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あノ神ハキミ。  作者: はるかわちかぜ
278/347

Word.70 喜ビナキ少年 〈1〉

 あの日の出来事が、間違いであったというのなら、やり直させてほしい。

 今、すぐに、あの日から。



――――二十六年前、韻本部。


「恵!」

「ああ?」

 韻本部内の、重要機密書庫で、まだ読んでいない本はないかと、本棚をじっと見つめていたその者が、呼びかけられる声に、ゆっくりと振り返る。長い髪を一つに束ねた、鋭い瞳に、凛々しい表情の女性。五十音士の中でも最高位の神、五神いづがみの一人、“の神”目白恵であった。二十代前半だろうか、大人っぽい雰囲気の中に、まだわずかに幼さを残している。

「何だ、茜か」

「何だとは失礼ねぇ」

 恵の名を呼びながら、書庫へと現れたのは、茜と呼ばれた愛らしい少女。ふわふわとした茶色の髪に、大きな瞳で、柔らかな笑顔を見せている。どこか鋭い印象を持つ恵とは、対照的な少女だ。恵よりは、いくつか下の年齢に見えた。

「あんまり、本部内をウロウロすんなよ?いくら兄貴が神だからって、お前自身は五十音士なわけじゃねぇんだから」

「わかってます。それより聞いた?新しい神様のこと」

「ああ、“の神”だろう?」

 近くの本棚に手を伸ばし、適当な本を手に取りながら、恵が茜の言葉に答える。

「昨日、実施された神試験に、合格したと、芽衣子めいこから連絡が来た」

「ええ。それで、その受かった神というのがね」

「十二歳だってんだろ?」

「え?」

 恵の言葉を聞き、茜が拍子抜けした様子で、その大きな瞳を丸くする。

「何だ、知ってたの」

「ああ。それも芽衣子から、連絡が来ていてな」

「芽衣子さんは、優秀過ぎるわね」

「まぁ、私の神附きだからな」

 がっかりと肩を落とす茜を横目に、恵が薄く笑みを浮かべる。

「にしても、十二歳かぁ。若いなぁ」

「ええ。何百年と続いてきた五十音士の歴史の中で、最も若い神だそうよ」

「そりゃ凄い」

 本を読み進めながら、恵があまり感情のこもっていない声で誉める。

遠久とをひさ君が十三歳で最年少記録を樹立した時も、随分と大騒ぎだったのに、それがたったの三年で更新されてしまうなんてねぇ」

「若い音士が育つっていうのは、いいことさ」

 本へと視線を落としたまま、何やら嬉しそうに笑みを浮かべる恵。

「最近の若者は、言葉を使うことが、どうにも下手くそだからねぇ」

「年寄り臭いわよ?恵」

「うっせぇよ」

 呆れたように言い放つ茜に、恵が少し悪態づいて答える。

「それで、その新しい神様っていう子がねぇ」

「それも言わなくていいぞ」

「え?」

 言葉を遮る恵に、茜が首を傾げる。

「これも芽衣子さんから、聞いてるの?」

「いいや、今から見てくるからいいってこと」

「今から?」

 茜がますます戸惑う中、恵が読んでいた本を閉じ、本棚のもとあった場所へと戻す。

「今から、五神の顔合わせなんだ」

 やっと茜の方を見た恵は、どこか楽しげに微笑んだ。




「昨日付けで“の神”になった、井戸端為介だ」

 整った顔立ちをした、少女のような可憐な顔立ちの少年は、その見かけとは対照的に、偉そうな声で名を名乗った。

「別に、同じ神だからといって仲良くする気もないし、先輩の神だからといって尊敬する気もない」

 固く腕組みをした少年は、椅子の上に踏ん反り返って、さらに言葉を続ける。十二歳とは思えぬ流暢な言葉の数々は、彼が幼くとも言葉の神であることを示しているのだろう。

「だから、必要最小限以外、ボクには話しかけないでくれ。以上」

『…………』

 一応は、自己紹介と呼ばれるものが終わったのだろうか。だが、拍手をする気にもなれず、その場に集まった恵や他の者たちは、ただ唖然とした表情で、その少年を見つめていた。

「絵に描いたような、クソ生意気だな」

「確かに」

 しかめた表情で言う恵に、思わず頷いてしまった、まだ若い、綺麗な顔立ちの女性。暗い紫色の、忍びの装束のようなものを身に纏っており、長い髪はリボンで二つに束ねてある。恵の神附き、“女守めもり”の芽衣子であった。

「いいねぇ~さすが若いだけあって、元気いっぱいだねぇ」

「そうですか?私には礼儀というものが、大量に不足しているように見えますけども」

 暢気な口調で、明るい笑顔を見せている青年の横で、眉をひそめている眼鏡をかけた、知的そうな、まだ十五歳程の少女。その少女は、“久守くもり”の熊子であり、現在、病気療養中の“武守むもり”に代わり、“の神”の神附きを務めていた。

「いいじゃないのぉ。妙に礼儀のなってるお子ちゃまなんて、お子ちゃまらしくないってぇ」

 そんな熊子へと、笑顔の青年は、さらに笑みを大きくして、穏やかに言葉を投げかける。見るからに優しく、温かい雰囲気を纏った、しっかりとした体格に、精悍な顔つきの青年。恵と同じ年代であろうか、二十代前半に見える。それは、恵と同じ五神の一人で、五神史上、最強の神との呼び声も高い“宇の神”、宇田川ウズラであった。

「俺は、“宇の神”の宇田川ウズラっていうんだぁ。よろしくねぇ、いっくぅ~ん」

「いっくん…?」

 ウズラの呼んだその名に、為介が大きく顔を引きつる。

「うん。為介だから、いっくぅ~ん」

「人権侵害で訴えられる前に呼び名を変えるか、ボクに一生、呼びかけないか、どちらかを選べ」

「ええぇ!?」

 為介の言葉に、両手を広げ、大きく驚くウズラ。

「じゃあ、呼び名を変えてぇ~、いっちゃん?」

「ボクに一生、呼びかけないでくれ」

「ええぇ~!?せっかく一緒に、美味しいイチゴパフェの店行こうって、誘うつもりだったのにぃ」

「必要ない」

「はぁ…」

 ウズラと為介のやり取りを聞きながら、恵が深々と溜息を吐く。

「そういや、後の二人はどうしたんだ?今日は、五神の顔合わせのはずだろう?」

 部屋を見回し、他の神が来ていないことに気付くと、恵がすぐ横に立っている芽衣子へと問いかける。

「遠の神は、忌退治の依頼が入ったそうで、毛守ももりとお出かけになりました。顔合わせは、神試験実施の際に、済んでいるとのことで」

「ああ。そういえば、今回の神試験をやったのは、遠久だったな」

 芽衣子の言葉に、恵が納得するように頷く。

「後は、安の神ですね」

「あいつはどうした?正一まさいち

「へ?」

 振り向いた恵に問いかけられ、目を丸くする、三十代半ばから四十代の、がっちり固めたリーゼント髪に黄色い色眼鏡の、小柄の男。安の神の神附きで、“末守まもり”の末宮正一であった。

「知らねぇよ?」

「知らないって、正一さん、安附でしょう?」

 当然のように答える正一に、芽衣子が呆れた視線を向ける。

「あいつと時間合わせてたら、こっちまで遅刻しちまうだろう?」

「それは言えてるな」

「まぁ、そうでしょうけど…」

 正一の言葉に、恵と芽衣子は素直に納得する。

「まぁ、俺の予想じゃ、そろそろ来る頃で…」

「セェェェェーフ!」

「そら、来た」

 正一が口を開いた丁度その時、部屋の扉が、まるで突き破られたように、大きな音を立てて開かれ、外から人が、大声と共に勢いよく飛び込んでくる。

「セーフかぁ!?セーフだろぉ!?」

 部屋へと入って来たのは、白い鉢巻を頭に巻きつけ、『あさひな』と書かれた紺色のエプロンをした、背の高い、力強い黒色の瞳の青年であった。年は恵やウズラと同じくらいだろうが、全力で生きているような、その勢いのある様子は、見た目以上に、若く感じる。まるで少年のような青年だ。

「アウトだ、ボケ」

「遅いよぉ~アケル~」

 入って来た青年へと、恵とウズラがそれぞれ、声を掛ける。青年の名を、朝比奈明。五神の一人“安の神”にして、ウズラと共に“五神史上、最強の二神”と呼ばれる神であった。

「仕方ないだろ?茜のヤツが店番の時間だってのに、戻って来なくて、ずっと店で待ってたんだからよぉ」

「放っといたって、別に害もないだろ。あんな寂れた八百屋」

「あんだとぉ!?恵、こらぁ!」

「まぁまぁ明~、落ち着いてぇ」

 冷たく言葉を吐き捨てる恵に、勢いよく怒鳴りあげる明。そんな、今にも殴りかかりそうな勢いの明を、ウズラが笑顔で宥める。

「あ、いっちゃん。彼が“安の神”ねぇ~安の神の朝比奈明」

「あ?」

 ウズラが自身の名を紹介している為介の姿に気付き、恵を怒鳴りつけていた明が、振り向く。

「おう、お前かぁ。新しい神っつーのは」

 目つきの悪い表情ながらも、笑顔を見せた明が、親しげに話しながら、為介の方へと近付いていく。

「まぁ、しっかり頑張って、この俺のような立派な神になれよぉ!」

「痛い…」

 大声で言いながら、数回強く、背中を叩く明に、為介が表情を引きつる。

「ボクにデカイ声で、話し掛けないでくれる?難聴になる。だいたい、間抜け面のあんたが、立派な神には、とても見えないし」

「ああん!?何だとぉ!?」

 為介の発言に、コメカミの血管を浮き上がらせ、怒り狂う明。

「もっぺん、言ってみやがれ!クソガキャアアァ!」

「ああ、ああ~。明、落ち着いてぇ」

「フン」

 我慢ならない様子で、殴りかかろうとする明を、後ろから押さえ込み、笑顔のままで何とか引き止めるウズラ。そんな明の様子を見ながら、為介が少しの反省の色もなく、そっぽを向いて、鼻を鳴らす。

「はぁ…」

 そんな自分と同じ神々を見つめ、恵はまた、深々と溜息を吐いた。




 結局、収拾もつかぬまま、五神の初顔合わせは終わった。まだ明と為介がもめ、ウズラが宥めているという状況が続いていたが、恵はこれ以上、付き合ってもいられず、神附きの芽衣子と共に、部屋を出た。

「あんな状態で、大丈夫なのでしょうか?」

「さぁな」

 どこか不安げに問いかける芽衣子に、恵が肩を落としながら答える。

「まぁ、五神が力を合わせて、どうこうなんて場面は、そうないんだ。仲が良かろうと悪かろうと、特に問題はないだろう」

「それもそうですね」

 恵の言葉に少しは安心したのか、芽衣子が笑顔を見せる。

「あ、恵さま。あそこ、遠久さまじゃ、ありませんか?」

「ん?」

 芽衣子の声に、恵が、芽衣子の指の向けられた、前方へと視線を移す。

「あ」

 視線を移したその瞳を、はっきりと開く恵。

「遠久!」

 恵がすぐさま右手をあげ、大きく響く声で、その名を呼んだ。廊下に声が響き渡り、前方に立ち、向かいに立った男と何やら会話をしていたその者が、響いた名を聞きつけ、ゆっくりと振り返る。

「お姉ちゃん!」

 振り返った途端、何とも嬉しそうに、大きな笑顔を見せる少年。年は十五、十六であろうか。顔立ちは幼さが残っているが、持っている雰囲気はどこか落ち着いていて、少し大人びている。最後の五神“遠の神”、目白遠久。恵の弟であった。

「戻ってたのか。忌退治の依頼だったんだろう?」

「うん。今、戻って来たとこ」

 互いに歩み寄り、距離を詰めたところで、恵と遠久が言葉を交わす。

「大丈夫か?怪我は?」

「ないよ。もう、僕だって一応、お姉ちゃんと同じ五神の一人なんだよ?普通の忌退治で、怪我したりしないってば」

「それも、そうだな」

 心配する姉に、少し拗ねたように、頬を膨らませる遠久。そんな遠久を見て、恵は困ったような笑みを浮かべた。遠久は、今は為介により更新されてしまったが、三年前、十三歳で、史上最年少の五神となった者だ。十分にその力は知っているが、それでも心配してしまうのは、恵が遠久の姉であるがゆえであった。

「ご無沙汰しております、恵の神」

「おう、桃雪。お前もご苦労だったな」

「いえ」

 遠久の横から姿を現し、恵へと深々と頭を下げる、派手な桃色髪の男。先程まで、遠久と話していたその男は、遠久の神附き、“毛守”の百井桃雪であった。労う恵に、桃雪は頭を下げたまま、短く言葉を放つ。

「では神、私は報告書を言姫様に提出してきますので」

「うん、ありがとう。今日はそのまま、帰っていいよ、桃雪」

「了解いたしました」

 命令とも呼べぬ、優しい口調の遠久の言葉に、深々と頭を下げると、桃雪はもう一度、恵に軽く会釈し、そのまま廊下を曲って、姿を消していった。

「恵さま、私も、このまま帰らせていただきます。今日はこの後、特に用事もありませんし、恵さまも遠久さまとお帰り下さい」

「ああ、済まない。また明日な、芽衣子」

「はい」

 恵の言葉に笑顔で頷くと、芽衣子は天井に向かって、高々と飛び上がり、いつの間にか姿を消した。

「じゃあ、私たちも帰るとするか」

「うん」

 振り向いた恵に、遠久が幼い笑顔で頷く。大人びた雰囲気を纏う遠久も、姉の前では、まだまだ幼い子供のようである。

「そういえば今日、顔合わせあったぞ。新しい為の神の」

「ああ。どうだった?」

「どうもこうも」

 先程の光景を思い出し、恵がまたしても、眉をひそめる。

「あのガキのクソ生意気発言に、明の阿呆が怒り狂って、収拾つかなくなった」

「アハハ、やっぱり」

 遠久が予想していたような言葉を発しながら、少し引きつった笑顔で、乾いた笑い声を零す。

「よくもまぁ、あんなガキ、神試験に合格させたなぁ?」

「実力はピカイチなんだよ。試験でちょっとだけ戦ったけど、俺も一瞬、やられそうになるくらい強かったんだ」

 呆れたように言い放つ恵に、遠久が弁解するように、必死に言葉を繋ぐ。

「十二歳とは思えないくらい、すっごく言葉にも詳しいし」

「力が強くて、言葉に詳しけりゃいいってもんじゃないんだよ」

 必死に為介の肩を持つ遠久に、恵が口を尖らせる。

「知ってんだろ?五十音士に必要なのは、いかに言葉を大切に出来るか、その精神だ」

 恵が確かめるように、遠久へと問いかける。

「その点、あのクソガキはなぁ。下手したら、あんなのを神に選んだ、お前まで悪く言われかね…」

「すっごく大切にしてるって、思ったんだよね」

 恵の言葉を遮り、遠久が言う。

「戦ったほんの少しの間でだけど、あの子は、すっごく言葉を大切にしてるって、そう思った。だから、迷わず合格に出来たんだ」

「遠久…」

 自信を持って、晴れやかに笑う遠久を見つめ、恵がそっと目を細める。戸惑うような恵の表情は、すぐさま笑顔へと変わった。

「お前がそう言うなら、間違いないな」

「うん」

 恵が軽く遠久の肩を叩くと、遠久が嬉しそうに笑う。

「けっど、しばらくはうるさいぞぉ?明の阿呆は、すぐに怒鳴り出すからなぁ」

「アハハ、そうだね!」

 楽しげに言葉を交わしながら、恵と遠久の姉弟は、韻本部から、自分たちの家へと帰っていった。


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