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あノ神ハキミ。  作者: はるかわちかぜ
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Word.69 神ニ、託ス 〈3〉

 その日、放課後。

「ふぅ。さぁーて、部活行くかなぁ」

 鞄の中に教科書を詰めた想子が、すべて収まったことを確かめるように鞄を一回、ポンと叩き、席から立ち上がる。帰りのホームルームを終え、クラスの皆は個々に散り、それぞれの帰路につこうとしていた。

「頑張ってね、想子ちゃん」

 同じように席を立ちながら、七架が想子へ笑顔を向ける。

「うん。ナナは今日もバイト?」

「うん」

「そっか。じゃあナナも頑張って」

「うん」

 想子の言葉に大きく頷き、七架がまた頷く。

「うん、頑張る…」

「……っ」

 笑みを浮かべながらも、どこか考え込むような、深刻な表情を見せ俯き、自分に言い聞かせるように頷く七架の、その不自然な様子に気付き、想子が眉をひそめる。

「でも、ナナ」

「え?」

 再び呼びかける想子に、ゆっくりと顔を上げる七架。

「頑張り過ぎちゃ、ダメだよ?」

 少し首を傾けた想子が、七架へとまっすぐに言葉を向ける。

「辛くなったら、ちゃんと人に頼るんだよ?頼る人は別に、私じゃなくってもいいからさ」

「想子ちゃん…」

 穏やかな笑顔を向ける想子を見つめ、七架がそっと目を細める。それは、七架のバイトに対して言っているのではない。七架が抱え、七架が言えずにいることを、想子は何となく察し、それでも聞こうとはせずに、優しい言葉を掛けてくれているのだろう。

「うん。ありがとう、想子ちゃん」

 微笑む七架を見て、想子もどこか、安心したように笑う。

「じゃあ、また明日!」

「うん!」

 部活へ向かうため、教室を出て行く想子を、七架が軽く手を振りながら見送る。想子も手を振り返すと、そのまま扉の向こうへと、姿を消していく。

「また、明日…」

 想子の口にしたその言葉を噛み締めるように繰り返し、七架はそっと俯いた。



 言ノ葉高校、家庭科室。

「フフフ…今日もアヒるんに、三途の川が見えるほどの料理を作らないと…」

 エプロンを纏った囁が、やる気に満ちた不気味な笑みを浮かべ、何やら緑色の煙の噴き出している大鍋を、じっくりと混ぜ込んでいる。

「こ、今回は何を作る気なのかしら?あの方」

『さぁ…?』

 その光景をハラハラと見守る、お料理クラブの部員たち。

「私たちに出来ることは、あの料理を食べる方の、胃腸が丈夫であることを願うことだけよ」

『そうね』

「フフフ、フフフフ…」

 アヒルの身を案じる部員たちの気持ちなど、まったく知らず、ただ、鍋を混ぜ続ける囁であった。



 言ノ葉高校、オカルト同好会部室。

「えぇー、では早速、今日の活動を始めたいと思います」

 教壇に立った雅が、人差し指で眼鏡を押し上げながら、集まった部員たちへと言い放つ。雅の横には、何やら書類を持ったツバメの姿があった。

「副部長、今日の議題は?」

「“トイレの花子さんは男子トイレには出ないのか”についてだよ…雅くん…」

「うん、実に興味深い内容ですね」

 ツバメの発表した議題に、雅が感心するように深々と頷く。

「では、これに関して、議論を始めたいと思います。何か意見のある人は、挙手して下さい」

『…………』

 集まった部員たちは、席に座ったまま、特に雑談もしようとせず、挙手する様子も見られない。部員は全体的にどこか暗めで、大人しく、物静かそうな者ばかりであった。

「わかりました。では、男子トイレには出ないということで、意見をまとめます。いいですね」

「相変わらず、マイペースだね…雅くん…」

 勝手に結論付ける雅を見て、ツバメはどこか楽しげに笑った。



 言ノ葉高校、三年A組。

「はぁ~、ヒトミぃ。お前って奴はつくづく、先生でないとダメなんだなぁ」

 誰も居ない教室で、窓際の席に腰掛け、机の上に伸び伸びと足を乗せたスズメが、甘ったるい空気漂う表紙の本を読みながら、どこか困ったような声をあげている。

「俺ならお前を、こんなに悲しませたりしねぇのにぃ」

「部活動を行っていない生徒は、速やかに下校して下さい」

「お?」

 しみじみ呟いていたスズメが、教室の扉の開く音と、開いた扉の向こうから入って来る声に、読んでいた本から視線を移し、そちらを振り向く。

「んだよ、紺平じゃねぇか。風紀委員の見回りか?」

「部活動を行っていない生徒は、速やかに下校して下さい」

 親しげに話しかけるスズメに、紺平がもう一度、丸っきり同じ言葉を放つ。

「ちゃんと部活だってぇ。“恋盲腸部”」

「学校が許可していないものを、部活動とは認めません」

「ちぇ。わかったって。帰るよ、帰る」

 紺平の鋭い注意に、仕方なく読んでいた恋盲腸の本を閉じ、帰り仕度を始めるスズメであった。



 言ノ葉高校、一年D組。

「はぁ~、反省文って一体、何を書けばいいんだぁ?」

 皆の帰ったアヒルたちの教室では、ただ一人残った保が、反省文に苦しみ、頭を抱えていた。相変わらず、原稿用紙は、三行ほどしか埋まっていない。

「ああ!こんな繊細さとは程遠い俺が、一丁前に悩んじゃってすみませぇ~ん!」

 誰も居ない教室に、保の謝り散らす声が響き渡る。その声は廊下まで響き、遠くの方でこだましている声が、保の耳の中へと入って来た。

「……っ」

 すると保は不意に真剣な表情を見せ、窓の外から景色を眺める。

「言葉の、明日…」

 青く晴れた空を見つめ、保がそっと目を細める。

「ねぇ、“痛い”…?灰示…」

 自身の中のもう一人の自分に語りかけるように、保が小さく、声を漏らした。




「また明日!」

「また明日ねぇ」

「うん、また明日!」

 言ノ葉高校の正門では、下校する生徒たちが口々にその言葉を放ち、笑顔で手を振り、互いの家のある方へと帰っていく。

「…………」

 その正門の光景を、屋上の手すりに寄りかかり、見下ろしているアヒル。その表情には薄く笑みが浮かんでいるが、瞳は鋭く、妙な緊迫感があった。

「ここに居たのか」

 屋上へと入って来る声に、アヒルが振り返る。

「篭也」

 扉から、屋上へと姿を現したのは篭也であった。篭也がゆっくりと歩を進め、アヒルの方へと歩み寄って来る。

「今日も居残り掃除だろう?サボっていると、広辞苑の角で殴られるぞ?」

「ああ、わかってる。そろそろ行くつもりだ」

 篭也がアヒルのすぐ横へと並ぶと、アヒルは篭也から視線を移し、また正門を見下ろした。

「もうすぐ、半日だな…」

「…………」

 少し躊躇いがちに放たれた篭也のその言葉に、アヒルは言葉を返すことなく、ただ瞳を細める。今朝方、茜が待つと告げた半日。当たり前の時間は、あっという間に過ぎ去り、もう間もなく、期限のその時間が来ようとしていた。

「何を、していたんだ?」

「見てた」

「見る?」

「ああ」

 聞き返した篭也に頷き、アヒルがそっと笑みを浮かべる。

「皆の、言葉を」

「……っ」

 笑顔で答えるアヒルのその言葉に、篭也が眉をひそめる。

「んで、考えてた」

 アヒルが視線を上げ、真っ青な空を見上げる。

「“言葉”ってものを」

 空を見上げるアヒルが、遥か遠くを見つめるような、そんな瞳を見せる。

「どういう風に?」

「ん~、例えば、俺は今日、一体、何人と言葉を交わしたのかなぁとか」

 篭也の短い問いかけに、アヒルが首を捻らせ、自身でも戸惑うような様子を見せながら、答える。

「一体、何個の言葉を口にしたのかなぁとか、一体、全部で何文字言ったのかなぁとか」

「人はともかく、文字は数える気にもなれないな」

「ああ」

 篭也の返しを聞き、空を見上げたアヒルが、小さく笑う。

「後は?」

「後はそうだなぁ。言葉が無かったら、学校ってあったのかなぁとか、テレビってあったのかなぁとか色々」

 続きを促す篭也に、アヒルがさらに答えていく。

「テレビはなさそうだが、学校なら、あったんじゃないか?」

「だって、言葉がねぇんだぜぇ?授業出来ねぇーだろ?」

「黒板に書けばいいじゃないか」

「言葉がないんだから、書くことがないだろ?」

「ああ、そうか」

 アヒルの意見に、篭也がついに納得させられる。少し俯き、何やら考え込むような表情を見せて、それからまた、篭也が顔を上げた。

「なら、ジェスチャーだな」

「ジェスチャーだけで因数分解とか、絶対教えらんねぇって」

 空から篭也へと視線を移したアヒルが、何やら可笑しそうに、笑みを浮かべる。

「考えれば考えるほど、不思議なんだ」

 アヒルが笑みを浮かべたまま、再び屋上から、下校していく生徒たちを見下ろす。

「こんなに必要なものなのに、こんなにあやふやで…何の確証もないのに、何故かやたら信じられて…」

 言葉を続けながら、アヒルがそっと目を細める。

「こんなに大切なのに、人が口を閉ざしただけで、簡単に失くなっちまう…」

「…………」

 アヒルの横に並んだ篭也も、アヒルと同じように屋上から下方を見下ろしながら、ただ、アヒルの声に耳を傾ける。

「どうして、この世界には、“言葉”ってものが存在するんだろう…?」

 また視線を空へと移し、誰へともなく、問いかけるアヒル。

「どうして俺たちは、今までの五十音士たちは、“言葉”で、他の何でもなく“言葉”で、戦って来たんだろうって…」

 ひたすら空へと問う、アヒルのその姿は、その問いかけへの答えを、人が持ち得ていないと、そう思っているようであった。

「前に」

 口を開く篭也に、アヒルがまた視線を下ろす。

「前に、カモメさんが言っていた」

「カー兄が?」

「ああ」

 聞き返すアヒルに大きく頷き、篭也が穏やかな笑みを浮かべる。

「言葉は、“奇跡”なのだと」

 篭也の声が凛と響き、屋上に吹き抜けた風に乗る。

「奇跡…?」

「ああ」

 また聞き返したアヒルに、篭也が再度、頷く。

「例えば、“信じる”という言葉がある」

 アヒルが真剣な表情を見せ、まっすぐに篭也を見つめ、篭也の言葉に聞き入る。

「今、“信じる”という言葉があるのは、誰かが誰かを信じたから。信じようと思ったから、だから生まれた」

 篭也が胸の前へと持って来た右手を、そっと握り締める。

「“信じる”という言葉が伝わったのは、長い時の中で、人がずっと、誰かを信じてきたから」

 握り締めた手を見つめ、篭也がさらに言葉を続ける。

「信じようと思える友が、恋人が、家族が、居たから。信じようと思える相手に、巡り会えたから」

 篭也が口元を緩め、小さく笑みを零す。

「変わりやすい人の思いの中で、ほんの一握りの気持ちに乗って、決して消えずに、長い時を超えて…」

 一瞬の呼吸で、小さな間があく。

「今、ここに在る」

 握り締められた手が、篭也の胸へと当たる。

「だから、“言葉は奇跡”なのだと」

「……っ」

 その言葉を噛み締めるように、アヒルが強く手すりを握り、目を細める。

「だから、言葉には力があって、だから、言葉というものはこんなにも重いものなのだと」

 篭也が視線を上げ、そっと空を見上げる。

「その重みを知っている者だからこそ、五十音士は、言葉の力で戦えるのだと」

 空を見上げた篭也のその声が、どこか力強く、響き渡った。

「あの時のカモメさんの言葉が、今もはっきりと、この胸の中に残っている」

 視線を下げた篭也が、開いた手のひらを、そこに在る言葉を確かめるように、胸へと当てる。

「言葉がどんなにあやふやなものであったとしても、失われやすいものであったとしても…」

 溜めるように、篭也が一呼吸置く。

「あの言葉だけは、消えない。きっと一生、憶えている」

「…………」

 篭也の言葉をただ聞きながら、アヒルが正門を、正門で別れ行く生徒たちを、まっすぐに見つめる。

「言葉は奇跡、か…」

 その言葉を繰り返したアヒルが、そっと口元を緩める。

「顔に似合わず、洒落たこと言うよなぁ。カー兄も」

「元祖恋盲腸ファンだからな、あの人は」

「アハハ、そういや、そうだった」

 カモメが好きだったものを思い出し、アヒルがさらに笑みを大きくする。

「なぁ、篭也」

「何だ?」

 呼びかけるアヒルに、篭也が振り向くことなく、声だけを向ける。

「俺が、どんな道を選んだとしても…」

 少し迷うように、止まる言葉。

「俺が選んだのが、どんな道だったとしても、お前、俺に附いて来るか?」

 振り向くアヒルに応えるように、篭也もゆっくりとアヒルを見る。その瞳は互いに真剣で、屋上に妙な静けさが吹き抜けた。

「阿呆」

「ああ!?」

 篭也が短く落としたその言葉に、アヒルが大きく顔をしかめる。

「んだよ!阿呆とは、何…!」

「今まで一度でも、僕があなたに附いていかなかったことがあるか?」

「へ?」

 怒鳴りあげるアヒルの声を遮り、問いかける篭也に、アヒルが目を丸くする。

「まぁ、ないな」

「だろう?もっと自分に自信を持て、神」

 篭也が強い口調で、アヒルへと言葉を投げかける。

「皆があなたに道の選択を託したのは、皆があなたを、あなたの言葉を信じているからだ」

 まっすぐな篭也の、その瞳が、正面からアヒルの姿を捉える。

「そして、僕も、あなたを信じている」

 篭也の思いを乗せ、届く言葉。

「だからあなたも、自分を信じろ」

 その言葉が、はっきりと響く。

「僕らは、あなたに附いていく」

「……っ」

 伝わる篭也の言葉に、一瞬、ハッとした表情を見せた後、その視線を移し、下方に広がる学校の校庭を、正門を、言ノ葉町を見渡して、アヒルが穏やかに笑う。

「俺、決めたよ」

 そう短く言ったアヒルの、その瞳には、確かな光が灯っており、一切の迷いもない、晴れやかなものに見える。

「そうか…」

 アヒルの言葉を受け取り、篭也は満足げな笑みを浮かべ、そっと頷いた。


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