Word.65 届かヌ言葉 〈2〉
「言姫様」
桃雪とエリザの戦った後、部屋の片付けを従者に行わせるため、使われていない別室へと移動した和音のもとへ、新たな従者がやって来る。天井が高く、何もないその広い部屋の、奥の段差になった場所に立ち、上を見上げていた和音が、ゆっくりと振り返る。
「何でしょう」
「加守の神月篭也殿が、言姫様に面会を求め、参られております」
従者の言葉に、和音がそっと、目を細める。
「通して下さい」
「かしこまりました」
和音へ向け、深々と頭を下げると、従者が素早く部屋を出て行く。それから一分と経たぬうちに、扉を叩く音が響いた。
「どうぞ」
「失礼いたします」
天井まで続く大きな扉が開かれると、そこから、鋭い瞳を見せた篭也が、部屋の中へと入って来た。突き刺すような篭也のその瞳を見て、和音が口元を緩める。
「怖い瞳…」
篭也の瞳を見て、和音が少し困ったように肩を落とす。
「また、誘拐犯か何かにでも、間違えられているのでしょうか…」
「色々と言いたいことはあるが…まず一つ、聞こう」
そんな和音を、篭也がまるで睨みつけるように見る。
「何故、“あの言葉”を使った?和音」
「……っ」
篭也のその問いかけに、和音の表情が曇る。
「あの言葉、とは?」
「僕の口から聞きたいか?」
平静を装い、聞き返した和音であったが、責めるように言う篭也に、その表情はまた曇る。
「確かに、聞きたくはありませんね…」
視線を落とした和音が、薄く笑みを浮かべる。
「わたくしがあの言葉を使ったのは、わたくしの願いを叶えるためですよ。篭也」
「では、あなたの願いとは何だ?」
和音の答えを聞くと、篭也はすぐさま、次の問いを向ける。
「あなたの、五神を揃えなければ叶わない、その願いとは何だ?」
篭也のその言葉に、和音がそっと目を細める。
「五神を、揃える?一体、何の話を…」
「誤魔化す必要はない。あなたのやろうとしていることは、おおよそ、見当がついている」
聞き返そうとした和音の声を、勢いよく遮る篭也。遮られる言葉に、和音がかすかに眉をひそめる。
「あなたが何故、我が神にこだわったのか。その理由もな…」
篭也の鋭い瞳が、まっすぐに和音を見つめる。
「五神を揃える必要のあったあなたにとって、最大の障壁となったのが“宇の神”の存在だ」
篭也が入口近くから、ゆっくりと和音の方へと歩み寄りながら、言葉を放つ。
「“宇の神”は旧世代以降、後任がなく、五十音界自体に、存在がなかった。“宇の神”が存在しない以上、五神を揃えることは不可能」
部屋の中央で立ち止まり、篭也がさらに言葉を続ける。
「それでも、何としても神を揃えたかったあなたは、重要機密書庫の本を読み耽り、“宇の神”に関しての情報を集めた」
「…………」
和音は特に反論する様子も見せず、ただ黙ったまま、篭也の話を聞く。
「そして、やっとのことで、あなたが見つけたのが、“宇の神”特有の黄金の不死鳥の力を持つ…」
篭也が一瞬、躊躇うように間を置き、そしてまたゆっくりと、その口を開く。
「朝比奈カモメの存在だ」
カモメの名を出すと、篭也の表情が少し険しく変わる。
「カモメさんが何故、“宇の神”の力を持ち得たのかは、わからないが、恐らくあなたはそれを知った上で、カモメさんを加守とし、自らの監視下に置いたんだろう」
篭也が再び、数歩、足を進め、和音との距離を詰める。
「だが、そこで事件は起こる」
少し低く落ちる、篭也の声。
「カモメさんの神、安積晶の暴走だ」
悲しげに、視線を落とす篭也。いくら阿修羅の件が片付き、気持ちの整理がついたとはいえ、カモメを失った悲しみが消えているわけではなかった。
「カモメさんが死ねば、またしても五神は揃わない。だからこそ、あの日、あなたはあんなにも必死になって、カモメさんを探していた」
―――朝比奈カモメはどこです!?―――
晶の異変を知った和音は、言姫という立場がありながらも、自ら率先して、事件の起こった栞総合病院に出向き、晶の拘束というよりも、カモメの救出に必死になっていた。
「だが、必死の救出も叶わず、カモメさんは安積晶に殺され、死んでしまった…」
篭也の視線が、床へと落ちる。
「また“宇の神”を失ってしまった。落胆したあなたの目に、飛び込んできたのが…」
―――届けて…俺の、最期の言葉…―――
―――“叶え”…―――
―――今のは…―――
「最期の言葉“叶え”を使い、自分に残ったすべての力を、誰かのもとへと送ったカモメさんの姿だった」
また視線を上げ、篭也が再び、和音を見つめる。
「僕は正直、カモメさんが死んだことで頭が真っ白になっていて、カモメさんが“叶え”の言葉を放ったことすら忘れていたが…」
篭也が目を細め、その視線を鋭くする。
「あなたには、鮮烈に記憶が残ったことだろう。そして、あなたは考えた。カモメさんが一体誰へ、その力を残したのか、な…」
鋭い視線を浴び、和音もそっと目を細める。
「それで、わたくしが朝比奈アヒルに目をつけたと…?」
「いや。カモメさんの弟は、他にスズメさんとツバメさんもいる。いきなり、神だけには絞れない」
久し振りに口を開き、問いかけた和音に、篭也がすぐさま、首を横に振る。
「だから、二人を試したのだろう…?スズメさんとツバメさんに、“寸守”と“州守”の称号を与えてまで」
篭也の言葉に、和音がかすかに表情を歪め、動揺の表情を見せる。
「宇団も、神すらも存在しない音士を承認出来るのは、あなたぐらいなものだ」
「……確かに、そうですわね」
「だが二人の力は、“宇の神”のものとは異なっていた」
スズメとツバメの生み出していた、金色の鳥を思い出し、篭也がそっと目を細める。二人の力の形も確かに、鳥ではあるが、その姿は、カモメの持っていた不死鳥とは、多少違っていた。
「そしてあなたは、最後の望みに懸けるように、朝比奈アヒルへと目を向けた…」
薄く瞳を細めた和音は、篭也の声を聞きながら、篭也と目を合わそうとはせずに、ただ高い天井を、じっと見上げている。
「だが、そこでまた、問題が生じる」
―――“当たれ”ぇぇぇ…!!―――
「朝比奈アヒルが“安の神”に目醒め、“あ”の力が前面に出てきてしまったため、“う”の力が内へと追いやられてしまったことだ」
自身が目の前で目撃した、アヒルが言葉の力に目醒めた瞬間のことを思い出し、話を続ける篭也。
「あなたは、すぐに僕と囁を神のもとに送り、僕に細かな報告を命じて、神を監視した」
篭也がまた歩を進め、今度は和音のすぐ前まで歩いて行く。
「それから、自らも僕たちの前へと現れ、波城灰示退治、以の神との神試験を用意し、神の成長を促す」
どんどん近付いてくる声に、天井を見上げていた和音が、ゆっくりと顔を下ろしていく。
「七声との戦いを、始忌との戦いを安団に一任することで、神の内なる力を引き出す」
和音のすぐ前で足を止めた篭也と、顔を下ろした和音が、やっとのことで、その視線を交わらせる。
「そして…」
短く置かれる、一呼吸。
「カモメさんの仇である阿修羅と戦わせることで、神の“う”の力を完全なものとした…」
篭也の言葉すべてを聞き取り、和音が一瞬、そっとその瞳を閉じる。
「どこか、間違っていた点はあるか…?」
「いいえ」
確かめるように問う篭也に、和音がすぐに首を横に振る。
「ほぼ正解、と言っていいでしょうね…」
再び瞳を開いた和音が、口元を緩め、穏やかな笑みを浮かべる。
「確かにわたくしは、ずっと前から、朝比奈カモメを、朝比奈アヒルを、見続けてきた…」
和音が微笑んだまま、また天井を見上げる。
「すべての神を、揃える為に…」
天井を見つめた和音が、どこか遠くを見るような瞳を見せる。
「そして、やっと、ここまで来た。わたくしの計画通りに、ここまで…」
「ああ。だが」
鋭く言葉を付け加え、篭也が制服の胸ポケットから、赤色の言玉を取り出す。
「第六音“か”、解放…!」
篭也が言玉を解放すると、言玉はいきなり、変格した状態である真っ赤な鎌へと姿を変え、それを篭也が素早く構える。
「僕は神附き。神の害と成り得るものは、例え、あなたであろうと、容赦しない」
篭也が構えた鎌の刃が、和音へと向けられる。
「僕がすべてを知った以上、あなたの計画もここまでだ!和音!」
「…………」
突き付けられたその刃を、特に焦った様子もなく、落ち着き払った様子で見つめる和音。
「いいえ、篭也」
冷静な声が、篭也へと向けられる。
「“ここまで”が、わたくしの計画です」
「何…?」
和音のその言葉に、篭也が戸惑うように眉をひそめる。
「わたくしは、わかっていました。あなたが、誰よりも一番に、この真実に気付き…」
大きな和音の瞳が、射るように篭也を捉える。
「あなたが、誰よりも先に、わたくしのもとへ来ることを…」
「和音…?」
「五十音、第四十六音…」
篭也が戸惑いの声で名を呼ぶ中、和音が凛とした声を響かせる。
「“わ”、解放」
「なっ…!」
袖口から取り出した、篭也と同じ赤い言玉を、解放していく和音の姿に、篭也が思わず目を見張る。
「和音が、言玉の解放を…?」
篭也は和音とは長い付き合いであったが、和音が言玉で言葉を使っているところは見ても、言玉自体を解放するところは、見たことがなかった。
「あっ…」
姿を変えていく和音の言玉を、篭也がまっすぐに見つめる。
「か、がみ…?」
和音が言玉の代わりに、右手に握り締めていたのは、丁度、顔を映し出せるくらいの、真っ赤な手鏡であった。武器には見えぬその姿に、篭也が益々、戸惑った表情となる。
「わ…」
鏡面を篭也の方へと向けながら、和音がそっと口を開く。
「“渡せ”」
「え…?」
篭也の姿が、和音の向けた鏡の中に映し出されたその瞬間、篭也の手の中にあったはずの鎌が消え去る。鏡の中から消えた鎌に先に気付き、それから空になった自分の手へと視線を移す篭也。
「ど、どこへ…」
「探し物は、これですか…?」
「……っ」
すぐ傍へとやって来る刃に、戸惑っていた篭也が、表情を険しくする。篭也が顔を上げると、そこには、先程まで篭也が持っていたはずの鎌を持ち、その刃を篭也の方へと向けた、和音が立っていた。
「和音…一体、どういうつも…」
「あなたの言葉、確かにほぼ正解でしたが、違っている点が幾つかあります」
「何…?」
鎌を奪われてしまった篭也が、和音の言葉に、戸惑うように眉をひそめる。
「まず一点目、わたくしは、朝比奈カモメが“う”の力を持っていることを、彼を見つける、ずっと前から知っていた」
「え…?」
その言葉に、篭也が益々、戸惑いの表情となる。
「知っていただと…?」
「二点目、わたくしが必要としているのは、五神ではなく、五神が持つ五つの言玉」
聞き返す篭也を無視し、和音が自分の言葉を続ける。
「そして、三点目」
和音が、これが最後であることを告げるように、さらにはっきりと言葉を放つ。
「朝比奈アヒルが“あ”の力に目醒めるであろうことも、わたくしには、初めからわかっていた…」
「何、だと…?」
告げられる言葉に、篭也がさらに衝撃を走らせ、大きく目を見開く。
「どういうことだ!?それは、一体…!」
「この部屋かぁ?」
「……!」
問い詰めるように、和音へと言葉を向けようとした篭也が、背後から聞こえてくる扉の開く音と、よく聞き覚えのあるその声に、大きく目を見開く。
「神…?」
「へ?」
篭也が振り返ると、開かれた扉の向こうから、桃雪と共に部屋へと入って来るアヒルと目が合った。
「あれ?篭也、何でお前、ここに…」
「ク…!」
戸惑うアヒルを余所に、篭也が、すべてを悟った様子で、険しい表情を作る。
「今すぐ、ここから逃げろ、神!」
「へ?」
瞬時に判断した篭也が、アヒルへと叫びあげながら、その場を離れようと、足を踏み出す。
「うぅ…!」
「な…!?」
だが、篭也の動きは、首元に突き付けられた刃により、止められてしまった。その光景に、先程まで暢気な様子を見せていたアヒルも、一気に表情を強張らせる。
「和音…!」
「…………」
アヒルの方を振り向いた篭也の、すぐ後ろへと回った和音が、先程、篭也から奪った鎌の刃を、篭也の首元へと突き付けていた。篭也が少しだけ首を動かし、何とか和音の方を振り向くが、和音の表情は凍りついたように冷たく、篭也の呼びかけにも、眉一つ動かさない。
「言姫さん!な、何を…!」
「安の神」
問おうとしたアヒルの声を、和音があっさりと遮る。
「あなたの持っている二つの言玉と、あなたの神附きの命、交換していただけませんか…?」
「……っ」
和音から向けられたその言葉に、アヒルは驚きの表情を見せた。
「朝比奈!」
『え?』
一年D組の教室で、囁と保があれこれと話をしていたその時、職員会議を終えた恵が、壊すのではないかというほどの勢いで扉を開き、教室の中へと突入してきた。
「恵先生…?」
「はぁ!まだ反省文できてないんです!すみませぇ~ん!」
「お前の反省文なんか、今はどうでもいい!それより、朝比奈は!?」
「凄く時間かけて書いたのに、どうでもいい存在な俺で、すみませぇ~ん!」
保に強く突き放すように言って、恵が必死に教室を見回す。恵のあまりの冷たさにショックを受けながらも、それでも謝ることはやめずに、保が叫ぶ。
「アヒるんは、ここには居ないけれど…もう、居残りは終わったんじゃなかったの…?」
「あいつ…!人の言いつけ、無視しやがって…!」
頭を抱え、追い詰められたような、険しい表情を見せる恵を見て、囁が眉をひそめる。ただ、居残りを逃げられただけにしては、恵の様子がおかしい。
「ああ、クソ…!とりあえずお前たちも、私と一緒に…!」
「アヒるんに…アヒるんに何かあったの…?」
「アヒルさん…?」
すぐに教室を出て行こうとした恵に、真剣な表情を見せ、囁が恵へと問いかけると、恵が眉間に皺を寄せた。二人の緊迫した空気を、さすがに感じ取ったのか、謝り騒いでいた保も、その声を止める。
「何かが“起こった”かはわからない。今まさに、“起ころうとしている”くらいかも知れない。それに…」
目を細め、厳しい表情を見せる恵。
「何かが起こるのは、“朝比奈に”じゃない」
恵が強く、拳を握り締める。
「“世界に”だ」




