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あノ神ハキミ。  作者: はるかわちかぜ
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Word.71 明日ナキ少年 〈3〉

――――恵の時が止まって、一年。


「神!」

 その呼びかけに振り返る、一人の青年。細身ではあるが、すらりと伸びた身長。長い身丈に、袴姿が良く似合っている。まだ幼さを残しながらも、どこか男らしい精悍さも共存した、そんな顔立ちだ。その口元を綻ばせ、青年が笑みを浮かべる。

みつる

 韻本部内の廊下を駆け抜け、青年のもとへとやって来たのは、“美守みもり”の充であった。

「どうしたの?」

「はい。それが韻本部から、忌退治の依頼が来まして」

「また?今、昨日の報告書出して来たところなのに」

「そうなんです、はい」

 青年の言葉に頷き、充が困ったように肩を落とす。

「最近、我が団への皺寄せは激し過ぎますよ。まったく」

「まぁ仕方ないよ。今、他の神は皆、忙しいんだし」

「為介君?」

 名を呼ばれ、青年がゆっくりと振り返る。

「茜サン」

 青年が、為介が振り返ると、そこには、茜が立っていた。穏やかな笑顔を浮かべた茜は、とても大切そうに、その両手に、小さな赤ん坊を抱えていた。

「久し振りねぇ。凄く大きくなっちゃって」

 懐かしそうに為介を見ながら、茜が笑みを浮かべる。四年前、茜の腰程しか身長のなかった為介も、神となった十二歳から十六歳へと成長し、今はすっかり、茜を見下ろす形となっている。

「見違えちゃった」

「茜サンこそ、すっかり“お母さん”じゃないですか」

 言葉を返しながら、為介が茜のもとへと歩み寄る。

「こんにちはぁ、カモメクン」

 為介が、茜の腕の中の赤ん坊の、柔らかい頬に指を触れ、優しく微笑みかける。二年前、結婚したウズラと茜の間には、半年ほど前に、長男カモメが誕生していた。

「子育ては、やっぱり大変ですか?」

「うん。でもまぁ、ウズラさんが手伝ってくれるし、それにお兄ちゃんも、お店しながら、何だかんだで気に掛けてくれてるから」

「明サン、すっかり甥っ子バカですもんねぇ」

 いつもケンカ腰の明が、必死に笑みを作り、カモメをあやしていた姿を思い出し、為介が笑みを零す。

「宇の神は、引退を考えているとお聞きしましたが?」

「え?」

「ああ」

 横から口を挟んだ充の言葉に、為介は少し驚くような表情を見せるが、茜はあっさりと笑顔で頷く。

「そうなんですかぁ?」

「うん、そうみたい」

「やはり、仕事と子育てに加えての、五十音士任務は厳しいと?」

「それもあるけど、前々からちょっと考えてたみたい。もう十年以上も神やってるし、そろそろ若い世代に譲りたいって」

 眼鏡を押し上げ、問いかける充に、茜がすらすらと答えていく。

「若い世代って…宇の神、僕と同い年なんですけどねぇ」

「充も引退したらぁ?」

「して欲しいんですか?」

「どうだろ?」

 鋭く問いかける充に、為介が誤魔化すように笑みを浮かべる。初めこそ、為介の身勝手な態度に苦労していた充であったが、為介が成長したこともあり、二人の関係はすっかり良好となっていた。

「若い世代の人たちに、言葉の大切さを知って欲しいってことは、前からよく言ってたから。ウズラさん」

「そういえば、そうでしたねぇ」

 茜の言葉に、薄く笑みを浮かべ、為介がそっと頷く。

「新しい神様が出てきたら、為介君もついに先輩ね」

「そうですよ、神。そしたら、神試験は我々で行わないと」

「ええぇ~、面倒だなぁ」

 二人に言われ、困ったように頭を掻く為介。

「充だけで、何とかなんない?」

「なりません。絶対に、神に行っていただきます」

 首を傾げ、機嫌をうかがうように問いかける為介に、充がきっぱりと言い切る。

「為介君が神試験かぁ。そう考えると、懐かしいわぁ。為介君が“為の神”になったばかりの頃が」

 両手に抱いた赤ん坊を小さく揺らしながら、茜が懐かしむように目を細める。

「こうして、時は流れていくのねぇ」

「……っ」

 茜のその言葉に、為介の表情が曇る。

「時は、流れる…」

 耳に入れた言葉を繰り返しながら、どこか神妙な表情を見せる為介。

「神?」

「ちょっと用事、思い出しちゃった。依頼は受けるから、悪いけど充、詳細聞いて、後で伝えてくれる?」

「あ、はい。仰せのままに」

 為介の様子に少し戸惑いながらも、充は神附きとして、指示に素直に頷く。

「……っ」

 茜と充に背を向けると、為介は途端に厳しい表情となって、足早に廊下の曲がり角の向こうへと、歩き去っていった。もう見えない為介の、居なくなっていった方向を見つめたまま、充が少し首を傾げる。

「どうかなさったのでしょうか?」

「…………」

 充の問いかけに、茜は答えず、どこか悲しげに、その瞳を細めた。




 一方、茜、充のもとから去った為介は、二人から見えない場所まで来ると、途端に足の速度を緩め、ゆっくりと、人気のない廊下を進んでいた。ある部屋の前まで来たところで、為介がふと足を止める。誰もいない、会議用の部屋だ。扉が開いており、廊下から全貌が見える。


―――今日付けで、“為の神”になった、井戸端為介だ―――


 そこは、神となった為介が、初めて他の神たちとの顔合わせを行った部屋であった。ただ生意気でしかなかった幼き日の自分と、怒鳴りあげていた明や、呆気に取られていた他の神の姿を思い出し、為介がそっと目を細める。

「なんで、あんな風でしか、いられなかったのかな…」

 かつての自分の振る舞いや言動を思い出し、為介が小さく声を落とす。為介がただの人であったなら、“あんな時期もあったな”と、懐かしみ、微笑むことが出来たのかも知れない。だが、為介には、とても笑うことなど出来なかった。


―――逃げ、て…為介…―――

―――あ…ああああああ…!!―――


「……っ」

 たった一人の人の人生を、大きく狂わせてしまったあの日の出来事を思い出し、為介が深く俯く。

「後悔したって、何にもならないのにね…」

 俯いた為介が、自嘲するような笑みを浮かべる。

「為介…?」

 聞き覚えのあるその声が耳に入り、大きく目を見開いた為介が、少し躊躇うように、恐る恐る後方を振り返る。

「遠、久サン…」

 為介が振り返ると、そこには、四年前のあの日と、何ら変わりない姿の遠久が立っていた。

「ああ、やっぱり為介だったんだ。良かった」

 振り返った為介を見て、遠久が安心したように笑う。

「この前会った時と、随分変わってたから、間違ってたらどうしようかと思っちゃった」

 遠久は悪戯っぽく笑うが、為介はそんな遠久に、言葉も、笑みも返すことが出来なかった。その間にも、遠久は歩を進め、ゆっくりと為介のすぐ前までやって来る。

「年を取ったね、為介…」

「…………」

 伸びた身長は、いつの間にか、遠久の背も通り越していた。成長した為介を見上げ、遠久がそっと笑う。その笑みが、為介には、突き刺さるほど鋭いものに思えた。

「いくつになったんだっけ?為介」

「十六、です」

「そっか。じゃあ俺と同い年だ」

「……っ」

 遠久の言葉に、為介の表情がまた曇る。為介が十二の時、遠久と初めて出会った。その時も、遠久は十六であった。同い年になど、なるはずがないというのに、為介は今、時の止まった遠久の年に、追いついてしまったのである。

「じゃあ来年には、為介がお兄さんかぁ。もう“為介さん”て呼ばないといけないかな?」

 まっすぐに向けられる遠久の視線から、逃げるように目を逸らし、唇を噛み締める為介。

「いいなぁ。為介には、“明日”があって」

 為介から少し距離を離し、腰の後ろで手を組んだ遠久が、またまっすぐに為介を見つめる。

「ねぇ、後何センチ、身長が伸びるの?」

 続く遠久の問いかけが、為介の心を責め立てる。

「遠久サン…」

 やめてと願うように、俯いたまま、為介が遠久の名を呼ぶ。

「ねぇ、為介は大人になったら、タバコを吸うの?お酒を飲むの?」

「遠久サン」

「愛する人と結婚するの?その人と子供を儲けるの?」

 為介がもう一度、名を呼ぶが、それにも止まらず、遠久は言葉を続ける。

「ねぇ、後いくつ、年を取れるの?ねぇ為介、ねぇ…」

「遠久サン…!」

「……っ」

 遠久の声を遮るように、必死に放たれた為介の声。その声にやっと、遠久が言葉を止める。俯いたままの為介は、深く瞳を閉じ、怯えるように、肩を拳を、震わせていた。そんな為介を見つめ、遠久が鋭く、目を細める。

「ねぇ為介、俺を置いて、死んで逝くの…?」

「…………」

 遠久の最後の問いかけにも、為介は固く瞳を閉じたまま、答えようとはしなかった。苦しげな為介の様子を見つめ、遠久もどこか、苦しげに笑う。

「ごめんね…」

 小さく謝罪の言葉を落とすと、遠久は為介に背を向け、そのままその場から、歩き去っていった。やがて遠久の姿が見えなくなり、わずかに聞こえていた足音も止む。

「ク…」

 一人残った為介は、目を開けられぬまま、声にならない声を漏らす。

「ク…!」

 どこにも持っていくことの出来ない気持ちを抱え、為介は、さらに深く俯いた。




 韻本部、恵自室。

「それでは、報告書を言姫さまに提出してまいります」

「ああ、頼んだ。芽衣子」

「はい」

 恵が判を押した書類を受け取り、芽衣子が笑顔で頷く。一年前、時の止まった恵は、遠久同様、年を取ることがなくなり、一年前とまるで同じ姿をしていた。そんな自身の神の姿をまじまじと見つめ、芽衣子がそっと表情を曇らせる。

「恵さま…」

「ん?」

 芽衣子に呼ばれ、次の書類に目を落としていた恵が、ゆっくりと顔を上げる。

「後悔、されていませんか…?」

「え…?」

 急なその問いかけに、恵が戸惑った声を漏らす。

「ご自身の時を、“永遠”としたこと…」

 その事実に逃げることなく、まっすぐに向き合うように視線を向けてくる芽衣子を見つめ、恵が真剣な表情となって、目を細める。

「心から嬉しく思っている、といえば嘘になるがな…だが、後悔はしていない」

 小さく笑みを零し、恵が迷うことなく答える。

「自身の言葉を悔いることは、言葉の神に、あってはならぬことだからな」

「恵さま…」

「それに少し、ホッとしているんだ」

 眉をひそめる芽衣子を前に、恵はさらに言葉を続ける。

「これで遠久だけに、“永遠”を強いなくて済む。遠久だけを“永遠”にしてしまっていたら、私はきっと、私自身の言葉を後悔したままだっただろう」

 腰を掛けている椅子を回転させ、後方にある窓から、外の景色を見つめる恵。

「だから少し、ホッとしている…」

 もう一度、その言葉を繰り返した恵の表情は、とても穏やかであった。

「お前たちと、流れていく時を生きられないのは、残念だがな」

 再び振り返り、少し寂しげに笑みを浮かべる恵。

「だが、私には遠久がいる」

 その笑みが少しだけ、明るくなる。

「遠久がいてくれれば、私はきっと、“永遠”の時も生きていける。だから、大丈夫だ」

「恵さま」

 噛み締めるようにそう言って、恵が右手を、自身の胸へと当てる。その恵の笑顔につられるようにして、芽衣子も少し安心したように、笑みを浮かべた。

「遠久も、少しでもいいから、私を支えにしてくれればいいんだが…」

「大丈夫ですよ」

 少し俯いた恵に、芽衣子がすぐさま声をかける。

「遠久さまもきっと、同じ気持ちです」

「芽衣子…」

 大きく微笑む芽衣子を見つめ、恵がそっと目を細める。

「ありがとう」




 その頃、韻本部、遠久自室。

「同じ、顔…」

 日も暮れ始め、暗くなり始めた部屋の中で一人、遠久は電気も点けずに、壁に設置された姿見をじっと見つめていた。そこに映る自身の姿は、四年前から、一度も変わっていない。背も髪も伸びずに、ただ同じ姿を毎日、遠久に見せる。

「同じ声、同じ姿、同じ時間…」

 何も変わらない自分の姿を、まっすぐに見つめながら、遠久が強く、拳を握り締める。

「同じ、命…」

 言葉と共に、強く突き出された拳が、目の前の鏡面を勢いよく砕き割った。割れたガラス片が突き刺さり、遠久の拳から、赤い血が滴り落ちる。だが遠久は一切、痛みを表情には出さず、ただ静かに、床に落ちる血を見つめていた。

「失礼致します」

 そこへ、数度のノックの音の後に、桃雪が部屋の中へと入って来る。

「神、先程の報告書で…神!?」

 部屋へと入り、すぐに電気を点けた桃雪は、割れた姿見の前に立った遠久の姿を見つけ、流れている血を目にして、すぐに顔色を変えた。

「だ、大丈夫ですか!?神、すぐに治療を…!」

「いいよ」

 慌てて駆け寄って来る桃雪に、遠久が短く答える。

「こんなに血を流したって、どうせ、死ねないんだし…」

「神…」

 どこか諦めたように言葉を吐き捨てる遠久を見て、桃雪が眉をひそめる。

「ねぇ、桃雪…桃雪も、俺より先に死ぬんでしょ…?」

 流れ落ちる血を見つめながら、遠久が桃雪へと問いかける。

「神」

「いいな…皆には、“明日”があって」

 桃雪がまっすぐに見つめる中、遠久がゆっくりと、言葉を続ける。

「俺には…俺には“明日”がない」

 流れる血も、刺さったガラス片も無視し、拳を握り締める遠久。

「皆から、“明日”がなくなってしまえばいいのに…」

 遠久が少し口角を吊り上げ、皮肉った笑みを零す。

「この世界中の皆から、“明日”がなくなってしまえば…」

「神…」

 呼びかける桃雪の声が聞こえ、何かに取り憑かれたように、言葉を続けていた遠久は、少しハッとなって、やっとその言葉を止め、いつものように穏やかに微笑んだ。

「ごめんね。俺、今ちょっと、おかしくなっ…」

「あなたが望むのであれば、僕は年を取りません」

「え…?」

 微笑みかけ、安心させるように言葉を向けようとした遠久の声を、桃雪が力強く遮る。

「あなたが望むのであれば、僕は死にません」

「桃、雪…?」

「あなたが望むのであれば、僕も“明日”などいりません」

「……っ」

 戸惑いの表情を見せていた遠久が、桃雪の真剣な眼差しを受け、険しい表情を作る。

「あなたが“明日”を消すというのであれば、僕もそれに従います」

 血とガラス片に汚れた遠久の手を、桃雪が握り締める。

「すべては、あなたの仰せのままに」

 赤い血が、桃雪の白い手にも滲む。

「我が神」

「…………」

 その言葉が、遠久の背中を押し、その言葉が、遠久に警笛を鳴らすようであった。


 同じ気持ちであったならいいと、そう信じていたのは、ただそう、願っていたから。けれど。



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