Word.63 終幕 〈4〉
阿修羅との戦いが終わってから、数日。
礼獣の力による影響も消え、自由ある言葉、意志の戻って来た、言ノ葉町の人々は、今日も、いつもと変わらぬ、平穏な日々を送っていた。
「ふっはぁ~、今日も一日、授業終わりぃ!」
言ノ葉高校のすぐ隣の高校では、派手なモヒカン頭が特徴的な、守の子分の一人、ブラシが、長かった一日の授業を終え、嬉しそうに笑みを零しながら、大きく伸びをしていた。
「帰り、どっか寄ってきません?アニキ」
「あ?ああ、いいぞ」
ブラシに声を掛けられ、すぐ後ろの席に座っている守が頷く。
「じゃあじゃあ!俺、カラオケ行きたいっス!アニキ!」
勢いよく手を挙げたのは、坊主頭に前髪だけを生やした、派手な赤学ランに蝶ネクタイの、一人の男。守の子分の一人、パッツンであった。
「またカラオケかよぉ?昨日も一昨日もカラオケだったぞぉ?」
「パッツンはホント、カラオケ好きだよなぁ」
笑顔のパッツンへ、他の子分たちから、呆れたような声が飛ぶ。
「どうします?アニキ」
「俺はいいぞ」
「よっしゃああ!さっすがアニキ!最高っス!」
守が頷くと、パッツンは両手を突き上げ、全力のガッツポーズを見せた。本当に嬉しそうに笑うパッツンを見て、守がどこか安心したように微笑む。
「はぁ~あ、またパッツンの下手くそな歌、聞かされんのかぁ」
「けどまぁ、良かったじゃねぇか。無口パッツンから、元のパッツンに戻ってくれてよぉ」
「それもそうだな」
すっかり元気な様子のパッツンに、他の子分の皆からも、次々と笑顔が零れ落ちる。その笑い声を聞きながら、窓の外へと視線を移し、青く広がる空を見上げる守。
「……サンキュ」
「んあ?」
小さく呟かれた守の声を、聞き逃すことなく耳に入れ、ブラシが戸惑うように首を傾げる。
「誰に礼、言ったんスかぁ?アニキ」
「ああ?」
ブラシに問われ、守がそっと目を細める。
「“神様”に、だよ」
友の言葉を取り戻してくれた神の姿を思い浮かべ、守がそっと、笑みを零す。
「神様ぁ?いつから、んなロマンチックなこと、言うようになったんスかぁ?アニキ」
「顔に似合わねぇことは、やめましょうよぉ~」
「頭、大丈夫っスかぁ?」
「……っ」
次々と浴びせられる言葉たちに、穏やかな表情を浮かべていた守が、勢いよく表情を引きつる。
「うるっしゃぁぁーい!」
放課後の教室に、守の怒声が響き渡った。
さらに数日後。
夜が明けて間もない、早朝。言ノ葉霊園。
「かぁ~、イイ天気だなぁ」
水の一杯入ったバケツを持ったアヒルが、雲一つない青空を見上げ、どこか嬉しそうな笑みを零す。
「カモメ兄さんの命日は、いつも快晴だよ…兄さんの日頃の行いが良かったからね…」
アヒルと同じように広がる青空を見上げ、大量にナスビの入った袋を持ったツバメが、穏やかに微笑む。
「じゃあスー兄ん時は、大雨だろうな」
「どういう意味だよ?ああっ?」
向けられるアヒルからの言葉に、花を抱えたスズメが、思いきり表情をしかめた。
「ちょっと待ってよぉ~」
後ろから聞こえてくる声に、アヒルたち三人が、同時に振り返る。
「皆の大好きなお父さんを、置いていかないでよぉ~」
「さ、ちゃっちゃか行こうぜぇ」
「おう」
「そうだね…」
少し離れた後方から、三人を追いかけるようにして、必死に駆けてくるウズラ。大きく手を振るウズラを無視し、三人はどんどんと先へと進んでいく。
「いっやぁ~お父さんを見捨てないでぇ~!スーくぅ~ん、ツーくぅ~ん、アーくぅ~ん!」
朝の静まり返った霊園に、間の抜けたウズラの大声が響き渡ると、前を行く三人は、さらに呆れきった様子で、深々と肩を落とした。今日は、カモメの五回目の命日。アヒルたちは例年通り、朝一番に家族揃って、カモメの墓を訪れていたのである。
「おっし、着いた着いたぁ」
“朝比奈家”と書かれている墓を見つけ、先頭を歩いていたスズメが足を止める。
「おっ、今年もちゃんと置いてあっぞぉ」
すでに墓の前に置いてあったそれを、スズメが空いている左手で持ち上げる。
「白菜!」
「ホントだ…」
スズメが持ち上げた白菜を、感心するように見つめるツバメ。毎年、アヒルたちよりも前に来た誰かが、カモメへと供えていく白菜。
「相変わらず、なんで白菜なんだろうね…」
「さぁ?こいつの好物なんじゃねぇの?」
「いいんだよ、白菜で」
『え?』
スズメとツバメが不思議そうに首を傾げる中、一人、白菜の意味を知るアヒルは、穏やかに笑みを零す。そんなアヒルを見て、二人は戸惑うように首を傾げた。
「持って帰って、朝御飯にでもしようかぁ。とっても新鮮で、いい白菜だよ」
そこへ、やっと追いついてきたウズラが、会話に加わる。
「何せ、今朝、夜が明ける前に、ウチで買って行った白菜だからねっ」
ウズラが、アヒルにしか聞こえないように、アヒルの耳元でひっそりと呟く。そのウズラの言葉を聞き、アヒルはさらに大きく、笑みを零した。
「さ、手早く掃除、掃除ぃ~」
「おう」
「アヒルくん、バケツ」
「ああ」
アヒルが水の入ったバケツをその場に置き、一人ずつ、柄杓を回して、墓へと水をかけていく。
「兄貴ぃ~、恋盲腸で今、ヒトミが先生と大変なことになっててさぁ」
「もっと他に言う事、ねぇのかよ?」
「ああ?恋盲腸以上の重要項目が、どこにあんだよ?」
「カーくぅ~ん、どうやったら息子たちと、心の交流が深まるのかなぁ~?」
「それ、息子の兄さんに聞くこと…?」
カモメへと次々と言葉を掛ける、朝比奈家の者たちを、眩しく輝く太陽が、照らしていた。
言ノ葉町、町の小さな八百屋『あさひな』。カモメの墓参りを終えた朝比奈一家は、早朝の内に自宅へと戻り、それぞれ、開店や学校の準備を行っていた。
「完璧だわ…」
今日も勝手に朝比奈家に上がり込んでいる囁が、制服の上にエプロンを纏って、台所で、不気味な笑みを浮かべている。
「今日のは自信作よ…」
右手にお椀を持ち、居間へと行く囁。
「さぁ、アヒるん…たぁーんと、お食べ…」
「だっから、何で白菜の味噌汁作って、汁が紫色になんだよ!」
ぐつぐつと泡立っている、紫色の汁の入ったお椀を差し出してくる囁に、居間に座っていたアヒルが、勢いよく怒鳴り声をあげる。
「“愛”という名の調味料のお陰よ…」
「んな調味料、入れんじゃねぇ!」
「はぁ…」
アヒルと囁の会話を聞きながら、横で新聞を読んでいる篭也が、呆れた様子で深々と肩を落とす。
「はぁ~、洗濯終わったぁ」
大きなカゴを抱えたスズメが、額に滲んだ汗を拭いながら、ベランダから勝手口を通り、居間の奥の部屋へと入ってくる。
「あっれぇ~?確か、この辺に片付けたと思うんだけどなぁ」
「んあ?」
部屋へと入ったスズメが、部屋の押入れを漁り、中にあったものを部屋へと広げて、少し困ったような声を漏らしているウズラの姿を見つける。
「あ、あった!」
「親父…」
「あ、スーくぅ~ん!」
スズメが呼びかけると、ウズラがとても嬉しそうな笑顔で振り向く。
「聞いて聞いてぇ~!実はお父さん、いいこと、思いついちゃっ…!」
「この忙しい朝に、こんな所で邪魔なんだけど」
「ううぅ…」
話を切り出す前に、冷たくあしらわれ、ウズラが一瞬にして落ち込む。
「だいたい、こんなとこ、ひっくり返して、何やってんだよ?」
「これこれ、これ、探してたんだ!」
「んあ?」
ウズラが笑顔で取り出したものに、スズメが眉をひそめる。
「カメラぁ?」
ウズラが両手で大事そうに持ち上げたのは、一眼レフの大きなカメラであった。形も古く、多少埃をかぶっている。相当長い間、押入れで眠っていたのだろう。
「んなもん出してきて、どうすんだよ?」
「家族写真、撮ろうと思って!」
『家族写真~?』
居間と台所からそれぞれ顔を出したアヒルとツバメも、ウズラのその言葉に、スズメと同じように、少し驚いた声を漏らす。
「何だってまた、いきなり家族写真なんか…」
「だって、五年前のままなんだよぉ?カーくんの机の上に飾ってある、家族写真っ」
表情をしかめるスズメへと、ウズラが言葉を向ける。
「新しいの飾って、カーくんにも皆の成長、見てもらわないとぉ」
『……っ』
穏やかな笑顔を見せながら、ティッシュでカメラの埃を拭き取り始めるウズラ。その提案に、兄弟たちは皆、そっと眉をひそめはしたが、反論しようとはしなかった。
「ま、しゃあねぇ。撮っとくかぁ、一応」
「そうだね…案外、スズメの後ろに居る背後霊も、写し出せるかも知れないし…」
「え!?マジ!?俺の後ろ、居んの!?」
ツバメの言葉に焦り、洗濯カゴをその場に置いたスズメが、必死に後方を確認する。そんな二人の様子を見て、アヒルや、居間から覗いていた篭也と囁も、楽しげに笑みを浮かべた。
「じゃあ、僕がシャッターを切りますよ」
「ダメダメぇ~!篭也くんも囁ちゃんも、入るのぉ」
「え…?」
ウズラからカメラを受け取ろうとした篭也が、勢いよく断られ、戸惑うように首を傾げる。
「けど、“家族写真”って…」
「だから、でしょ?」
「……っ」
優しい笑顔で微笑みかけるウズラに、篭也が驚くように目を見開く。
「そうそ、シャッターはちゃ~んと、親父が切ってくれっからぁ」
「ええ!?お父さん、家族写真に入れないの!?どうしよう、カーくぅ~ん!!」
「ハイハイ、ちゃんと、隣の魚屋のオッチャンに頼んでやっから」
スズメに冷たく言い放たれ、仏壇のカモメの写真へと助けを求めに行く父に呆れつつも、アヒルが宥めるように言葉を掛けた。
「もっと寄って寄ってぇ!」
白鉢巻きに長靴といった、いかにも魚屋風の、隣の魚屋の店主、源吉に撮影を頼み、アヒルたち朝比奈家の面々と篭也、囁は、八百屋『あさひな』の前に、きれいに整列していた。
「ほい、行くよぉ!」
源吉がカメラを構え、大きく声をあげる。
「ハイ、チーズ!」
皆が大きく笑うと共に、シャッター音が、朝の空へと響き渡った。
「よしっと」
出来たばかりの写真を写真立ての中へと納め、アヒルが満足げな笑みを浮かべる。完成したばかりの写真立てを、アヒルはすぐ前にある、カモメの机の上へと置いた。五年前、カモメが生きていた頃の家族写真のすぐ横に、並べるようにして。
「…………」
並んだ家族写真を見つめ、アヒルが穏やかに笑う。すべてが五年前で止まってしまっていたこの部屋に、やっと新しい時が刻まれた。
「アーくぅ~ん!紺平くんが、迎えに来たよぉ~!」
「ああ!今、行く!」
下から聞こえてくる父の声に、アヒルが部屋の入口を振り返り、大きく声を出す。そしてもう一度、机の方を振り向き、机の上に、そっと右手を置いた。
「じゃあ、カー兄」
机を撫でた右手が、すぐさまそこから離れる。
「いってきます!」
大きな笑みでそう言うと、アヒルは駆け足で、カモメの部屋を出て行った。




