Word.63 終幕 〈2〉
篭也たちが止める間もなく、上空へと飛び出してきたアヒルは、暗い空の中を、安定の取れない傷ついた体で移動し、暗闇の中で明々と輝く、金色の力の凝縮体のすぐ近くまでやって来ていた。凝縮体はまるで生きているように、激しく脈打っている。
「すげぇ力だ…」
光を見つめながら、アヒルが思わず声を漏らす。まだ凝縮体との距離は大分、離れてはいるが、感じる力の波動に、体が震えているのがわかる。これ以上近づけば、一気に吸い寄せられ、呑み込まれてしまいそうであった。
「こんなもんが、爆発したら…」
アヒルが視線を落とし、眼下に広がる、見慣れた町の風景を見回す。現の言葉の通り、この凝縮体が爆発すれば、言ノ葉町は跡形もなく消え去ってしまうだろう。
「守らねぇと…」
自分に言い聞かせるように言って、アヒルが金銃を握る左手に、力を込める。
「皆が…皆がいつも通り、笑顔で“言葉”を交わせるように、守らねぇと…」
アヒルが視線を上げ、再び、前方の凝縮体を見つめる。
「死んでだって、守らねぇと…!」
力強く言い切ったアヒルが、左手をあげ、銃口をまっすぐに凝縮体へと向ける。アヒルの表情は険しく、その額からは、一筋の汗が流れ落ちた。
「下手に刺激したら、その瞬間、ドカンだ…防ぐ方法があるとすれば、たった一つ…」
「爆発のその瞬間に弾丸を放ち、爆発した力のすべてを吹き飛ばす」
「へ?」
自分が言わんとしていた言葉が聞こえてきて、アヒルが思わず目を丸くして、振り返る。
「あ、阿修羅…!」
アヒルが振り返った先から、空中を舞いながら、アヒルの方へとやって来るのは阿修羅であった。その姿に驚き、アヒルが大きく目を見開く。
「あんた、何でここに…?ってか、さっき銃が壊れて、言葉なんて使えないはずじゃっ…あっ」
戸惑っていたアヒルが、阿修羅の右手に握られている銃に気付く。
「俺の銃?」
阿修羅が握り締めていたのは、アヒルの赤銃であった。
「下に置いてあったから、借りたぞ」
「借りたって、その銃で“上がれ”の言葉を?人の言玉でも言葉って使えるものなのか?」
「他文字は無理だろうがな、どうやら同じ文字は使えるようだ」
少し呆れたように問いかけるアヒルに答えながら、阿修羅がアヒルのすぐ横へと移動し、前方の凝縮体をまっすぐに見据える。
「問題は、爆発の瞬間に攻撃を搾るため、一発勝負になるということだな」
真剣な表情を見せ、阿修羅が落ち着いて分析をする。
「たった一発で、あれほどの力を吹き飛ばすことの出来る弾丸を、放てるかどうか…」
「あ、ああ」
阿修羅から凝縮体へと視線を移し、アヒルも真剣な表情で頷く。阿修羅が口にしたその言葉は、今、アヒルが気にかけていることと、まるで同じ内容であった。
「何発も繰り返し撃てりゃ、ちょっとはマシなんだろうけど、一発勝負ってのが、俺も不安でっ…」
「お前は、その一発で、ここから、あの凝縮体までの道を作れ」
「は?」
思いがけない阿修羅の言葉に、アヒルが思わず振り向く。
「俺がその道を行き、ギリギリのところまで近付いて、凝縮体を撃つ。そうすれば、成功率は、飛躍的に上がるはずだ」
「な、何言って…!」
続く阿修羅の言葉を聞き、表情を歪めたアヒルが、荒げた声を発する。
「んなことやったら、あんたは確実に…!」
「惜しむほどの、命ではない」
アヒルの言葉を遮った阿修羅が、そっと目を細める。
「数えきれないほどの罪を犯してきた。後はもう、罰せられることを待つのみの命だ」
言葉を続けながら、阿修羅がゆっくりと、アヒルの方を振り向く。
「その罰で、お前やカモメの愛したこの町を守れるなら、儲けものだろう…?」
アヒルを見た阿修羅が口元を緩め、鬼神と呼ばれた男とは思えぬほどに穏やかで、優しい笑みを浮かべる。
「カモメがよく、自慢げに話をしていたんだ…自分の住んでいる町は、とてもいいところだと」
眼下に広がる言ノ葉町を見つめ、阿修羅が懐かしそうに目を細める。
「カモメは俺に、自分の町に、家に遊びに来いと、何度も言ってくれていた。結局、カモメが生きている間に、行くことは出来なかったが…」
話を続ける阿修羅を、アヒルがまっすぐに見つめる。
「だから、すべてを始める前のあの日、この町に寄ったんだ」
阿修羅が顔を上げ、アヒルへと微笑みかける。
―――ここが、朝比奈カモメの家か…?―――
―――へっ?―――
アヒルと阿修羅が、初めて出会うこととなった、あの日。
「どうしても一度、見ておきたかった。俺がすべてを壊す、その前に…」
「阿修羅…」
少し曇る阿修羅の声を聞きながら、アヒルがそっと目を細める。
「散々、壊そうとした後で、こんなことを言うのもなんだが…本当にいい町だったよ、この町は。カモメの言葉は、やはり正しい」
さらに大きくした笑みを、阿修羅がアヒルへと向ける。
「俺はカモメから、命も未来も、すべてを奪ってしまった…」
凝縮体を見据える阿修羅の表情が、少し険しく変わる。
「だから、一つくらい、カモメの大切にしてきたものを、守りたいんだ」
阿修羅の言葉からは、阿修羅の強い思いが溢れているようだった。
「最期くらい、俺に、あいつの“神”らしいことをさせてくれないか…?アヒル」
「阿修羅…」
微笑む阿修羅を見つめ、アヒルは険しい表情を見せた。
「晶さま…」
アヒルの置いていった銃を使い、アヒルの後を追うように空へと消えていった阿修羅。阿修羅の舞い上がっていった空を見上げ、棗は祈るように両手を組みながら、不安げな表情を見せていた。
「大丈夫よ…」
「お姉ちゃん…」
棗を元気づけるように、櫻が組まれた棗の両手の上へと、自分の手を乗せる。
「彼等は“神”だもの…きっと、皆の言葉を守ってくれるわ…」
櫻の言葉に小さく頷いて、棗は再び、暗がりの空を見上げた。
「ク…グク…!」
「篭也」
膝を立て、必死に立ち上がろうとしている篭也に、囁が少し呆れたような表情で声を掛ける。
「先代の安附さんたちと違って、随分と諦めが悪いものねぇ…」
「僕が…」
苦しげに表情をしかめながらも、篭也が鋭い瞳を見せる。
「僕が教えられた神附きは、“誰よりも近くで神を支え、何よりも強く神の力となる”者…」
カモメからの教えを口にし、篭也が鎌を握る手に力を込める。
「こんな遠く離れた場所で、ただ祈っているだけの神附きなど、僕は御免だ…!」
『……っ』
篭也のその真剣な言葉に、すぐ傍で支えていた囁と七架の表情が揺れ動く。
「うん、行こう!朝比奈くんのところへ…!何も出来ないかも知れないけど、でも私、行きたい!」
「そうね…神様に任せっきりだなんて、せっかく神附きやってる、意味がないもの…フフフ…」
「囁、奈々瀬…」
大きな笑みを零す二人を見つめ、篭也がそっと目を細める。
「よし、行こう。問題は、もうほとんど力のない状態の僕らが、どうやって神のもとへ行くかだが…」
「ふわぁ~あっ」
聞こえてくる大きな、間の抜けた声に、篭也たち三人が、同時に振り向く。
「はぁ、よく寝たぁ~って、こんな成長し過ぎの俺が、さらに成長促しちゃって、すみませぇ~ん!!」
『…………』
両手を広げ、大きく伸びをしながら、倒れ込んでいた体を起こしたのは、暢気な表情の保であった。相変わらず一人で、謝り散らしている。その様子に、呆然とする三人。
「た、高市くん…」
「そういえば、灰示サマと交替したんだったわね…」
先程までそこに居た灰示とは、まるで違う空気感に、囁が少し呆れるように肩を落とす。
「あ、あっれぇ~?皆さぁ~ん、お久し振りですねぇ~」
謝り散らしていた保が、囁たちの声が聞こえたのか、振り向き、やっと皆に気付いた様子で、暢気な笑顔を見せながら、大きく手を振る。
「はぁ!こんな俺が、皆さんに馴れ馴れしく話しかけちゃって、すみませぇ~ん!」
「おい」
頭を抱え、叫びあげている保へと、鋭く呼びかける篭也。
「バカ市」
「はぁ!最早、本当の名前を呼ぶ価値もない俺で、すみませぇ~ん!」
とにかく謝り倒す保のもとへと歩み寄り、篭也が強く、保の肩を掴む。
「言葉は、使えそうか…?」
「へ?」
向けられるその問いかけに、保が目を丸くし、目の前に立つ篭也を見つめる。
「はい、バッチリです」
右手に持った言玉を持ち上げながら、保ははっきりと答えた。
「フっザけんじゃねぇ…!!」
「何…?」
勢いよく声をあげるアヒルに、阿修羅は浮かべていた笑みを止め、少し戸惑うように首を傾げた。
「何が、“最期くらい神らしく”だ!んなことやって、本当にカー兄が喜ぶとでも思ってんのか!?」
強く声を荒げ、まるで食いかかるように、アヒルが阿修羅へと言葉を向ける。
「カー兄の神だったんなら、カー兄の親友だったんなら、んなことをカー兄が望まねぇことくらい、わっかんだろうが!」
必死に伝わって来る言葉の中に、アヒルのカモメへの想いが感じ取れるようで、その想いを正面からぶつけられ、阿修羅は思わず目を細めた。
「それに、命懸けてこの町守ったって、あんたの犯した罪への償いにはならない!あんたへの罰にはならない!」
顔を俯けたアヒルが、わずかに声を震わせ、さらに言葉を続ける。
「言葉と一緒だ!“死ぬ”ことは罰じゃない!」
顔を上げたアヒルが、まっすぐに阿修羅を見つめる。
「“生きる”ことが、“生きていく”ことが罰だ!」
「……っ」
まっすぐに伝わって来る言葉に、阿修羅が衝撃を走らせるように、大きく目を見開く。
「生きて、贖え!カー兄にも他の人たちにも、生きて、生き続けて、一生を使って贖え…!!」
「アヒル…」
心を震わせるほど、まっすぐにぶつかって来るその言葉に、阿修羅は反論する言葉もなく、ただ圧倒されるように名を呼び、そっと目を細めた。
『……!』
その時、前方の凝縮体がより強い波動を発し、輝きを強めていることに気付き、アヒルと阿修羅が同時に振り向く。
「爆発まで、もう数秒もない…」
「……っ」
厳しい表情で呟く阿修羅の声を耳に入れながら、アヒルが目つきを鋭くし、まっすぐに凝縮体を見据えて、一度は下ろしていた金銃を、再び凝縮体へ向けて構える。
「無茶だ、アヒル!俺が中へ飛び込んで撃つ以外、俺たち二人だけで、この爆発力すべてを吹き飛ばすことは…!」
「俺は、“安の神”だ!」
説得するように聞こえてくる阿修羅の声を、アヒルの力強い声が一蹴する。
「だから絶対、“諦めない”…!!」
「アヒル…」
言葉の通り、その瞳に決して、諦めの色を浮かべていないアヒルのその姿を間近で見つめ、阿修羅がまるで眩しいものでも見るかのように、その瞳を細める。
「そうだ、諦めなくていい」
「……っ」
アヒルの言葉を受け止めるように聞こえてくる声に、阿修羅が振り向く。
「あなたには、僕たち“安附”が附いているのだからな」
アヒルと阿修羅の後方へと、地上から飛び上がるようにしてその場へと現れたのは、篭也たち、安附の四人であった。
「俺の“高くなれ”の言葉があって、やっと上がってこれたっていうのに、素晴らしくデカい態度ですねぇ」
「うるさい。刈りあげるぞ」
「はぁ!こんな身長デカい俺が、態度のデカさまで気にしちゃって、すみませぇ~ん!」
こっそりと呟く保に、篭也が鋭く言い放つ。篭也に脅すように言葉を投げられ、保が勢いよく謝り散らす。ボロボロの篭也を保が支え、囁と七架はそれぞれを支え合うようにして、空中に浮かんでいる。傷だらけで、もうまともに力すら使うことのない状態ながらも皆、鋭く瞳を輝かせていた。
「お前等っ…」
現れた仲間の姿を見つめ、思わず笑みを零すアヒル。
「安附…」
「私も共に戦います。晶さま」
「棗」
篭也たちと共に上がって来た棗が、笑顔を見せて、阿修羅のすぐ後ろへと近寄る。
「附いてんのは、安附だけじゃねぇぜぇ!」
新たにやって来る声に、アヒルと阿修羅が振り向く。
「この町に居る五十音士は、君たちだけじゃないことを、お忘れなく…」
「スー兄、ツー兄!イクラにエリザ、それに紺平までっ…」
スズメとツバメを先頭に、次々とその場に現れる五十音士の面々。兄や、それぞれの団を従えたイクラやエリザ、そして友である紺平の姿に、アヒルが驚くように目を見開く。
「“舞え”の言葉があって、良かったです。初めて、あなたの存在意義を見出せました」
「うっせぇ!こんだけの人数、飛ばしてる俺を、ちったぁ労れ!」
やって来た音士たちの中では、冷たい言葉を投げかける雅へと、守が勢いよく怒鳴りあげている。どうやら守の言葉を使い、皆、この場までやって来たようである。
「皆…」
「余所見してる場合か?」
「……っ」
集まってくれた皆の姿を見回し、感慨深げに目を細めていたアヒルが、鋭くやって来るその声に、期待のこもったような表情で、素早く振り向く。
「もう爆発する。一発勝負、タイミングを逸したら、お終いだ」
「先生…」
アヒルへと、鋭く助言を送るのは恵。
「集中しろ、朝比奈」
「ああ…!」
恵の言葉に笑顔でしっかりと頷き、アヒルがまた鋭い表情となって、前方を見る。
「阿修羅!」
「ああ」
集まったたくさんの五十音士たちの先頭で、並んで銃を構えるアヒルと阿修羅。その後方で篭也やイクラたち、スズメやツバメも皆、一斉に構えを取る。皆が見つめる中、凝縮体が膨れ上がり、その金色の膜に、小さくヒビが入る。
「今だ!」
恵の掛け声を合図に、アヒルと阿修羅は、同時に引き金を引いた。
「“撃ち抜け”!」
「“当たれ”!」
二人の言葉が放たれ、二人の銃から、同時に巨大な弾丸が放たれる。二つの弾丸が、凝縮体へと向かうその間に一つとなり、さらに後方から押し寄せる、皆のそれぞれの力とも一つとなって、強大な力の塊となり、爆発した凝縮体へと向かっていく。
『……っ!』
皆が祈るように見守る中、一つとなった力が、凝縮体へと勢いよく衝突した。
―――バァァァァァン!
『ううぅ…!』
押し寄せる爆風に、皆が身を屈め、吹き飛ばされないように必死に堪えた。




