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あノ神ハキミ。  作者: はるかわちかぜ
287/347

Word.72 発動 〈1〉

 すべての五十音が消えてしまうことを覚悟し、それでもすべての言葉を終わらせぬため、“の神”永遠とわを倒すことを決めたアヒルに、恵が話したのは、恵の弟、遠久とをひさであった永遠の、哀しい過去であった。


「それが、先生の“永遠ゑいえん”の真実…?」

「ああ」

 聞き返したアヒルに、恵がゆっくりと頷く。

「そっか」

 アヒルは特に驚いた様子もなく、落ち着いた表情で顔の向きを変え、国語資料室から、外の景色を眺めた。グランドには、楽しげに下校していく生徒たちの姿が見える。かつて遠久も、今、アヒルが着ているものと同じ制服を纏い、この部屋から同じように景色を眺めて、自身の永遠を憂いたのかと思うと、哀しみにも似た、不思議な気持ちを抱いた。

「旧世代の“安の神”って、俺の伯父さんだったんだな」

「ああ、アケルか」

 アヒルの言葉を受け、恵が懐かしむように、穏やかに微笑む。

「いい奴だったよ。愛想がないから、八百屋は多少、寂れてたがな」

 かつて、紺色のエプロンを纏い、白い鉢巻を巻いて、『あさひな』の店の前で、大きく声をあげていた明の姿を思い出し、恵がそっと目を細める。

「ウズラも茜もよく知っているが、不思議なもんだな。お前と初めて会った時、二人よりも先に、明のことを思い出した」

「遅刻ばっかするから?」

「かも知れん」

 納得するように頷き、恵がさらに笑みを深くする。

「その明も、死んでしまった」

 恵の表情が、突然、暗くなる。

「すべては、私の不用意な言葉が招いたことだ」

 恵が、自身を責めるように、厳しく言い放つ。

「あの日、私が、遠久と死別する勇気を持てていれば、こんなことにはならなかった」

 恵の言葉を背中に受け、景色を眺めながら、アヒルが目を細める。

「初めから、家族と死別する勇気を持ててる奴なんて、いねぇよ…」

「それでも受け入れるのが、人としての務めだ」

 励ますように言ったアヒルの言葉も、恵はすぐに払いのける。

「私は弱かった。だから、言葉に逃げた」

 またしても続く、自身を責めるような恵の言葉。

「弱かった私の言葉のせいで、何の関係もないお前たちまで、巻き込んでしまった…」

「……先生は、後悔してる?」

 アヒルは、恵の方を振り返らぬまま、恵に問いかけを向ける。

「“永遠”っていう、自分の言葉…」

「……っ」

 アヒルの問いかけを受け、そっと目を細める恵。

「ああ…」

 恵が、小さく頷く。後悔しないために、自身も“永遠”の道を選んだが、後悔は消え去るどころか、終わらない時の中で、ただ深まる一方であった。

「後悔、している」

 今まで、茜にもウズラにも明かさなかった胸のうちを、恵が噛み締めるように、言葉にする。

「俺も、死ぬほど後悔したよ」

 窓枠に肘を掛け、アヒルが遥か高い、空を見上げる。

「カー兄に、“居なくなれ”って言ったこと」

「朝比奈…」

 アヒルの言葉に、恵が表情を曇らせる。

「でも、あの後悔があったから、その分、俺は、“言葉”を大切に思えるようになった気がするんだ」

 口元を緩めたアヒルが、穏やかに笑みを零す。

「あの日の後悔がなかったら、俺は、言葉で、簡単に人を傷つけるような奴になってたかも知れない」

 淡々としたアヒルの声が、資料室に響く。

「人の痛みにも気付くことが出来ずに、ただ何の意味もなく、言葉を発し続けてたかも知れない」

 空を見上げていたアヒルが、そっと視線を下ろし、窓の外から、再び部屋の中へと視線を移す。

「そんな奴だったら、“安の神”にだって、なれてなかったかも知れねぇだろ?」

 どこか試すような笑みを浮かべ、首を傾けて、アヒルが恵へと問いかける。

「確かに苦しかったし、辛かったし、色んなことがあったけど…」

 カモメの死を背負った過去を思い出し、アヒルが少し俯いた後、またゆっくりと、その顔を上げる。

「今、“安の神”として、言葉を守るために戦えることを、俺は誇りに思ってる」

 大きく胸を張り、晴れやかな笑顔で、アヒルが言い放つ。

「だから先生、“関係ない”なんて、言わないでくれよ」

 アヒルの笑みが、少し困ったようになる。

「俺たちの“言葉”だ。皆の“言葉”だ。関係ない人間なんて、この世界に、たったの一人も居ない」

「朝比奈…」

「それに、俺は」

 アヒルがそっと、口を開く。

「俺は、先生と同じ“時”を生きたい」

「……!」

 アヒルのその言葉に、恵が驚いた様子で、大きく目を見開く。


―――俺、先生と同じ“時”を生きてみたいな…―――

 それはかつて、カモメが恵へと放った言葉。


「俺たちがいつか、ここを卒業していくように、恵先生にもこの場所で、卒業アルバムの中で、一つひとつ、年を重ねていってもらいたい」

 誠実な笑みを浮かべ、アヒルがはっきりとした口調で、さらに言葉を続ける。

「その為にも、俺は戦いたい」

 そのまっすぐな瞳が、何にも遮られることなく、恵へと向けられる。

「俺、頑張るからさ、だから、恵先生も一緒に戦ってくれ!な?」

 アヒルがさらに、笑みを大きくする。その笑みを向けられた恵は、堪えられないものを押さえるように、右手で口元を覆い、アヒルに顔が見えないように、深く俯いた。

「……敵わないな」

「へ?」

「いや」

 恵の言葉が聞き取れず、首を傾げたアヒルへ、恵がすぐに声を返し、口元を覆っていた手を下ろして、ゆっくりと顔を上げる。

「あまりにもカモメと同じことを言うから、少し昔を思い出しただけだ」

「カー兄が、同じことを?」

 その言葉に、アヒルが目を丸くする。

「じゃあカー兄も、先生の“永遠”を…」

「ああ、知っていた」

 恵が認めるように、そっと頷く。

「“永遠”の暗闇の中で苦しんでいた私にとって、たった一つの光のようなものだった。カモメは」

「……っ」

 懐かしむように目を細め、悲しげな笑みを浮かべる恵を見て、アヒルが少し眉をひそめる。

「恋人、だったのか…?」

 アヒルが躊躇いがちに、一つずつ、言葉を綴る。

「え?」

「いや、その」

 少し驚いた様子で振り向いた恵から、途端に目を離し、頭を掻くアヒル。

「奈々瀬がさ、恵先生の部屋行った時に、カー兄の写真飾ってあったって言ってたから、もしかして、と思ってさ」

 頭を掻きながら、アヒルがどこかぎこちなく、言葉を続ける。担任の教師と、大好きだった兄が恋人同士であったかも知れないと思えば、ぎこちなくなるのも無理はないだろう。そんなアヒルを見て、恵は少し困ったように微笑んだ。

「安心しろ。そんな関係じゃない」

「へ?」

 恵の答えに、アヒルが再び、恵の方を振り向く。

「大好きだった兄の恋人が、こんな乱暴教師じゃ、気が気じゃないもんなぁ」

「そういうつもりで言ったんじゃ…」

 また恵から視線を逸らし、俯いて、否定の言葉を発するアヒルであったが、その言葉は途中で途切れ、恵へと届きはしなかった。

「ただ、救われていたんだ」

「え…?」

 聞こえてくる言葉に、アヒルがまた、顔を上げる。

「あいつの優しさに、笑顔に、言葉に…」


―――先生…―――

 今も思い出の中で、優しく微笑みかける青年。


「その一つひとつに、私はただ、救われていた…」

 天井を見上げた恵が、天井よりもさらに遠くを見つめるような瞳で、そっと微笑む。

「あいつと居る時は、何でかな」

 自分でも戸惑うように、恵が呟く。

「この“永遠”の時の中じゃなくて、“刹那”を生きてるような、そんな気がしたんだ」

「恵先生…」

 恵の泣き出しそうな声を聞きながら、アヒルは何も言えずに、ただ、恵を見つめ続けた。

「さぁ、昔話は終わりだ」

 恵が話を、自分自身の気持ちを切り替えるように、ポンと一つ手を叩き、いつものように、はっきりとした口調で、明るい笑みを浮かべ、アヒルの方を見る。

「ウズラたちにも、話しに行くんだろう?もう期限も間近だ。とっとと行けよ」

「あ、そうだった」

 資料室の掛け時計を確認し、アヒルが思い出した様子で頷く。

「あれ、でも今日、居残り掃除は」

「免除してやる。今日だけ、特別な」

「サンキュ…ってか、別に今日、遅刻してねぇんだから、免除は当然だろうが!」

 恵の言葉に一度は礼を言いかけたアヒルであったが、今日、掃除をさせられる必要性がなかったことを思い出し、恵を力強く指差して、反論する。

「ったく!じゃあ俺行くから、また後でっ…」

「朝比奈」

「へ?」

 歩を進め、部屋を出て行こうとしたアヒルを、扉を開いたところで、恵が呼び止める。アヒルは部屋から出かかった体を戻し、恵の方を振り返った。

「ありがとう」

「……っ」

 笑顔の恵から向けられる言葉に、アヒルもそっと笑みを零す。

「ああ」

 恵の言葉をしっかりと受け止めて、アヒルは国語資料室を後にした。大きな音を立てて扉が閉まり、部屋に一人残った恵が、静かに立ち尽くす。

「……ありがとう」

 もう一度、噛み締めるように、恵はその言葉を繰り返した。



「…………」

 国語資料室にある窓のすぐ下、部屋の外側の中庭に座り込んでいるスズメは、深く考え込むような、神妙な表情を見せ、しゃがみ込んだまま、青い空を見上げていた。

「また、盗み聞き?」

「ん?」

 聞こえてくる、よく聞き覚えのあるその声に、スズメが空から視線を下ろし、振り向く。

「ツバメ」

 スズメが振り向くと、そこにはツバメが立っていた。

「何してんだよ?オカルト同好会中だろ?」

「今日、定休日だから…」

「あっそ。つーか、部活って定休日って言い方、すんのか?」

 少し呆れたような表情を見せながら、スズメがツバメへと言葉を掛ける。

「アヒルくんと恵先生の会話、聞いてたの?」

 ツバメが窓の外から部屋の中を見て、資料室で話しているアヒルと恵の姿を捉える。

「ああ。そしたら恵ちゃんがいきなり、兄貴への想いを語り出して、マジ恋心が抉れた」

 スズメが両手で心臓を押さえ、その表情を大きく歪める。

「やっぱ失恋て、甘酸っぱいよなぁ。ああぁ~、あの日のヒトミの気持ちが、痛いほどわかるぜ」

「はぁ…」

 しみじみと語るスズメを見て、ツバメが少し困ったように肩を落とす。

「スズメのそれは、恋心とかじゃなくて、ただのカモメ兄さんへの対抗心じゃないの…?」

「……っ」

 ツバメの鋭い問いかけに、スズメが眉をひそめる。

「兄さんが好きになったものを、追いかけるように好きになる…スズメは、何でもそうだよね」

 少し低いツバメの声が、スズメへと落とされる。

「恋盲腸も、ナスビも、恵先生も…」

 ツバメの言葉を聞きながら、スズメが、その言葉を否定しようとはせず、鋭く目を細める。

「仕方ねぇだろ」

 短く言葉を放って、その場で立ち上がるスズメ。

「俺は男の子なの。男なら普通、兄ちゃんに対抗心の一つや二つ、燃やすだろうが」

「恵先生は、恋盲腸やナスビとは違う。人なんだよ…?」

 どこか子供っぽく主張するスズメに対し、ツバメが責めるように、言葉を向ける。

「その、一つや二つの対抗心が、あの人の心を抉ることだってあるんだ…」

「…………」

 ツバメの言葉を聞き、スズメが頬を膨らますような子供らしい顔から、真剣な、鋭い表情へと変わる。

「はぁ~あ、大人だよなぁ。ツバメもアヒルも」

 大きく両手を伸ばしながら、スズメが少し気の抜けた声を漏らす。伸ばしていた手を下ろし、スズメはまた、上空に広がる空を見つめた。

「結局、一番ガキなのは、俺なのかもなぁ」

 青い空を見つめ、スズメが少し、自嘲するような笑みを浮かべる。

「さぁーて、帰りに恋雑誌キュンクルの最新号でも、立ち読みしてくっかなぁ」

 上を向いたままツバメに背を向け、その場を去ろうと歩を進めていくスズメ。

「スズメ…!」

「大丈夫」

 呼び止めたツバメに、スズメはすぐさま、声を返した。

「大丈夫だ」

 振り返ったスズメが、ツバメに、短い言葉と共に、少し悲しげな笑みを向ける。そしてまた、すぐに背を向け、スズメはその場を去っていった。

「スズメ…」

 中庭に一人、残ったツバメが、どこか不安げに、片割れの名を呟く。

「あれ?ツバメさん?」

「え…?」

 背後から名を呼ばれ、ツバメが戸惑うように振り返る。

「きゃあ!やっぱりツバメさんだぁ!超偶然ですねぇ~もしかして、運命!?」

「想子ちゃん…」

 勢いよくツバメの前へとやって来て、黄色い声をあげたのは、アヒルの幼馴染みで、七架の親友でもある想子であった。部活の途中であろうか、剣道の胴着を身に纏っている。

「ツバメさん、どうしたんですかぁ?こんなところに一人で」

「あ、いや…」

 不思議そうに問いかける想子に、ツバメが誤魔化すように、首を横に振る。

「想子ちゃんは、部活…?」

「はい!今日は短縮練習の日なんで、もう終わったんですけど」

「じゃあ、久し振りに一緒に帰ろうか…?僕も今日は、部活もないし」

「え!?」

 ツバメのさりげない誘いに、想子は、雷撃でも走ったかのように、大きく目を見開く。

「ほ、ほほほほほ本当ですか!?」

「うん。下駄箱で待ってるよ…」

 微笑むツバメに、想子はさらに驚きの表情を見せた後、必死に堪えるように体を震わせて、それでも溢れ出てしまったかのように、大きな笑みを浮かべた。

「マッハで着替えてきます!」

「別にゆっくりで大丈夫だよ…」

 猛スピードでその場を飛び出していく想子を、ツバメが軽く手を振り、見送る。

「ふぅ…」

 嵐のように想子が去り、また一人となったツバメが、深く肩を落とす。

「……っ」

 視線を落としたツバメは、鋭く、その瞳を細めた。



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