Word.7 神ニ、誓ウ 〈3〉
「あぁ~あ、結構遅くなっちまったなぁ~」
腕時計で時間を確認しながら、アヒルが少し歩く足を早める。日は傾き、空は徐々に暗くなり始め、夕日で赤色に染まり出していた。
「今日の食事当番はスー兄かぁ?後で頼まれても面倒だし、電話して、買い物するもんでも聞くかなぁ」
「きゃあああああっ!」
「あっ?」
首を捻っていたアヒルが、どこからか聞こえてくる悲鳴に眉をひそめる。
「何っ…あっ…!」
振り返った途端、アヒルが険しい表情を見せる。
「この気配は…忌っ…!」
目つきを鋭くすると、アヒルはすぐさま、その場から駆け出していった。
「グオオオォォォっ…!“壊”っ!」
『うわああああ!』
『きゃあああああ!』
広場の中央で、激しい咆哮をあげる、三十代半ばくらいの一人の男。男が言葉を発し、手を振り上げると、広場の遊具やら電灯やらが、一気に崩れ落ち、広場に集まっていた人々が、一斉に逃げ惑った。
「あいつかっ…!」
気配と悲鳴を頼りに、広場へと駆け込んでくるアヒル。
「第一音、“あ”・解放っ…!」
逃げ惑う人々の間から広場へと入ったアヒルは、素早くポケットから言玉を取り出し、力を解放して、銃の姿へと変える。姿を変えた銃を、アヒルがすぐさま右手に構える。
「グオオォォ!“破”っ…!」
「ひぃぃ~っ!」
「あっ…!」
広場を逃げ惑う中年男へ向け、衝撃波を放つ、忌に取り憑かれた男。向かってくる衝撃波に、背筋を震え立たせる中年男を見て、アヒルが少し焦ったように顔をしかめながら、素早く銃を構える。
「“当たれ”っ…!」
銃から放たれた弾丸が、アヒルの言葉に従い、まっすぐに衝撃波へと向かっていく。
―――パァァァァン!
アヒルの弾丸が衝撃波を貫き、撃ち砕く。
「グっ…」
「ふぃ~っ」
砕かれた衝撃波に、少し曇った声を発する男に対し、どこかホッとしたように、一息入れるアヒル。
「でぇ?オッサン、あの人に一体、どんなこと言っ…」
「ひええぇぇ~っ!」
「ありっ?」
難を逃れ、急いで広場から逃げていく中年男に、アヒルが目を丸くする。
「お、おいっ!ちょっと待っ…!」
「グオオォォっ…!」
「うぇっ…!?」
中年男を追いかけようとしたアヒルへ向け、駆け込んできた男が、勢いよく右腕を振り抜く。
「うわわっ!あっ…!」
必死に男の攻撃を避けるアヒル。避けながら、アヒルが広場の入口を少し振り返ると、中年男は広場を出て、そのままどこかへと走り去って行ってしまった。
「クッソっ…!これじゃあ謝らせることもっ…!」
「“破”っ…!」
「うぇっ!?」
逃げていった中年男に気を取られていたアヒルへ、男が至近距離から衝撃波を放つ。
「ヤバっ…!」
迫る衝撃波に、顔を歪めるアヒル。
「クっ…!」
「“妨げろ”…」
アヒルが諦めるように歯を食いしばったその時、言葉が聞こえ、音色が流れると、アヒルへと向かって来ていた衝撃波が、横から入ってきた振動とぶつかり、勢いよく砕け散った。
「あっ…」
目の前で砕け散った衝撃波を見て、アヒルが目を丸くする。
「今のって…」
「ご機嫌いかが…?アヒるん…」
「……っ!」
よく聞き覚えのあるその声に、アヒルが大きく目を見開き、勢いよく振り返る。
「囁!篭也もっ…!」
広場の入口に立っているのは、篭也と囁であった。すでに臨戦態勢で、それぞれ格子と横笛を右手に持っている。驚くように見るアヒルに、囁はどこか楽しそうに笑みを向けた。
「お前ら、何でっ…」
「聞いてくれる…?アヒるん…」
「へっ?」
戸惑うように問いかけようとしたアヒルの声を遮り、言い放つ囁に、アヒルが首を傾げる。
「さっき、そこで…全速力で駆け抜けていく、言ノ葉町商店街でラーメン屋経営中のオジサンに会ったんだけれど…」
「はっ…?」
急によくわからない話をし始める囁に、意味がわからず、顔をしかめるアヒル。
「いきなり何言ってっ…」
「バイトの人をね…“トロくて使えない”って言って、一方的に解雇した上に、それまでの分のお給料、払わなかったらしいのよ…」
問いかけようとしたアヒルの言葉を遮り、囁が言葉を続ける。
「酷い話だと思わない…?」
「ひええぇ!」
「あっ…!」
話を続けながら、囁が入口から広場の中へと押し出したのは、先程、逃げてしまった、あの中年男であった。広場に座り込んだ中年男は、焦った様子で声をあげる。
「グオオオォォ!」
「いやぁ!ひぃっ!」
「おっと」
威嚇するように咆哮をあげる男に、ひどく怯え、立ち上がって、再び広場を出て行こうとする中年男を、囁の横に立った篭也が、逃がすことなく捕まえる。
「おい」
「ひぃ!」
中年男の胸倉を掴み、右手の格子を、中年男の顔のすぐ傍まで近づける篭也。篭也の突き刺すような視線に、中年男が忌に対してと同じくらい、怯えた表情を見せる。
「痛い目に遭いたくなかったら、とっとと謝るんだな」
「ひぃ~!ごめんなさぁ~い!」
篭也の脅しにあっさりと負けて、中年男が大声で謝る。
「解雇は取り消しますぅ~!今までの分のお給料も払いますから、どうか許して下さいぃ~!」
「グっ…」
必死に謝る中年男の姿に、忌に取り憑かれた男が、今までとは異なる、どこか苦しげな声を漏らして、その動きを止めた。
「グゥゥゥっ…!グアアアアアアっ!」
空を見上げた男が、今までで一番の激しい叫び声をあげると、男の全身から、眩いばかりの白い光が放たれる。
「あ…あぁっ…」
白い光が止むと、全身を包んでいた黒い影の消えた男が、ゆっくりと瞳を閉じ、力なくその場に倒れ込んだ。
「こ、これは一体っ…」
「上出来ね…」
「へっ?」
そっと呟く囁に、中年男が戸惑うように振り向く。
「ご苦労様…“催眠”…」
「うっ…!うぁっ…すぅーっ…すぅーっ…」
言葉の後に続く囁の横笛の音色を聞くと、中年男はその場に横になり、音に呑み込まれるように、深い眠りについた。
<グゥっ…!グググっ…!何だっ…!?>
「あっ…!」
まだ暗がりの広がりきっていない夕焼け空に浮かぶ、その黒い影を塊を見つけ、顔を上げたアヒルが、大きく目を見開く。
「忌っ…!あの人の体の中から出たのか…!」
「篭也…」
「ああ」
アヒルが忌の姿を確認している間に、篭也はその表情を鋭く研ぎ澄まし、一本に重なった格子を素早く身構えた。
「“変格”」
篭也の言葉に反応し、格子が赤い光を放つと、格子の先端に曲がった刃が現れ、格子は鎌へと姿を変えた。その鎌を、篭也が大きく振り上げる。
「“刈れ”…!」
<グっ…!>
振り上げられた鎌から放たれた赤い一閃が、迷うことなく上空の忌へと向かっていく。
<グアアアアアっ!>
突き上げた一閃に右腕部分の影を斬り裂かれ、忌が痛々しい叫び声をあげる。
「あっ…」
「何をしている?神。とっとと構えろ」
「篭也っ…」
上空で苦しむ忌を、唖然とした表情で見上げていたアヒルに、厳しい言葉を投げかける篭也。そんな篭也を、アヒルが少し戸惑うように振り返り見る。
「これが、あなたのやり方だろう?」
「……っ」
どこまでもまっすぐな瞳で、はっきりと言い放つ篭也に、少し驚いた表情を見せるアヒル。
「お前等っ…」
「ねぇ、アヒるんっ…」
「へっ?」
篭也より一歩前へと出た囁が、穏やかに微笑みながら、アヒルの名を呼ぶ。
「私たちは、ただの安附よ…あなたの家族でもなければ、幼なじみでもない…」
「はっ?」
突然の囁の言葉に、アヒルが困惑した様子で首を傾げる。
「だから…あなたに元気がなくても…それをすぐに察して、わかってあげることなんて出来ないわ…」
「……っ」
その言葉を聞き、家族や幼なじみが、自分の様子の変化に気付いていたことを知り、アヒルはどこか複雑そうに、表情を曇らせた。
「でもね…」
囁がさらに、言葉を続ける。
「私たちは、安附…。安の神の、あなたの附き人だから…」
より一層、口元を緩め、大きく微笑む囁。
「あなたが迷って、傷ついて…弱くなってしまうことがあるというなら…私たちはその時、強くなるわ…」
「……っ!」
囁の笑顔に、アヒルが思わず大きく目を見開く。
「ねぇ…?篭也…」
「別に、僕はいつも強い」
同意を求めるように振り向く囁に、篭也はそっぽを向いて、どこか意地を張るように答えた。
「…………」
そんな二人を見つめながら、そっと目を細めるアヒル。
―――甘い考えなのかも知れないけど、俺はやっぱり、あいつ等に応えもしたいしっ―――
先程、雅へ向けて言ったその言葉を、胸の内で、さらに強く思った。
<ググ…!グっ…!>
『……っ』
上空から聞こえてくる忌の声に、三人が一斉に表情を鋭くし、素早く上を見た。
<グっ…!>
篭也の攻撃により右腕をきり落とされた忌が、少し重そうな体で宙を流れるようにして、その場から遠ざかろうとしていた。宿主も失い、勝てないと踏んで、逃げようとしているようである。
「届くか?囁」
「無理ね…距離が開き過ぎてるわ…」
「お前もか…」
問いかける篭也に、囁が冷静に答える。その囁の答えを聞き、少し肩を落とす篭也。上空と地上でただでさえ距離がある上に、さらに遠ざかられては、篭也や囁の攻撃では、忌には届かないのだ。
「クソっ…ここまできて、見逃すことになるとはっ…」
「…………」
「んっ?」
悔しげに唇を噛んだ篭也が、態勢を整え、銃を握り直しているアヒルの様子に気付き、眉をひそめる。
「何をしている?やめておけ、神。ここまで距離が開いては、あなたの銃弾でもっ…」
「……っ」
「はぁっ!?」
ゆっくりと持ち上げた銃の、その銃口を、自分のコメカミへと当てるアヒルに、篭也が思わず大きく目を見開き、驚きを前面に出した声をあげた。
「な、何をっ…!」
「あら、また乱調…?フフっ…」
焦る篭也に対し、どこか楽しげに微笑んでいる囁。
「か、神っ…!」
「あ…」
篭也が必死に呼びかける中、アヒルがゆっくりと口を開いた。
「“上がれ”っ…!」
―――パァァンっ!
その言葉とともに弾丸が放たれると、弾丸に貫かれたアヒルの体から、強い赤色の光が放たれ、次の瞬間、アヒルは夕焼け空へと、高々と舞い上がった。
「とっ…飛んだ…?」
「あら、凄い…フフっ…」
空へと飛び上がったアヒルを、篭也が驚きの表情で、囁が感心した様子で、それぞれ見上げる。
<んなっ…!>
上空で逃げようと、ゆっくりと空を流れていた忌は、自分を追うように空へと飛び上がってきたアヒルを、焦った表情で見た。
<何っ…!?>
「終わりだっ」
直線上に並んだ忌へと、アヒルが素早く銃口を向ける。
「“当たれ”っ…!」
―――パァァンっ!
放たれた弾丸が、空を駆け抜け、忌の黒い影を正面から貫く。
<ギャアアアアアっ!!>
夕焼け空に、花火のように白い光を飛び散らせて、忌はあっという間に、その姿を消し去った。
「ふぅっ」
無事、忌を倒したアヒルは、ゆっくりと降下し、地面へと降り立った。足に触れる地面の感触に、アヒルが一つ、息をつく。
「アヒるん…」
「んっ?」
名を呼ばれ、アヒルがその声の方を振り返ると、すでに武器を言玉へと戻した様子の篭也と囁が、ゆっくりとアヒルのもとへと歩み寄ってきた。
「やったわね…四つ目の言葉…」
「ああっ」
優しく微笑みかける囁に、アヒルも嬉しそうな笑顔を見せる。
「辞書を引いた成果…?」
「いやっ、今のは何かこう自然とっ…あっ…」
―――焦って学ぶ必要なんて、ありませんよ。言葉は、自然に身につくものです―――
囁の問いに答えようとしたアヒルの脳裏に、公園で話した時の雅の言葉が過ぎった。
「……あの人の、言う通りだったなっ」
「えっ…?」
「あっ、いやっ」
そっと呟き、微笑んだアヒルが、聞き取れなかったのか、首を傾げる囁へ、誤魔化すように笑みを向けた。それから銃を言玉の姿に戻し、戻った言玉をポケットの中へと入れる。
「来てくれて、ありがとうな。助かったよっ」
「安附として、当然のことをしたまでだ」
笑顔を見せるアヒルに、篭也が素っ気なく答える。
「まぁ忌の気配が出る前から…神のところへ行こうって篭也はうるさかったけれどね…フフフっ…」
「囁っ」
「……っ」
からかうように呟く囁に、しかめた表情を見せる篭也。そんな二人を見て、アヒルがどこか穏やかな笑みを浮かべる。
「篭也、囁」
『……っ?』
名を呼ばれ、篭也と囁がアヒルの方を振り向く。
「俺さっ、まだまだ言葉も四つしかねぇーし、国語はやっぱり嫌いだし、バカだけどっ…」
「あなたがバカなことくらい知っている」
「ああっ!?」
「まぁまぁ…少しの間くらい、落ち着いて話しましょうよ…」
余計な口を挟む篭也に、言葉の途中にもかかわらず、勢いよく顔をしかめ、怒声のような声をあげるアヒル。そんな二人を、囁がどこか冷めた視線で、宥める。
「俺っ、こんな神だけどさ、俺なりに頑張るから、だからっ…!」
改めて言葉を続けたアヒルが、まっすぐに二人を見つめる。
「俺に附いて来てほしいっ!」
『……っ』
堂々と告げられるその言葉に、篭也と囁は、驚いたように大きく目を見開いた。だがすぐにその瞳を細め、篭也は少し視線を逸らし、囁は口元を緩ませる。
「そんなこと言われなくても、もとより、そのつもりだ」
「フフフっ…」
素っ気なく答える篭也の言葉を聞きながら、囁がどこか楽しげに微笑む。
「地獄の果てまで、附いていってあげる…」
「いや、そこまではちょっとっ…」
その笑みを怪しげなものへと変える囁に、思わず表情を引きつるアヒル。
「でもまぁ…ハハっ!あんがとなっ!」
すぐに大きな笑みを作り、アヒルは二人へ礼を向けた。
「そんなことより、とっとと家へ帰るぞ」
「あっ?」
そう言って、すぐさま広場の入口へと歩き出していく篭也に、アヒルが首を傾げる。
「珍しいなぁ。見たいテレビでもあんのかぁ?」
「フフっ…可愛いお願いが待ってるのよ…」
「お願い?」
「囁っ!」
アヒルがさらに首を傾げる中、篭也の怒るような声が響き渡った。




