Word.65 届かヌ言葉 〈1〉
―――自身の言葉“永遠”を使い、自分の若さと命を、永遠のものとした…―――
「あ…」
アヒルの口から、言葉にならない声が零れ落ちる。すぐに否定してしまいたい気持ちと、どうしても否定することの出来ない事実が混ざり合い、動くことすら、出来なかった。
「え、“永遠”…?」
やっとのことで口を動かし、アヒルが掴みきれないその言葉を、聞き返すように呟く。
「“永遠”の言葉をかけた私と、お前たちとでは、生きている時間軸そのものが異なる」
恵はひどく落ち着いた口調で、アヒルへと話し始めた。
「違う時間軸を生きていると、相手の時間の流れが違っても、人は誰も、一切、違和感を持たない」
少し視線を落とした恵が、アヒルの見ていたらしい、数多くのアルバムを、ゆっくりと見回す。
「だから、私がずっと、この学校で、年も取らずに教師をしていたとしても、同僚も生徒も、誰も気付きはしないんだ」
恵の話に、アヒルがそっと眉をひそめる。恵の話し方は、誰にも気付かれないから問題ない、と言っているように聞こえた。だが、アヒルにはそれが、ひどく孤独なことのように思えた。
「お前やカモメのような、五十音士の者以外はな…」
どこか遠くを見つめるように、恵が目を細める。
「なん、で…?」
アヒルが零した小さな声に、恵がアヒルの方を振り向く。
「なんで、そんな言葉…」
「……っ」
少し責めるようなアヒルの瞳に、恵が思わず視線を逸らす。
「それは…」
「目白先生!」
恵が答えを口にしようとしたその時、資料室の扉が勢いよく開き、若手の女性教師が入って来た。その教師は、アヒルも知っている数学の教師だ。
「何してるんです?職員会議、始まっちゃいますよ?」
「あ…」
その女性教師の言葉に、思い出したような表情となった恵が、資料室の掛け時計を見る。時計は四時半を差していた。
「早めにお願いしますね。あ、後、あんまり居残りばっかりやらせてると、保護者から苦情くるかもなんですから、気を付けて下さいよ?」
「あ、ああ」
恵に冗談めかして忠告すると、女性教師はすぐに資料室を出て行った。扉が閉まり、再び資料室がアヒルと恵だけの空間となる。
「職員会議か。仕方ないな」
恵が困ったように頭を掻き、机の上に乱雑に置かれている、ノートとペンを手に取る。
「お前は、真田か高市んとこにでも行ってろ。まだ校内に居るはずだ。それで、会議が終わったら、私と一緒に為介のところへ行く」
荷物を脇に抱え、恵がまた、アヒルの方を振り返る。
「くれぐれも、一人で行動するなよ。いいな、朝比奈」
アヒルに強く指示を送ると、恵はそのまま足早に、資料室を後にした。叩きつけるように扉の閉まる音が、静かな資料室に響き渡る。
「…………」
一人立ち尽くしたアヒルは、ただもどかしい気持ちを抱え、険しい表情を見せていた。
「ったく、間の悪い会議だな!」
資料室を出て、急ぎ足で廊下を進む恵は、焦りからか、表情を歪めていた。和音が大きく動き出し、こちらも一刻も早く、動き出さねばならず、悠長に会議に出ている場合ではない。だが、それでも一教師である恵は、自分の仕事を疎かにし、他人に迷惑をかけることは出来なかった。
「とにかく、とっとと終わらせるよう、学年主任を睨みつけて…!」
―――なんで、そんな言葉…―――
「……っ」
思い出される、つい先程のアヒルの言葉に、恵が思わず足を止める。責めるような、悲しむような瞳。睨みつけられるよりも、ずっと鋭く突き刺さった。
―――俺、先生と同じ“時”を生きてみたいな…―――
「何を…」
同じように事実を告げた時、優しく微笑んだカモメの姿を思い出す。
「何を、期待してたんだかな…」
自嘲するような笑みを浮かべ、恵は再び、廊下を歩き出して行った。
韻本部地下、特別収容施設内部。
「ふぅ…」
目の前に広がる分厚い鉄格子を見つめ、深々と溜息を吐いているのは、“於の神”於崎檻也であった。格子の一本を手で掴んでみると、それはとても固く、檻也の腕力だけでは、どうにもならないものであることを思い知らされる。
「こんなもの、言玉さえあれば一発なんだがな…」
「申し訳ありません、神」
後方から聞こえてくる声に、檻也が振り返る。
「私が附いていながら、神をこのような目に…」
険しい表情を見せ、力なく俯くのは、檻也の神附き“曾守”の空音。
「俺とて、言玉を奪われてしまったんだ。お前だけが悪いわけじゃない。そう、自分を責めるな」
「はい…」
檻也の言葉に頷く空音だが、その曇らせた表情を変えることはない。
「それで、お前も言玉を奪われてしまったのか?」
今度は体ごと後方を振り返った檻也が、空音のさらに後方を見る。
「“以の神”」
「…………」
檻也たちと同じ牢内で、後方の壁へともたれかかり、その場に座り込んで、固く腕組みをしているのは、“以の神”伊賀栗イクラであった。
「ああ…?」
「う…」
勢いよく睨みつけるイクラに、檻也が思わず、表情を引きつる。
「な、何か…話しかけるなオーラ全開ですね…」
「ま、まぁ、俺が神試験をやった頃から、あの男はあんな感じだ」
引きつった表情を見せながら、こそこそと会話する檻也と空音。牢に閉じ込められているので当たり前だが、イクラはひどく不機嫌な様子で、檻也たちが立ち入れる隙はなかった。
「どうも。皆さん、ご機嫌よう」
『……っ』
牢の外から響く声に、檻也たちが一斉に振り向く。
「さぁ~、新入りさんですよぉ」
傷ついたエリザを抱え、その場へと現れたのは、何とも楽しげな笑みを浮かべた桃雪であった。素早く牢を開けた桃雪が、エリザを乱暴に牢の中へと投げ入れる。
「衣の神…!」
投げられたエリザの体を、何とか受け止める檻也。檻也が腕で支えるようにして、エリザの体を起こすが、エリザは深く瞳を閉じたまま、まるで体を動かす気配はなかった。
「お前…!」
「そんな怖い顔しなくても、ちゃんと生きてますよぉ。でなきゃ、わざわざ牢になんて、運んで来ませんて」
睨みあげる檻也へと、軽い口調を向けながら、桃雪が再び、牢の入口を閉ざす。桃雪のその言葉に不快感を覚え、檻也はさらに表情をしかめた。
「お前は…和音とお前は一体、何を企んでいる…!?何をしようとしている!?」
「このメンバーを見ていただければ、何をしようとしているのか、だいたいわかると思うんですけどねぇ」
呆れたように肩を落とす桃雪に、眉をひそめる檻也。
「神を、五神を集めて、どうするつもりだ!?」
「我々が必要なのは、貴方がた神ではなく、貴方がたの持っている言玉の方ですよぉ」
「何…?」
二人の会話を聞きながら、イクラも眉間に皺を寄せる。
「ああ、“持っていた”言玉ですかねぇ」
「どういう…どういうことだ!?」
気を失っているエリザを空音へと任せ、檻也が立ち上がり、鉄格子に体を押しつけるようにして、外に居る桃雪との距離を詰める。
「五神の言玉で、一体何を…!」
「お話はここまでです」
必死に問いかける檻也の前へと手のひらを突き出し、桃雪が檻也の言葉を遮る。
「ボクも忙しいんですよぉ。後一人を迎えに行かなきゃならないしねぇ」
「後、一人…?」
桃雪の口から放たれたその言葉に、檻也が一層、険しい表情を見せる。
「ではぁ、また来ますね」
「あ、待て…!おい…!」
檻也が必死に鉄格子を揺らし、大きな声を発するが、その声に桃雪が止まるはずもなく、牢の前を通り過ぎた桃雪は、重い扉を開き、その先にある階段を上がって、その場を去っていってしまった。
「クソ…!」
「神…」
鉄格子へと自分の拳を叩きつける檻也を、空音が心配そうに見上げる。
「後一人…“安の神”か」
桃雪の言っていた人物が誰であるのかを知り、檻也が叩きつけた拳を握り締め、天井を見る。
「篭也…」
檻也は不安げな表情で、兄の名を呼んだ。
「フフフ…これで今晩のアヒるんのご飯は、バッチリね…」
初参加のお料理クラブを終えた囁は、妙に笑顔の引きつった部活仲間たちと別れ、雨が降り、すっかり薄暗くなってしまった廊下を進んでいた。大事そうに両手に抱えている鍋からは、ガスのような、謎の煙が噴き上げている。
「あら?」
「あ、真田さぁ~ん!」
囁が一年D組の教室に入ると、自分の席に座っていた保が、嬉しそうな笑顔で顔を上げた。
「転校生くん…まだ、反省文書いてるの…?」
「そうなんですよぉ~やっと半分まで書けたんですけど」
歩み寄って来る囁に、保が、半分まで埋まった原稿用紙を見せる。
「はぁ!理解の遅い俺が、筆まで遅くて、すみませぇ~ん!」
「まぁ、私には関係のないことだけれど…」
謝り散らす保をあっさりとあしらって、囁が方向転換をし、教室の後方の自分の席へと歩いていく。その様子を見つめ、不思議そうな顔を見せる保。
「忘れ物ですかぁ?」
「ううん…置き傘」
「ああ。さっきから、降って来てますもんねぇ」
囁の言葉に頷いた保が、窓の方を振り返る。窓ガラスには、大粒の雨が流れ落ちており、外の景色がよく見えない状態となっていた。
「反省文、早く終わらせた方がいいんじゃない…?もっと雨、きつくなりそうよ…」
机の中から取り出した置き傘を持ち、囁が保へと笑みを向ける。
「アヒるんも帰ったみたいだし…」
「え?アヒルさん、居残り終わっちゃったんですかぁ?」
「そうみたい…さっき国語資料室に寄ったんだけど、誰も居なかったから…」
「そうなんですかぁ」
アヒルが帰ってしまったことを知ると、保は残念そうに肩を落とした。やはり居残り掃除を選んだ方が、早く帰れたようである。
「あ、じゃあ真田さん、一緒に帰…!」
「さようなら…」
「はぁ!こうなるってわかってたけど、ショックな俺ですみませぇ~ん!」
あっさりと別れを告げる囁に、保はまた、勢いよく謝り散らした。
その頃、一人、学校を出たアヒルは、激しく打ちつける雨に体を濡らしながら、雨粒を避ける動作も見せずに、ゆっくりとした足取りで、特にあてもなく、道を歩いていた。アヒルが歩いていく間にも、雨は激しさを増し、濡れきったアヒルの髪から、水の滴が落ちている。
「…………」
そっとその場に立ち止まり、水の溜まっていく地面を見下ろし、気難しい表情を見せるアヒル。
―――“永遠”の言葉をかけた私と、お前たちとでは、生きている時間軸そのものが異なる―――
―――だから、同僚も生徒も、誰も気付きはしないんだ―――
先程の資料室での恵の言葉が頭を巡ると、アヒルが苦しむように唇を噛み、頭を抱え込む。
「何、動揺してんだよ…」
自分自身を責めるように、言葉を呟くアヒル。
「俺が慌てたって、仕方ねぇじゃねぇか…」
必死に言い聞かせるように声を発するが、それでもアヒルの表情が落ち着くことはなかった。
「傘を、お持ちではないのですか?」
「え…?」
前方から不意に向けられた問いかけに、深く俯いていたアヒルが、戸惑うように顔を上げる。
「風邪をひいて、しまいますよ?」
「あ…」
普段、あまり見ることのない真っ白な傘を差し、アヒルの行く道の前方に立っているのは、派手な桃色髪の、整った顔立ちの青年であった。どこか見覚えのある、その青年の姿に、アヒルが思い出そうと、眉をひそめる。
「どうも。初めまして、安の神」
「あんたは…」
笑みを向ける青年に対し、急にハッとした表情となるアヒル。
「始忌の…」
「んん?ああ」
アヒルのその言葉に、一度は首を傾げた青年であったが、すぐにまた笑みを浮かべ、納得するように頷いた。
「覚えていらっしゃいましたか。では、改めまして。お久し振りですね、安の神」
言葉を変え、青年が再び、アヒルへと挨拶を向ける。
「ボクは五十音士“毛守”、百井桃雪と申します。以後、お見知りおきを」
「毛、守…」
言い慣れていない様子で、アヒルが桃雪の言葉を繰り返す。
「ってことは、あんたは、始忌に取り憑かれてた五十音士の一人ってことか」
「ええ。まぁ、取り憑かれたのは、わざとですけど」
「へ?」
満面の笑みで答える桃雪に、戸惑うように首を傾げるアヒル。
「それって、どういう…」
「ボクと一緒に、来ていただけませんか?安の神」
言葉の意味を問おうとしたアヒルの声を、あっさりと遮り、桃雪がアヒルへと笑顔を向ける。
「言姫様が、あなたをお呼びです」
「言姫さんが?」
目を丸くしたアヒルが、不思議そうに首を傾げる。
「言姫さんが、なんで俺を…」
「それは、行けばわかりますよ」
戸惑うアヒルに、桃雪は、傘を持っていない左手と共に、含んだような、冷たい微笑みを向けた。




