬ発言に、左胸を押さえて、ショックを受ける守。
「大人シク指示ニ従ウデェ~ス、リーゼントマン」
「ほらほら、固まってないで、とっとと行くよぉ」
その場から動こうとしない守を無理やり引っ張るようにして、於団の加勢に向かうべく、歩き出していくライアンと六騎。
「六騎!」
去って行こうとする弟を、七架が思わず呼び止めると、六騎は守を引いたまま、その場で立ち止まり、七架の方を振り返った。不安げに見つめる姉に、六騎が笑顔を向ける。
「俺も頑張るから、お姉ちゃんも頑張って!」
不安げな表情など見せず、満面の笑みで言い放つ六騎に、七架ははじめ、少し驚いた表情を見せたが、それからすぐに、六騎と同じように、大きな笑顔を作った。
「うん!」
はっきりと答える七架を見て、六騎が嬉しそうに笑う。
「じゃあ行ってくるね!」
「気を付けて行って来いよー、クソガキ!」
「六騎くんをよろしくね…リーゼントくん、外人くん」
「任セトクデェース!」
「俺、頑張るよ!囁ちゃん!」
大きく手を振る皆に見送られ、六騎、守、ライアンの三人が、檻也たちの居る正面右方向へと、駆けだして行く。
「雅クン、君も行ってあげて」
為介が振り向き、雅へと告げると、雅は少し、眉間に皺を寄せた。一度、開こうとした口を閉じると、雅は何かを振り払うように、そっと首を横に振り、まっすぐに為介を見た。
「仰せのままに、我が神」
神の指示に従い、為介の横から前へと出て、雅も三人の駆けて行った方へと歩いていく。
「頑張って下さい、朝比奈君」
「雅さんも、皆を頼むな」
笑顔を見せた雅が、アヒルと短く言葉を交わす。雅は、アヒルたち安団の横を通り過ぎると、今度は、先程現れたスズメとツバメの方へと歩を向けた。
「気を付けてね、雅くん…」
「ツバメ君も」
雅とツバメが、しっかりと握手を交わす。
「全部、とっとと終わらせて、また明日、学校でな」
「はい」
続けて握手を交わしたスズメの言葉に、雅が笑顔で、大きく頷く。
「“また明日”」
強く誓うように、その言葉を口にすると、雅はスズメから手を離し、皆に背を向けて、守たちの去った後を、駆けて行った。雅の姿が見えなくなるまでの間、アヒルたちは皆、黙ったままで、その背を見送った。
「では、皆さんもそろそろ」
「ああ」
和音の言葉に、一早く頷くスズメ。
「ツバメは熊子と塗壁を乗せてくれ。恵ちゃんと為介、それに保は俺んとこ、後はアヒルんとこだ」
スズメが侵入組の面々を見回し、素早く割り振りを決める。
「はぁ!俺一人だけ、安団からあぶれるのは、俺がウザイからですねぇ!すみませぇ~ん!」
「図体デカイから、分けただけだっての」
何故か謝り散らしている保に、スズメが呆れた視線を送る。
「あれ?親父は?」
スズメの振り分けた面々の中に、父の名がないことに気付き、アヒルが戸惑った様子で、ウズラの方を見る。
「言玉も持ってないのに、一緒に行っても、足手まといだからね」
そう言って、どこか悲しげに笑ってみせる父に、アヒルは何も言うことが出来ず、ただそっと目を細めた。ウズラが何の力にもなれないことを、悔やんでいる様子は、その表情一つで、十分に伝わってきたからだ。
「宇団」
ウズラがスズメたち、宇団の方を見る。
「君たちの役目は、あくまで安団のサポートだ。安団が城に辿り着けるよう、全力を尽くすんだよ。いいね?」
『はい、我が神』
神の言葉に、宇団の四人が一斉に頷く。
「では、お願いいたします。安の神」
「ああ」
和音の言葉に頷いたアヒルが、制服のポケットから、金色の言玉を取り出す。
「第三音“う”、解放!」
「クワアアア!」
アヒルの言葉と共に、言玉から大きく姿を変えて目醒める、見るも美しい、金色の巨鳥。
「第十三音“す”、解放!」
「第十八音“つ”、解放…」
アヒルに続くようにして、スズメとツバメもそれぞれの言玉を目醒めさせる。並んだ三羽の巨鳥に、侵入組の面々は、先程のスズメの振り分けに従って、素早く乗り込んでいく。
「恵ちゃん」
スズメのチュン吉に乗り込もうとした恵を、寸前のところで呼び止めたのは、ウズラであった。その声に、恵がゆっくりと振り返る。
「自分を追い込むような戦いは、しちゃダメだよ」
ウズラのその言葉を受け、恵がそっと目を細める。だがすぐに、恵は厳しい表情を作り、鋭い視線をウズラへと向けた。
「悪いが、その言葉には頷けない」
はっきりと告げられる、恵の答え。
「行ってくる」
ウズラの返答を待たずに、恵は再びウズラへと背を向け、チュン吉の巨体へと足を掛けた。
「ほら」
すでにチュン吉の上に乗り込んでいるスズメが、登ってくる恵へと、手を差し伸べる。だが、恵はその手を取ろうとはせずに、自分の力だけで登りきり、チュン吉の背に乗る。
「ちぇ、釣れねぇの」
そんな恵の素っ気ない態度に、スズメは少し口を尖らせた。チュン吉とスワ郎には全員が乗り終わり、後はガァスケ、アヒルと篭也が乗り込むだけとなった。
「篭也…」
今まで鋭い表情で、皆へと指示を送り続けてきた和音が、どこか不安げな表情となって、ガァスケに乗り込みに行く篭也を見送る。
「今日、この場で、皆と共に戦ったからといって、あなたのやったことが、許されるわけじゃない」
「わかっています」
鋭く言い放つ篭也に、和音はすぐさま、素直に認めるように頷く。
「何の関係もない人々の言葉を巻き込んでしまった罪は、これから、長い時間をかけて、償っていくつもりです」
「そうか」
和音の言葉に答えながら、少し体の向きを変え、和音から顔が見えないように、角度を変える篭也。
「なら、その長い時間を共に生きるためにも、勝たないとな」
「え…?」
思いがけない篭也の言葉に、俯きがちだった和音が、目を丸くし、顔を上げる。
「篭…」
「行ってくる」
和音が言葉を口にする前に、どこか慌てて言葉をかぶせ、篭也がガァスケの上へと乗り込んでいく。そんな篭也の後ろ姿を見上げ、和音は泣き出しそうな、だが嬉しそうな、笑みを浮かべた。
「お気を付けて、篭也…」
和音が祈るように、言葉を落とす。
「赤いわよ…?顔」
「うるさい」
一方、ガァスケに乗り込んだ篭也は、からかうような笑みを浮かべる囁に、冷たく言葉を突き返した。篭也も乗り込み、残るはアヒルだけとなり、アヒルの前には、ウズラと茜、アヒルの両親が並んだ。
「じゃあ」
「うん」
切り出すように言葉を放ったアヒルに、ウズラがそっと頷く。
「気を付けて下さいね、アヒル」
アヒルの右手を両手で握り締め、茜が笑顔を向ける。茜は必死に笑顔を作っていたが、不安げで、出来ることなら引き止めたいという思いが、その表情から伝わってくるようであった。そんな母の思いを察するように、アヒルは少し目を細める。
「ああ、絶対帰ってくるよ」
茜を安心させるように、アヒルが大きく笑顔を向ける。
「“明日”と一緒に」
「ええ」
アヒルの決意のこもったその言葉に、茜は目を潤ませながらも、しっかりと頷く。
「いってらっしゃい、アーくん」
「ああ」
いつも通りの言葉で送りだすウズラに、アヒルが笑顔を向ける。
「行ってくる!」
元気いっぱいに、明るい声を張り上げると、アヒルは両親に背を向け、すでに仲間たちの乗り込んでいるガァスケの上へと飛び乗った。
「よっしゃ、行こう!ガァスケ!」
「クワアアア!」
飛び乗ったアヒルが言葉を発すると、巨鳥はその言葉に答え、空いっぱいに金色の美しい羽根を広げて、遥か上空へと舞い上がっていく。ガァスケに続くようにしてチュン吉、スワ郎も舞い上がり、空の上で並んだ三羽が、物凄い速度で、金獣の待つ屋上へと、飛び出していった。
『…………』
徐々に小さくなっていく巨鳥を、黙りこんだまま、見つめ続けるウズラと茜。
「恨んで、いるんでしょうね…」
「え?」
突然の茜の言葉に、ウズラが戸惑うように横を振り向く。
「ろくに育てもしなかったのに、母親面して、あの子にすべてを背負わせて…」
「そんなこと」
自分を責めるような茜の発言に、ウズラが困ったように笑みを浮かべる。
「恨んでいるのは、茜ちゃんでしょう…?」
茜の方は見ず、空を見つめたまま、ウズラが逆に問いかける。
「勝手に自分の文字を押しつけて、挙句、何も出来ないまま、カーくんを死なせた…」
「それは…」
返す言葉を見つけられず、茜がただ悲しげに、視線を落とす。
「悔いたことを話したら、切りがないよ」
ウズラが少し肩を落とし、口元を緩ませる。
「だから今は、ただ」
もう小さな影でしか見えない、金色の鳥たちを見つめ、ウズラがそっと目を細める。
「“明日”を祈ろう」




