Word.72 発動 〈4〉
「それで昨日、パッツンがよぉ」
「いや、ブラシだろ」
「つーか、この前、パンチのオカンがさぁ」
学校帰りの派手な頭の学生たちが、皆、自分の話を主体として、思い思いに好きなことを話している。アヒルたちの通う言ノ葉高校の隣校の生徒で、アニキこと守の、子分のものたちであった。だが、その騒がしいほどの会話が、突然、止まる。
「んあ?」
一人、子分たちの前を歩いていた守が、後方から聞こえてくるたくさんの声が、一気になくなったことに気付き、進めていたその足を止める。
「急に黙って、どうした?」
リーゼント頭を風に揺らしながら、守がゆっくりと後方を振り返る。
「お前、等…?」
振り返った守の表情が、一気に曇る。
『…………』
子分たちは皆、いかにも会話の途中だった様子で、大きく口を開いたまま、凍りついてしまったかのように、その場で止まってしまっていた。
「お前、等…」
止まってしまった皆の姿に、守の表情は、厳しいものへと変わった。
言ノ葉高校、国語資料室。
「ん…?」
机に向かい、生徒から届けられた日誌を見ていた恵が、何かに気付いた様子で、パッと顔を上げる。
「妙に静かだな…」
戸惑うように呟いた恵が、その表情を曇らせ、席を立ち、資料室の窓際へと歩いていく。放課後であっても、学校という場所は、常に騒がしいもの。だが今は、小さな物音一つしない。あまりの静けさに、恵は、胸騒ぎにも似た違和感を覚えた。
「一体…」
恵が窓を開き、そこから身を乗り出すようにして、外を見る。
「な…!?」
見た途端、恵が大きく目を見開く。
「こ、これは…」
『…………』
恵の視界に飛び込んできたのは、日常のその風景のまま、完全に動きを止めた、生徒たちの姿であった。
「言葉が…」
止まった皆を見つめ、恵が険しい表情で、そっと声を落とす。
「言ノ葉の言葉が、終わった…」
窓枠に置かれた恵の右手が、力なく宙へと下ろされた。
「これは…」
雅の父、充の墓参りを終え、共に言ノ葉霊園を出た為介と雅が目の当たりにしたのは、行き交うはずの町の人々が、道の途中で不自然に動きを止め、完全に固まってしまっている、異様な光景であった。その光景を見つめ、雅が厳しい表情を見せる。
「為介、さん…」
雅がどこか助けを求めるように呼びかける中、為介もまた、険しい表情を作る。
「また、人々から“明日”を、奪い取るというの…?」
届かぬ問いかけを口にし、為介が高々と空を見上げる。
「遠久サン…」
為介の哀しげな声が、吹き抜ける風に乗った。
同刻、韻本部。
「茜さま!」
アヒルや皆の居るその部屋へと、扉を突き破りそうな勢いで駆け込んできたのは、韻の従者と同じ格好をした男であった。恐らくは、謡の者だろう。和音により、アヒルたちが地下収容施設に閉じ込められた時、助けてくれた従者の中に、居た顔である。
「どうしました?」
笑顔を見せていた茜が、従者の慌てたその様子を不審に思い、一気に表情を曇らせ、問いかける。駆け込んできた従者は、必死に呼吸を整え、厳しい表情で、顔を上げた。
「先程、言ノ葉町上空で、正体不明の巨大な金色の光を観測!」
「え…?」
従者の報告に、茜をはじめ、ウズラやアヒルの表情も険しくなる。
「その後、言ノ葉町、町民たちの言葉に異変有りと、待機中の従者から、次々と報告が上がってきております!」
「異変…?」
従者の言葉を繰り返し、茜が少し戸惑ったような声を漏らす。
「まさか、“无”の文字が…」
すぐ隣の篭也の言葉に、アヒルがさらに険しい表情を作る。
「すぐに、言ノ葉へ…!」
「待って、アーくん」
生まれ育った町の危機を感じ、部屋を飛び出して行こうとしたアヒルを、鋭く呼び止めたのは、ウズラであった。ウズラは真剣な表情を見せ、歩を進めて、アヒルの方へとやって来る。
「け、けど親父…!」
「状況を把握せずに動くのは、命取りだよ」
抗議しようと身を乗り出すアヒルに、ウズラが諭すように声を掛ける。
「“う”の言玉を貸してくれる?」
「へ?あ、ああ」
ウズラに言われ、アヒルが少し戸惑いながらも、制服のポケットから金色の言玉を取り出して、ウズラへと手渡す。アヒルから言玉を受け取ると、ウズラはそれを、強く握り締めた。
「第三音“う”、解放」
ウズラの手の中で、強く輝き始める言玉。光る言玉を、ウズラが大きな何もない壁へと向ける。
「“映し出せ”」
言葉を放ったウズラの手の中の言玉から、金色の強い光線が放たれ、壁へと突き刺さると、光が壁全面に広がり、そしてすぐに、壁に映像が映し出された。
「これは、言ノ葉…?」
何分割かされた壁の映像は、皆、言ノ葉町の景色を映し出していた。学校や商店街、今日は閉まっている『あさひな』の店の前など、どれも、アヒルたちがよく知る景色だ。
「あ、ツー兄…想子!?」
その映像の中に、兄の姿を見つけたアヒルであったが、そのすぐ傍で固まったまま、まったく動いていない想子の姿を見つけ、大きく目を見開く。
「お父さん、お母さん!」
「学校の皆や…」
「リーゼントくんの子分たちも…」
動きの止まった両親の姿を見つけ、思わず身を乗り出す七架の横で、保と囁がそれぞれ、険しい表情を見せる。
「町の住民、全員の言葉が、“无”の文字により、終わらされてしまったのか…」
「ク…!」
冷静に分析する篭也の横で、アヒルが悔しげに唇を噛み締める。
「もう、浮世現の獣は、完成しているということだね」
「ええ…そして、この状況になった今、急がなければ…」
「え?」
ウズラの言葉に答えながら、どこか焦ったように言う茜に気付き、アヒルが振り返る。
「どういうことだ?」
問いかけるアヒルに、茜が少し躊躇うように俯いてから、その表情を厳しくする。
「言葉を停止させられた人間が、停止状態のまま、生きていられる時間は、もっておよそ二日です」
「な…!?」
茜が告げる真実に、皆の顔色が一気に変わる。
「それ以上の時間が過ぎれば、活動を停止した体は衰弱し、死に至る…」
「そ、そんな…!」
茜の言葉を聞き、七架が思わず、取り乱した様子で声をあげる。実際に両親や親友が言葉を止められており、このままであれば、二日で死んでしまうと聞かされれば、当然であろう。
「早く…!早く何とかしねぇと、皆が…!」
「ええ、わかっています」
同じように、少し取り乱した様子で訴えるアヒルに、茜が努めて冷静に言葉を返す。
「各地五十音士に通達。すぐに集められるだけの五十音士を全員、この場に集めて下さい」
「は!」
茜の指示を受け、報告に来た従者が、すぐさま部屋の外へと駆け出していく。
「母さん…」
「五十音士が揃い次第、作戦会議を行います。そして」
皆が見つめる中、茜が一層、鋭い表情を見せる。
「明朝、すべての人々の言葉を守るため、我々は、最終決戦に臨みます!」
『……っ』
凛と響き渡るその声に、アヒルたち皆が、その表情に緊張感を走らせた。
「神」
屋上の端に立ち、広がる景色を眺めていた永遠へと、桃雪が声を掛ける。
「この町の人間たちの言葉は、五十音士である者の言葉を除いて、すべて、停止いたしました」
どこか不敵な笑みを浮かべ、報告するように、桃雪が言葉を続ける。
「これから、三十分ごとに一つずつ、隣接する町から順に、言葉を停止させていきます」
「うん…」
桃雪の策に文句を付ける様子はなく、永遠はただ、遠くを見つめ、素直に頷く。
「頼んだよ、桃雪…」
「はい」
永遠の言葉に、桃雪は深々と頭を下げた。
「さぁ、皆で一緒に行こう…」
誰かを誘うような言葉を落として、永遠が、どこまでも青い空へと、真っ白な手を伸ばす。
「“明日”のない世界へ…」
そう呟くと、永遠はどこか楽しげな笑みを浮かべた。




