Word.7 神ニ、誓ウ 〈4〉
十分後・朝比奈家。
「たっだいまぁ~」
「おかえりぃ~!アーくぅ~んっ!」
「うわっ」
店の横の通用口を開けた途端に、勢いよく飛び出してくる父に、アヒルが思わず身を引く。
「アーくんが帰って来るの遅いから、お父さん、寂しかったよぉ~っ!」
「あっ、そう」
両手で目の下を押さえ、泣いている真似をして見せる父に冷たく答え、アヒルが父の横を通り抜け、家の中へと入っていく。
「っつーか、何でもう店閉めてんの?まだ七時まっ…」
「あっ、おかえりぃ~、ガァっ」
「あっ?」
靴を脱ぎ、居間へ入りながら、父へ問いかけようとしていたアヒルが、台所の方から聞こえてくる声に、振り向く。
「こ、紺平!?」
「おっそいわよぉ!いつまで待たせる気よ!バカガァ!」
「想子!それにっ…」
「こ、ここここんばんは!朝比奈クンっ…!今日も絶好のノーマイカーディだねっ!」
「奈々瀬までっ…」
居間へと入ったアヒルを迎えるように、台所から次から次へと姿を見せる、紺平、想子、奈々瀬の三人。そんな三人を見て、アヒルが驚ききった様子で、どこか唖然とする。
「な、何でお前らがここにっ…」
「真田さんにお呼ばれしたんだよ」
戸惑うアヒルに、紺平が笑顔で答える。
「囁にっ?」
「お父さんも囁ちゃんに頼まれて、今日は早めにお店閉めたんだよぉ~!」
「店までぇ?」
便乗して答えてくる、いつの間にか居間へとやって来た父に、アヒルがさらに顔をしかめた。
「ああっ?何だぁ?お前、誕生日か何かか?」
「フフフっ…私に誕生日なんてものは存在しないわよ…」
「いや、それはそれでおかしくねっ?」
意味深な囁の言葉に、思わず顔をしかめるアヒル。
「いらっしゃい、麗しき友人の皆さん。こんな所ですが、ゆっくりしていって下さいねっ」
「まるで自分の家かのような物言いだな…」
クラスメイトモードということで、これ以上ないくらい爽やかな笑みを浮かべた篭也が、三人へ丁寧な言葉を向ける。そんな篭也へ、アヒルは冷たい視線を送った。
「おぉ~い!アヒル!帰って来たんなら、お前も飯の準備、手伝えぇ~!」
「へっ?」
台所の奥からするスズメの声に呼ばれ、アヒルが三人を横切って、台所の中へと入る。台所では、エプロンを着用したスズメとツバメが、仲良く並び、何やら調理をしていた。客が来た時用の大きな鍋が、火にかかっている。
「何?何作ってんの?」
「野菜スープだよ…」
「えっ…?」
振り向き、微笑んで答えるツバメに、アヒルがそっと表情を止める。
―――俺っ、カー兄の野菜スープ大好き!―――
―――そう?じゃあ今度、一緒に作ろうか?―――
―――うんっ!―――
それは大好きだった兄が、いつも作ってくれた、大好きなものであった。
「野菜…スープっ…」
どこか噛み締めるように、アヒルがその単語を繰り返す。
「何をしている?神。とっとと作るぞ」
「全力で援護するわよ…?神…フフっ…」
「あっ…」
立ち尽くしていたアヒルの背を、後ろからやって来た篭也と囁が、そっと押す。一歩前へと進んだ足に、一瞬、道が拓けたような、そんな感覚を覚えて、アヒルは大きく目を見開いた。
「お前等っ…」
「さてと…まずは鍋を砕き割ればいいのかしら…?」
「何でだよっ!」
「皮むきなら、僕に任せておいて下さい、皆さん」
「お前はまず、その嘘臭い笑顔の皮を剥けっ」
気合いを入れて台所には立ったものの、まるで料理をわかっていない様子の囁と、外用の爽やか笑顔を見せる篭也に、次々と突っ込みを入れながら、慌てて二人のもとへと駆け寄っていくアヒル。
「俺も手伝うよ、ガァっ」
「仕方ないから、私も手伝ってあげるわ!」
「あっ…わ、私もっ…」
アヒルたちに続くようにして、紺平、想子、奈々瀬の三人も、台所へと寄っていく。
「おっとっと」
ただでさえ狭い家の、狭い台所に人が集中し、それまで調理を担当していたスズメが、弾き出されるように台所から、居間へと出て来る。
「やれやれっ」
身につけていたエプロンをはずし、テーブルの横へと腰掛けるスズメ。
「ハッハッハぁ~!今日はいぃ~っぱい売れ残ったからなぁ!じゃんじゃん作れぇ~!若人たち!」
「それって、あんま笑顔で言うことじゃなくねっ…?」
居間に座り、明るい笑顔を見せている父に、スズメが呆れた表情となる。
「これ以上、貧乏になったら俺、働かなきゃいけねぇーじゃんっ」
「働けばいいだろうっ?ウチで!」
「いやっ…それじゃ意味ねぇーしっ…」
得意げに親指を立ててくる父に、最早、突っ込む気力も湧かなくなってくるスズメ。
「だいたい俺、八百屋とかダサくって嫌だしぃっ」
「がびぃぃーんっ!」
スズメのその一言に、激しくショックを受ける父。
「アカネぇぇ!お前が出ていって早十一年っ…!スーくんはウチを継いでくれる気がないらしいぃ~!」
「だから出ていった母さんに、んなこと嘆くなって。うんっ?」
父に呆れた表情を向けていたスズメが、父の後ろに見える、居間の隅に置かれた仏壇を目に入れた。
「あっ…」
仏壇の上には、つい先程まで置かれていなかった、一枚の写真が飾られていた。穏やかで、優しい笑みを浮かべている、青年の写真であった。その写真を見て、スズメが少し驚いたように声を漏らす。
「出したんだ、写真っ」
「あ、うんっ」
スズメの言葉に、そっと頷く父。
「もうそろそろ…“思い出の人”になってもいい頃かなぁって、思ってね…」
「……っ」
そう言って微笑む父に、スズメが少し目を細める。
「ふぅっ…」
「んっ?」
台所から出てきたツバメが、スズメと同じようにエプロンをはずしながら、一息ついて、スズメのすぐ横へと腰を掛ける。
「何だぁ?お前も定員オーバーかよ?ツバメ」
「ううん…準備はほぼ終わったからね…」
畳の上で正座をしたツバメが、両手を合わせて、目を閉じる。
「僕は最後の一味のために、瞑想に入ることにするよ…」
「何だぁ?それっ」
瞑想に入るツバメを、呆れた表情で見つめるスズメ。
「うっわぁ!これ、人参かよっ?」
「……っ?」
台所から聞こえてくる、大きなアヒルの声に、スズメが座ったまま、台所を振り返る。
「どこに器用さ、置いてきたんだぁ?クソ想子っ」
「うっさいわねっ!バカガァ!」
「……っ」
想子や囁たちと騒々しく調理をしながら、何とも楽しそうに笑っているアヒルを見て、スズメがどこか安心したような、優しい笑みを浮かべる。
「アヒル君…楽しそうだね…」
「そうだなぁ」
まだ瞑想の態勢を取りながら、そっと呟くツバメに、スズメがどこか素っ気なく答える。
「……良かったね…」
「そうだなぁ」
もう一度答えたスズメの笑顔を横目に、ツバメも手を合わせたまま、笑みを浮かべた。
「ツバメさぁ~ん!出来上がったんで、早速どうぞぉ~!」
満面の笑みを浮かべた想子が、スープの湯気が上がるお椀を大事そうに両手で抱えて、台所から、居間にいるツバメのもとへと駆け寄ってくる。
「ありがとう…想子ちゃん…」
「いえいえ!ツバメさんの為なら、お代わり二千杯でも取りに行っちゃいますよ!」
礼を言うツバメに、想子がどこか照れたように言い放つ。
「想子ちゃ~んっ、俺のはぁ~?」
「あ、あっちにありますよっ?」
「…………」
ツバメへの態度とはまるで違う、淡白な反応を示す想子に、スズメが笑顔のまま、しばらく制止する。
「相変わらずだね…想子ちゃん…」
「落ち込んでないで、ほらっ、こっちにちゃんとありますから。スズメさんっ」
見るからに凹んだ様子で肩を落とすスズメにフォローを入れながら、紺平が奈々瀬とともに、皆の分のお椀を運んでくる。
「これで人数分かぁ~?」
お椀にスープを入れながら、誰にともなく確認するアヒル。
「んっ」
「へっ?」
そんなアヒルに、篭也がまだ運んでいない、お椀の一つを差し出した。
「とっとと毒味をしろ」
「毒味ってお前なっ…」
篭也の言葉に顔をしかめながら、アヒルがそのお椀を受け取る。湯気の上がるスープに、何度か息を吹きかけて、アヒルがお椀に直接口をつけ、スープを一口飲む。
「んっ、カー兄の味だっ」
『……っ』
懐かしそうに笑うアヒルを見て、顔を見合わせ、笑顔を零す篭也と囁。
「アーくぅ~ん!お父さんにもスープぅ~!」
「うっせぇなっ!今持ってくから、騒ぐなってのっ!」
残りのお椀を持ちながら、アヒルが台所から居間へと移動していく。
「ったく、いいオッサンのくせしてっ」
「聞いたぁ!?カーくぅーんっ!アーくんがお父さんに、あぁんな冷たいこと、言ってるよぉ!」
呆れたように言い放つアヒルにショックを受けたのか、父が今にも泣き出しそうな表情で、仏壇に飾られたカモメの写真へと縋りつく。
「あぁー!もう鬱陶しい!とっとと食べろっ!」
「はぁ~いっ!」
目の前にスープが置かれると、父が一気に明るい笑顔となる。
「ったくっ…」
そんな父に呆れながら、仏壇の上のカモメの写真へと目を移すアヒル。
「……っ」
カモメの写真を見つめ、アヒルがそっと笑みを零す。
―――カー兄、俺っ…元気だよっ…
その頃。言ノ葉町五丁目。何でも屋『いどばた』。
「ふんふふんふぅ~ん♪」
公園でアヒルと雅の会話を盗み聞きしていた為介は、夕方になって店に戻り、そして定時となったので、いつものように店を閉めようとしていた。開店前と同じように、店の前の掃き掃除をして、箒を持ったまま、店の中へと戻り、戸を締める。
「おっやぁ?」
店の奥から人の気配がして、為介は少し驚いたように声を出した。
「珍しいですねぇ~あなたがウチのお店に来るだなんてっ」
縁側に座るその人物のもとへと、ゆっくりと歩み寄っていく為介。
「結果は…?」
その人物が、為介の方を振り向くことなく、短く問いかけてくる。
「あなたに言われた通りに接触して、雅クンに手伝ってもらって、神をやめるよう脅しもしましたよぉ」
為介が明るい笑顔を浮かべながら、いつもの軽い口調で答えていく。
「あなたの予想通り、彼は“神をやめない”と言いましたけどっ」
少し目を細め、その笑みを鋭くする為介。
「これで満足ですか?」
為介が足を止め、その人物のすぐ横に立つ。
「恵サンっ…」
「…………」
為介の店の縁側に座っているのは、アヒルの担任の国語教師・恵であった。
「ああ、満足したよっ。ありがとうねっ」
恵が振り向き、為介へと笑みを向ける。
「あちらの方は…?」
「動き出したよ。直にこっちへ来るっ」
少し表情を曇らせ、問いかける為介に、そっと目を細める恵。
「そうですか…」
恵の答えを聞くと、為介が少し肩を落とした。
「ということはっ、彼らもいよいよ本格的に、五十音士の戦いに参加していっちゃうってことですかねぇ~」
「ああっ…」
為介の言葉を受け、真剣な表情を見せた恵が、ゆっくりと頷く。
「呑み込まれていくのさっ…」
どこか遠い瞳を見せ、窓の外に広がる夜空を見上げる恵。
「この薄暗い世界へ、ねっ…」
恵の視界には、月明かりさえない、真っ暗な空が、どこまでも広がっていた。




