表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
あノ神ハキミ。  作者: はるかわちかぜ
240/347

Word.60 鬼ト化シタ神 〈4〉

――――ただ、あの人に、笑ってほしかった。


「棗、この人が私の神様。安積晶よ」

「よ、よろしくお願いします…!」

「ああ…」

 あまり、感情を表に出さない人。あまり、人と関わることを得意としない人。


「苦手でもしっかり野菜食べないと、体悪くなっちゃうよぉ~?晶~」

「苦手なわけじゃない。前世がベジタリアンだったから、今世は間に合ってるだけだ。きっと」

「何、それぇ~」

 少し、見栄っ張りな人。かなり、照れ屋な人。困るくらい、不器用な人。


「おかえり、お兄ちゃん!」

「ただいま、飛鳥」

 とても、優しい人。


 笑ってほしかった。あの日と同じ笑顔で、優しく、笑ってほしかった……――――




 言ノ葉町、中央部。

「ん、んんっ…」

 大きな、扱いきれないほどに強い光に呑まれたはずの棗は、自分を覆い尽くしていた光が消えていることを肌で感じ、固く閉ざしていた瞳を、ゆっくりと、恐る恐る開いた。

「あ…!」

 棗が開いたその瞳を、さらに大きく見開く。

「はぁ…はぁ…」

 目を開いた棗のすぐ目の前には、息を乱し、上下に肩を揺らしながら、苦しげに呼吸している七架の姿があった。七架は、籠手を纏った棗の右手を、両手で握り締めており、その両手は激しく傷ついて、赤い血が滴り落ちていた。七架の周囲には、ぼろぼろに砕けた七個の十字が、無残に落ちている。

「と…止めた、のですか…?私の“奈変なへん”を…」

 状況を確認するように、周囲を一周見回した棗が、戸惑った表情で、七架へと問いかける。すると、顔を上げた七架は、そんな棗へ、優しく笑みを向けた。

「うん、私の奈変の力を正面からぶつけて。止められるかどうかは賭けだったけど、でも良かっ…」

「何故です!?」

「え…?」

 七架の言葉が、棗の強い問いかけにより遮られる。

「何故…何故、このような無謀なことを…!」

「だって、あのまま無理に奈変をさせたら、棗さんが危ないと思って…」

「危なくて、何がいけないのです!?私はあなたの敵でしょう…!?」

「……っ」

 非難するように、必死に言葉を浴びせる棗を真正面に、七架がそっと目を細める。

「言ったでしょ…?“優しさ”は捨てられないって…」

 七架が口元を緩め、さらに柔らかく笑う。

「それに…私やっぱり、あなたのことを、“敵”とは思えない…」

「え…?」

 七架のその言葉に、棗が眉をひそめる。

「私…よくわかるの。あなたの気持ち…」

「わかる…?」

 その言葉を低い声で繰り返し、険しい表情となっていく棗。

「あなたに何がわかるというのです…?」

「棗さん…」

 少し俯き、問いかける棗に、七架が眉をひそめる。

「あなたに…あなたなどに、私の何がわかるというのです…!?」

 勢いよく顔を上げた棗が、喰ってかかるように、七架へと問いかけを向ける。

「あなたに、あなたなどにわかるはずがない!私の、私の気持ちなど…!」

「わかるよ」

 棗の必死の声を遮って、七架はもう一度強く、主張した。

「だって、私も、私の神様が大好きだから」

「え…?」

 そう言って笑う七架に、棗は必死に続けていた言葉を止め、戸惑うように声を漏らす。

「私も、あの人のことが大好きだから…」

 その言葉を繰り返しながら、七架が少し俯く。


―――ごめんな…―――

 自分が放ったわけでもない“居なくなれ”という言葉に、ただ悲しげに謝ったアヒル。ただ、悲しげだったアヒルの姿が目に焼きついて、それから七架は、アヒルのことを、目で追うようになった。


「だから、出来ることなら…あの人の背負う悲しみを、消してあげたい…」

 願うように言う七架を、棗は目を逸らすことなく、まっすぐに見つめた。

「あの人の背負う悲しみを、少しでも軽くするために、私に出来ることがあるなら…何だってしたい」

 俯いていた七架が、ゆっくりと顔を上げていく。

「あの人にはいつだって、笑っていてほしいから…」

「……っ」

 棗の胸の中にあるその言葉を、同じように口にし、笑う七架の姿を見つめ、棗は思わず、驚いたような表情を見せた。力なく俯いた棗が、苦しげに目を細める。

「私も…私、だって…」

 どこか戸惑うように、途切れ途切れの言葉を落とす棗。

「私だって、ただ、あの人に笑ってもらうためだけに…!」

「あなたの道の先に、あなたの神様の笑顔はあるの…?」

「……っ」

 顔を上げ、主張する棗に、真剣な表情で七架が問いかけると、棗は思わず口ごもった。

「あなたが今、進もうとしている、この道の先に…本当に、あなたの大切な人の、笑顔はあるの…?」

「そ、それは…」

 すぐに答えを口にすることが出来ず、棗がどこか逃げるように、七架から視線を逸らす。

「あ、ある…あるに決まっています!すべての言葉に秩序をもたらせば、あの人はきっと笑って…!」

「じゃあ、なんで、朝比奈くんを通したの?」

 必死に答える棗の声を、七架はまたしても鋭く、遮った。

「朝比奈くんに止めてほしかったから、足止めもせずに、ここを通したんじゃないの?」

 七架が射るように、まっすぐに棗を見つめる。

「本当は、わかってるんじゃないの!?この道は、間違ってるってこと…!この道の先に、その人の笑顔はないってこと…!」

 徐々に声を荒げ、七架が熱く、言葉を放つ。

「……っ」

 七架の言葉を聞きながら、棗が強く、唇を噛み締める。

「その人を止めてほしくて、だから、朝比奈くんを通したんじゃないの…!?」

「違う…!!」

「ああ…!」

 強く否定した棗が、右手を掴んでいた七架の両手を振り払い、七架の体を勢いよく跳ね除ける。棗の奈変を止めることで力を使いきった七架は、抵抗することも出来ずに、力なく地面に倒れ込んだ。

「違いますっ…違います!」

「棗さん…」

 何度も首を横に振り、必死に否定する棗を、七架が倒れたまま見上げ、どこか悲しげに眉をひそめる。

「私は…私は、あの人の望みを叶えるっ…」

 自分に言い聞かせるように言葉を発し、棗が籠手を纏った右手を、強く握り締める。

「だから私は、あなたを倒す…!」

「あ…!」

 強く決するように言葉を放って、飛び出してくる棗に、七架が焦ったように声を漏らす。すでに奈変の十字も崩れた七架には、向かってくる棗に対抗する術がなかった。

「“なじれ”…!」

「う…!」

 振り下ろされる棗の右手に、七架は覚悟を決めたように、きつく両目を閉じた。

「“さまたげろ”」

「何…!?」

「え…?」

 耳に届くその言葉に、戸惑いながらも、すぐさま瞳を開く七架。七架が目を開くと、七架の周囲を取り囲むように、赤い光の膜が張られており、七架へと向けられた棗の拳は、その膜により、止められていた。

「こ、これは…!」

「大丈夫…?」

 棗が戸惑う中、七架が声の聞こえてくる後方を、勢いよく振り返る。

「七架…」

「囁ちゃん…!」

 後方に立つ、横笛を構えた囁の姿を視界に入れ、七架は嬉しそうな笑みを零した。

「左守っ…」

 七架と同じように囁に気付いた棗は、少し表情をしかめながら、警戒するように後方へと下がり、囁との間に距離を取る。

「囁ちゃんも、大丈夫?堕神は?」

「大丈夫。ちょっと助けてもらっちゃったけれど、無事に終わらせたから…」

 身を起こしながら、不安げに問いかける七架に、手を貸しながら、安心させるように笑みを向ける囁。七架を立ち上がらせると、囁がゆっくりと、棗の方を振り向く。

「さてと…」

 横笛を握り直す囁に、素早く身構える棗。

「私の邪魔をするというのであれば、あなたも…!」

「もういいわ、棗…」

「……!」

 今度は囁へと攻撃するべく、構えた右拳を振りかぶった棗であったが、右方から聞こえてきた、よく聞き覚えのあるその声を耳に入れ、大きく目を見開いた。拳の動きを止めたまま、棗が恐る恐る、声の聞こえてきた方を振り向く。

「もう、やめましょう…」

 そこに居るのは、車椅子に乗った、一人の女性。

「棗…」

「お姉、ちゃん…」

 その女性は、五年前に別れたきりの姉、櫻であった。久し振りに見る姉の姿に、棗の表情が曇る。

「……っ」

 棗は確認するように、姉の両足を見ると、気まずそうに視線を落とした。車椅子に乗っているところから、五年前、晶に撃たれた櫻の両足が、動かなくなってしまったことを察したのだろう。

「櫻、さん…?」

「私が連れてきたの…」

 戸惑う七架へと、囁が小声で言う。

「今更、何をしにきたんです…?そんな体でのこのこと、こんなところまで…」

「棗…」

 どこか刺々しく言う棗を見つめ、櫻がそっと目を細める。

「私と我が神の邪魔でもしにきたのですか…?そうですよね。私たちは、あなたの“敵”ですもの」

 続いていく棗の言葉に、櫻の表情が曇る。

「この子たちに、奈変を教えたのも、あなたなんでしょう…?私たちの邪魔をするために、教えた…」

「ええ、そうよ…」

 櫻が棗の言葉をすべて認めるように、大きく頷く。

「あなたに、晶に…もうこんなことは、人の言葉を奪うようなことはやめてほしくて、彼女たちに力を与えた」

 囁と七架に少し視線を流し、櫻が答える。

「もう、やめにしましょう…棗…」

 櫻が棗へと、もう一度、その言葉を掛ける。

「五年前、私たちの止めることの出来なかったものは…たくさんのものを、傷つけ過ぎた…だからもう、ここで、終わりにしましょう…」

 棗を見る櫻の瞳が、どこか悲しげに瞬く。

「これ以上、傷つけることは…」

「どうやって、止まれっていうの…?」

「え…?」

 助けを求めるように聞こえてくる問いかけに、櫻が少し戸惑う。

「棗…」

「私たちは、もう、こんなところまで来てしまった…」

 俯いたままの棗が、籠手を纏っていない左手を、そっと左胸に当てる。

「もう、この悲しみは止められないっ…」

 言葉を続ける棗の声が、かすかに震える。

「人の言葉を奪うことでしか…」

 胸に当てていた左手を下ろすと、棗が込み上げる想いを握り潰すように、右拳へと力を込める。

「もう、あの人は、笑ってくれないの…!!」

「棗さん…!」

 力いっぱい拳を握り締め、櫻のもとへと飛び出していく棗に、七架が焦った様子で声をあげる。その横で、落ち着いた表情を見せた囁は、素早く横笛を奏でた。

「“さけべ”」

「ううぅあ…!」

 櫻へと攻撃しようとした棗へ、囁が振動の塊を放つ。それが棗の振り上げた右腕に直撃し、籠手が砕けると、棗はそのまま力なく、その場へと倒れ込んだ。砕けた籠手が地面に落ち、もとの赤い言玉の姿へと戻る。

「う…うぅ…!」

 七架との戦いと、未完成の奈変の発動もあり、すでにボロボロの状態の棗であったが、それでも必死に起き上がり、落ちた言玉へと手を伸ばそうとする。

「まだ…私は、まだっ…」

 険しい表情で、棗が必死に言葉を繋ぐ。


―――俺に従うというなら、附いて来い…―――

 思い出される、あの日の悲しげな瞳。


「私は…!」

 まだ戦意は失わず、言玉へと手を伸ばす棗の姿を見て、囁がさらに言葉を向けようと、横笛の口に当てる。

「待って!」

「え…?」

 音色を奏でようとした囁を止めたのは、七架であった。そんな七架に、囁が少し戸惑うように眉をひそめる。

「けれど…」

「私に任せて、お願い」

「……わかったわ」

 真剣な眼差しを向ける七架に、反論することも出来ず、囁は諦めたように頷くと、構えていた横笛を下ろした。

「棗さん」

 囁から棗の方へと顔を向けた七架が、凛とした声で棗の名を呼ぶ。

「どんなに悲しみを追いかけても、その先に待ってるのは、悲しみだけだよ」

「……っ」

 聞こえてくるその言葉に、言玉へと届こうとしていた棗の手が、ふと止まる。言玉を掴むことにばかり集中していた棗が、ゆっくりと顔を上げ、七架の方を見る。

「悲しみの先には、悲しみしかない。悲しみを終わらせるには、きっと、立ち止まって、受け止めるしかないんだと思う」

 顔を上げた棗をまっすぐに見つめ、七架が言葉を続ける。

「だから、止めないと…」

 七架がどこか、促すように言う。

「止めないと、きっと、笑ってくれない…」

 どこか悲しげに細められる、七架の大きな瞳。

「あの人は、笑ってくれないよ…」

「……っ」

 真正面から向けられる七架の言葉を聞き、棗が見開いていたその瞳を、ゆっくりと力なく細めていく。

「あなたなら…止め、ましたか…?」

 先程までとは異なり、落ち着いた口調となって、棗が静かに七架に問う。言葉を向けられると、七架はすぐに、穏やかな笑みを作った。

「うん」

「…………」

 迷いなく頷く七架の笑顔を見て、棗はゆっくりと両目を閉じ、言玉へと伸ばしていた右手を地面に落とし、そっと俯いた。

「う…ううぅ…!」

 深く俯いた棗の、その閉じた瞳から、大粒の涙が零れ落ちる。

「ううぅ…!」

「棗…」

 櫻は車椅子を動かし、しゃがみ込んだままの棗へと近寄って、穏やかな笑顔を浮かべ、まるであやすように、優しくその髪を撫でた。

『……っ』

 そんな姉妹の様子を見た後、囁と七架は目を合わせ、どこか安心したように笑みを浮かべた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ