Word.68 うノ神ノ真実 〈4〉
韻本部、内部組織“謡”中央会議室。部屋の中央に置かれた円卓に、茜、ウズラを中心に、アヒルたちやスズメ、ツバメ、恵や為介といった面々が、連なって腰を掛けている。
「成程ね…」
話を聞き終えた囁が、厳しい表情を見せながら、ゆっくりと頷く。
「つまり、二十数年前、ここに居るアヒるんパパや、恵先生、何でも屋の店主さんたち、旧世代の神々の力により施された、言ノ葉山の封印が…」
「言姫様が集めた、現五神の五つの言玉によって解かれてしまった」
「それで、中に眠っていた神様が、目醒めてしまったと」
囁、七架、保の三人が、三人のみが知り得なかった、言ノ葉山で起こった出来事を、再度確認するように、次々と言葉を発していく。
「そして目醒めてしまったのが…」
「五十音、最後の神、“遠の神”永遠」
「ええ」
三人の言葉を肯定するように、茜が大きく頷く。
「そして、彼の持つ言葉、“終えろ”こそが、禁断の文字“无”」
「…………」
茜からその文字の名が出ると、アヒルはより一層、険しい表情を作った。
「この世で唯一、すべての言葉を終わらせることの出来る文字として、我々韻や、恵たち当時の神々が、恐れて止まなかった文字です」
「具体的には、どういった力なのだ?」
アヒルの横に座った篭也が、少し戸惑うように茜へと問いかける。
「すべての言葉を終わらせると言われても、あまりピンとこないのだが…」
「あなたは、その目で見ましたね?アヒル」
「え?」
篭也に問われた茜が、答えを促すように、アヒルの方を見る。俯き、永遠の力を思い出していたアヒルは、少し焦った様子で顔を上げた。
「あ、ああっ」
どこか歯切れ悪く、頷くアヒル。
「け、けど、見たっつっても、一瞬強く光って、次の瞬間には、俺の銃はボロボロで、イクラやエリザが倒れててってことくらいしか…」
「それこそが、“終えろ”の力なのです」
「へ?」
茜の言葉に、アヒルが眉をひそめる。
「五十音士は、言葉の力により強さを得て、そして、言葉の力を持ってして戦う者たち」
表情を曇らせた茜が、視線を机の上へと落としながら、言葉を続ける。
「その言葉が終わらされては、五十音士は、力を得ることが出来ず、戦うことも出来ない」
「つまり、遠の神がその“无”の文字を持っている限り、私たち、五十音士では勝てないと…?」
「そうなりますね」
「そんな…」
小さく頷く茜に、七架がさらに眉間に皺を寄せる。
「ですから、旧世代の神々も、他に方法を見つけることが出来ず、永遠を言ノ葉山に封印するに至ったのです」
茜がそう言いながら、ウズラや恵の方へと視線を移す。
「なら、その時のように、もう一度、封印してしまえばいいのではないのか?」
篭也が鋭く、茜へと提案する。
「我が神が“う”の文字にも目醒めたというのであれば、すべての神は揃っている。それは可能なはずだ」
「そうですね」
正論である篭也の言葉を、認めるように茜は頷くが、その表情は冴えず、どこか不安げであった。
「母さん?」
「勿論、封印は可能であると思います」
首を傾げ、戸惑った様子でアヒルが呼びかけると、茜は重い口を開いた。
「ですが、永遠が同じ手を二度も食らい、大人しく封印されるとは思えません」
「神附きである桃雪も、またみすみす、自身の神を封印させるとも思えないしな」
茜の声に、固く腕組みをした恵が、言葉を付け加える。
「それに…」
さらに口を開いた茜が、さらに表情を曇らせていく。
「二十数年前の封印も、決して予定通りに、うまくいったわけではありません」
机に置かれた茜の両手が、強く握り締められる。
「大きな犠牲を、払いました…」
「え…?」
茜のその言葉に、アヒルが戸惑うように眉をひそめる。その言葉に、苦しげな表情を見せたのは茜だけではなく、ウズラや恵、為介もそうであった。
「犠牲って…」
「その封印を施した時に、死んだんだよ」
アヒルが問いかける前に、苦しげな茜に代わって、ウズラが口を開いた。
「当時の“安の神”、旧世代の“安の神”が…」
ウズラが横の方へと視線を逸らし、目を細めて、どこか悲しげに俯く。
「安の神、が…?」
「うん。封印には、強大な力を要する。また行ったとして、どれほどの犠牲が出るのかもわからない」
厳しい表情を作り、言葉を続けるウズラ。
「あの時は“安の神”一人が犠牲になったけど、次にやれば、全員が命を落とすことだって有り得る」
「そんな…」
ウズラの言葉を受け、アヒルがさらに険しい表情となり、言葉を失う。このどうにも出来ない事実が伝わったのか、部屋中に、重い空気が立ち込めた。
「で、ですが」
その空気を切り裂くように、為介の隣に座った雅が、声を発する。
「例え封印することは出来なくとも、皆の力を合わせれば、永遠を倒すことが出来るのでは?」
「そうよね…いくら相手の力が強大といっても、こちらには、これだけの人数が居るんだし…」
雅の言葉に賛同するように、囁も続く。
「何なら、治療中の他の団の人たちも待って、入念な作戦でも練れば…」
「そうだよね!皆で力を合わせれば、きっと何とか…!」
「無理だ」
「え?」
席から立ち上がり、明るく言葉を放とうとした七架の声を、鋭く遮ったのは、恵であった。言葉を止めた七架が、席を立ったまま、目を丸くして、恵を見下ろす。
「無理って…」
「お前らが束になってかかったところで、あいつには勝てない」
「何故だ?」
強く言い切る恵に、篭也が眉をひそめ、問いかける。
「力不足であるというのなら、阿修羅の時のように、また皆で修行をすればっ…」
「力の問題じゃない。もっと根本的な問題だ」
厳しい表情を見せ、恵がさらに固く、腕を組む。
「お前等とあいつとじゃ、生きている時間軸が違う…」
「……っ」
恵のその言葉に、ハッと目を見開くアヒル。
―――“永遠”の言葉をかけた私と、お前たちとでは、生きている時間軸そのものが異なる―――
「永、遠…」
恵から聞いたその言葉を思い出し、俯いたアヒルが、小さく声を零す。
「時間軸だと?何だ、それは。どういう意味だ?」
「それを話すと、また長くなります」
どこか恵を庇うように、篭也の問いかけに代わりに答えて、穏やかに微笑む茜。
「その話はまた後で、することにしましょう」
茜の言葉を受け、そっと俯く恵。
「それに恐らく、作戦を練ったり、修行をしたりするような時間は、我々にはありません」
『え…?』
その言葉に、アヒルたち安団の面々が、一斉に首を傾げる。
「それは、どういう…」
「浮世、現…」
「何?」
すぐ横に座る保の声に、問いかけようとしていた篭也が振り向く。その名を口にした保は、怖いとさえ思えるほどに、いつになく真剣な表情を見せていた。
「ええ、そうです。浮世現があちら側についたことで、状況は大きく変わってしまいました」
「どういう、ことだ?」
茜の言葉の意味を理解出来ず、アヒルが戸惑いながら、茜へと問う。
「あなたたちが以前、戦った“礼獣”。覚えていますね?」
「あ、ああ」
茜の問いに、アヒルがしっかりと頷く。礼獣により、一度は言ノ葉町の皆の自由ある言葉が奪われ、さらに作り変えられた礼獣の自爆により、言ノ葉町は消えそうになったのだ。アヒルたちにとっては、忘れたくとも忘れられない存在である。
「あれは、宇の神を堕ちた浮世現が、自身の言葉“生まれろ”により、創り出したもの」
「ああ、聞いた」
そのことはアヒルも、戦いの後に、恵や現と戦った保から、聞き及んでいた。
「忌を生み出したのも、あいつだって」
「ええ、そうです」
「性格は最低だけど、生み出す能力に関しては、右に出る者がいないからねぇ~彼」
為介が肩を落としながら、どこか困ったように言う。
「……っ」
為介の言葉を聞き、灰示のことを思い出したのか、保が険しい表情を見せ、深く俯く。
「先の戦いで用いられた“礼獣”は、阿修羅の“安寧秩序”の言葉を施された生物でした」
茜がさらに、話を続ける。
「だからこそ、礼獣の集約した光を浴びた言ノ葉の町人は、礼のない、自由ある言葉をすべて失った」
「ああ」
茜の言葉に、アヒルが頷く。それは、阿修羅から直接聞いた説明と、まったく違っておらず、正しい見解であった。
「ですがもし、浮世現により、永遠の“无”の力を施された生物が生み出され、その集約した光を、世界中に放たれてしまえば…」
「……っ」
アヒルがハッとした表情となって、ごくりと息を呑む。
「世界中のすべての人々の言葉が、“无”の文字により、終わらされてしまいます」
「終わらされたら、ど、どうなるんだ…?」
知ることを恐れるように、少し躊躇いながら、アヒルが茜へと問いかける。
「言葉は言わば、人々を動かす動力源。すべての言葉が、終わってしまったら…」
「すべての言葉が、終わってしまったら…?」
「人々はその行動のすべてを停止し、やがて、死に至るでしょう」
「……!」
茜から告げられるその言葉に、アヒルが衝撃を走らせ、大きく目を見開く。
「死ぬ…?」
「そ、そんな…」
「…………」
皆が信じられないとばかりに戸惑いの声を漏らす中、一人俯いたアヒルは、小さな言葉すら発することが出来ず、ただ茫然と床を見下ろす。
「すべてが、終わる…」
あまりに重い真実を、アヒルは受け止めることが出来なかった。
言ノ葉町、北東地点。
「それにしても、馬鹿でっかい居城じゃのぉ」
白い石造りの巨大な城の中にある、ただ広いだけで何もない大部屋に居る現は、遥か先に見える天井を見上げながら、感心するような、呆れたような声を漏らす。
「いつの間に、こんなものを造っておったのか」
「我が神を出迎えるのです。このくらいの城、設けておくのは、神附きとして当然でしょう?」
振り向いた現に、桃雪は涼しげな笑顔で答えた。
「そんなことよりも、あなたはあちらの準備を急いで下さい」
「言われんでも、わかっておるわい」
少し投げ槍に言葉を返しながら、現が部屋の奥へと視線を移す。高い天井からぶら下がった、巨大な繭の中に眠る、金色の巨体。今も繭の中で光り輝き、禍々しく蠢いている。
「我が神の文字、“无”の力を、世界中へと放つ為の獣…」
「ああ。阿修羅の時は“礼獣”じゃったから、今回は差し詰め、“終獣”とでも名付けようかのぉ」
自身が生み出したその生物を見つめ、現が何とも楽しげに笑う。
「そろそろ文字の施しを始めたいんじゃが、お前さんの神はどこかのぉ?」
「我が神なら、お休み中ですよ」
「休み?」
桃雪の言葉に、再び桃雪の方を振り返った現が、大きく顔をしかめる。
「こんな時に何を暢気なことを。五十音士どもがわらわらとやって来る前に、少しでも早くこの“終獣”をじゃなぁ」
「大丈夫ですよ」
不安視する現の言葉を遮り、桃雪が自信を覗かせた表情で笑う。
「すべての駒は揃った」
蠢く獣を見つめ、桃雪が満足げに笑う。
「もう誰にも、我が神は止められない」
「…………」
桃雪の設けた、現たちのいる居城の上層階に存在する、大きな寝台しかない、何もない殺風景な広い部屋。その部屋の寝台の上に寝転がり、永遠は、天井に設置された巨大鏡に映る、自分の姿を見つめていた。
「同じ、顔…」
天井の鏡へと届かない手を伸ばし、永遠が小さく、声を漏らす。
「同じ声、同じ姿、同じ時間…」
永遠の小さな声が、広い部屋に響く。
「同じ、命…」
そう呟いた永遠が、体を横へと向け、鏡に映る自分の姿から、逃げるように視線を逸らす。
「終わらせなきゃ…」
シーツを握り締め、永遠が冷えきった瞳を見せる。
「終わらせなきゃ…」
自分自身に言い聞かせるような、そんな言葉が続く。
「すべてを、終わらせる…」
拳を精一杯握り締め、永遠は鋭く瞳を光らせた。




