Word.62 罪ト罰 〈3〉
「晶さま…」
アヒルと向き合う阿修羅の姿を見つめ、棗が不安げに目を細める。二人と同じ丘の上で、二人の戦況を見守っていた篭也たちであったが、激しさを増す戦いに巻き込まれることを恐れ、少し離れた場所まで、移動してきていた。
「“神格”も敗れ、礼獣に与える力も失くし、もう言葉の力など、残っていないというのに…」
棗の見つめる先には、強い赤色の光に包まれた阿修羅。
「どこに、あんな力が…」
「命を燃やしているのよ…」
「え…?」
車椅子に乗った姉、櫻の、すぐ横から聞こえてくる声に、棗は振り向き、戸惑うように眉をひそめた。
「命、を…?」
「ええ…尽きた力の代わりに、命を燃やして、晶は言葉を使っている…」
「そんな…!」
櫻の冷静な声とは真逆に、焦りの声をあげてしまう棗。
「そんなことをしたら、晶さまが…!」
「ええ、死んでしまうでしょうね…でもそれは、彼も同じ…」
ゆっくりと視線を動かし、櫻が、阿修羅の前方で、阿修羅と同じように、金色の光に包まれたアヒルの姿を捉える。
「二人は自身の命を懸けて、この世界の言葉の行く末を、決めようとしている…」
「…………」
棗の横で、同じように櫻の言葉を聞きながら、そっと目を細める七架。
「朝比奈くん…」
七架の口から、祈るように、アヒルの名が零れ落ちる。
「助けに入らなくていいの…?篭也…」
櫻たちの会話に耳を傾けていた囁が、ゆっくりと首を動かし、皆の一番前方に立つ篭也の方を見る。
「すでに戦いの次元が違う。体力全快の状態で“加変”を使ったとしても、助けにも何にもなりはしない」
「それは、そうでしょうけど…」
篭也の言葉を認めるように頷きながら、囁が少し肩を落とす。
「けどまぁ、弾避けくらいにはなれそうなものだけれど…」
背中から聞こえてくる囁の言葉に、篭也が目を細める。確かに囁の言葉は正しく、今、助けに入ることが、神附きとしては最善の行動なのかも知れない。だが、篭也はその場から動こうとはしなかった。
「例え、そうであったとしても…」
篭也が強く決意した表情で、向き合うアヒルと阿修羅の方を見つめる。
「今、あの戦いに割って入ることは、我が神への背徳行為だ」
「フフフ…それもそうね…」
篭也の主張を認めるように頷いた囁が、小さく笑みを零した。
「“撃て”!」
「“当たれ”…!」
もう何度目かもわからないほどに、繰り返しぶつかり合う、アヒルと阿修羅の弾丸。ぶつかり合った途端、二人の表情が同時に歪む。銃からかかる圧でさえも、痛んだ体中すべてを軋ませ、もうそれを堪えることすら、アヒルと阿修羅には厳しくなってきていた。
「“当たれ”!」
アヒルが今度は赤銃で弾丸を放ち、ぶつかり合っていた先の二つの弾丸を、遥か彼方へと吹き飛ばす。
「“足枷”」
その隙にアヒルへと新たな弾丸を放ち、アヒルの両足を、光の紐で縛りつける阿修羅。
「“浴びせろ”!」
足の動きを封じられたアヒルへと、阿修羅がさらに弾丸を放ち、無数の光の粒を落とす。降り落ちてくる弾丸を見上げ、アヒルが険しい表情を見せつつも、左手の金銃を、自身の足元へと向けた。
「“動け”!」
金色の弾丸に撃ち抜かれ、足枷が消えると、アヒルの両足が自由になる。自由になった足を踏ん張り、アヒルはすぐさま、金銃を空へ向けて撃つ。
「“受け止めろ”!」
アヒルの上空に金色の膜が張られ、降ってきていた光の粒を、一つ残らずすべて受け止める。その受け止めた膜へと、今度は赤銃を向けるアヒル。
「“浴びせろ”!」
受け止めていた光粒が、アヒルの放った弾丸により、押し戻されるようにして再び空へと舞い上がり、今度は阿修羅の上空へと降り注ぐ。
「“荒れろ”」
厳しい表情を見せながら、阿修羅が短く言葉を落とす。
「“嵐”!」
激しい風を巻き起こし、降り落ちて来ていた光粒を、周囲へと弾き飛ばす阿修羅。だが、あまりにも近くで巻き起こしたため、自身の風により体は刻まれ、弾き切れなかった光粒によっても攻撃を受ける。
「ク…!」
負っていく傷に表情をしかめながら、それでも必死に、阿修羅が銃口をアヒルへと向けた。
「“当たれ”…!」
すでに力も尽きているというのに、一片たりとも弱くなっていない弾丸を、アヒルへと放つ阿修羅。迫り来る弾丸に、アヒルは素早く金銃を構える。
「“失せろ”!」
アヒルの言葉と共に、淡い金色の光に包まれると、阿修羅の放ったはずの弾丸が、どこへともなく消え失せていく。
「“撃…!」
「“現れろ”」
「あ…!」
アヒルが金銃を放つその前に、阿修羅が、まるでアヒルの言葉を予想していたように、素早く次の弾丸を放ち、先程消えたはずの初弾を、再びその場に出現させる。
「う…!」
もう一度、弾丸が現れた時、すでに弾丸はアヒルのすぐ目の前まで差し迫っており、アヒルは新たな言葉を放つこともなく、ただ、その表情を歪めた。
「うああああ…!」
阿修羅の弾丸に貫かれ、アヒルが後方へと、勢いよく吹き飛んでいく。
「う、うぅ…」
背中から地面に倒れ込み、腹部から赤々とした血を流し、苦しげな声を漏らすアヒル。
「はぁ…はぁ…」
倒れたアヒルを見つめる阿修羅の全身からも、先程の攻撃により負った傷が刻まれ、血が滴り落ちていた。腕から伝った血が、さらに銃を伝い、銃口の端から地面へと落ちる。
「う、ううぅ…!」
苦しげではありながらも、どこか気の入った声が聞こえて来て、阿修羅が俯けていた顔を上げる。すると前方には、銃を持った両手で必死に踏ん張り、何とか立ち上がろうとしているアヒルの姿があった。そのアヒルの様子を見て、阿修羅がかすかに口元を緩める。
「ほぉ…まだ、立つか…」
必死に立ち上がろうともがくアヒルを見つめ、微笑んだ阿修羅が、まるで感心するように言う。
「いい目だ」
阿修羅の言葉に、顔を上げたアヒルの、その鋭い瞳を見て、阿修羅がさらに満足げに笑う。
「例え死するとしても、“許す”ことはしない。決して、“許さない”」
笑顔を見せたまま、阿修羅が言葉を続ける。
「これこそ、俺の求める戦いだ。アヒル」
「…………」
踏ん張る両手に力を入れたまま、やっと上半身だけを起こしたアヒルが、楽しげに笑う阿修羅を見つめ、そっと目を細める。
「俺は…」
少し視線を落とし、アヒルが小さく声を漏らす。
「俺は、あんたを“許さない”為に、立ち上がるんじゃない」
「何…?」
アヒルの言葉に、阿修羅が怪訝そうに眉をひそめる。
「俺はただ、常連のオバちゃんの、地味な副担任の、バカアニキのダチの、この町の皆の、自由ある言葉を取り戻す為に…」
ゆっくりとした口調で言葉を放ちながら、アヒルが傷だらけの両足に力を入れ、震えて、もうほとんど動かない膝を立たせ、その場で必死に立ち上がる。
「世界中の人たちの“言葉”を守る為に、その為に立ち上がるんだ…!」
堂々と言い放つアヒルのその言葉に、今まで笑顔だった阿修羅が、あからさまに表情を曇らせる。
「成程。言葉の神らしい言葉だ」
またしても感心したように言いながら、阿修羅が再び笑みを浮かべる。だがその笑みは、先程のような楽しげなものではなく、凍えるような、冷たい笑みであった。
「だが、そうまでして、守る必要のあるものか…?」
ひどく落ち着いた声が、アヒルへと問いかける。
「お前が命を賭けてまで戦うほどに、価値のあるものか…?」
アヒルの答えを待たぬまま、さらに問いかける阿修羅。
「“言葉”というものは…」
阿修羅からまっすぐに向けられる冷たい視線に、アヒルが思わず目を細める。
「言葉が清く正しく、何者に対しても穏やかで優しい、素晴らしいものであると思っているのなら、それはお前の勘違いだ。アヒル」
どこか諭すように、忠告するように、阿修羅がアヒルへと言い放つ。
「言葉は決して、清らかなものではない。優しいものでもない」
言葉を続ける阿修羅の表情が、徐々に曇っていく。
―――私はどうして…生きているのかな…―――
「ただ残酷で、罪深いだけのものだ」
阿修羅の言葉に、ほんの少しだけ力が入り、銃を持つ右手もきつく握り締められる。
「言葉は罰せられて、然るべき存在」
眉間に皺を寄せながら、阿修羅がアヒルを見据える。
「お前が、その命を賭けて守るような、美しいものでは、決してない」
はっきりと告げられるその言葉を、アヒルは逸らすことなく聞き入れた。焦りも怒りもない、静かな表情で、アヒルが阿修羅を見つめる。
「そんなのは、わかってる…」
「何…?」
認めるように頷いたアヒルに、眉をひそめる阿修羅。
「俺だって、誰かの心を傷つける言葉を、言葉で傷ついた人の姿を…」
―――神なんてものが存在したから、僕の言葉は消えたんだ―――
―――この世界の言葉はすべて、嘘ばかり…―――
―――ならば何故、この世界から“痛み”が消えない…?―――
「たくさん、見てきた…」
仲間たちの姿を思い出しながら、自身の発言を続けるアヒル。
―――兄ちゃんなんか、居なくなればいいんだ…!―――
「誰かの心を傷つける言葉を、たくさん口にしてきた…」
かつて兄に放った言葉を思い出し、アヒルが険しい表情を作る。カモメは許すと言ってくれたが、あの言葉がどれほどにカモメを傷つけ、そしてアヒルの心を蝕んできたか、それは、アヒル自身が痛いほど知っていた。
「言葉がきれいなものじゃないってことは、言葉が残酷なものだってことは、こんな頭の悪い俺でも、十分に理解してる」
「ならば、何故守る…?」
アヒルの言葉が終わるとほぼ同時に、阿修羅が鋭く問いかけた。
「そんな美しくも何ともないものを、お前は何故、命を懸けてまで、守ろうとする…?」
阿修羅の問いかけを受け、アヒルは少し迷うように俯いた。
「確かに、あんたの言う通り、言葉は罪を犯してきたのかも知れない」
視線を落としたまま、アヒルが静かに言葉を発する。
「罪深いものなのかも知れない。けど」
単調な口調から、強く切り出すように言葉を付け加えたアヒルが、ゆっくりと顔を上げ、前方に立つ阿修羅を、まっすぐに見つめる。
「言葉が罪を犯してきたっていうなら、それに対する罰は、“消える”ことじゃない。“消える”ことは、何の罪滅ぼしにもならない」
強く光るアヒルの視線が、阿修羅の心を突き刺すように注がれる。
「“存在し続ける”ことが、罰だ」
銃を持ったままの手を胸に当て、放つ声を大きくし、アヒルがはっきりと告げる。
「“発し続ける”ことが、罰だ!」
辺りに散らばる雲を払いのけるように、すべての迷いを掻き消すように、ただまっすぐに、ただはっきりと伝わって来るアヒルの言葉に、その表情を険しくする阿修羅。
「だから俺は、言葉を守る」
許すかどうかで守っていた、先程までの表情とはまるで違い、堂々とした主張を続けるアヒル。
「謝る為に、救われる為に、やり直す為に在る言葉を、“贖う”為に在る言葉を、俺は守る」
さらに鋭くした視線で、アヒルが射るように阿修羅を見つめる。
「それが俺の、“安の神”である俺の役目だ!」
「……っ」
アヒルの強い覚悟が生み出したのか、正面からどんどんと伝わって来る気迫に、阿修羅はまるで気圧されるように一歩、足を後ろへと引いた。その自身の行動に対してか、阿修羅が苛立つように、さらに顔をしかめる。
「そうか…それがお前の、神としてのお前の答えか」
低く声を落とした阿修羅が、表情の苛立ちを振り払わぬまま、口角だけを上げ、引きつった笑みを零す。
「アヒル…どうやらお前に、俺の考えは伝わらぬらしい…」
左手で頭の側面を押さえ、阿修羅がどこか悩ましげに言う。
「だが、それも当然か。俺は元より、言葉を亡くした身…」
左手で胸を押さえた阿修羅が、自嘲するように笑う。
「お前に俺の考えを伝えられるとすれば…」
言葉を続けながら、阿修羅が鋭く右手をあげ、構えた銃の先を、アヒルへと向ける。
「この、力しかない…!」
銃口を向ける阿修羅に、アヒルが険しい表情を作る。
「これが、俺の最後の力…」
銃口を見つめ、阿修羅がそっと目を細める。
「さぁ、共に行こう…」
赤々と輝き始める銃の銃口を、アヒルから、ゆっくりと上空へと持っていく阿修羅。暗い空を見上げた阿修羅が、優しい笑みを浮かべる。
「“飛鳥”…!!」
思いのこもった、力強い言葉と共に、上空へと放たれる阿修羅の弾丸。暗い空に広がった赤い光が、すぐさま阿修羅の後方へと落ちて、まるで対となった巨大な翼のような、美しい形を作りあげていく。正面から見つめるアヒルからは、阿修羅の背中に赤い翼が生えたような、そんな風に見えた。
「……っ」
空に広げられていく翼を見上げ、そっと目を細めるアヒル。
「負けられない…負けたくない…」
自分の心の中を吐き出すように言葉を紡ぎ、アヒルが銃を握る両手に、精一杯の力を込める。
「力を…」
アヒルの声が、まるで祈るように響く。
「俺に、すべての言葉を守る為の、力を…!」
力強く言葉を放ち、アヒルが同時に両手を掲げると、それぞれの銃が輝きを放ち始める。アヒルは左手の輝く金銃の銃口を、さらに上へとあげている赤銃へと向けた。
「“受け継げ”…!」
アヒルの言葉と共に、金銃から強い光の弾丸が放たれると、その弾丸が右手の赤銃を直撃し、帯びている赤い光のさらに上から、包み込むように金色の光が広がっていく。
『……っ』
二重の光に包まれたその赤銃を、阿修羅へと向けるアヒル。阿修羅もまた、空へと向けていた銃を、アヒルへと向ける。
『あ…』
二人が同時に、口を開く。
『“当たれ”…!!』
重なる声と共に、アヒルと阿修羅、それぞれの銃から、激しい光の弾丸が放たれた。




