Word.67 最後ノ神 〈4〉
「第二音“い”、解放…」
手の中へと戻った言玉を光らせ、イクラが右手を、桃雪へと突き出す。
「“祈れ”」
言玉から飛び出した、美しい女性の水像が、両手を広げ、包み込むように、桃雪へと向かっていく。
「“設けろ”」
桃雪が前方に光の壁を張り、イクラの水像を受け止める。だが水像の勢いは強く、すぐさま壁にヒビが入り、砕き割るようにして、桃雪へと突き進んでくる。
「チっ…」
向かってくる水像に表情を歪めながら、桃雪が避けるべく、上空へと飛び上がる。
「第四音“え”、解放!」
「何…!?」
しかし、桃雪の飛び上がった、そのさらに上方では、エリザが強く輝かせた言玉を、右足の中へと吸収させている。言玉を吸収した右足を、エリザが鋭く振り下ろした。
「“抉れ”!」
「うううぅ…!」
胸の前に両腕を交差し、振り下ろされたエリザの右足を受け止める桃雪であったが、その強烈な蹴りの勢いを殺しきれず、下方へと叩き落とされる。
「う…!」
降下していく桃雪の視界に、桃雪へと銃口を向け、照準を合わせているアヒルの姿が入る。
「“当たれ”!」
「ク…!うああああ!」
空中を落ちている最中で、避ける術もなかった桃雪は、アヒルが放った巨大な赤い弾丸をもろに受け、叫び声をあげながら、地面へと落下した。
「グク…」
傷ついた体を、苦しげに声を漏らし、起こそうとする桃雪。
「さすがに、五神三人は…」
「“押さえつけろ”」
「……!」
薄い笑みを浮かべたまま、声を漏らしていた桃雪が、背中側から響く言葉に、笑みを止め、目を見開く。言葉が響いたと同時に、地面についていた桃雪の両手足が、白い光により拘束され、地面にくっつくように封じ込められた。
「そこまでだ」
白色の言玉を突き出し、桃雪へと鋭い表情を向けたのは、檻也であった。すぐ後ろには、空音の姿もある。
「檻也!」
「於の神」
アヒルとエリザがそれぞれ、現れた檻也の姿を見つけ、声を発する。
「成程、五神が四人ですかぁ。いやっ…」
感心するように呟いた桃雪が、自らの言葉を否定するように付け足して、視線をアヒルへと向ける。アヒルの右と左、それぞれの手には、赤銅色と金色の異なる銃。
「彼は“あ”と“う”の文字を持つ者…今、この場に、すべての神が揃ったというわけですか…」
地面に手を捕らえられたまま、桃雪が力なく肩を落とす。
「これでは、さすがの僕もお手上げですねぇ」
「賢明な判断だな」
桃雪の言葉を聞き、誉めるように言うと、檻也は桃雪の動きを封じたまま、ただ無表情で立ち尽くす永遠の方を振り返った。
「お前の神附きは、この通りだ。大人しく、俺たちに拘束されるんだな」
「…………」
檻也が挑戦的に言い放つが、その言葉にも永遠は眉一つ動かさず、答えようとする素振りすら見せなかった。そんな永遠の様子を見て、檻也が少し眉をひそめる。
「何だ?何か言ったら、どっ…」
「フ、フフ…」
永遠へと再び言葉を向けようとした檻也が、後方から漏れ聞こえてくる桃雪の笑い声に気付き、表情をしかめて、勢いよく振り返る。
「フフ、フフフ…」
「何が可笑しい…?」
堪え切れないとばかりに笑みを零す桃雪を、檻也が険しい表情で見つめる。
「いえねぇ、ただ、可哀想だなぁと思って」
「可哀想、だと…?」
桃雪の言葉に、檻也の表情が曇る。
「ええ。大人しく、僕くらいにやられておけば良かったのに…」
顔を上げた桃雪が、檻也を見つめ、冷たく笑う。
「我が神を、相手にしなければならないなんて」
「何…?」
桃雪の言葉に、戸惑うように眉をひそめた檻也が、再び永遠の方を振り向く。
「あ…!」
相変わらず立ち尽くしている永遠の右手の中に、いつの間にか握り締められている、一つの白い言玉。
「五十音、第五十音…」
永遠が小さな声を響かせると、永遠の手の中の言玉が、強く輝き始める。
「“を”、解放…」
文字の解放と共に、言ノ葉町中を包み込んでしまうのではないかと思えるほどの、強烈な光が、一気に広がる。
『ううぅ…!』
そのあまりに強い光に、アヒルやエリザ、その場に居る者たちが目を伏せ、身を屈める。強烈な光はしばらく続き、アヒルたちはずっと身を屈めたままであった。やがて光が収まり、アヒルがそっと顔を上げ、恐る恐るその瞳を開いていく。
「…………」
「あ…」
光の収まったその場所には、白い言玉を、皆の居る方へと突き出した永遠の姿。感情の見えないその瞳を見た途端、何かを本能的に感じ取ったのか、アヒルが背筋を震え上がらせる。
「んだよ、やろうってかぁ!?俺、泣いちゃうよぉ?」
「エリザ様に敵対する者は、この慧が排除致します!」
「五十音、第十五音“そ”、解放」
アヒルとは異なり、永遠を恐れる様子をまるで見せずに、金八を初めとする以団の面々が、慧が、空音が、それぞれの言玉を解放させ、一斉に攻撃の態勢を取り、永遠へ向かって飛び出していく。
「“刻め”!」
「“蹴散らせ”…!」
「“削げ”!」
「…………」
飛び出した神附きたちが、一斉に言葉を向けるが、永遠はその表情を崩さない。
「を…」
「……!」
ゆっくりと口を開く永遠に、アヒルが目を見開く。
「み、皆、避けろ!」
『え…?』
「“慄け”…」
必死に叫ぶアヒルの言葉に、永遠へと向かっていた皆が戸惑う中、永遠が一つの言葉を口にした。言葉が放たれると同時に、一瞬強く言玉が光り、目にも留まらぬ速さで、光が周囲を駆け抜けていく。
『ううああああ…!』
「え?」
前方で響く声に、エリザがふと顔を上げる。
「な…!」
顔を上げた途端、エリザが大きく目を見開く。エリザの前方では永遠に向かっていっていた慧と、そして金八たち以附の四人、空音が皆、気を失った様子で、深く目を閉じ、地面に倒れ込んでいた。
「け、慧…!」
「……っ」
倒れた慧へと、慌てて駆け込むエリザ。同じように、急に倒れ込んだ神附きたちを見つめ、イクラがそっと眉をひそめる。
「空音!」
エリザと同じように、倒れ込んだ空音に、檻也が駆け寄っていく。檻也が必死に呼びかけるが、深く目を閉じたまま空音は、その声に反応を見せなかった。
「残ったのは、神四名ですかぁ。まぁ順当ですね」
倒れることなく残ったアヒル、イクラ、エリザ、檻也の四人を見回し、桃雪が不敵に笑う。
「今の言葉は、“慄け”…」
空音の体を揺らしていた手を引いた檻也が、険しい表情で顔を上げ、言玉を突き出したままの永遠の方を見る。永遠が口にした言葉は、字は違うとはいえ、同じ音を持っている檻也にとっても、馴染みの深い言葉であった。
「“慄け”だけで、皆を…」
檻也も何度か同じ言葉を使ってきたが、大量の忌を、一瞬の間だけ退かせる程度で、傍に居た空音たちが意識を失うなどということは、一度もなかった。
「俺の言葉とは、次元が違うということか…」
「……っ」
檻也の呟きをすぐ傍で聞きながら、桃雪が満足げな笑みを浮かべる。
「クっ…」
アヒルが唇を噛み締め、茫然としていた表情を動かす。
「一斉に攻撃だ!」
アヒルのその言葉に、同じように茫然としていた神たちが、ハッとした表情を見せ、すぐさま攻撃の態勢を取る。
「“当たれ”!」
「“祈れ”」
「“抉れ”!」
「“落とせ”…!」
四人の神が一斉に、自身の言葉を放つと、アヒルの銃から放たれた赤い弾丸が、イクラの言玉から放たれた水像が、エリザの右足から放たれた緑色の閃光がそれぞれ、永遠に向かって飛び出し、檻也の言玉によって、上空からは豪雨のような白い光が、一斉に永遠へと降り注ぐ。
「…………」
これほどの攻撃を向けられても、顔色一つ変えない永遠。
「を…」
言玉を持った右手をかざし、永遠がそっと口を開く。
「“終えろ”…」
永遠の口から言葉が放たれた瞬間、強烈な白光が、またしても言ノ葉町中を包み込むように、一気に広がった。
―――パァァァン!
一瞬のうちに駆け抜けた光はすぐに止み、また言ノ葉山が、穏やかな日の光に包まれる。
「あ…」
日の光の下、茫然と立ち尽くすアヒル。アヒルの右手に握られた赤銅色の銃は、銃先が鋭く割られたような状態で粉々に砕けていた。アヒルは血が流れ、傷ついた右腕と共に、構えていた銃を力なく下ろす。
「何だよ、今の…」
凍りついたように、表情を止めたアヒルが、弱々しい声を漏らす。
「何だよ、これ…」
『…………』
少し混乱するように呟いたアヒルの、すぐ横には、倒れているイクラ、エリザ、檻也の姿があった。皆、激しく傷つき、意識を失っているのか、深く目を閉じたまま、ピクリとも動かない。あの一瞬で、たった一つの言葉で、神である皆が一気に、やられてしまったのだ。
「今の、言葉は…」
「“終えろ”」
多くいたはずの仲間がすべて倒れ、たった一人残ったアヒルが、戸惑いの表情を見せていると、その戸惑いに答えるように、声が聞こえてくる。アヒルはゆっくりと首を動かし、その声の聞こえてきた方を振り向いた。
「我が神の言葉」
アヒルの振り向いた先で、そっと立ち上がる桃雪。檻也が気を失い、地面へと拘束していた光が消滅して、自由になったようである。
「“終えろ”…?」
「ええ」
聞き返したアヒルに、桃雪が薄く微笑んで答える。
「彼の言葉を持ち得たからこそ、我が神は旧世代の神々から恐れられ、この場所に封印されるに至った」
険しい表情を見せ、アヒルが桃雪の言葉に耳を傾ける。
「文字通り、言葉を終わらせ得るものです」
「言葉を、終わらせる…?」
その言葉の意味を理解しかね、眉間に皺を寄せるアヒル。
「ええ。そのあまりに圧倒的な力から、“終える”の言葉には、別の名が与えられた」
桃雪が目を細め、口角を吊り上げる。
「その名は、“无”」
「“ん”…?」
そのたったの一文字を繰り返し、アヒルが益々、困惑した表情となる。
「この世で唯一、すべての言葉を、終わらせることの出来る文字ですよ」
言葉を続ける桃雪が、楽しげに笑う。
「あなたのよく知る旧世代の神々が、韻の中に存在する“謡”が、ただ、ただ恐れた、禁断の文字…」
「禁断の、文字…」
続く桃雪の言葉を、アヒルがただ唖然と繰り返す。
「どうやらあなたは、二つの文字を持つ特殊な方だったのでぇ、先程の攻撃を受けても、何とか無事でいられたようですがぁ」
言葉を発しながら歩を進めた桃雪が、言玉を掲げた状態のままの永遠の後ろへと、そっと立つ。
「今度は、どうにも出来ないでしょうねぇ」
桃雪は、まるで永遠に合図を与えるように、微笑んだ。
「を…」
「う…!」
再びその文字を口にする永遠に、アヒルが大きく目を見開き、怯えたような表情を見せる。避けても逃げても無駄であることは、アヒルももう十分に、理解していた。
「ク…!」
アヒルが覚悟したように、強く唇を噛み締め、瞳を閉じる。
「“終え…」
永遠がもう一度、その言葉を落とそうとした、その時であった。
「左腕を上げて」
「え…?」
すぐ傍から聞こえてくる声に、きつく目を閉じていたアヒルが、戸惑った様子で目を開く。何か、温かいものにしっかりと支えられたアヒルの腕が、力強く上がっていく。
「あっ…」
開いたその目を、すぐ前に広がるその光景からか、さらに大きく見開くアヒル。
「お、親父…?」
アヒルの目の前に立っていたのは、アヒルの父、ウズラであった。
「あれは…」
「宇田川、ウズラ…」
眉をひそめる桃雪の前で、言葉を止めた永遠が、そっとウズラの名を口にする。
「左手に力を込めて」
アヒルのすぐ横に立ったウズラが、いつになく真剣な表情を見せ、アヒルの方は一切見ずに、ただまっすぐに、永遠の居る前方を見据える。ウズラは両手でアヒルの手を抱え、力なく下ろされていたアヒルの腕を上げて、持っている金色の銃の銃口を、正面へと向けさせた。
「な、何っ…」
「前を見て、狙いを定めて」
問いかけようとするアヒルの言葉を遮り、ウズラが指示を送る。
「……諦めないで」
「……!」
父の放ったその言葉に、衝撃を走らせるアヒル。多くの疑問が浮かんで、今すぐ父を問いただしたい気持ちに駆られたが、今はその言葉の通り、前を向き、鋭い表情を見せて、前方に立つ永遠へと狙いを定めた。
「行くよ」
ウズラの言葉に大きく頷き、アヒルが強く、引き金を引く。
『“撃て”…!!』
二人の言葉が重なると、永遠へと向けられた銃から、今までで一番巨大な、金色の弾丸が放たれた。




