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あノ神ハキミ。  作者: はるかわちかぜ
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Word.71 明日ナキ少年 〈1〉

 とある町、とある小さな診療所。

「お忙しいのに、わざわざこんな所まで、申し訳ありません。ウズラ様」

 簡素な病室の、寝台の上へと座った青年が、どこか申し訳なさそうな表情を作る。寝着をまとった青年は、色白で痩せており、見るからに体が弱そうに見えた。

「いやぁ、別に忙しくはないよぉ。まだ、ただの学生だもん」

 そんな青年へと笑顔を向ける、寝台のすぐ横の椅子へと座ったウズラ。ウズラは、診療所で療養中のこの青年、ウズラの神附きで、“武守むもり”の武藤むとう宗吉むねよしのもとへ、見舞いに訪れたのである。宗吉は生まれつき体が弱く、今は五十音士としての活動を休んでいた。

「僕の体が弱いせいで、ウズラ様には色々と、ご迷惑をおかけしまして…」

「俺なら大丈夫だよ。代理の熊子ちゃんがよくやってくれてるし、“奴守ぬもり”の塗壁クンも手を貸してくれてる」

 そっと俯く宗吉に、ウズラがさらに大きな笑みを向ける。

「宇団は大丈夫さ。だから気にせず、君はしっかりと治療に専念して」

「はい」

 ウズラの言葉に、どこか控えめに頷く宗吉。

「あの二人に、感謝しないといけませんね」

「そうだねぇ」

 しみじみと呟く宗吉に対し、ウズラも大きく頷く。

「そういえばウズラ様、最近、新しい五神が入られたそうですね」

「ああぁ~いっちゃんねぇ」

 宗吉の言葉に、生意気な少年、為介の姿を思い出し、ウズラが少し困ったような笑みを浮かべる。

「相当に若いと聞きましたが、どうですか?」

「ん~、まぁ最初こそ、色々と揉めたけどねぇ。最近は結構、いい感じかなぁ」

 具体的な言葉を避け、何となくの空気だけを宗吉へと伝えるウズラ。

「けどまぁ、いい神様になると思うよぉ」

「ウズラ様がそう仰るのでしたら、間違いありませんね」

 あまりはっきりとはしていないウズラの言葉を、信じ切った様子で頷き、宗吉が穏やかに微笑む。

「若い神では、遠久とをひさ様もいらっしゃいますし、五十音界はしばらく、安泰ですね」

「うん、そうだねぇ。これで俺も、いつでも安心して引退出来るよぉ」

「やめて下さいよ。僕の体が治るまで、ウズラ様には神でいていただかないと」

「あ、そっか。アハハハ」

 困ったように口を尖らせる宗吉に、ウズラは大きな笑みを零した。

「神!」

 その時、病室の扉が勢いよく開き、強く響く声と共に、熊子が入って来た。静けさに慣れていたウズラたちは、少し驚いた様子で、入って来た熊子の方を見る。

「なぁにぃ?熊子ちゃん。ここは病室なんだから、もっと静かにしな…」

 注意しようとしたウズラが、ひどく焦ったような、青白い表情を見せている熊子の、いつもとは明らかに異なる様子に気付き、言葉を途中で止めて、眉をひそめる。

「何か、あったの…?」

 すぐさま険しい表情となり、ウズラが熊子へと問いかける。そんなウズラをまっすぐに見据え、少し躊躇うように口を動かして、熊子がやっと、声を発した。

の神と、の神がっ…」

「……っ」

 熊子から伝えられた言葉に、ウズラはますます、険しい表情を作った。




 韻本部、集中治療室前。

「茜!」

 八百屋の格好のまま、神附きの正一まさいちを従え、その場へと駆け込んできたのは、あけるであった。

「お兄ちゃん」

 治療室の前のベンチに腰掛けていた茜が、兄の姿を見つけ、思わず身を乗り出す。

「だいたいの話は、正一から聞いた!状況は!?」

「怪我人は全員、ここに運ばれて、今、芽衣子めいこさんと桃雪さんが、残りの忌退治にあたってる」

 明の問いかけに、冷静に答えていく茜。そんな茜と身を寄り添うようにして、ベンチに座っているのは、為介であった。為介の衣服はボロボロで、所々に赤い血が滲んでいる。

「為介!」

 茜のすぐ隣に為介の姿を見つけ、明が目を見開き、すぐさま為介の方へと駆け寄っていく。

「無事か!?怪我は!?」

「…………」

 明が為介の目の前へと駆け寄り、必死に声を掛けるが、為介は深く俯いたまま、明の言葉に答えようとはしなかった。

「為介?」

「為介君は大丈夫」

 答えない為介に代わり、為介の小さな背を支えたまま、茜が口を開く。

「怪我は酷かったけど、もうすっかり治療は終わってるから。けど…」

 言葉を付け加えた茜が表情を曇らせ、ゆっくりと前方へと視線を移す。その先には、『集中治療室』と書かれた、分厚い扉。

「遠久君が…」

「……っ」

 茜のその言葉を聞き、眉をひそめた明が、茜と同じように、前方の扉を見つめる。

「遠久…」



 同刻、集中治療室内。

「止血急げ!輸血準備もだ!早く!」

 治療室では、忌との戦いで重傷を負い、韻本部に運ばれ、寝台の上へと横たわっている、遠久の治療が、必死に行われていた。忙しなく動く韻の治療班の者たちの中で、恵は、寝台のすぐ横で膝をつき、祈るような表情で、血にまみれた遠久の手を握り締めている。

「遠久…」

 握り締める手に力を込め、恵が目を閉じたままの遠久を見つめる。

「遠久…!」

 悔しげに唇を噛み締め、恵が深く瞳を閉じる。

「心拍数、低下!処置、追いつきません!」

「腹部臓器損傷大!言葉による治療も、まったく効果無し!」

「これ以上は、手の施しようがありません!」

 恵の祈りも虚しく、治療室内には、絶望的な言葉が飛び交う。瞳を閉じた恵は、現実を直視することを恐れるように、そのまま瞳を開こうとはしなかった。

「お、姉ちゃん…」

「……!」

 ずっと瞳を閉じていた恵が、耳へと入って来るその声に、すぐさま大きく目を見開く。それは聞き慣れた、弟の声であった。

「遠久…!?遠久…!」

 遠久の呼びかけを確かに聞き取り、目を開いた恵が、手を握り締めたまま、必死に身を乗り出す。横たわったままの遠久が、薄らとその瞳を開いていた。

「遠久…!」

「お姉、ちゃん…」

 処置を行っていた韻の者が、遠久の口元に付けられた酸素マスクを取る。そんな中で恵がもう一度、必死に名を呼ぶと、遠久は小さな声ながら、その呼びかけに答える。恵はその場で立ち上がり、上から見上げるようにして、首も動かせない遠久と視線を合わせた。

「死に、たくない…」

「え…?」

 恵をまっすぐに見た遠久が、途切れ途切れの言葉で願う。

「遠久…?」

 今の言葉を確かめるように、恵がまた、遠久の名を呼ぶ。

「死にたく、ないよ…お姉、ちゃん…」

「……っ」

 小さいながらも、はっきりと届く言葉。弱々しいながらも、縋るように強く見つめる瞳。遠久のその願いを聞き、恵が大きく目を見開く。

「心拍数、さらに低下!」

「止血、間に合いません!危険な状態です!」

「…………」

 周囲が一層、慌てふためき、切羽詰まった必死の声が飛び交う中、乗り出していた体を後ろへと下げた恵は、一人、ひどく落ち着いた表情を見せていた。周囲の声が、鳴り響く機械音がすべて、別世界からのもののように、遠く聞こえる。

「わかったよ、遠久…」

 小さな声を落とし、恵が穏やかに微笑む。

「お前の願いは、私が叶える」

 遠久の手を握り締めたまま、もう一方の手を、ズボンのポケットへと入れる恵。

「私がお前を、死なせたりしない」

 強く言い切って、恵がポケットから取り出したのは、緑色の言玉であった。

「五十音、第四十九音“ゑ”、解放…」

 恵が取り出した言玉が、恵の中で強い輝きを放ち始める。徐々に治療室を覆っていく緑色の光に、忙しなく動いていた周囲の者たちも動きを止め、固唾を飲んで、二人を見守る。

「ゑ…」

 皆が見守る中、ゆっくりと口を開く恵。

「“永遠ゑいえん”」


 その日、一人の少年の世界から、“明日”が消えた。




 数日後。

「発生した忌には、水に触れると増殖するよう、言葉が施されていたそうです」

 眼鏡のレンズを光らせながら、熊子が報告の書かれた紙を読み上げていく。

「発生した忌は、“女守めもり”、“毛守ももり”を主とする数名の五十音士により、完全に鎮静化されました」

 報告をする熊子の目の前で、ゆったりとソファーに座り、熊子の声に耳を傾けているのは、ウズラであった。いつも明るく微笑んでいるウズラだが、今日の表情はどこか曇っており、険しいものに見える。

「為の神を嵌めた五十音士は、その称号を剥奪、五十音界を永久追放。その他、仲間であった数名の音士も処分を受けています」

「……そう」

 熊子の報告が終わると、ウズラは熊子の方を見ぬまま、小さく頷く。その頷きは、報告の内容になど、まったく興味ないように感じた。そんなウズラの様子を見て、熊子が少し困ったように肩を落とす。

「まったく、興味なさそうですね」

「うん、そうだね。興味ないかなぁ」

 呆れたように言い放つ熊子に、ウズラは笑みを浮かべ、あっさりと頷いた。

「だって結果じゃあ、いくら聞いても、どうにも出来ないんだもん」

「……っ」

 ウズラのその言葉に、熊子がそっと眉をひそめる。

「神」

「ん~?」

 呼びかける熊子に、ウズラが声だけで答える。

「本当に、これで良かったのでしょうか…?」

 真剣な表情を見せた熊子が、どこか躊躇いがちに、ウズラへと問いかける。その問いかけを受けると、ウズラは振り向かぬまま、目を細め、部屋の窓から見える、外の景色を見つめた。

「“良かった”とも“悪かった”とも言えないよ」

 自身も少し戸惑うように、ウズラが言葉を繋げる。

「きっと、誰にもね…」

 そう呟いたウズラは、どこか遠くを見るような瞳を見せた。




 それから、さらに数ヶ月の時が流れた。

「恵さま!」

 韻本部の廊下を歩いていた恵が、背後から聞こえてくる声に気付き、振り返る。恵が振り返ると、廊下の先から芽衣子が、こちらへ向けて、駆けて来ていた。

「芽衣子」

「教員採用試験、合格おめでとうございます」

「あ、ああ」

 駆け寄って笑顔を見せる芽衣子に、恵も少し詰まりながら頷いて、笑みを零す。その笑みはあまり嬉しそうではなく、どこか曇っているように見える。

「春からはいよいよ、教師ですね」

「ああ…」

「恵さま?」

 念願叶ったというのに、晴れやかではない恵のその様子に気付き、芽衣子が少し戸惑うように首を傾げる。

「どうか、なさいましたか?」

「いや、別に何でもな…」

「お姉ちゃん」

「……っ」

 芽衣子の問いかけに答えようとしていた恵の言葉が、後方から聞こえてくるその呼びかけに、息を呑むように、止まる。

「ああ、遠久さま」

「こんにちは、芽衣子さん」

 爽やかな笑顔を見せながら、二人のもとへとやって来たのは、遠久であった。遠久は顔色も良く、とても元気な様子で、体にも傷が残っているようには見えなかった。

「もうお体はよろしいのですか?」

「うん、すっかり。先週から、神としての活動にも復帰したしね」

 問いかける芽衣子に、遠久は笑顔で答えていく。

「それは良かったです」

「うん。全部、お姉ちゃんのお陰だよ」

 遠久のその言葉に、恵の表情がかすかに動く。

「では恵さま、私は報告がありますので、また後で」

「ああ」

「遠久さまも、失礼いたします」

「うん」

 恵と遠久に丁寧に頭を下げると、芽衣子はそのまま背を向け、廊下の先へと歩き去っていった。その場に恵と遠久だけが残り、静けさが包み込む。

「今日は、依頼か?」

「ううん、桃雪との打ち合わせだけ。忌退治はもう少し、療養してからにしろって」

「そうか…」

 遠久の言葉に頷きながら、恵がそっと視線を落とす。先程から恵は、遠久を直視しようとはせず、一度も遠久とは目を合わせていなかった。

「お姉ちゃん」

「ん?」

 その呼びかけにも、恵は振り向かない。決してこちらを見ようとしない姉を見つめ、遠久は少し困ったように微笑み、目を細める。

「俺、後悔はしてないから」

 はっきりと届くその言葉に、恵が驚いたように目を見開き、顔を上げ、やっと遠久の方を見る。

「為介を助けに行ったことも、死にたくないって願ったことも、後悔してない」

 やっとこちらを見た恵へと、遠久が穏やかな笑みを浮かべる。

「今、ここに生きていられて、凄く嬉しいよ」

 遠久がその笑みを、さらに大きなものへと変える。

「だから、そんな顔しないで。お姉ちゃん」

「遠久…」

 恵を気遣うように、優しい言葉を投げかける遠久。恵が瀕死の遠久へと掛けた、“永遠ゑいえん”の言葉。それにより遠久は助かったのだが、同時に、遠久の時を止めてしまったことを、恵が悔やんでいることに、遠久も気付いていたのだろう。

「俺なら大丈夫。大丈夫だから、ね?」

 微笑みかける遠久に、恵もゆっくりと微笑みを作る。

「ああ…」

 恵を安心させようとする遠久の言葉に、恵自身も、遠久を安心させるために頷いた。


 その時の二人はまだ、“永遠”という言葉の重みを、理解出来ていなかったのかも知れない。



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