Word.73 決戦ヘ 〈4〉
「あ、あれは…!」
大きく目を見開いた恵が、思わずその場から身を乗り出す。
『忌…!?』
アヒルたちや韻の従者、皆が声を揃える。城の屋上から、眩いばかりの金色の光が放たれたかと思うと、次の瞬間、城の周りから、溢れんばかりの、黒い影の塊が、次々と生み出され、どんどんと城の周りの空を埋め尽くしていく。その禍々しい光景に、思わず表情を引きつる皆。
「馬鹿な…!」
険しい表情を見せた篭也が、荒げた声を発する。
「今は、この町全員の言葉が止められているんだぞ!?この状況で、“痛み”が生まれるはずもないのに、何故、あんなにも忌が…!」
「浮世、現」
すぐ隣に立つ保が出した名に、篭也が言葉を止め、眉間に皺を寄せる。
「浮世現…あの男がまた、新たな生物を生み出したということか…」
「…………」
篭也が吐き捨てるように言葉を落とす中、城から溢れるように、次々と生み出されていく、忌によく似た生物を見つめ、保がそっと目を細める。
「その先も考えずに、あんなにも容易く、多くの命を生み出すなんて…」
保の声が、嘆くように、悲しげに響く。
「謎の生物の一団、まっすぐにこちらへと、向かってきております!恵の神!」
「チ…!」
従者からの焦った報告に、恵が思わず舌を打つ。
「攻め込む前に、退避することになるとはな」
恵が悔しげに、唇を噛み締め、手を振り上げ、顔を上げる。
「全員、この場から退…!」
「退避する必要はありません」
「何?」
「え…?」
恵の指示を遮り、凛と響くその声に、恵は眉をひそめ、篭也は大きく目を見開いた。その声は、聞き間違うことなどないほどに、篭也には聞き覚えがあり、篭也にとって、大切な者の声であった。皆が素早く、その声の聞こえてきた方を振り向く中、篭也は一人ゆっくりと、恐る恐る振り返る。
「わ、和音…」
「…………」
広場へと現れたのは、いつものように艶やかな着物を纏い、桃雪たちに裏切られた頃の、弱々しい表情ではなく、言姫として、毅然とした態度を見せていた頃の、あの和音であった。
「言姫さん?」
「何故」
アヒルが首を傾げる中、篭也がすぐに、疑問の言葉を和音へと向ける。
「何故、あなたがここに居る?和音」
どんな事情があれ、神を傷つけ、神から言玉を奪い、最後の神“永遠”の復活を目論んだ和音は、罰を受けて然るべき。和音もそれを認め、自ら、茜に裁きを申し出たのである。だからこそ、今は韻の収容施設内に居るはずで、この場に立っていられるはずなどなかった。
「私が、彼女に頼んだんですよ」
「母さん」
篭也の問いに答えながら、和音のすぐ横へと現れたのは、アヒルの母、茜であった。
「この最後の戦場で、私の代わりに、皆の指揮を取ってほしいと」
「指揮、だと?」
「ええ」
聞き返した、訝しげな表情の篭也に、茜がそっと笑みを向ける。
「彼女が一番、今の五十音士たちの能力に詳しく、また、最良の戦略を導き出せる、有能な方だと思ったからです」
「それは…」
すぐに口を開いた篭也であったが、続く言葉は出て来なかった。確かに茜の言う通り、和音は有能であり、また、自身の願いを叶えるために日々、音士全員の観察を怠らなかったため、音士の能力も十分に把握しているだろう。ずっと謡として身を隠していた茜より、適任なのは、明らかであった。
「それは確かに、その通りね」
言葉を詰まらせた篭也に代わるように、囁がそっと微笑む。
「わたくしが指揮を取っても、構いませんか?安の神」
「へ?」
和音に急に問われ、アヒルが目を丸くする。兄を、そして自身を、願いを叶えるために、和音に利用された。疑念の気持ちを持ってもおかしくないところだが、和音の真剣な表情を見て、アヒルはすぐに笑みを浮かべた。
「ああ、心強ぇよ」
「……ありがとうございます」
笑顔を見せるアヒルに、和音は心から感謝するように、深々と頭を下げた。
「構いませんか?恵の神」
顔を上げた和音が、今度は恵の方を見て、同じように問いかける。恵は固く腕を組んだまま、鋭い瞳を、和音へと向けたが、すぐに視線を逸らす。
「この戦いの大将は、こいつだ。こいつが“イイ”っつった時点で、私に反対する理由はねぇ」
「……っ」
認めたような、認め切れていないような、曖昧な言葉を返す恵。だが、その言葉が、恵の心の中、そのもののようにも思えた。和音もそれを察してか、それ以上問いかけることはなく、ただそっと、視線を下へと下ろした。
「んで、退避する必要がないってのは、どういうことだ?」
「ああ」
話の流れを思い出し、頷いた和音が顔を上げ、こんな緊迫した状況であるというのに、そっと笑みを浮かべる。
「あの謎の生物の一団は、ここへはやって来ません」
「何?」
はっきりと言い切る和音に、恵が眉をひそめる。
「彼等がそう簡単に、我々を城へ近付けはしないであろうと予想し、何か仕掛けてくると踏んで、城の正面三方向に、戦力を準備させていただきました」
「戦力って?」
問いかけるアヒルに、和音が自信を持って、大きく微笑む。
「あなたと同じ、言葉の神々ですよ」
永遠の居城、正面方向部。言ノ葉湖、付近。
「うっひょ~、来る来る!」
城から次々と生まれ、空を待って、続々とやって来る黒い影の一団を見つめ、締まりのない、明るい声をあげているのは、金八であった。
「あれがピンク色だったら、旨そうに見えんだろうなぁ」
「金八…空気読め、口閉じろ、掘削作業」
「そういうこと言うと、俺泣いちゃうよぉ!?ってか、掘削作業って何ぃ~?シャコぉ」
金八へと厳しい言葉を投げかけるのは、ショートカットの無表情の少女、シャコ。
「敵サン、わんわんわんさかよぉ~チラシくん!」
「力入っちゃうねぇ~ニギリちゃん!」
明るく言葉を交わしながら、お揃いのスーツを纏ったチラシとニギリが、その場でくるくると回り、よくわからないポーズを決める。
「さてとぉ」
大きく伸びをして、気合いの入った声を漏らした金八が、ゆっくりと後方を振り返る。そこには、湖近くの木の下に座り込んだ、イクラの姿があった。イクラはすでに、その鋭い瞳で、こちらへと向かってきている黒い影たちを見つめている。
「どうするぅ?神!」
「うるさい、死ね」
「そうだ。死ね、金八」
「ええぇ~、俺、そんな、間違ったこと言ったぁ!?泣いちゃうよぉ!?俺、泣いちゃうよぉ!?」
冷たい言葉を吐き捨てるイクラと、イクラに乗っかるシャコに、金八が情けない声をあげる。いつものその声が響き渡る中、イクラがゆっくりと、その場で立ち上がった。
「神は、俺一人でいい…」
視線を、黒い影の迫る空へと上げ、イクラがさらに、鋭い瞳を見せる。
「行くぞ、以団」
『仰せのままに、我が神!』
イクラの言葉に、以団の面々は皆、笑顔で大きく頷いた。
永遠の居城、正面左方向部。町はずれ平野、付近。
「凄まじい数ですわねぇ。誠子お姉さま」
「ええ、そうですわねぇ。徹子」
同じデザインの黒と白のドレスを纏った双子、誠子と徹子が、空を埋め尽くす黒い影の一団を見上げ、どこか感心するように、言葉を交わす。
「眩暈がするな…」
同じように空を見上げ、うんざりとした様子で呟く、着物の少女、音音。
「言姫様の仰った通り、やはり仕掛けてきましたね。エリザ様」
「ええ。ってか君、“様”とか付けてんじゃないわよ」
「え?」
鋭く指摘するエリザに、すぐ横に立った慧が、その瞳を丸くする。
「じゃあ、ザべス?」
「エリザよ!“私に”じゃないわよ!“言姫に”よ!」
首を傾げながら呼びかける慧に、エリザが勢いよく怒鳴りあげる。
「この前、話したでしょう?君が言姫に、どんな目に遭わされたのか」
「それは確かに、聞きましたけど…」
困ったように、頭を掻く慧。エリザに指示され、和音を見張っていた慧は、重要な秘密を知ってしまい、桃雪に襲われた上に、その際の記憶を、和音の言葉により、消されてしまったのである。
「けれど今は、状況が状況ですし」
「ったく、お人好しねぇ」
あっさりと答える慧に、エリザが少し呆れたように、肩を落とす。
「それよりもエリザ様、今は世界の言葉を」
「わかってるわよ」
慧の訴えに、エリザが素っ気なく答えて、その表情を鋭くし、空をまっすぐに見据える。
「足止め役ってのは多少、気に喰わないけど…」
エリザが気合いを入れるように、強く拳を握り締める。
「行くわよ、衣団!」
『仰せのままに、我が神』
エリザの指示に、衣団の面々は皆、深々と頭を下げた。
永遠の居城、正面右方向部。住宅地との境の森、付近。
「やはり、仕掛けてきたか。ここで待機していて、正解だったな」
地面に腰を下ろしていた檻也が、城から生まれ出てきた影の一団を、その視界に入れ、肩を回し、戦闘の準備を整えながら、ゆっくりと立ち上がる。
「さすがは和音だ」
「別にお姉ちゃんじゃなくたって、予想出来そうなもんだけど…」
和音を誉める檻也に対し、面白くなさそうに顔をしかめて、檻也には聞こえない小さな声を落とす空音。
「まぁまぁ、空音さん」
そんな空音へ、紺平が笑顔で、宥めるように声を掛ける。
「檻也くんが好きなのはわかるけど、拗ねない、拗ねない」
「だ、誰が…!」
紺平のその言葉に、空音が顔を真っ赤に染め上げ、声を大きくして、必死に言葉を放つ。
「わ、私はただ、一度、神を危険な目に遭わせた姉に、警戒の気持ちを持って、こうねぇ…!」
「紺平、空音」
「はい、何でしょう。神」
強い口調で反論していた空音が、檻也からの呼びかけに、一気に奥ゆかしくなって、そっと振り向く。
「我等は他団に比べ、二人、団員が少ない。だが、だからといって、この戦いの足を引っ張るわけにはいかない」
引き締まった表情で、檻也が堂々と言い放つ。
「我等は、他団の倍、戦う。いいな?」
「うん!」
「はい、神」
強気に言い切る檻也に対し、紺平と空音は、不安げな表情を見せることなく、笑顔で大きく頷く。
「行くぞ、於団!」
『仰せのままに、我が神』
檻也の言葉に、紺平と空音は声を揃え、三人はそれぞれ、迫り来る影の一団に相対し、身構えた。
その頃、八百屋『あさひな』店頭。
「始まったようですね」
「みたいだなぁ」
店の前へとやって来た熊子と塗壁は、北東部の空にかすかに見える、黒い影たちの姿を捉え、眉をひそめ、険しい表情を作った。
「僕たちも急がないと…」
「ああ」
熊子たちと同じく、店の前に立ったツバメの言葉に頷き、スズメが店頭から、店の中を覗き込む。
「そろそろ行こうぜ、親…!ととと、違った」
呼ぼうとしたその名を、口の中へと仕舞い込み、スズメが改めて、口を開く。
「“我が神”」
「うん」
スズメに神と呼ばれ、店の奥から姿を見せたのは、ウズラであった。いつもの『あさひな』の紺色のエプロンを取ったウズラは、緊張感ある、真剣な表情を見せている。
「じゃあ行こうか、宇団」
『仰せのままに、我が神』
ウズラの言葉に、スズメとツバメ、そして熊子と塗壁が、一斉に声を揃えた。
「じゃあ、城の正面で、ザべスやイクラや檻也たちが足止めを?」
「はい」
和音から、作戦を聞かされ、驚きの表情を見せて確認するアヒルに対し、和音が大きく頷きかける。
「彼等があの影の一団を食い止めている間に、安団の皆さんには、あの城へと侵入していただき…」
鋭い瞳を見せ、和音がまっすぐに、アヒルを見つめる。
「永遠を、倒していただきます」
『……っ』
和音のその言葉を受け、アヒルたちの表情に、一気に緊迫感が走る。ゴクリと息を呑む音が、互いに聞こえてきそうなほどであった。
「そりゃ、そうだ。その為に、来たんだもんな」
アヒルが右手に握り締めている赤い言玉を見つめ、自身の心を確かめるようにそう言うと、顔を上げ、強く言玉を握り締める。
「よっしゃ!行くぜ、安団!」
『仰せのままに、我が神!』
気合いの入ったアヒルの掛け声に、安団の面々は皆、大きな声で応えた。




