Word.72 発動 〈2〉
その頃、言ノ葉霊園。
「…………」
平日の午後ということもあってか、他の墓参り客も見当たらない霊園の、とある墓の前で、いつになく神妙な表情を見せた為介は、一人でその場に立ち尽くしていた。墓には、“箕島家”の文字が刻まれている。
「充…」
為介が口にしたのは、かつての自身の神附きの名であった。
「父の墓の場所を、話した覚えはありませんでしたが」
「え…?」
横から聞こえてくる声に、為介が戸惑うように振り向く。
「雅クン…」
その場へと現れたのは、制服姿の雅であった。学校の帰りであろうか、いつものように、人差し指で眼鏡を押し上げている。
「茜サンに、ひっそり調べてもらってね」
戸惑っていた表情を、すぐに飄々とした笑みへと変えて、為介が雅の問いかけに答える。
「それでひっそり、時々来てるんだぁ」
「そうでしたか。それはそれは、今まで一本の花も無しに、ありがとうございます」
「うわぁ、刺々しい」
為介と会話を交わしながら、雅が為介のすぐ横まで歩み寄って来る。墓の前へと立つと、雅は静かにしゃがみ込み、深く目を閉じて、手を合わせ、今は亡き父へと祈りを送った。その様子を、為介は言葉もなく見守る。雅は祈りを終えると、再び目を開き、その場で立ち上がった。
「今日は部活休み?」
「ええ。毎週火曜は定休日ですので」
「そっかぁ。ってか、部活って、定休日って言い方するんだねぇ」
いつもと同じ会話を交わす二人であったが、為介の口調に、いつものような明るさはなかった。
「初めて会った日、あなたが僕の名を知っていたのも、茜さんにひっそりと調べてもらっていたからですか?」
「うん。まぁねぇ~」
雅の問いかけに、為介は少し曖昧な返事をする。
「そうですか」
為介の方は見ずに、墓を見つめたまま、雅がレンズの向こうで、そっと目を細める。
「ボク、見た目の通り、繊細だからさぁ、やっぱり、気になっちゃったんだよね」
変に明るい為介の声が、静かな墓場に響く。
「自分が裏切った、神附きのことが」
明るい声とは裏腹のその言葉に、雅が眉をひそめる。
「父も」
少し躊躇うように間を置いた後、雅がゆっくりと言葉を発する。
「父も、自身の神に“裏切られた”と、そう言っていました」
雅の言葉に、為介の表情が曇る。あの日、遠久の真実を話すことなく、充を置いて、韻を出た為介は、そのまま五十音界を追放されてしまい、それ以後、充と会うこともなかった。充にとって、為介が裏切りの神であることも、当然だろう。
「最期までそう言って、死んでいきました」
死に際の父を思い出し、雅が言葉を続ける。
「けれど、それは」
暗い口調を少し変えて、雅がさらに口を開く。
「自身の神を、“信じていた”からだと思います」
「……っ」
強く言い切る雅の言葉に、為介の表情が動く。
「裏切ったと言ったのは、自身の神を心から信じていたからだと、僕はそう、信じています」
墓を見つめたまま、まっすぐな表情を見せて、雅は力強く言い放つ。その横で為介は、目を細め、何かを堪えるように、唇を噛み締める。
「だから、父の神にもそう、信じていてほしいです」
雅がどこか願うような言葉で、自身の言葉を締めくくる。
「……うん」
その言葉を受け止めるように、小さな頷きを零す為介。
「うん、そうだね…」
搾り出したような為介の声は、かすかに、震えていた。
アヒルの母、茜の指揮する“謡”により占拠された韻本部では、アヒルと時を同じくして、篭也たち安団の面々が、ウズラと茜から、旧世代の神々に起こった事実を、聞かされていた。
「そん、なことが…」
走る衝撃に皆、驚きを隠せない表情で、何と言っていいのか、言葉を失っていた。
「“永遠”の時を生きる神、永遠…」
「うん」
自分の中で確認するように繰り返す篭也に、ウズラがそっと頷きかける。
「言ノ葉山に封印された後、韻の者たちが付けた、遠久のもう一つの名だよ」
目を細めたウズラが、どこか遠くを見るように、篭也たちから視線を逸らす。
「その後は、君たちの知ってる通り。旧世代の神々は、五十音界を追放されて、そして俺は」
ウズラが少し躊躇うように、不自然に言葉を途切れさせる。
「カーくんの体の中に、自分の力を“埋め込む”ことで、“う”の文字の存在を消し去り、遠久の封印を完全なものとした…」
今までと同じように、冷静に言葉を続けるウズラであったが、やはり、その表情は険しい。カモメに自身の文字を埋め込んだことを、ひどく後悔しているようだった。そんなウズラの様子を察してか、茜も辛そうに顔を俯ける。
「それから二十数年…俺たちは、封印が解けることのないよう、ずっと見守ってきた」
「じゃあ、皆さんが言ノ葉町に揃っておられたのは…」
「うん」
保の言葉に、頷きだけを返すウズラ。普通に考えて、小さな町に、あんなにも神が集まっていることはおかしい。封印の後も、遠久を見張るため、皆、言ノ葉にその身を置いたのだろう。
「だが…」
険しい表情を見せた篭也がすぐに口を開き、俯けていた顔を上げて、ウズラの方を見る。
「寿命のきた人間に、“生きろ”と言葉を掛けたところで、命の期限を延ばすことは出来ない。それが五十音界の法則のはずだ」
少し厳しい口調で、篭也がウズラへと発言する。
「言葉を使って、死にかけていた者の命を“永遠”のものにするなど…そんなことが本当に、有り得るのか?」
篭也の問いかけに、ウズラが眉をひそめ、表情を曇らせる。
「言葉は、人の想いの乗るもの…」
目を細めたウズラが、視線を天井へと上げる。
「人の想いの強さこそが、言葉の力の強さになる」
皆が視線を集める中、ウズラがさらに言葉を続ける。
「有り得るはずのない言葉を現実にしてしまうほど、本当に、強い想いだったんだよ」
―――遠久…遠久…!―――
「弟を生かしたいという、恵の想いは」
「…………」
ウズラの言葉を聞いた篭也は、再び言い返すことはなく、そっと俯く。篭也にも恵と同じように、弟がいる。篭也が恵と同じ立場であれば、間違いなく、言葉を使って、檻也を生かそうとするだろう。恵の気持ちが、想いの強さが、痛いほどわかるからこそ、篭也は何も言うことが出来なかった。
「あなたの弟さんを巻き込んだ時も、恵は相当に苦しんだと思います」
「え?」
不意に茜に言葉を掛けられ、七架が戸惑うように首を傾げる。
「あなたが弟さんを大事に想う気持ちは、痛いほどわかっていたでしょうから」
「……っ」
茜の言葉を受け、七架が少し険しい表情となる。
―――許さなくていい。好きなだけ、恨め―――
潔いまでに向けられた、恵の言葉。
「先生…」
あの時の恵の気持ちを考え、七架は哀しげな表情で、胸に手を当てた。
「言ノ葉山の封印で兄が死に、その後、恵と為介君は、ますます自分を責めて、ひどく塞ぎ込んでしまいました」
茜が恵と為介の話を続ける中、ウズラが天井を見上げたまま歩を進め、篭也たちの居る辺りから、少し距離を取る。
「遠久君に怪我をさせた自分が、“永遠”の言葉をかけた自分が、何もかも悪いと、すべてを一人で背負い込んで、心を閉ざしてしまったんです」
言葉を続ける茜の表情は、どこか寂しげであった。茜の言葉を聞きながら、ウズラも力ない微笑みのまま、深々と俯く。
「そんな彼等に、私たちは、何の言葉を掛けてあげることも出来ませんでした…」
やっと言葉を終えて、茜が深々と肩を落とす。
「二十数年の時が経ち、様々なことが移り変わっていきました」
年を取った自分の体を、今居るこの場所を見回して、茜がそっと言葉を放つ。
「それでも私たちは、今もなお、この終わりない哀しみの中から、抜け出せずにいるんです」
茜の言葉を聞きながら、篭也たち四人は、その胸に重いものを抱えるように、深く俯く。
「このまま、抜け出せないのかも知れないねぇ」
困ったように笑って、ウズラが小さく言葉を落とす。
「それこそ、永遠に」
「……っ」
ウズラの言葉を否定することも出来ず、茜も深く俯いた。
「アーくんに選択を託したけど、本当はもう、心の中で思っちゃってるのかも知れない」
何もない壁をまっすぐに見つめ、ウズラがさらに目を細める。
「ここまで来てしまったら、どんなに頑張ったところで、もう…」
「“諦めるのは一番、最後でいい”」
「へ?」
急に聞こえてくる言葉に、ウズラが少し目を丸めて、顔を上げる。
「我が神の言葉だ」
「篭也くん…」
真剣な表情で、まっすぐな眼差しをウズラへと投げかける篭也に、ウズラが戸惑ったような顔つきとなる。
「“叫び続ければいつか、自分の想いが言葉になる”」
「囁ちゃん?」
「我が神の言葉よ」
穏やかな笑みを浮かべた囁が、篭也と同じように、ウズラと茜へ、かつて自身がもらった言葉を向ける。
「“言葉の中には救いもあると、そう信じる”。俺の神様の言葉です」
「“何度だって繰り返すその言葉を、無駄かどうか決めるのは自分”。私の神の言葉」
保と七架も大きな笑みを浮かべ、同じように、言葉を放つ。
「僕らは皆、我が神の言葉に導かれ、今、ここに居る」
笑顔を見せた三人の一歩前へと出るようにして、篭也が、ウズラと茜に向き合う。
「神の言葉があったから、ここまで戦って来られた。神が居たから、今、この場所に立っていられる」
自身の言葉を噛み締めるように、自身の胸に手を当てる篭也。
「それなのに、神の手本となるべきあなたたちが、先に諦めるのか?」
その篭也の問いかけに、二人の表情が動く。
「僕らよりも長く、神を見続けてきたあなたたちが、そんな諦め切ったような言葉を、神に向けるのか?」
篭也の言葉が、どこか責め立てるように、強く響く。
「……そうだね」
少し間を置いて、答えるように言葉を発したウズラが、いつものように穏やかで、優しく、そして、どこか力強い笑みを浮かべる。
「あなた」
「うん」
振り向いた茜にも、大きく頷きかけるウズラ。
「俺たちが一番近くで、あの子を、諦めないあの子を、見続けてきたんだもんね」
少し俯いたウズラが、過去を思い返すように目を細め、そっと口元を緩める。
「俺たちが、諦めるようなこと、言ってちゃダメだよね」
「ええ」
ウズラの言葉に、どこか泣き出しそうな笑顔を見せて、茜が大きく頷く。そんな二人の様子を見て、篭也たちも今までとは一転した、明るい笑みを零した。
「親父、母さん、居るかぁ~?」
そこへ、扉の開く音と共に、聞き慣れたアヒルの声が入って来る。
「アーくん!」
部屋へと現れた息子の姿に、瞳を輝かせ、溢れんばかりの笑顔を見せるウズラ。
「アーくぅ~ん!」
「さっきまでシリアスそのものだったのに、凄い変わりようだね」
「あれが、常態だ」
緩みきった笑顔で、両手を広げ、部屋へと入って来たアヒルのもとへと駆け込んでいくウズラを見て、思わず呆れた表情を見せる七架。横の篭也は、慣れた様子で冷静に言い放つ。
「学校に居た間、お父さんに会えなくて、寂しかったでしょ~!?さぁ、お父さんの胸にどーんと、飛び込んでおい…!」
「ウザァーい!」
「ぎゃあああ!」
だが、笑顔で駆け込んでいたウズラは、アヒルのもとに辿り着く前に、茜の容赦ない蹴りに吹き飛ばされ、壁際で力なく倒れ込んだ。皆が呆気に取られる中、茜が、ウズラの代わりに、アヒルの前へとやって来る。
「おかえりなさい、アヒル。今日も元気に、過ごせました?」
「なぁ、“夫婦愛”とかってねぇの…?」
満面の笑みで問いかける茜に、思わず顔をしかめ、疑問をぶつけるアヒル。
「うぅ、痛ててて…」
「親父」
「ん?」
蹴られた背中を押さえ、壁際で何とか起き上がったウズラが、アヒルの声に振り向く。
「母さん」
「はい」
ウズラに続くように、真剣な表情で名を呼ばれ、茜も表情を引き締めて、その声に答える。
「俺、戦うよ」
皆の視線が集まる中、アヒルがはっきりとした口調で言い放つ。
「例え、すべての文字が消えてしまっても、五十音士が消えてしまっても…それでも俺は」
真剣な表情を見せていたアヒルが、穏やかに笑う。
「皆の言葉を、終わらせたくない。皆の言葉を、守りたい」
柔らかく微笑んだアヒルは、決して気負っている様子はない。だが、その瞳はどこまでもまっすぐで、強い決意を固めていることが見て取れた。
「だから、その為に、俺は戦う」
アヒルがもう一度強く、その言葉を繰り返す。
「最後まで、諦めない!」
『……っ』
さらに大きく笑みを零し、アヒルが大きな声で言い放つ。言うであろうと思っていた言葉が、期待通りにアヒルの口から零れ出ると、ウズラと茜は少し視線を交わらせ、互いに嬉しそうに微笑んだ。
「うん」
「ええ…ええ、アヒル」
アヒルの決意を受け止めるように、笑顔を見せたウズラと茜が、何度も何度も、大きく頷く。両親の笑顔を見て、安心したように微笑んだアヒルが、今度は、今まで共に戦って来た仲間たちへと視線を移す。
「皆…」
篭也たち四人は、神の言葉を待つように、黙ったまま、まっすぐにアヒルを見つめた。
「俺、遠の神と戦うことに決めた」
ウズラたちへと向けた決意を、四人にも同じように、話すアヒル。
「勿論、負けたら言葉は終わっちまうし、勝ったとしても、俺は神じゃなくなる。皆は神附きじゃなくなる」
アヒルが俯き、少し躊躇うように視線を揺らす。勝ったとしても、負けたとしても、これが安団として、皆と戦う、最後の戦いになることは、明らかであった。
「でも、だからこそ」
言葉を言い換えて、アヒルが再び、顔を上げる。
「最後まで俺に、附いてきてほしい!」
笑顔で言い放つアヒルに、篭也も囁も保も七架も、皆、一斉に笑みを零す。
『仰せのままに、我が神』
四人は声を揃え、アヒルへ、深々と頭を下げた。




