Word.64 動キダス永遠 〈3〉
戻って、国語資料室。
「うわっ…」
よく搾った雑巾を片手に持ったアヒルが、目の前に広がるその光景に、思わず顔を引きつり、あからさまに嫌がる声を漏らす。恵から、資料室から繋がる書庫の拭き掃除を頼まれたのだが、そこはただ、本が乱雑に山積みされた空間で、足の踏み場もないほどに荒れ果てていた。
「ついでに本の整理っつってたけど…ついでのレベルじゃねぇじゃん。これ…」
散乱した山程の本を見回し、アヒルがげっそりとした表情で呟く。
「はぁ…とにかく、片っ端からやってくしかねぇかぁ」
一度、大きく肩を落とすと、開き直ったようにそう言って、アヒルが入口すぐ近くの本を拾いながら、書庫の中へと突入していく。
「んん…」
一方、資料室では、アヒルに掃除を任せきりの恵が、ゆっくりと読書をしていた。気難しい表情で恵がページをめくっていたその時、机の上に置かれた電話が鳴る。その音を耳に入れると、恵は読んでいた本を机へと置き、受話器を取った。
「はい、国語資料室」
恵が慣れた様子で、受話器を耳に当てる。
「何だとぉぉ!?」
「へ?」
次の瞬間、恵が勢いよく椅子から立ち上がり、大きな声をあげる。その声に驚き、掃除に励んでいたアヒルは思わず、戸惑うように顔を上げた。
「わかった!とりあえず、今からすぐ行くから、これ以上、勝手なことはさせるなよ!」
強く言い放ち、まるで投げつけるように、受話器をもとに戻す恵。
「クソ…!」
「どうか、したのか?」
「……っ」
電話を切った後、険しい表情で頭を抱えていた恵が、書庫から出てきたアヒルに声を掛けられ、すぐさま顔を上げる。
「い、いや。別に何でもない」
少し言葉を詰まらせながら、いかにも誤魔化していると言わんばかりに答える恵。そんな恵の様子を不審に思い、アヒルは少し首を傾げる。
「すぐに出る用が出来た。お前も今日はもういいから、適当に片して帰れ。いいな」
「あ、ちょ…!恵先生!?」
アヒルに発言させる時間すら与えず、一方的に言葉を放って、恵が資料室を飛び出していく。力強く閉まる戸に、アヒルは伸ばそうとした手を、伸ばしきらぬまま下ろした。
「ったく、勝手だなぁ」
困ったように頭を掻きながら、アヒルが書庫へと戻っていく。
「適当に片せって、言われてもなぁ…」
適当に片付けるだけでも、相当の時間を要しそうな書庫の荒れっぷりに、思わずがっくりと肩を落とすアヒル。このまま放置して帰ってもいいのだが、一度、手をつけた分、そういう気にはなれなかった。
「とりあえず、床に転がってる本だけでも全部、本棚に上げてくかぁ」
決意した様子で両手を突き上げて、アヒルが再び、書庫へと足を踏み入れていく。
「えぇ~っと、んあ?」
床に散乱していた本を拾いあげていたアヒルが、その中の一冊に目を取られる。
「“卒業アルバム”…?」
それは、アヒルの苦手な気難しい図書ではなく、そう書かれていた。表紙には、言ノ葉高等学校の文字もある。よく見ると、同じような表紙のアルバムが、いくつも床に落ちていた。よく見ていくと、表紙の色と、卒業の年度の数字が違っている。
「へぇ、ここ何年かの卒アルかぁ。こんなのあるんだ。まぁ、学校の書庫なんだし、あっても当然か」
落ちているアルバムを、興味深く見回すアヒル。
「誰か、知ってる人のアルバムとかねぇかなぁ。あ、そういえば!」
何かを思いついた様子で、アヒルがポンと手を叩く。
「カー兄、卒業は出来なかったけど、アルバムに顔写真は載せてもらってたって、親父が言ってたんだよなぁ。家にあるらしいけど、見たことなかったし」
アヒルがたくさんあるアルバムの、一冊一冊の表紙を細かく見ていく。
「えぇ~と、五年前だから…あ、あったあった!」
目的の年度のアルバムを見つけ、笑みを零したアヒルが、すぐさま手に取る。
「確かカー兄は、F組…」
A組から順番にページをめくっていき、数秒も経たぬうちにF組へと辿り着く。出席番号順に並んだ個人写真の、一番前の方を指で辿り、探す。
「あ、居た居た!」
一番上の段に、よく見覚えのあるカモメの顔写真を発見し、アヒルが笑顔を見せる。卒業を前にこの世を去ったカモメは、皆の中で一人、アルバム用に撮った写真とは違うため、背景なども異なっていたが、写真の中で、アヒルのよく知る大きな笑顔を見せていた。
「これが、カー兄のクラスかぁ」
並んだ個人写真を順に見ながら、アヒルが感心したような声を漏らす。同じ高校生となって、同じ制服を纏って見てみると、また違う印象を持った。カモメも今のアヒルと同じように、この場所、この校舎で、この学校の友達と共に、毎日を過ごしていたのだろう。
「カー兄の他に、誰か知ってる人とかいねぇかなぁ」
どこか楽しげに、アヒルがアルバムを眺める。
「……!」
カモメ以外に知っている人間を探しているはずであったアヒルが、本当に知っている人間の姿をその中に見つけ、その瞳を大きく見開く。
「え…?」
思わず戸惑いの声を漏らす、アヒル。
「“クラス担任、目白恵”…?」
アヒルの見つめるその先に写っていたのは、今と何ら変わらぬ、恵の姿であった。
学校を飛び出した恵は、自身の言葉“巡れ”を使い、すぐさま『いどばた』までやって来た。
「為介!」
「あ、恵サァ~ン」
勢いよく店へと入った恵を、奥でゆったりと座り込んでいた為介が、暢気な口調で、扇子を振りながら迎える。店の中には、棚の間に置かれた椅子に座り、厳しい表情を見せている篭也の姿もあった。
「お前が居ながら、エリザベスを韻へ行かせたとは、どういうことだ!?」
恵が声を荒げながら、奥に居る為介のもとへと突き進んでいく。
「すみませぇ~ん。でもボクってば、人を宥めるとか、そういう面倒なことって、すっごく苦手でぇ」
「ああ、もう!」
軽い口調で答える為介に苛立ちを露にし、恵が頭を抱える。
「だって衣の神さん、すっごく怒ってたんですよぉ?自分の神附きさんの、記憶消されちゃってぇ」
「何?」
為介の言葉に、恵が途端に表情を曇らせる。
「記憶が消されただと?まさか和音の奴、“忘れろ”を…?」
「……っ」
恵の口にしたその言葉に、篭也が強く唇を噛み締め、俯く。
「あの言葉まで使うってことは、いよいよ本格的に動き出してきたな。和音の奴…」
眉間に皺を寄せ、気難しい表情を見せる恵。
「とにかく、今すぐエリザベスを追っ…!」
『大変なんだよぉぉ~!』
「ああ?」
恵の言葉を掻き消すように、少年と少女の合わさったような、大きな声が店の中へと飛び込んできて、恵や篭也たちが、一斉に振り返る。
「あなたたちは…」
『大変、大変、大変なんだよぉ~!』
慌てた様子で店の中へと入って来たのは、お揃いの洒落たスーツを着込んだ、よく雰囲気の似た少年と少女であった。まったく同じ動作で、流れてもいない涙を吹く素振りをしている。
「確か、“知守”と“仁守”の…」
「ボクの名前はチラシぃ~!」
「私の名前はニギリぃ~!」
涙を吹く動作をしたまま、名を名乗るチラシとニギリ。
『こんな二人は、ただの他人~!』
「他人なのかよ!紛らわしいな!」
「神とまったく同じ、突っ込みだな…」
大変だと慌てているわりには、しっかりとポーズを決めるチラシたちに、恵が勢いよく怒鳴りあげる。繰り返される光景に、篭也が思わず呟いた。
「一体、どうしたんだ?阿修羅との戦いが終わって、あなたたち、以団はこの町を出て行ったはずじゃ…」
「たいたい大変なのよぉ~!加守ちん!」
「加守ちん…」
ニギリからの呼び名に、あからさまに嫌そうな顔を見せる篭也。
「ウチの神様が居なくなっちゃったんだよぉ~!」
「え…?」
「何?」
チラシのその言葉に、篭也と恵が、同時に眉をひそめる。
「神様って、イクラくんがぁ?」
「そうそうそうなのよぉ~!」
確かめるように問いかける為介に、ニギリが大きく叫びながら頷く。
「そりゃ、今までも勝手に出掛けることはあったけど、無口で無愛想なりに、いきいき行き先くらいは言っていってたのにぃ~!」
「今、金八クンとシャコちゃんが必死に探してるんだけど、まだ見つからないみたいでぇ」
不安げな表情で、言葉を続けるチラシとニギリ。二人の取り乱している様子を見ても、イクラが姿を消すということが、非常事態であることは明らかだ。
「以の神が、居なく…」
「え?以の神様も居なくなったの?」
新しく入って来るその声に、俯き、考えを巡らせていた篭也が、顔を上げる。
「小泉」
「あ、神月くん」
チラシとニギリの後ろから、店の中へと姿を見せたのは、紺平であった。篭也がここに居ると思っていなかったのか、紺平は少し驚いたように、篭也の方を見る。
「神月くんも来てたんだ。丁度、良かっ…」
「“も”…?」
紺平の声が、恵の呟きにより、遮られる。
「今、以の神“も”と言ったか…?小泉」
「……!」
恵のその問いかけを聞き、篭也が大きく目を見開いて、椅子が倒れそうなほどの勢いで立ち上がる。
「檻也が居ないのか…!?」
「あ、う、うん。修行する約束してたから、於崎の屋敷に行ったんだけど、檻也くんも空音さんもどこにも居なくて…」
必死に問いかける篭也に少し圧倒されながら、紺平が答える。紺平の言葉を聞くと、篭也はさらに険しい表情となった。
「恵サン…」
「マズイな。思っていたより、動き出すのがずっと早い…」
為介が眉をひそめ、呼びかける中、恵が困ったように、頭を抱える。
「……っ」
恵と為介の会話を聞きながら、きつく唇を噛み締め、拳を握り締める篭也。
「神月。とにかくお前は、学校へ行って、トンビをここへ…」
「神を、頼む」
「何?あ、おい!」
恵の出そうとしていた指示を遮り、皆へと託すようにそう言うと、篭也が、恵が止めるのも聞かずに、全力で『いどばた』の店を飛び出していく。
「ま、待て、神月!早まるんじゃ…!」
「“翔けろ”!」
「あ…!」
チラシやニギリを横へ押しのけ、店の外へと出て、篭也を引き止めようとした恵であったが、篭也は言葉を使い、空へと飛び去っていってしまった。
「クソ…!」
あっという間に見えなくなる篭也の姿に、恵が悔しげに声を吐く。
「朝比奈のことがあるから、とりあえず私は、学校へ戻る!為介、お前はすぐに謡に連絡を!」
店の戸から顔だけを出し、奥に居る為介へと指示を出す恵。
「後っ…」
言葉を付け加え、恵が躊躇うように、少し間を置く。
「“宇の神”にもだ」
「……はい」
恵のその言葉に、為介は鋭い瞳を見せて、頷いた。
「和音っ…」
空をまっすぐに翔け抜けながら、篭也が困惑した表情で、和音の名を呟く。
「あなたは一体…一体、何をしようとしている…?」
今は届かぬ問いかけを、空へと響かせる篭也。
「和音…!」
もう一度、和音の名を呼びながら、篭也は先へと進むその速度を、さらに速めた。




