Word.67 最後ノ神 〈3〉
「まぁいいです。逃げられたところで、我が神が復活した今、あの愚かなお姫様には、何の用もない」
歪めた表情を整え、すぐに笑みを浮かべる桃雪の、和音を愚弄するその言葉に、アヒルが不快そうに眉をひそめる。
「人の思いを、言葉を、てめぇの目的のためだけに、散々、弄びやがって…」
鋭く瞳を細め、アヒルが桃雪を睨みつける。
「許さねぇ」
「許さない、ですか」
アヒルが力強く言い放ち、銃口を桃雪へと向ける。向けられた銃口をまっすぐに見つめ、桃雪はどこか楽しげな笑みを浮かべた。
「神らしいお言葉ですねぇ。ですが果たして、あなたに、僕を許さないことが出来るでしょうかぁ?」
問いかけるように言葉を放ちながら、桃雪が言玉を、アヒルへと向ける。
「“燃えろ”!」
言玉から放たれた白い炎が、アヒルが銃弾を撃つ間を与えることなく、空中を駆け抜け、銃を構えたままのアヒルを直撃する。白い炎に包まれるアヒルの体を見つめ、桃雪が口角を吊り上げる。
「他愛のない」
「桃雪…」
がっくりと肩を落としていた桃雪が、永遠の声に振り返る。
「避けろ」
「え…?」
先程と同じように放たれる永遠の言葉に、桃雪が眉をひそめ、炎に燃えたアヒルの方を見る。だが、そこにアヒルの姿はなく、ただ白い炎が、頂上に生えた草花を燃やしていた。
「これは、“欺け”」
アヒルの使った言葉をすぐに理解し、表情を曇らせた桃雪が、勢いよく上空を見上げる。晴れ渡った青い空の中央に、銃を構えたアヒルが浮かんでいる。
「空に逃げたところで…」
桃雪が嘲笑うように言い、右手の言玉を空へと向ける。
「“燃え…」
「五十音、第三音…」
「何…?」
再び言葉を発しようとした桃雪が、アヒルのその声に眉をひそめ、言葉を止める。
「“う”、解放…!」
「な…!?」
アヒルのその声に反応したのか、封印石を取り囲んでいた台座の一つから、金色の言玉が飛び出し、まるで自らの持ち主を知るように、上空のアヒルへとまっすぐに飛び上がりながら、その姿を変えていく。
「言玉が、勝手に…?」
「……っ」
桃雪が戸惑う中、アヒルが空中で言玉から姿を変えた金色の銃を、左手でしっかり握り締める。
「“撃て”!」
「う…!」
金色の弾丸が雷のように落ち、桃雪を貫く。
「うあああああ!」
言葉を使う間もなく、弾丸に撃ち抜かれた桃雪が、勢いよく吹き飛ばされ、地面に倒れ込む。撃たれた神附きが横を通り抜けたというのに、永遠は眉一つ、動かさなかった。
「グ、ク…」
「観念する時が来たみたいねぇ」
腹部から血を流しながら、苦しげに上半身を起こした桃雪が、前方から響く、凛とした声に、顔を上げる。
「さっきの傷と、ウチの神附きの髪を燃やした礼、たっぷりとさせてもらうわよ!」
「“衣の神”…」
桃雪が顔を上げると、そこには、鋭い表情を見せたエリザが立っていた。エリザのすぐ横には、身構えた慧が仕えている。
「神、こっちこっち!」
「うるさい。死ね」
「そういうこと言うと、俺、泣いちゃうよぉ!?」
金八に誘導され、エリザに引き続き、その場へと現れたのは、見るからに不機嫌な表情を見せたイクラであった。
「“以の神”も…」
「俺の言玉は、どこだ…?」
桃雪を容赦なく睨みつけ、イクラがそっと問いかける。そのイクラの問いが聞こえたかのように、台座の中から青い言玉が飛び出て、イクラの元へと向かっていく。同じように飛び出した緑色の言玉も、エリザの元へと戻った。最後の白い言玉も飛び出し、山の下方へと飛んでいく。
「言玉が、神々の元へと戻っていく…」
飛んでいく白い言玉を目で追いながら、桃雪が眉をひそめる。
「イクラ!ザべスも!」
「エリザよ!」
上空から嬉しそうに名を呼ぶアヒルに、しっかりと訂正を入れるエリザ。傷も癒え、すっかり元気そうである。
「遠の神だか何だか知らないけど、復活したっていうなら、倒すまでよ!」
「神は、俺だけでいい…」
「よっしゃ!行くぜ!」
エリザとイクラがそれぞれ、戻った言玉を握り締め、アヒルが銃を持つ両手に力を込め、それぞれに強く声を張り上げる。
「…………」
向かってくる三人の神を見つめ、永遠はそっと、目を細めた。
“駆けろ”の言葉により、一気に言ノ葉山の中腹まで降りた篭也が、足を止め、頂上のある後方を振り返る。
「追っ手は、来ないか…」
自分たちを追って来る姿がないことを確かめ、篭也が安心するとともに、不安げな表情を見せる。
「神…」
頂上で戦うアヒルの身を案じ、篭也が眉をひそめる。
「うぅ…」
「和音?」
すぐ横から聞こえ漏れてくる苦しげな声に気付き、篭也が素早く振り向く。篭也の肩に回していた手を下ろした和音が、桃雪の攻撃により激しく火傷を負った、もう一方の手を抱え込み、深く俯いていた。
「傷が痛むのか。待っていろ、すぐに治療する」
篭也が鎌を持っていない左手で、和音の傷ついた手を、そっと取る。
「“か…」
「結局…」
言葉を放とうとした篭也が、小さく落とされた和音の声に、言葉を止め、少し戸惑うように顔を上げる。
「結局、願いも叶えられぬまま…」
顔を上げた和音は、視線を深く落とし、すべてを諦めきったような、すべての希望を失ったような、力ない表情を見せていた。
「いいように使われて、踊らされて、用済みだと殺されかけて…」
続く和音の言葉を聞きながら、篭也がそっと目を細める。
「私はただ…ただ、世界を巻き込んだだけ…」
風の音にすら掻き消されてしまいそうな和音の声が、わずかに震える。
「本当に、滑稽っ…」
震える唇を噛み締め、瞳を潤ませながら、和音が自嘲するように笑みを浮かべる。
「和音っ…」
「同情の言葉であれば、いりません…」
呼びかけた篭也の方へと顔を上げ、和音が責めるような、責められているような、険しい表情を見せる。
「軽蔑したければ、すればいい」
和音からの鋭い視線を浴び、篭也が眉間に皺を寄せる。しばらくの間、見つめ合って、篭也がゆっくりと口を開いた。
「……するわけない」
「……!」
優しく落とされるその声に、和音が大きく目を見開く。
「う…!」
見開かれた和音の瞳から、これ以上、堪え切れないとばかりに、大粒の涙が一気に溢れ出る。
「ううぅ…うううぅ…!」
今までの悲しみや辛さをすべて吐き出すように、止まることのない涙を流した和音が、助けを求めるように、前に立つ篭也へと勢いよく抱きついた。
「うううぅ…!」
「……っ」
和音の言葉にならない泣き声を聞きながら、篭也は深く瞳を閉じ、強く、和音を抱き締めた。
「…………」
泣き暮れる和音と、和音を強く抱き締める篭也。目の前に広がった光景が一気に焼きつくと、檻也はすぐさま、その目を逸らした。イクラ、エリザとともに言ノ葉山へと駆けつけた檻也と空音は、高速で移動する篭也たちの姿に気付き、イクラたちと別れ、追って来たのであった。
「神…」
目を逸らし、俯く檻也を、空音が心配そうに見つめる。
「ん…?」
そこへ、頂上の方角から、白い言玉が、檻也の元へとゆっくりと飛んで来た。檻也の手の中へと、吸い込まれてくるようにやって来た言玉を、檻也が何の迷いもなく、握り締める。
「言玉が、勝手に…?」
空音が戸惑うように首を傾げる中、檻也は手の中の言玉を見つめ、目を細める。
「行こう。他神たちが戦っているはずだ」
「え…?」
篭也と和音に背を向けたまま、頂上へ向けて足を踏み出す檻也に、空音が少し慌てた様子で声を漏らす。
「か、神…!」
足早に頂上へと向かっていく檻也を、空音が必死に追いかける。
「よ、よろしいのですか?」
少し躊躇いがちに、檻也へと問いかける空音。
「姉は、神のっ…!」
「わかっていたことだ」
空音の言葉を遮った檻也が、その場で足を止める。急に立ち止まった檻也につられ、空音も慌てて足を止めた。
「わかっていたことだ。初めから…」
―――あなたも興味がありますでしょう?篭也が認めた、安の神という存在に―――
―――言姫様が、安の神を屋敷内にお入れになったそうです―――
―――篭也の害となるようなことだけは、しないと思っていた―――
「和音はいつも、篭也の味方だったからな…」
過去の数々の出来事を思い返しながら、空を見上げた檻也が、どこか遠くを見るような瞳を見せる。
「神…」
そんな檻也を見つめ、目を細める空音。
「言姫の婚約者は、“於の神”。別に、俺自身が選ばれたわけじゃない。俺がただ、於の神になっただけだ」
肩を落とした檻也が、どこか諦めたような口調で言う。
「俺がただ、篭也よりも早く、“お”の文字に目醒めただけだ」
「……っ」
檻也のその言葉に、空音が思わず、唇を噛み締める。
「それでもっ…」
放たれる空音の声に、檻也が少しだけ、振り返る。
「それでも、私の神は、あなた一人です」
はっきりと主張する空音に、檻也が驚くように目を開いた後、すぐさま開いた瞳を細める。
「……ありがとう」
礼を呟いた檻也が、かすかに笑みを零す。
「行くぞ。附いて来い、空音」
「仰せのままに、我が神」
表情を引き締めた檻也の言葉に、空音はしっかりと頷いた。




