Word.61 うケ継グチカラ 〈2〉
「どうしたというんだ…?アヒル」
前方から届く声に、深く俯いていたアヒルが、ゆっくりと視線を上げる。
「さっきから、ろくな攻撃をしていないぞ…?」
敵であるアヒルの攻撃まで心配するほどに、余裕を見せる阿修羅。
「“絶対に許せない”んだろう…?この俺が」
阿修羅が、どこか確認するように問いかける。
「大好きだった“カー兄”を殺した、この俺が…」
「……っ」
強調するように、カモメの名を出す阿修羅に、アヒルが再び眉をひそめる。阿修羅のその言葉は、わざと、アヒルを挑発しているように聞こえた。
「俺が憎いんだろう?だったら、もっと、激しく攻撃してきたらどうだ?初めて対峙した、あの夜のように…」
攻撃を誘うように、阿修羅がアヒルへと左手を差し伸べる。
「あの時のお前は、なかなか見応えがあったよ。力の差は歴然である俺に、形振り構わず向かってきて、この傷をつけた」
差し伸べた左手を動かし、阿修羅が左頬の傷の前へと持っていく。頬の浅い掠り傷は、初めてアヒルと阿修羅が対峙した夜、アヒルが唯一、阿修羅に負わせた傷であった。
「もっと、俺に見せてくれないか…?あの時のように、お前の底知れぬ憎しみを…」
また、誘うように言う阿修羅をまっすぐに見つめ、アヒルがそっと目を細める。
「わから、ないんだ…」
小さく落とされたアヒルの言葉に、阿修羅が眉をひそめる。
「わからない…?」
「ああ…」
聞き返した阿修羅に、アヒルはゆっくりと頷いた。
「“許さずにいる”ことが、正しいことなのか…“許さずにいる”ことだけしか、道がないのか…」
「何を馬鹿なことを」
戸惑うアヒルの言葉を、阿修羅はすぐに笑い飛ばす。
「“許さない”と、俺にそう言ったのは、お前だろう?なのに今更、何を迷う必要がある…?」
「あんたを許せねぇって思うのは、事実だ。その思いは今も変わってない。けど…」
言葉を付け加え、アヒルがそっと表情を曇らせる。
「俺があんたを殺したとして、仇を討ったとして、カー兄がそれを喜ぶと思うか…?」
真剣な表情のアヒルのその問いかけに、阿修羅が浮かべていた笑みを止め、眉間に皺を寄せる。しばらくの間、押し黙り、阿修羅は何やら考え込むように俯いた。
―――幸せを呼び込むためには笑顔、笑顔ぉ~!ねっ?―――
俯いた阿修羅の脳裏に、どこまでも明るいカモメの笑顔が浮かぶ。
「……喜ばない、だろうな」
少しの時を置いて、阿修羅がゆっくりと答える。
「どんな理由があろうとも、自分のために誰かが傷つくことを、良しとはしない男だ。カモメは」
確信するように、はっきりと言い放つ阿修羅を見て、アヒルが目を細める。
「ああ、俺もそう思う」
阿修羅に賛同するように頷いたアヒルは、仇である阿修羅を前に、穏やかな笑みを浮かべていた。
「やっぱりあんた、カー兄のこと、よくわかってるよ」
しみじみと呟きながら、嬉しそうにも見える笑顔を浮かべるアヒルを見つめ、阿修羅が怪訝そうに眉をひそめる。
「だったら何だ?」
不快そうに顔をしかめ、阿修羅が鋭く問いかける。
「カモメが喜ばないから、俺を殺しはしないと、俺を許すとでも言う気か?」
「んな、天使さまみてぇなことは言わねぇよ」
問いかける阿修羅へと、アヒルが自嘲するような笑みを向ける。
「俺はあんたのこと許せないし、あんたのやろうとしていることも許せない」
アヒルが笑みを止め、真剣な表情を作る。
「ただ、確かめたいと思ったんだ」
「何をだ?一体、何が言いたい?」
アヒルの言葉の真意を理解出来ず、阿修羅がどこか急くように問いかける。そんな阿修羅へと、アヒルはまっすぐにその視線を投げかけた。
「俺があんたを殺したって、カー兄は喜ばないって、あんたは言った」
「ああ」
次の言葉を求めるように、阿修羅が素早く頷く。
「なら、あんたの妹は?」
「……っ」
アヒルのその問いかけに、阿修羅の表情が凍りつくように止まる。
「こんなことをして、人の自由ある言葉をすべて奪って、あんたの妹は喜ぶのか…?」
続けて問いかけるアヒルに対し、深く俯いた阿修羅は、何も答えることなく、押し黙った。見つめるアヒルと、俯いたままの阿修羅の間にしばらく、沈黙が訪れる。
「成程な…」
先に口を開いたのは、阿修羅であった。
「おかしなことばかり言うと思ったら…そうか。くだらないことを吹き込まれたか…」
阿修羅が少し口元を崩し、薄く笑みを浮かべる。
「まぁ、五十音士共には知れた話だからな。韻にでも聞いたか?」
「韻じゃねぇ」
「そうか。まぁ、どうでもいい」
興味なく言いながら、阿修羅がゆっくりと、俯けていた顔を上げる。
「それで?俺の過去を知って、俺が哀れにでもなったか?」
「別に哀れんでねぇよ。俺の言葉、ちゃんと聞いてたか?」
少し顔をしかめながら、アヒルが再び阿修羅の瞳を見つめる。
「俺は、こんなことして、あんたの妹が喜ぶのかって聞いたんだよ」
もう一度問いかけを向けるアヒルに、柔らかくなっていた阿修羅の表情が、またしても凍りつく。
「カー兄が喜ばねぇってわかってるあんたになら、わかるはずだ!あんたの妹だって、きっと喜ばない…!」
阿修羅をまっすぐに見据え、アヒルが強く声を張り上げる。
「自分のために、自分の大好きな兄ちゃんが、人を殺したり、大事な言葉を奪ったりするなんて、絶対に喜ばない!」
真剣な表情を見せ、アヒルがはっきりと言い切る。
「そんなことくらい、あんたにだってわかるはずだ!わかってるはずだ…!」
「…………」
響き渡るアヒルの主張を耳に入れながら、すべての表情を消した阿修羅は視線を落とし、血の海のように赤く染まった地面を、ひたすらに見つめていた。
「だから、こんなことはもう…!」
「“やめろ”と…?」
言いたかったことを先に口にされ、アヒルが思わず言葉を止める。
「安っぽい説得だな、アヒル…」
向けられる冷たい視線に、眉をひそめるアヒル。
「俺は別に、復讐のために言葉を奪おうとしているわけじゃない」
「え…?」
阿修羅の発した言葉に戸惑い、アヒルが少し首を傾ける。
「これは、“贖い”だ」
「贖い…?」
「ああ、そうだ」
言葉を繰り返したアヒルへと、阿修羅が大きく頷きかける。
「“言葉”が犯してきた罪への贖い。罪を犯したものが、罰を受けるのは、当然のことだろう?」
「自由ある言葉を消し去ることが、言葉への罰だって言うのか…?」
「ああ、そうだ。それくらいのことをした。言葉は」
―――私はどうして…生きているのかな…?―――
「それくらいの罪を犯してきた。言葉は…」
哀しげだった妹の最期の笑みを思い出し、阿修羅が低く、声を響かせる。
「罪深き“言葉”に、贖わせることこそが、言葉の神の役目だ」
顔を上げた阿修羅が、睨みつけるようにアヒルを見つめる。
「“許さない”ことが、俺の役目だ」
「……っ」
はっきりと言い放つ阿修羅の言葉を聞き、アヒルがそっと目を細める。あげていた右手をゆっくりと地面に落とすと、アヒルは力なく顔を俯けた。
「そんなの…」
迷うように声を漏らしながら、アヒルが地面に落とした右手を、軽く握り締める。徐々に拳を握る力を強くして、アヒルは勢いよく顔を上げた。
「そんなの…!」
「“当たれ”」
「あ…!」
アヒルの言葉を遮るように、アヒルへと向かってくる弾丸。
「うあああ…!」
避ける間もなく弾丸に左肩を貫かれ、アヒルが地面につけていた膝のバランスを崩し、後方へと腰をつく。アヒルは血の流れ落ちる肩を押さえながら、苦しげに表情を歪めた。
「言っただろう?アヒル…」
一層冷たい表情となった阿修羅が、静かにアヒルへと言葉を向ける。
「“俺の言葉は死んだ”と」
「ク…」
射るような視線を向けられ、全身を鋭い刃で突き刺されたような感覚に陥り、アヒルは思わず眉をひそめる。
「お前がどんなに必死に言葉を投げかけても、俺はそれを受け止めない。俺とお前が、言葉を交わすことはない」
そう言って、阿修羅が素早く引き金を引く。
「お前はただ、泣き叫んでいればいい。“当たれ”」
「う…!」
再び向けられる弾丸に、身動きの取れないアヒルは大きく、表情を歪めた。
「クワアアアア!」
「ガァスケ…!」
翼をはためかせたガァスケが、自分の巨体でアヒルを横へと押しのけ、弾丸の軌道上からアヒルをどかせる。自身も素早く舞い上がると、弾丸は誰も居なくなった場所を駆け抜け、炎を纏った壁へと消えた。
「邪魔な鳥だ」
上空へと舞い上がったガァスケを見上げ、阿修羅が少し顔をしかめる。
「“圧縮”」
「あ…!」
ガァスケへと向けた銃口の前で、力の圧縮を始める阿修羅に、アヒルが焦った様子で声を漏らす。
「や、やめ…!」
「“当たれ”」
アヒルの制止の声が放たれきる前に、阿修羅の銃口から、巨大な光の弾丸が放たれた。
「クアアアアア…!!」
「ガァスケ…!」
その巨体と大差ない弾丸を直撃し、ガァスケが激しい悲鳴をあげる。アヒルが思わず身を乗り出すが、撃ち抜かれたガァスケの巨体は、その体を金色の粒子へと姿を変えて、崩れ落ちていく。苦しげな表情のまま、ガァスケが完全に崩れ落ちると、元の赤色の言玉が、地面に力なく落下した。
「あ…」
落ちてきた言玉へと手を伸ばしながら、アヒルが茫然とした表情を見せる。
「また、一人になったな」
「ク…!」
再び銃口をアヒルへと向ける阿修羅に、険しい表情を見せたアヒルが、撃たれた左肩を庇いながら右手を伸ばし、地面に転がる言玉を握り締める。
「第一音“あ”、解放…!」
アヒルが言玉を解放させ、真っ赤な銃を構える。
「“当たれ”…!」
銃撃の反動に顔をしかめながらも、アヒルが阿修羅へと、光の弾丸を放つ。
「“当たれ”」
余裕の笑みを浮かべた阿修羅が、静かにアヒルと同じ言葉を口にする。阿修羅の銃から同じように放たれた光の弾丸が、迫り来ていたアヒルの弾丸と、勢いよくぶつかり合った。だがぶつかった次の瞬間、阿修羅の弾丸があっという間に、アヒルの弾丸を砕く。
「な…!?うああああ!」
押し負けたことに驚く間もなく、阿修羅の弾丸がアヒルへと襲いかかった。弾丸に吹き飛ばされ、アヒルが後方へと転がり込む。
「はぁ…はぁ…」
肩を揺らし、大きく息を乱しながら、引きずるようにして、必死に体を起き上がらせるアヒル。
「俺と同じ言葉では一生、俺には勝てないぞ…?」
まだ起き上がれていないアヒルへと、阿修羅が上から見下ろすように冷たい視線を送る。
「尤も、お前が、俺の知らぬ言葉など持っているはずもないか…」
嘲るようにそう言って、阿修羅が銃口をアヒルへと向ける。
「“当たれ”」
「ううあああああ…!」
阿修羅が弾丸を放ち、何とか起き上がろうと踏ん張っていた、アヒルの右足を貫く。周囲に赤い血を撒き散らしたアヒルが、力なくその場に倒れ込む。
「う、うぅ…」
地面にうつ伏せに倒れ込んだまま、アヒルは苦しげに声を漏らすだけで、もう起き上がろうとする素振りを見せることはなかった。そんな起き上がることさえも出来ないアヒルへと、阿修羅がさらに銃口を向ける。
―――あんたの妹は、喜ぶのか…?―――
「……っ」
思い出されるアヒルの言葉に、阿修羅がそっと目を細める。
「飛鳥のためじゃない…」
厳しい表情を見せ、阿修羅がまるで、言い聞かせるように呟く。
「これは俺の、俺自身の選んだ…」
阿修羅の金色の瞳が、より一層、鋭く輝く。
「修羅の道…!」
強く言い切ると、阿修羅が細めていた瞳を見開く。
「“集まれ”」
阿修羅が銃を握る右手に力を込め、はっきりとした口調で、自身の言葉を発する。すると、炎の壁から、針の空から、血の海から、阿修羅の形成したその空間のすべてから、赤い光が集まり始め、銃口の前に、今までで一番巨大な、光の塊を作っていく。
「これで終わりだ、アヒル」
動けぬアヒルへと、狙いを定め、阿修羅が引き金を引く。
「ク…!」
少しだけ顔を上げたアヒルが、視界を覆い尽くすほどの巨大な弾丸に、険しい表情を見せる。
「“当たれ”…!!」
阿修羅の銃から、集められた巨大な弾丸が、勢いよくアヒルへ向けて放たれた。
「“刈れ”!」
大きく言葉を発し、真っ赤な鎌を振り下ろす篭也。だが篭也の鎌は、分厚い赤光の壁により阻まれた。鎌の先を伝って感じる、壁の強固な感触に、篭也が眉をひそめる。
「やはり無理か…」
悔しげに言葉を落としながら、篭也が鎌を引く。
「この中に、神が居るのに…」
篭也が顔を上げ、空まで伸びている、赤光の円柱を見上げる。突如、丘の上に作られた、巨大な円柱状の空間は、恐らくは阿修羅の力によるものだろう。だが、篭也の言葉では、この空間の壁を壊し、中へ入ることは困難であった。
「どうすればっ…」
「クワアアア」
「え…?」
戸惑うように俯いた篭也が、ふと横から聞こえてくる、鳥の鳴き声のようなものに気付き、振り向く。そこには、一般的な鳥より少し大きいくらいの大きさの、金色の鳥が浮かんでいた。だが、その金色の体は透けており、体を通して向こう側が見える。
「あなたは…」
傍に浮かぶその鳥をまじまじと見つめ、眉をひそめる篭也。
「神の…?いやっ…」
その鳥は、アヒルの言玉から姿を変えるガァスケの姿によく似ていたが、少し異なる雰囲気に、篭也はすぐに首を横に振った。ガァスケではないが、だが確かに篭也には見覚えがあった。
「あっ…」
考え込んでいた篭也が、何か思いついたように目を開く。
「カー、坊…?」
「クワア!」
篭也が戸惑いながら名を呼ぶと、鳥はそれに応えるように、大きく鳴いた。呼びかけに応えた鳥が、今後は何かを求めるように、その鋭い瞳でまっすぐに、篭也を見つめる。
「……そうか」
鳥の求めが通じたのか、篭也が目を細め、そっと頷く。
「わかった。援護しよう」
答えるようにそう言うと、篭也が再び、目の前に塞がる赤い壁の方を見つめ、右手に構えた鎌を、自分の体の前へと突き出す。
「あの日の言葉が、きっとあなたを導いてくれる」
確信するように言って、篭也が鎌を握る手に力を込める。
「“叶え”…!」




