Word.8 転校生ト言姫 〈2〉
その日・昼休み。
「ふぃ~っ!やぁっと飯だぁ!」
「今日も十分に睡眠取れて良かったね」
「お陰さまでっ」
両手を伸ばすアヒルに、後ろから嫌味のように声を掛ける紺平。アヒルは苦い笑みを浮かべながら、机の横に掛けてある鞄から、弁当を取り出す。
「お前も飯食うだろっ?」
「へっ!?」
アヒルが隣の席で、まだ教科書などを片付けている保へと不意に声を掛けると、驚いたのか、保が声を裏返して、背筋を震え上がらせた。
「あっ、は、はい!お、俺みたいな中途半端な名前の奴が、一丁前に昼飯なんか食おうとして、すいませんっ!」
「はぁっ?」
振り向いた保は、何やら申し訳なさそうに、必死に謝る。そんな保に、大きく顔をしかめるアヒル。
「あのなぁっ、別にどんな名前の奴でも飯くらいっ…」
「そうですよねぇっ!アヒルなんて、こっぴどく面白い名前の人じゃなきゃ、ご飯なんて食べちゃいけませんよねぇっ!」
「うっせぇっつってんだろっ!ホントにブン殴んぞ!この野郎っ!」
「ひえええぇぇ!」
「あぁ~あっ…」
また殴りかかりそうになっているアヒルと、怯えている保を見て、紺平が深々と溜息をついた。
「殴られたくなかったら、とっとと食え!」
「は、はいっ…!」
アヒルに脅されるようにして、慌てて教科書を片付け、弁当を取り出す保。
「神月君たちは?」
「ああ、あいつはっ…」
紺平に問われ、アヒルが少ししかめた表情で、教室の後方を振り向く。
『神月くぅ~ん!一緒にご飯食べましょ~っ!』
「いいですよ。こんな可愛らしい皆さんに囲まれて、ご飯が食べれるなんて、僕は世界一の幸せ者ですね」
『きゃああああ!』
「……っ」
爽やか笑顔の篭也の周囲で巻き起こっている黄色い声を聞き、さらに顔をしかめるアヒル。
「やめよう。あいつと食うと、飯がマズくなる」
「そ、そうだねっ…」
同じように少し顔を引きつり、紺平が控え目に頷く。
「あれっ?うっわぁ、美味しそうだねぇ~。高市君のお弁当っ」
「へっ!?」
保が自分の机に弁当を置き、フタと開いた途端、紺平がすかさず声を掛ける。また不意に話しかけられ、背筋を震え上がらせる保。話しかけられるという行為に、慣れていない様子であった。
「ホントだっ、ウチのキャベツメインの弁当とはエライ違いっ」
「高市君のお母さん、料理上手いんだねぇ~」
「あっ、い、いえ、これは自分でっ…」
「えっ!?このお弁当、高市君が作ったの!?」
「あ、は、はいっ」
驚いた表情で聞き返す紺平に、遠慮がちに頷く保。
「す、すみません!お、俺みたいな、無駄に身長ばっかデカい奴が、一丁前に包丁なんて握ってしまってっ…!」
「いやぁ、別にいいことだと思うけどっ…」
何故か謝る保に、紺平が少し呆れた笑みを浮かべる。
「でも、そんなに料理上手なら、お母さんとか大助かりじゃないっ?」
「あっ…」
「……っ?」
笑顔で話しかける紺平に、ふと曇る保の表情。その表情を見逃さず、アヒルが眉をひそめる。
「親は…いないので…」
「えっ…?」
保の言葉に、紺平の表情が変わる。
「あっ、ご、ごめんっ…!」
「いえ、大丈夫です。気にしないで下さい」
慌てて謝る紺平に、保が穏やかな笑顔を向ける。
「もう…心が痛まないくらい、いないことに…慣れてしまいましたから…」
『……っ』
どこか悲しげに微笑む保に、アヒルと紺平は表情を険しくした。
「あぁ!すいません!こんな薄暗い話っ…!不快さで、お二人の弁当の味が、マズくなってしまうぅ~!」
「落ち着けって…」
席から立ち上がり、焦ったように叫びあげる保に、宥めるように声を掛けるアヒル。
「そうだぁ!こんな時は、アヒルさんのキャベツ一色のお弁当を、皆で回し見して、笑いをっ…!」
「やっぱお前!ブン殴るっ…!」
「ひええぇぇ!」
「落ち着いてぇ!ガァ~!」
保に殴りかかりにいこうとするアヒルを、必死に止める紺平。
「す、すみませぇん!失言のお詫びに、お、俺がそのキャベツ一色の弁当を食べます!」
「人ん家の弁当っ、罰ゲームみたいに言ってんじゃねぇーよっ!」
「ひぃぃぃ~っ!」
「んっ?」
怒り狂うアヒルに怯え、机の下へと身を縮め込んだ保の制服のポケットから、何かが落ち、アヒルは向かっていくことをやめ、床に落ちたその物へと目を移した。
「あっ…」
床に落ちていたのは、丸く赤い、宝石のような玉であった。どこかで見覚えのあるその玉に、アヒルが思わず目を見開く。
「あっ…!」
保が慌ててその玉を拾い、もとのポケットの中へと入れる。
「えぇっと、すみませぇん!アヒルさぁ~ん!こんな俺っ、弁当箱まで食って、お詫びしますぅ~!」
「ちょ、ちょっと!高市君っ!」
弁当箱ごと弁当を食べようとする保を、アヒルから手を離して、慌てて止めに行く紺平。
「落ち着いてって!」
「ひぃぃぃ~っ!」
「…………」
紺平と保のやり取りを見つめながら、アヒルが険しい表情を見せる。
「今のは…言玉っ…?」
その日・放課後。
「ふっはぁ~、疲れたぁ~っ」
委員会のある紺平を残し、学校から帰路へとつくアヒル、篭也、囁の三人。帰り道を歩きながら、アヒルがひどく疲れた様子で肩を落とす。
「アヒるん…今日は一日中、転校生のお守だったものね…フフフっ…」
「弁当食うまでに結局、三十分もかかったんだぜぇ?お陰で五分で飯食う羽目になるしっ」
そっと微笑む囁に、嫌気がさしたように呟くアヒル。転校してきた保に対し、隣の席になった縁もあって、あれこれと世話を焼くアヒルであったが、保の遠慮がち過ぎる性格のせいで、あれこれと無駄に疲れが溜まってしまったのであった。
「放っておけば良かっただろう?何の義理もない転校生など」
「だってあいつ、あれじゃオドオドしたまんまで、絶対弁当食えねぇーと思ったからさぁ」
「はぁっ…」
「我が神は世話好きね…フフっ…」
アヒルの答えを聞き、篭也は深々と溜息をつき、囁はどこか楽しそうに笑みを浮かべた。
「それにっ…」
―――あっ…―――
保が落とした、あの赤い小さな玉。
「……っ」
俯いたアヒルが、少し考え込むように眉をひそめる。
「神?」
「あ、いやっ。そ、そういやさ、お前、この前学校休んだ時、どこ行ってたんだ?」
「ああ、為の神のところへ行っていた」
思い出したように問いかけるアヒルに、篭也がすぐさま答える。
「為の神?あの扇子野郎のとこか」
「忌の増発の件で…?」
「ああ。他にも知っていることがあれば、吐かせようと思っていたんだが、どうやら本当に何も知らないようでな」
「そう…」
囁が頷きながら、少し考え込むように目を細める。
「だが忌自身の変化とは考えにくく、何者かの力が働いている可能性があると言っていた」
「何者かって?」
「……っ」
素朴に聞き返すアヒルに、篭也の表情が曇る。
「五十音士…」
「えっ…!?」
黙った篭也に代わるようにして答える囁に、アヒルが驚きの表情を見せて振り返る。
「五十音士って、んなことっ…!」
「世の中はね…私たちみたいに素直で優しい、穏やかな五十音士ばかりではないのよ…アヒるん…」
「いやっ、ぶっちゃけ誰も、それに当てはまってねぇと思うけどっ…?」
落ち着いた口調で話す囁に、呆れきった表情を向けるアヒル。
「五十音士の中には、その言葉の力を使って、良からぬ事をする連中もいるということだ」
「じゃあそいつが忌をっ…?」
「まだ、そこまではわからない」
厳しい表情を見せながら、篭也が答える。
「だが上も動いているという話だ。直に原因も明らかになるだろう」
「上っ?上って?」
篭也の言葉に首を傾げたアヒルが、振り向いて囁へと問いかける。
「私たち五十音士の上には…五十音士を管理する“韻”という組織が存在するのよ…」
「韻っ…?」
「良からぬ事をしている五十音士を裁いたり…まぁ他にも色々と役目はあるけれどっ…フフっ…」
「神という位は、五十音士の中では最も尊いとされるが、韻からは逆に管理されることとなる」
「ふぅ~ん、何か難しいなぁ…」
二人から説明を聞いたアヒルが、少し混乱した様子で、頭を掻く。まだ自分の神という立場もあまり理解していないアヒルにとっては、余計に難しい話であった。
「まぁ今すぐ理解しなくとも、まだあなたが韻と接触する機会はなっ…」
「アーくぅぅ~んっ!」
篭也の言葉を遮って、アヒルのもとへと駆け込んでくるのは、相変わらずの陽気なことこの上ない笑顔を浮かべた、朝比奈家の父であった。いつの間にか、『あさひな』の前まで帰って来ていたようである。
「会いたかったよぉ~!」
「あっそう」
「痛たたたたっ…!まだ鼻腫れてるんだから、押さないでぇ~!」
飛び込んでくる父を、鼻に手を突き出すようにして止めるアヒル。今朝の玉ネギ攻撃で、まだ腫れあがっている鼻に、父が苦い表情を見せる。
「そういえば、アーくんにお客さんが来てるよぉ~」
「客っ?」
店の中を指差す父に、アヒルが首を傾げる。
「客って…」
「お邪魔しておりますわ」
「えっ…?」
店の中から聞こえてくる、凛と響くその声に、アヒルがゆっくりと顔を上げ、声の聞こえて来た方を見る。
「あっ…」
「こんにちは、朝比奈アヒルさん」
直接、店の奥から繋がっている朝比奈家の居間に、ゆったりと腰を下ろし、振り向いたアヒルへと笑顔を向けたのは、一人の美しい少女であった。アヒルよりは少し年上くらいであろうか、二十歳前後に見えた。見事に整った綺麗な顔立ちに、花柄の豪勢な着物を纏っている。一つにまとめあげた髪の周囲は、いくつもの宝石で飾られていて、少し重そうであった。
「だ、誰っ…」
「お久し振りですね」
「へっ?」
微笑んだ少女が、アヒルからアヒルのすぐ横へと視線を移す。
「篭也」
「篭也っ?」
よく知った名を呼ぶ少女に、目を丸くするアヒル。
「篭也、お前の知り合っ…」
「……っ!」
「へっ?」
アヒルが問いかける間もなく、篭也は、今まで見せたことのない全速力で、勢いよくその場から駆け出していく。
「逃げたわ…」
「何でぇっ!?」
「……っ」
囁が冷静に呟き、アヒルが戸惑った表情を見せる中、居間に座り込んでいた少女がゆっくりと立ち上がり、店の外へと出て、アヒルたちのすぐ横へと並んだ。
「“割れろ”」
―――バァァァァン!
「うおっ!」
少女がそう呟いた途端、地響きでも起こったように激しく地面が唸り、『あさひな』の前の道が、真っ二つに割れていく。割れた地面をギリギリのところで渡り、何とか難を逃れるアヒル。
「ふぃ~!危ねっ…」
「ぎゃああああ!アーくぅ~んっ!」
「落ちそうになってんじゃねぇよっ!」
割れた地面の左右それぞれに足を置き、大きく股を開いて、必死に落ちまいとしている父に、アヒルが思わず怒鳴りあげる。
「うわあああああ!」
「あっ…」
「あっちは落ちたわね…」
遠くの方から聞こえてくる、篭也のものらしき悲鳴に気づき、地割れした地面から前方へと顔を上げるアヒルと囁。二人が見つめる中、少女が割れた地面の端を歩き、篭也の消えた地点へと向かっていく。
「なぁっ、今のって…」
「言葉の力よ…まず間違いなく…」
少し眉をひそめ、問いかけるアヒルに、囁も鋭い表情を見せる。
「それも…一層、特別な文字の、ね…」
「えっ…?」
囁の言葉に、アヒルが首を傾げる。
「どちらへ行かれるんですの?」
笑顔を見せた少女が、地割れした地面を上から覗き込むようにして、落ちた篭也を見下ろす。
「篭也」
「わ、和音っ…」
威圧されるように名を呼ばれ、あからさまに表情を引きつる篭也であった。




