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あノ神ハキミ。  作者: はるかわちかぜ
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Word.60 鬼ト化シタ神 〈3〉

「その日、安積晶が言葉で殺した人間の数は、朝比奈カモメを含め、病院関係者およそ二百五十人。五十音士の歴史始まって以来の、最低最悪の出来事だった」

 力を吸い上げられ続けている錨、沖也、そして新たに運ばれてきたエカテリーナに自身の力を与え続けながら、険しい表情を見せた恵が、カモメたち先代安団の過去を話し終える。

「そんなことが…」

 恵の話に、どこか遣り切れない表情を見せるのは、“衣の神”エリザベス。囁の救援に入ったエリザは、衣団の面々と共に、今もまだ礼獣との交戦を続けているこの場所へと駆けつけたのである。

「では、“阿修羅”というのは…」

「その出来事の後に、韻が奴に付けた名だ」

 横から問いかける徹子に、恵がそっと目を細める。

「阿修羅…“鬼神きしん”阿修羅」

「“鬼と化した神”…まさに彼に、相応しい名ですね…」

 阿修羅の名を繰り返す恵の横から、同じく堕神たちに力を与えている為介が、そっと口を挟む。

「アヒルは…アヒルは、そのことを知っているの?」

「……ああ」

 厳しい表情で問いかけるエリザに、少し間を置いた後、恵が短く頷く。

「先代“左守”、相良櫻の希望もあって、櫻自身から、朝比奈と安団の奴等全員に、話してもらった」

「そんなの聞いたらアヒル、いくらお兄さんの仇だっていっても、思いっきり戦えなくなるんじゃっ…」

「だろうな」

 エリザの言葉を、素直に認める恵。

「だが、何も知らないままに阿修羅と戦ったとしても、あいつはきっと全てを知ろうとしただろう」

 恵が落としていた視線を上げ、東の空に突き上げている赤い光の柱を見つめる。

「誰に対しても、何よりも、その言葉と向き合う。それが、あいつだ」

「……っ」

 恵の言葉を否定することは出来ず、エリザは困ったように、そっと目を細めた。




 言ノ葉町、東端。小高い丘の上。

「言葉が、死んだ…」

「ああ」

 ゆっくりとその言葉を繰り返したアヒルに、阿修羅は認めるように、大きく頷いた。

「俺は五年前、必死に守ってきた“言葉”というものが、どれほどに残酷であるかを知った…」

 阿修羅が右手に持っている銃を見下ろしながら、そっと目を細める。

「人の命すら、簡単に奪ってしまえるほどに、残酷であることを…」

「……っ」

 昨日櫻から、安積晶に起こったすべてを聞いていたアヒルは、阿修羅の言葉が意味するものを知り得ており、どこか遣り切れない表情を見せる。

「だから俺は、すべての言葉を捨てた」

 はっきりと言い放った阿修羅が、感情のない瞳で、冷たく笑う。

「言葉を信じること、言葉を守ること、言葉を崇めること…すべてをやめた」

 阿修羅の言葉は、放り投げられるように、どうでもいいように、あっさりと落とされる。

「俺の言葉は、死んだんだ」

「…………」

 もう一度、その言葉を繰り返す阿修羅を見つめ、アヒルがそっと目を細める。

「だから…」

 間を置いた後、アヒルがゆっくりと口を開く。

「だから、もう、言葉は要らない…?」

 少し顔を俯けて、静かに問いかけるアヒルのその言葉に、阿修羅が浮かべていた笑みを止める。

「自分の言葉が死んだから、自分は言葉を捨てたから、だから、世界中の人間も皆、言葉は要らない…?」

 さらに問いかけを続けながら、アヒルがゆっくりと顔を上げていく。

「だから、この世界に“自由ある言葉”は要らないって、そう言うのか?あんたは」

 まっすぐに見つめるアヒルの瞳は、阿修羅を強く否定しているようで、阿修羅は少し眉をひそめた。

「ああ」

「そんな考えは、勝手過ぎる…!」

 あっさりと頷く阿修羅に、アヒルが思わず声を荒げる。

「例え、あんたに言葉が不要になったとしても、俺や皆、世界には、言葉が必要なんだ!捨てたりなんか、したくないんだ!」

 何とか思いを伝えようと、必死に言葉を続けるアヒル。

「それなのに、ただ、あんたの都合で、皆の言葉を消そうなんて、そんなこと…!」

「“許せない”…?」

「え…?」

 遮る阿修羅の声に、アヒルが戸惑うように言葉を止める。

「“カモメを殺した”と、俺がお前に告げた日、お前は俺に言ったよな…?アヒル」

 ひどく落ち着いた口調で、阿修羅がアヒルへと問う。

「俺だけは絶対に、“許さない”と…」

 その言葉を強調する阿修羅が、ひどく冷たく、恐ろしく思え、アヒルが思わず息を呑んだ。

「俺もそうだ」

 阿修羅が短く、言葉を吐き捨てる。


―――私はどうして…生きているのかな…―――

 頭の中から消えることのない、あの悲しい笑顔。


「残酷な“言葉”が、俺から大切なものを奪った“言葉”が、絶対に“許せない”…」

 続く阿修羅の言葉を聞きながら、晶が言葉により失ったものを十分に知っているアヒルは、戸惑うこともなく、そっと目を細める。

「だから俺は、残酷な“言葉”を消す」

 はっきりと告げられる言葉に、アヒルが表情を歪める。

「お前もそうだろう…?アヒル」

 どこか誘うように、阿修羅があげた左手を、アヒルの方へと向ける。

「カモメを殺した俺が、人々から言葉を奪おうとしている俺が、“許せない”…」

 阿修羅が口元を緩め、そっと笑みを浮かべる。

「俺も“許せない”。お前も“許せない”。だから、こうして、俺とお前は向き合っている…」

 楽しげに笑う阿修羅に、険しい表情を作るアヒル。

「俺とお前の、何が違う…?お前に俺を否定出来るのか…?なぁ、アヒル」

「それは…」

 問いかける阿修羅に対し、アヒルはどこか逃げるように俯く。阿修羅の言葉は正しく、反論する答えを、今のアヒルは持っていなかった。

「もう、言葉は不要だ。アヒル」

 どこか諭すように、阿修羅がアヒルへと告げる。

「お前がどんなに必死に、言葉を投げかけたとしても、俺はそれを受け止めない」

 突き放すように言い捨て、阿修羅が鋭くアヒルを見る。

「俺たちは、後はただ…」

 アヒルへと向けられる阿修羅の笑みが、さらに冷たく変わった。

「許し合わずにいればいい」

「あ…!」

 下ろしていた銃を振り上げる阿修羅に、アヒルが少し焦ったように表情を歪めながら、身構える。そんなアヒルを見て、阿修羅は楽しげに笑いながら、そっと口を開く。

「これが俺が与える、最後の四字熟語ラスト・イディオムだ」

 問題でも与えるかのように、阿修羅が楽しげに笑う。

「“神格しんかく”」

「しん…?」

 阿修羅が口にしたその言葉に、アヒルが戸惑うように眉をひそめる。

「“阿鼻あび叫喚きょうかん”…!」

 高らかと言葉を放つと共に、阿修羅が引き金を引き、二人の上空へと大きな弾丸を放つ。弾丸は遥か上空へと舞い上がったところで、勢いよく弾け飛んだ。

「う…!」

 弾け飛んだ光のあまりの強さに、思わず目を細めるアヒル。空で飛び散った光は、上下左右にどんどんと広がり、アヒルと阿修羅の居るその場所を、円柱状に取り囲んでいく。

「こ、これは…」

 辺りを真っ赤な光の壁で覆われ、表情を曇らせるアヒル。

「さぁ、始めようか。アヒル」

 前方から聞こえてくる阿修羅の声に、周囲を見回していたアヒルが振り向く。

「そして、終わらせよう…」

 冷たく微笑み、阿修羅が上空へと向けていた銃口を、アヒルへと向ける。

「この世界の不要な言葉、すべてを…!」

「……っ」

 強い憎しみを宿らせた瞳で、高らかと言い放つ阿修羅を見つめ、アヒルがどこか苦しげに俯く。攻撃態勢を取る敵を前に、俯いてしまうアヒルを見て、後方を待っていたガァスケは、どこか心配するようにアヒルを覗き込んだ。

「クワア?」

「阿修羅は、俺の言葉なんかじゃ止まらない…」

 大きな首を傾けるガァスケを横に、アヒルが阿修羅には聞こえない声でそっと、諦めたように呟く。

「もう、止められない…あいつを倒さなきゃ、自由ある言葉は消える…」

 アヒルが空いている右手を、左胸へと当たる。

「けど…だからって、あいつを撃つのか…?」

 戸惑うように言いながら、アヒルが再び顔を上げ、正面に立つ阿修羅を見つめる。


―――大好きだったよ―――

―――飛鳥ぁぁぁぁぁ…!!―――


「撃てる、のか…?」

 この世界で一番大切なものを、言葉により失ってしまった阿修羅を、残酷な言葉への憎しみにより、不要な言葉を消そうとしている阿修羅を、“間違っている”と、“そんなことは間違っている”と言い切ることが、アヒルには出来なかった。


―――あいつは俺の神附きで、俺はあいつの神だった―――

―――カモメもよく、そう言っていた…―――


「俺は本当に…あいつを、“許せない”のか…?」

 手で押さえた胸に問いかけるように、アヒルが言葉を続ける。

「“許し合わずにいる”しか、ねぇのか…?」

 胸を押さえた手で、制服を強く握り締めるが、答えは出て来なかった。

「わかんねぇ…わかんねぇよっ…」

 困惑したアヒルの口から、助けを求めるような、弱々しい声が零れ落ちる。

「カー兄っ…」

 苦しげに表情を歪めたアヒルが、答えを求めるように、カモメの名を呟く。

「さぁ、アヒル…」

 冷たく微笑んだ阿修羅が、そっとアヒルの名を呼ぶ。

「この地獄の中で、ただ、泣き叫ぶといい…!」

「ク…!」

 空へと放たれる弾丸に、アヒルは険しい表情を作った。



「ハァ…!ハァ…!」

 一方、恵たちへと沖也を任せ、アヒルの居る言ノ葉町の東端へと駆けてきた篭也は、小高い丘の中腹へとやって来たところで、その足を止めた。丘の頂上部分を包み込むようにして、強い赤光の円柱が、空へと突き上げている。

「神っ…」

 その円柱を見上げ、篭也はどこか不安げに、アヒルを呼んだ。



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