Word.67 最後ノ神 〈2〉
「どうしました?言姫様」
いつまで経っても願いを口にしない和音を不審に思ったのか、桃雪が首を傾げ、俯いたままの和音の顔を覗き込むようにして、問いかける。
「さぁ、早くあなたの願いを、我が神に」
「わたくしの…」
桃雪の言葉に答えるように口を開きながら、和音が手鏡を持っていない方の手を、そっと着物の懐へと入れる。
「わたくしの、願いは…」
懐から何かを取り出し、和音がその手を、真正面へと向ける。
「あなたのその文字を、奪うこと…!」
『あ…!』
鋭い表情で、勢いよく顔を上げた和音が、前方に立つ永遠へと向けたのは、美しく輝く、小さな水晶の玉であった。その見覚えのある玉を見て、アヒルと篭也が大きく目を見開く。
「あれは…!」
「檻也の夢言石…!?」
「五十音、第五十音」
アヒルと篭也が驚き、戸惑う中、和音が高らかと声を発する。その和音の声に反応し、和音の手の中で、強く輝き始める夢言石。
「“を”、封印…!」
和音の突き出した夢言石から、強い白色の光線が放たれると、この光線はまっすぐに、永遠へと向かっていく。その予想もしていなかった光景を、アヒルと篭也は、ただ大きく見開いた瞳で見つめる。
「これで…!」
和音が祈るような表情で見つめる中、光線が、永遠の胸部を、勢いよく貫いた。光が届き、和音が笑みを零しそうになったその瞬間、永遠の姿が、薄らと霞む。
「え…?」
霞んでいく永遠の姿に、途端に眉をひそめる和音。届いたはずの光は、そのまま、永遠の体に当たることなく、空の彼方へと突き抜け、永遠の姿は、横に居た桃雪と共に、完全に消え去ってしまう。
「こ、これは…」
「“模写”」
「……!」
後方から聞こえてくる言葉に、和音が一気に険しい表情となって、振り返る。
「ふぅ~、危なかったですねぇ。神」
和音の後方、少し離れた場所に立っているのは、先程、和音の目の前で姿を消した、永遠と桃雪であった。桃雪は額の汗を拭う動作を見せながらも、嘲るような、余裕の笑みを浮かべている。
「念のため、姿を模写しといて良かったですよぉ。ホント」
「百井、桃雪っ…」
完全に二人の方を振り返った和音が、微笑む桃雪を、睨みつけるように見る。
「あなた、初めから…!」
「“燃えろ”」
「う…!」
和音の声を遮り、言葉を発した桃雪が、和音へと向けた言玉から、真っ白な炎を放つ。和音は咄嗟に、乗り出していた身を引くが、瞬く間に炎は襲いかかった。
「あああああ!」
「和音!」
炎に右手を焼かれた和音が、苦しげに声をあげ、持っていた夢言石を、力なく地面へと落とす。その様子に、篭也が思わず身を乗り出す。焦げ落ちた着物の袖の下から覗く、火傷を負った右腕を抱え込み、その場へとしゃがみ込む和音。
「う、ううぅ…」
「和音…!」
「ああ~、動かないで下さぁい」
しゃがみ込んだ和音に、駆け寄ろうとした篭也が、響く声に足を止める。
「ううぅ…!」
「動くと、殺しますよぉ?」
いつの間にか、和音のすぐ前へと立った桃雪が、和音の焼かれていない左手の方を持ち上げて、篭也へと言い放つ。負った火傷からか、捩じるような形で、無理やり腕を持ち上げられているからか、和音はさらに苦しげに表情をしかめた。
「クっ…」
和音を人質に取られ、篭也が大人しくその場で、動きを止める。
「あなたも愚かな人だぁ、言姫様」
篭也の方を振り返り見ていた桃雪が、前方を向き、和音へと視線を移す。
「大人しく願いを口にしていればぁ、我が神はあなたの望みを叶えて下さったのにぃ」
「言葉を使い、模写した姿を囮にしていたのに、ですか…?」
どこか残念そうに肩を落とした桃雪に、和音が低く落とした声で、鋭く言い放つ。
「あなたは初めから、私の願いを叶えさせる気などなかった」
少し声を震わせながら、和音が強く、桃雪を睨みつける。
「あなたは自身の神を復活させるため、ただ、私を駒の一つとして利用しただけっ…」
「……フフっ」
険しい表情を見せる和音に対し、堪え切れなかったものを零すように、楽しげに微笑む桃雪。
「ええ、そうですよぉ」
笑顔を見せた桃雪が、あっさりと認めるように、頷きかける。
「すべて、あなたの言った通り。僕は我が神を復活させるため、あなたを利用した」
囁きかけるように言葉を放つ桃雪に、和音がさらに、その表情をしかめる。
「あなたも、それに気付いていたからこそ、於の神から夢言石を奪い、ここへ隠し持って来たのでしょう?」
桃雪が右足をあげ、近くに落ちていた夢言石を、柔らかく踏みつける。
「私が檻也から夢言石を奪っていたことも、初めから知っていたのですね…」
「ええぇ。残念でしたねぇ、後一歩だったのにぃ」
まるで心のこもっていない桃雪のその言葉に、和音が眉間に皺を寄せる。そんな和音から視線を外して、桃雪は踏みつけていた夢言石を、遠くへと勢いよく蹴り上げた。今はもう無い、封印石の後方付近へと、夢言石が力なく落ちる。
「あなたには、本当に感謝していますよ、言姫様。あなたが居なければ、我が神の復活は無かった」
桃雪が再び和音を見つめ、笑みを浮かべる。
「正直、あなたがここまで役に立ってくれるとは、思っていませんでした」
微笑む桃雪を、ただまっすぐ、射るように見つめる和音。
「あなたも頑張り屋さんですねぇ。自ら消した母の記憶を、取り戻すために、必死に、必死に動き回ってぇ」
「……っ」
桃雪のその言葉に、和音の表情が大きく揺れる。
「知って…?」
戸惑いの表情で、和音が桃雪へと問いかける。和音は“願いを叶えるため”とは度々口にしたが、その願いの内容を、桃雪に話した覚えはなかった。
「ええ、勿論」
和音を嘲笑うかのように、自然と頷く桃雪。
「知っていなければ、あなたを選んでなどいない」
桃雪が、はっきりとした口調で言い切る。
「知っていたからこそ、僕はあなたに近づき、あなたがこう動くよう仕向けた」
「……!」
その言葉に、和音が大きく目を見開く。
―――ねぇ、言姫様。“遠の神”という存在を、ご存じですか?―――
十年前、桃雪により、もたらされた言葉。
―――現“於の神”よりも、ずっと強い力を持っているそうですよ―――
それにより動かされた、和音。
「では…初めから、全部っ…」
十年以上もの自分の行動のすべてが、桃雪の計算の内であったことを知り、和音が、愕然とした表情を見せる。
「あなたは本当に、頑張っていましたよぉ」
桃雪を睨みつける力すらも失い、虚ろな瞳を、どこへともなく向ける和音に、桃雪がさらに言葉を向ける。
「妹を、婚約者を、大切な存在である、そこの加守さんを、すべての人間を欺いて、たった一人で、孤独に戦って」
続く桃雪の声が、和音の耳に、突き刺さるように響く。
「ただ、母親に思い出してほしい一心で、必死に、必死に」
和音を見つめる桃雪が、鋭く目を細める。
「そんな、一人で戦っているあなたの姿は、必死な必死なあなたの姿は…」
桃雪が持ち上げている和音の体を引き寄せ、和音の耳元へと、顔を寄せる。
「とても、滑稽でした」
「……っ」
耳元のすぐ近くから届く言葉に、和音が力なく瞳を閉じ、悔しさを堪えるように、強く唇を噛み締める。
「グ…!」
和音の悔しさが伝わるのか、篭也も同じように唇を噛み締め、血が滲みそうなほどに強く、鎌を持つ手を握り締めた。
「さぁ、あなたのその頑張りも、もう終わりにして差し上げましょう」
「あ…!」
そう言って、腕を捻り上げた状態の和音へと、言玉を向ける桃雪。その桃雪の動作に、篭也が焦ったように、声を漏らす。
「和音…!」
篭也が身を乗り出す中、桃雪の握り締めた言玉が、強く輝き始める。
「“も…」
「桃雪…」
「ん?」
自らの言葉を口にしようとした桃雪であったが、その声は、小さな永遠の呼びかけにより、止まった。一旦口を閉じた桃雪が、少し戸惑うように、永遠の方を振り返る。
「何でしょう?神」
すぐさま笑みを浮かべ、桃雪が永遠へと問いかける。
「あなたから文字を奪おうとした、この愚かなお姫様なら、たった今、この場で僕がぁ…」
「避けろ」
「へ?」
短く落ちる永遠の声に、首を傾げる桃雪。
「神、それはどういう…」
「“当たれ”」
「……!」
永遠へと問いかけようとした桃雪が、背中側から聞こえてくる言葉に、大きく目を見開く。桃雪が素早く後方を振り向くと、真っ赤な光の大きな弾丸が、桃雪へと迫り来ていた。
「ク…!」
険しい表情を見せた桃雪が、持ち上げていた和音から手を離し、すぐさまその場から離れる。
「ううぅ…」
「和音!“庇え”!」
桃雪から解放され、力なく地面に座り込んだ和音へと、弾丸が迫るが、篭也がすぐに言葉を発し、鎌を放り投げる。鎌は空中で風の塊へと姿を変え、和音を取り囲むようにして、代わりに弾丸を受けた。弾丸が完全に消え去ると、風塊は再び鎌の姿へと戻って、座っている和音のすぐ横へと落ちる。
「和音…!」
その場を駆け出し、和音へと駆け寄っていく篭也。
「ふぅ~」
何とか弾丸を避けた桃雪が、永遠のすぐ横へと着地し、ホっとした様子で息を落とす。
「いやぁ、危なかった。ありがとうございます、神」
危機を知らせてくれた永遠へと、桃雪が礼を言う。
「僕が言姫様に気を取られている間に、自身の言玉を手にしてらっしゃったんですねぇ」
笑みを浮かべた桃雪が、封印石の右方を振り向く。
「安の神」
「…………」
桃雪の振り向いた先には、真っ赤な銃を身構え、鋭い表情を見せたアヒルが立っていた。アヒルの横には、封印石を取り囲む台座の一つがある。和音が最後に、アヒルの言玉を祀った台座であった。桃雪と和音の会話が続いているうちに、台座の近くへと移動し、アヒルは言玉を取り戻したのだろう。
「お前がペチャクチャと、くだらねぇことばっか、しゃべってっからだろうが」
射るような鋭い視線を、桃雪へと向けるアヒル。桃雪の和音への発言に対してか、アヒルのその視線からは、怒りが感じられた。
「尤もなご意見ですねぇ。反省させていただきましょう」
またしても心のこもっていない言葉を吐いて、桃雪が涼しげな笑みを浮かべる。
「安の、神…?」
銃を構えるアヒルを見つめ、永遠が少し眉をひそめる。
「明…?」
「え…?」
永遠が口にしたその名に、銃を構えたまま、アヒルが戸惑うように眉をひそめる。
「彼は旧世代“安の神”ではありませんよ、神」
永遠の方を振り向き、桃雪が丁寧に説明をする。
「彼は現“安の神”。あなたのよく知る“安の神”とは別人です」
「現、安の神…」
桃雪の言葉を繰り返し、永遠がそっと目を細める。表情にまた、色がなくなったところを見ると、桃雪の説明に納得したようである。掴めない空気を纏った永遠を見つめ、アヒルが警戒するように、表情を険しくする。
「篭也」
和音へと駆け寄った篭也を、静かに呼ぶアヒル。その声に、座り込んだ和音の体を支えたまま、篭也が素早く振り向く。
「言姫さんを連れて、ここから逃げろ」
「え…?」
思いがけないアヒルのその言葉に、篭也が驚きの表情を見せる。
「だが、しかし…!」
「神命令だ。従え」
「……っ」
反発しようとした篭也であったが、強く言い放つアヒルの言葉に気圧されるように、続く言葉を呑み込んだ。
「……わかった」
アヒルの指示に頷くと、篭也が地面に落ちていた鎌を拾い、和音の手を自分の肩に回させ、和音の体を支えたまま、その場でゆっくりと立ち上がる。
「無事で」
「ああ」
アヒルの短い返事を聞き届けると、篭也が右手に持った鎌を振り上げる。
「“駆けろ”!」
篭也が言葉を発すると、篭也と、そして篭也に支えられた和音の姿が、まるで風が吹き抜けるかのように一瞬にして、その場から消え去っていった。
「そう簡単に、逃がしはっ…!」
「“当たれ”」
「う…!」
二人を追うべく、言玉を振り上げた桃雪であったが、その桃雪の腕を、鋭く放たれた弾丸が掠め、赤い血が滲む。走る痛みにか、笑顔を見せていた桃雪の表情が歪んだ。
「誰が追いかけていいって、言ったよ?」
「ク…」
アヒルが桃雪へと銃口を向け、強気に言い放つ。銃口を向けられたままでは、下手に追っていくことも出来ず、桃雪がさらに表情をしかめる。




