Word.8 転校生ト言姫 〈1〉
穏やかな朝。窓の外からは、小鳥たちの囀りが聞こえてくる。
「んん~っ…ハウス、テンボスっ…」
いつものように寝言を呟きながら、アヒルが自室のベッドで寝がえりをうち、気持ち良さそうに眠っている。
「準備はいいか?篭也くん、囁ちゃん」
『いつでも』
アヒルの部屋の扉の、少しだけ開いたその隙間からアヒルの様子を見つつ、またしても何か企んでいる様子の朝比奈家の父と、篭也・囁の両名。
「よし行くぞっ!玉ネギラーッシュっ!!」
勢いよく扉を開き、三人が一斉に、眠っているアヒルへと玉ネギを投げつけ始める。
「痛でででっ!何すんだよ!?てめぇーらっ!」
全身に玉ネギをぶつけられ、痛みに素早く起き上がるアヒル。
「んっ?のぉぉーおっ!?」
起き上がったアヒルの鼻に、勢いよく飛び込んでくる一つの玉ネギ。避ける暇もなく、見事に玉ネギを喰らったアヒルが、折角起きたというのに、再びベッドへと倒れ込んだ。
「鼻に当てましたよ、お父上」
「さっすがは篭也君!鼻はボーナスで十点貰えるからぁ、トータルで四十八点だねっ!」
「てっめぇらっ…」
何やら楽しげに会話をしている父と篭也に、鼻を押さえたまま、怒りを剥き出しにした表情で、アヒルが再びベッドから起き上がる。
「いい加減にっ…!あっ?ぐほぉぉうっ!」
アヒルが怒鳴りあげようとしたその時、またしてもアヒルの鼻に玉ネギが直撃し、アヒルがもう一度、ベッドへと倒れ込んでしまう。
「私も当てたわ…フフっ…」
「おお!囁ちゃんも十点獲得で、トータルは四十九点!篭也君を追い越したぁ!」
「むっ」
父の実況のようなその言葉を聞き、篭也があからさまに顔をしかめる。
「囁ごときに遅れを取るとは不覚」
「あら、言ってくれるわね…私の実力が測れないのかしらっ…?」
「お前こそ、僕との力の差が見えていないんじゃないか?」
玉ネギを持ちながら、何故か互いに闘志を剥き出しにしていく篭也と囁。
「どうやら目で見ないとわからないようねぇ…」
「それはこちらの台詞だっ」
「お、おいおいっ、お前らまさかっ…」
真剣この上なく鋭い表情を見せた二人が、アヒルが焦ったように見つめる中、素早く持っている玉ネギを、アヒルへと構えた。
『神、覚悟っ…!』
「だあああああ!やめろぉぉ!」
二人からの玉ネギ総攻撃を受け、いつもにも増して、必死な叫び声をあげるアヒル。
「アハハぁ~っ!アーくん、大人気ぃ~!」
「……っ」
傍から、他人事のように楽しんでいる父に、ついに堪忍袋の緒が切れたのか、額に血管を浮かび上がらせたアヒルが、近くに落ちていた玉ネギを、素早く拾い上げる。
「いい加減にっ…しやがれぇぇぇっ!!」
「ぐはぁぁぁっ!」
アヒルの投げ放った玉ネギが、父の鼻へと見事に炸裂する。
「十点っ…獲…得っ…ぐぷっ」
そう呟きながら、力尽き倒れる父であった。
「痛ててててっ…」
篭也と囁にそれぞれ玉ネギをぶつけられ、まだ赤く腫れあがった鼻を押さえながら、二人や紺平とともに、学校への道を行くアヒル。
「今日も派手にやらかしたみたいだねぇ」
「俺は何もやってねぇってのっ」
どこか呆れたように呟く紺平に、アヒルが表情をしかめて言い返す。
「こいつらがだなぁっ…!」
「僕?僕が麗しき友人である朝比奈君に、鼻が腫れあがる程、酷いことをするはずがないじゃないですか」
「ニャロウっ…」
後ろを歩く篭也と囁の方を振り返ったアヒルであったが、紺平がいるため、外面用の爽やか笑顔を全開に向けてくる篭也に、勢いよく表情を引きつった。
「だいたい、何でハウステンボスっつったのに、玉ネギなんだよっ」
「初参加ということで…私が提案させてもらったわ…フフフっ…」
「ほぅ…」
楽しげに笑う囁に、アヒルが冷たい視線を投げかける。
「うおぉーい!朝比奈ぁ!」
「あっ?」
前方から名を呼ばれ、後方を振り返っていたアヒルが前を向く。するとそこには、毎度おなじみとなったアニキ率いるヤンキー集団であった。
「この前のこと、あれから俺なりに色々と考えてみた」
「はっ?」
いつもとは違う、何やら真剣な空気を醸し出し、いつもの怒鳴りあげる声ではなく、落ち着いた口調で話し始めるアニキに、アヒルが眉をひそめ、首を傾げる。
「お前と俺とは小学生の頃からの因縁っ…今までの様々な出来事を振り返れば、無かったことになど出来るはずもないっ…」
真面目な顔つきで、少々大袈裟なようにも思えるが、言葉を続けるアニキ。
「小学校の頃からの因縁というのは?」
「確かガァがいたから、アニキ君の出席番号が四年四組四番になっちゃって、不吉な一年が続いたとかって、この前、ツバメさんが言ってたけどっ…」
「実にくだらないわね…」
篭也の問いかけに対する紺平の答えを聞き、呆れきった表情を見せる囁。
「だが俺も人の子っ…お前が望むというのならっ、スパッとトイレに流して、和解しようじゃないかっ…!」
『立派っス!アニキっ!』
きらめく笑顔で言い放つアニキに、子分たちが感動するように目を輝かせる。
「さぁ!友としての第一歩!和解の証の、熱い握手をっ…!」
「うざい」
「ぎゃあああ!」
『アニキぃぃぃっ!?』
アヒルの前へと立ち、笑顔でアヒルへと右手を差し出したアニキが、アヒルの繰り出した拳に、あっさりと弾き飛ばされる。吹っ飛んで返ってくるアニキに、子分たちが驚きの表情を見せる。
「な、何をっ…する…朝比奈っ…」
「なぁんか色々と吹っ切れちゃってさ。この前言ったこと、全部なしなっ」
「はぁっ!?」
軽く言い放つアヒルに、大きく目を見開き、殴られた腹部を押さえながら、何とか起き上がるアニキ。
「なしってお前っ…!」
「お前が忌に取り憑かれたら、そん時はちゃ~んと謝るからよぉ。じゃあ今後ともよろしくなぁ~っ」
「あ、朝比っ…!」
アニキが呼び止める間もなく、アヒルは陽気に手を振り、何事もなかったかのようにアニキの横を通り過ぎて、学校への道を進んでいく。
「…………」
『あ、アニキっ…』
道に座り込んだまま、茫然とするアニキを、心配そうに見つめる子分たち。
「さぁ、僕たちもとっとと行きましょうか」
「そうね…」
「あっ、さ、囁ちゃんっ…!」
「んっ…?」
アヒルに続くように、アニキの横を通り過ぎていく篭也たちであったが、アニキが呼び止め、囁がアニキのすぐ傍で足を止める。
「傷ついた俺の心を癒せるのは君しかいないっ!今こそ、交換日記を始っ…!」
「嫌」
「ぐふっ!」
『あ、アニキぃぃぃ~っ!!』
囁に一瞬にして断られ、その場に倒れ込むアニキなのであった。
言ノ葉高校。一年D組。
「おらぁー、とっとと席着けぇっ」
いつものように面倒臭そうな顔をしながら、出席簿を抱えた恵が、アヒルたちの教室へと入って来る。恵が教壇に立つと、立ち歩いていた生徒たちが皆、大人しく自分の席に着いた。
「席着かねぇー奴は、黒板に頭、叩きつけるよぉっ」
「だから怖ぇーって」
「おっ、珍しく今日も居るじゃねぇーかっ。朝比奈トンビっ」
「アヒルだってのっ!最近、別に遅刻してねぇーだろ?いちいち感心すんなよっ」
席に座っているアヒルを見て、物珍しそうに笑う恵に、アヒルが少し悪態づく。
「あぁー、出席を取る前に、今日は転校生を紹介する」
「転校生っ?」
「またぁ?」
「この前、二人来たとこなのに、またウチのクラスにぃ?」
恵の一言に、急にざわつき始める生徒たち。篭也と囁が転入して来て、まだ数えるほどしか経っていない。短期間でこれほど転校生が来るというのは、確かにおかしな話であった。
「転校生って、またガァの親戚とかじゃないよねぇ?」
「俺に、んなに親戚はいねぇっての。だいたい、あいつ等だって親戚じゃねぇーしっ」
「えっ?」
「いや、何でもないっ」
後ろの席から聞き返してくる紺平に、アヒルが誤魔化すように、首を横に振る。
「おぉーい、入れっ」
「あ、はいっ」
『……っ』
篭也や囁、奈々瀬や想子も見つめる中、教室の前扉がゆっくりと開いた。
「あ、えと…失礼、します…」
教室へと入って来たのは、金色にも近い色素の薄い短髪に、茶色寄りの瞳をした、長身で、手足も長く、全体的に細長い青年であった。大きな図体のわりに、どこかオドオドしており、体を小さく縮め込んでいる。伏し目がちに、ろくに顔を上げぬまま、恵の隣へと立った。その転校生へ、クラス中の視線が集まる。
「名前っ」
「あ、はいっ」
恵に言われ、転校生が慌てた様子で頷く。
「あ、えぇ~っと、俺の名前はそのっ…えっと…」
『……っ?』
なかなか名乗ろうとしない転校生に、クラス中の皆が不思議そうに首を傾げる。
「せ、先生っ」
「あっ?何だ?」
助けを求めるように振り向く転校生に、恵が首を傾げる。
「お、俺なんかが、こんな大勢のみんなの前でっ、名前なんて名乗っていいんでしょうかっ?」
「はぁっ?」
転校生が控え目な態度のまま問いかけると、恵は勢いよく表情を引きつった。
「そんなにオーソドックスな名前じゃないですけど、でも聞いたところで“だから何?”って感じの名前ですし…」
深く俯いたまま、両手の人差し指を合わせ、まるで子供のように言葉を続ける転校生。
「俺が名乗った後に、みんなに不快感を残したらと思うとっ…」
「今、この時がまさに不快じゃあっ!」
「ぎゃあああ!」
『転校生、蹴ったぁっ!?』
ウジウジといつまでも名乗ろうとしない様子に、煮え切ってしまったのか、目尻を吊り上げた恵が、勢いよく転校生を蹴り飛ばした。前扉に叩きつけられ、倒れ込む転校生を見て、生徒たちが焦ったように声を揃える。
「デカい図体して、ウジウジと鬱陶しいんだよ!とっとと名乗れっ!」
「ひゃ、ひゃいっ…高市保でふっ…」
叩きつけられた背中を押さえ、ふらふらと立ち上がりながら、転校生が弱々しい声で名を名乗る。
「容赦ねぇー」
「席はそこだ」
「あっ?」
恵の暴挙に顔を引きつっていたアヒルが、アヒルのすぐ横の席を指差す恵に、少し驚いた顔となる。
「そこの目つきの悪い、朝比奈トンビってクソガキの横の席っ」
「だっからトンビじゃなくって、アヒルだっつってんだろうがっ!誰がクソガキだ!」
「朝比奈…アヒルっ…?」
立ち上がった保が、アヒルの名を呟きながら顔を上げ、ゆっくりとアヒルの方を見た。
「ま、まさか俺の隣の席が不快過ぎてっ、そんな変な名前になってしまったんじゃあっ…!」
「なるかぁっ!ブン殴んぞ!てめぇっ!」
「ひええぇぇ!」
「ちょっと!ガァっ!」
保の言葉にブチ切れ、保へと殴りかかっていこうとするアヒルを、後ろの席から必死に止める紺平。アヒルの恐ろしい顔を見て、保はその大きな体を震わせる。
「あらあら…楽しそうっ…フフ…」
「……っ」
まだ殴りかかろうとしているアヒルと、震えている保を、一番後ろの席から眺めながら、楽しげに微笑む囁。その囁の横の席に座る篭也が、そっと表情を曇らせる。
「どうかした…?篭也…」
「いやっ…」
そんな篭也に気づき、問いかける囁であったが、篭也はすぐさま首を横に振る。
「気のせいだ。たぶん…」
そう言うものの、曇らせた表情を変えようとはしない篭也であった。




