Word.73 決戦ヘ 〈3〉
翌朝。言ノ葉町、町の小さな八百屋『あさひな』二階、四男アヒル自室。
「んん~」
決戦への気負いなど感じさせず、いつもと同じようにぐっすりと、寝台の上で眠るアヒルが、何とも気持ち良さそうに寝息を立てながら、大きく寝返りを打つ。
「カ、カリ、フラワー…」
半開きのアヒルの口から零れ落ちる、相変わらずよくわからない寝言。
「グッドモーニンモーニン!アーくぅ~ん!」
そこへ、部屋の扉を吹き飛ばすほどの勢いで、朝からテンションの高い父ウズラが、飛び込んで来る。
「えぇ~い!カリフラワーアターック!」
「だあああ!」
飛び込んできたウズラから、大量のカリフラワーを投げつけられ、その一つが勢いよく顔面へとぶつかると、気持ちよく眠っていたアヒルが、その衝撃に飛び起きる。
「だっから、もう少し普通に起こせっつってんだろうがぁ!」
「ぎゃあああ!」
起き上がったアヒルが、自分の顔面へと当たったカリフラワーを素早く手に取り、ウズラの額へと、思いきり投げつける。見事に喰らったウズラは、ぶつかった勢いのまま、背中から床へと転倒した。
「ううぅ~、ヒドいよぉ。アーくぅ~ん」
「どっちが酷いのか、よく考えてから言え」
赤く腫れ上がった額を押さえながら、ゆっくりと起き上がるウズラ。今にも泣き出しそうなウズラへ、アヒルが寝台の上に転がるカリフラワーを拾いながら、冷たく言い放つ。
「だいたい俺が呼んだのは、カリフラワーでって、あれ?」
自分の発した寝言と、今、手の中にあるものを確認し、アヒルが目を丸くする。
「あってるでしょ?」
床に起き上がった状態のまま、ウズラがアヒルへと、穏やかな笑みを向ける。ウズラの言葉を受け、アヒルはもう一度、手の中のカリフラワーを確認し、そして、大きく笑みを浮かべた。
「だな!」
アヒルの笑顔を見て、ウズラもより一層、大きく笑う。
「アヒルー!朝飯、出来てっぞぉ!」
「おう!」
「スーくん、お父さんの分はぁ!?」
一階から聞こえてくるスズメの声に、アヒルとウズラはそれぞれ、大きな声を発した。
「…………」
制服に着替え、一階へと降りたアヒルは、スズメの作った朝食を食べ終えると、カモメの写真の飾られている仏壇の前に座り、深く目を閉じ、手を合わせて、カモメへと祈りを送った。
「よし!」
長い祈りを終えて、アヒルが手を下ろし、目を開く。
「カモメ兄さんへの“いってきます”報告は、完了…?」
「ああ」
洗濯物を干し終え、居間へとやって来たツバメが問いかけると、アヒルが顔を上げ、しっかりと頷く。そのまま視線を壁の上へと向け、アヒルがそこに掛けられた時計の針を確認する。
「そろそろ行かねぇとな」
「おう、とっとと行って来い」
立ち上がったアヒルに気付いたのか、台所から、洗い物途中のエプロン姿のスズメが出てくる。
「俺のお手製料理を食べて、バッチリ、気合いも入っただろうからな」
「お手製って、別にいつも通り、余った野菜尽くしだったじゃねぇか」
両手を組み、得意げに話すスズメに、アヒルが少し口を尖らせる。
「ごめんねぇ、アーくぅ~ん!ウチが八百屋なばっかりにぃ~!」
「ああぁ~、ハイハイ」
叫んで謝るウズラがあまりにも鬱陶しく、アヒルが表情をしかめながら、適当にあしらう。
「つーか、お前」
スズメが、立ち上がったアヒルを見つめ、目を丸くする。
「制服で行くのかよ?学校行くわけでもねぇのに」
「ああ」
アヒルが、身に付けた水色の制服を見下ろし、そっと笑みを見せる。
「今までも、大一番の時には制服着てたから、何となくな」
「ふぅーん」
アヒルの言葉に、特に興味なさそうに頷くスズメ。
「いいんじゃなぁい?」
そこへ、ウズラが明るい口調で、言葉を挟む。
「皆、お揃いの方が、結束力も高まるしね」
「へ?」
居間から店頭へと歩き、外を見ながら、笑顔で言うウズラのその言葉に、アヒルが戸惑うように首を傾げる。だが、ウズラの見つめるその先にあるものを、知っているかのように、アヒルは居間から店の中へと降り、靴を履いて、ウズラの居る店頭へと出た。
「あ…」
『…………』
店の前に並んでいるのは、アヒルと同じ、言ノ葉高校の制服を纏った、篭也、囁、保、七架の四人であった。綺麗に整列した四人は皆、店の前へと出てきたアヒルをまっすぐに見つめ、笑顔を向けた。
「おはよう、朝比奈くん」
「おはようございます、アヒルさん!」
七架と保が、次々にアヒルへと朝の挨拶を向ける。
「はぁ!こんな朝から会いたくもない、爽やかさゼロの俺が、馴れ馴れしく挨拶かましちゃって、すみませぇ~ん!」
「うるさい」
「フフフ…いいわね。すっごく緊張感がなくって」
いつものように頭を抱え、謝り散らす保を横目に見て、篭也が勢いよく顔をしかめ、囁がそっと微笑む。
「悪夢は見なかった…?アヒるん」
「今日は遅刻をされたら、困るからな。迎えに来たぞ、神」
「お前等…」
並んだ仲間たちの姿を見回し、アヒルがどこか、嬉しそうに笑みを零す。張り詰めた空気など、漂っていない。仲間たちはいつもの笑顔で、いつもの言葉で、アヒルを出迎えてくれている。その時、大きな手がポンと、アヒルの肩の上に乗った。
「親父」
肩に乗ったその手は、ウズラのものであった。振り向いたアヒルに、ウズラが大きく笑みを浮かべる。
「いつものように、送り出させて」
どこか願うように、ウズラの言葉が響く。
「アーくんが、いつもと同じように、笑顔で、この家に戻って来られるように」
「親父…」
少し不安げに目を細めるウズラに、父の想いを汲み取り、アヒルがそっと眉間に皺を寄せる。
「ま、俺たちもすぐ行くけどな」
「気を付けてね、アヒルくん」
「スー兄、ツー兄」
アヒルを送り出すため、スズメとツバメも居間を出て、店頭に立つウズラの、すぐ後ろに並ぶ。スズメとツバメへそれぞれ視線を送った後、アヒルは再び、ウズラを見上げた。アヒルの視線を受け取り、ウズラがこれ以上ないほどに、優しく微笑む。
「いってらっしゃい、アーくん」
「……っ」
いつも聞いているその言葉に、今日は全身から何かが溢れ出してしまいそうな、そんな感覚を覚えて、アヒルは思わず、それを堪えるように、唇を噛み締めた。
「ああ」
泣き出しそうな笑みを零し、アヒルが頷く。
「行ってくる!」
大きな声で言葉を放ったアヒルを見て、ウズラもスズメもツバメも皆、そっと微笑んだ。家族、皆の笑顔を焼きつけると、アヒルが表情を引き締め、仲間たちの方を見る。
「行こう!」
「ああ」
「ええ」
「はい!」
「うん」
アヒルの言葉に、四人は皆、迷うこともなく、一斉に大きく頷いた。
言ノ葉町、北東部。永遠たちの居城、程近くの広場。
「城内への入口は、正面の門だけか?左右、背面は?」
「確認しましたが、いずれも扉のようなものは見当たりませんでした」
「そうか。わかった」
広場には、黒の着物を纏った、韻本部の従者たちに囲まれた、恵の姿があった。恵も、いつもの教師をしている時と同じ服装である。従者たちからの報告を、忙しなく、次々と受けている。
「いよいよ、ですね」
「うん」
広場のベンチに腰掛け、まっすぐに城を見つめている、真剣な表情の為介と、そのすぐ横に立ち、眼鏡を押し上げている雅。この広場が、今日の皆の集合場所となっているのである。
「恵先生!」
「朝比奈」
程なくして、四人の仲間を連れたアヒルが、その広場へと姿を現した。大きく手を振るアヒルの姿を確認すると、恵が従者たちから離れ、アヒルたちへと歩み寄る。
「遅刻常習のお前が、こんな早くに集合するなんざ、珍しいな」
アヒルの前へと立った恵が、意外そうな表情で、アヒルを見つめる。
「明日はヤリが降るな、ヤリ」
「うっせぇ!ちったぁ教え子の成長を、誉めんか!」
悪態づく恵に怒鳴りあげながらも、アヒルは、恵がいつもの調子であることを知り、どこかホッとするような思いであった。今から、何よりも大事にしてきた弟と、戦いに行くのである。恵の心中は、穏やかなものではないだろう。
「おぉーい、朝比奈!」
「んあ?」
横から聞こえてくる声に、アヒルがゆっくりと振り向く。
「ここで会ったが百年目ぇ!」
アヒルが振り向くと、そこには、いつものようにサングラスにリーゼント、そして学ランという、何とも目立った格好をした守が立っていた。本来であれば、子分たちの“昨日会いました”という突っ込みが入るところであるが、今は、子分たちが一人も居ない。
「今日という今日こそ、コッテンパンのパンナコッタにし…!」
「はいはい。朝比奈君は今、忙しいんですよ」
「大人シクシテルデェース!リーゼントマン!」
「うるっしゃい!離しやがれぇ!」
いつものように、アヒルへと勝負を挑もうとした守であったが、雅とライアンに押さえ込まれるようにして、あっさりと止められ、勢いよく喚き散らす。
「何だ、あれ」
「フフフ…元気そうね」
顔をしかめるアヒルの横で、囁が何やら楽しげに微笑む。
「お姉ちゃん!」
「お待たせ、六騎」
先に広場へと連れて来ていた六騎と合流し、七架が笑みを浮かべる。
「音士も順調に集まっているようだな」
「ああ、茜から連絡がいってるはずだからな。もうじき、他団の連中も来るだろ」
「他団て、ザべスやイクラか?」
「ああ」
問いかけるアヒルに、鋭く頷く恵。
「では、神月くんの弟さんも?」
「ああ、連絡はいっているだろうからな」
「そういや紺平、来なかったし、檻也の方に行ってんのかもな」
振り向いたアヒルに対し、篭也が言葉なく、そっと頷きだけを返す。
「恵の神!」
「あ?」
広場へと駆け込んできた従者の一人に呼ばれ、アヒルたちと向き合っていた恵が、すぐに振り返る。
「何だ?どうした?」
「城の屋上に人影が見えます!」
「何…?」
その報告に、恵だけでなく、その場に居る皆が、表情を曇らせた。
永遠の居城、屋上。
「グアアアア…」
「ホッホッホ」
低い唸り声を漏らす終獣の、その金色の巨体を撫でながら、屋上の端に立った現が、下方に広がる言ノ葉の町並みを見つめている。白いひげに覆われたその口元から、いやらしい笑みが零れ落ちる。
「見える、見える。引き際を知らん、愚かな音士たちが、わんさかとなぁ」
現の細い瞳が、まっすぐに、アヒルたちの居る広場へと向けられる。人の、しかも視力の衰えた老人の瞳では、アヒルたちの姿を見ることなど出来るはずもないであろうが、どうやら現には、その姿が確認出来ているようである。
「あやつらの言うなりとなって動くのは、いささか面白くないが…」
永遠や桃雪の姿を思い出し、現が少し眉をひそめる。
「言葉で絶望を生み出すのは、好きじゃからのぉ。我慢すると、しようか」
そう言うと、楽しげに微笑み、現はゆっくりと、右手に持っている杖を、晴れ渡った空へとかざした。
「五十音、第三音“う”、解放」
現の言葉を受け、杖の先端に付けられた言玉が、眩いばかりの金色の光を放つ。
「これがわしの四字熟語…」
杖の先端を見上げ、現がさらに口元を歪め、笑う。
「わしの生み出す絶望に、苦しむが良い」
現が目を見開き、自身の文字を口にする。
「“有象無象”!」




