Word.59 死ンダ言葉 〈3〉
翌日。
「確かに“また来い”と言ったのは、俺だが…」
今日も一日の授業を終え、飛鳥の待つ病室へとやって来た晶が、扉を開けた途端、勢いよく表情をしかめる。
「じゃーん!果物詰め合わせならぬ、野菜の詰め合わせぇ~!」
「すごぉ~い!」
何故かすでに病室に居るカモメは、きっちりとベッドの横の椅子を陣取り、色取り取りの野菜の入った大きなカゴを抱えて、飛鳥と楽しげに笑い合っていた。
「おい、カモメ」
「ああ、晶~」
「おかえり、お兄ちゃん!」
晶が呼びかけたことで、やっと晶が病室へと入って来たことに気付いた様子のカモメと飛鳥。
「そんなに険しい顔しなくても、誰も無理やり、晶に野菜スティック食べさせようだなんて、思ってないよ~」
「俺も別に、お前がそんなくだらないことをしようとしているとは思ってなかったがな…」
不自然なほどの笑顔で、大きく首を横に振るカモメに、晶が鋭い視線を向ける。
「何故、お前が俺より先に居る?お前も学校に通っているはずだろう…?」
「ん?それはぁ、学校から“駆けろ”の言葉で、ピャっと来ちゃったからぁ」
「はぁ?」
軽い口調で答えるカモメに、晶が思いきり眉をひそめる。
「そんなことに、言葉の力を使うんじゃない!」
「うわぁ!」
晶に強く怒鳴られ、思わず身を縮めるカモメ。
「フフフ…晶の怒鳴り声なんて、初めて聞いたわね」
病室の扉の開く音と、入って来る凛とした声に、晶とカモメが同時に顔を上げる。開いた扉の向こうから現れたのは、大きな花束を抱えた櫻であった。
「あ、君は確かぁ」
「左守の相良櫻よ。櫻でいいわ、カモメ」
首を傾げているカモメを察するように、櫻が再び名を名乗りながら、病室の中へと入って来る。
「私の知らないうちに、随分と仲良くなったようで…お二人さん」
「別に…」
含んだ笑みを向ける櫻に、晶が落ち着きを取り戻しながら、深々と肩を落とす。
「こんにちは、飛鳥ちゃん。はいこれ、お見舞い」
「ありがとう、櫻ちゃん!」
櫻から花束を受け取り、飛鳥が嬉しそうに笑みを零す。
「今日は櫻ちゃん、一人?」
「ううん」
首を傾げ、問いかける飛鳥に、櫻がそっと笑みを浮かべると、病室の入口の方を振り返る。
「いつまで廊下で見舞っているつもり?棗」
「へ?」
何やら呼びかける櫻の言葉に戸惑うように、カモメが病室の入口を振り返る。すると再び扉が開き、ゆっくりとした足取りで、新たな人物が入って来た。
「こ、こんにちは…」
「棗ちゃん!」
病室へと入って来たのは、長い茶色髪の、可愛らしい少女であった。中学生くらいだろうか、カモメたちよりは少し年下に見える。棗と呼ばれた少女の姿を視界に入れると、飛鳥はまた、嬉しそうに笑みを浮かべる。
「飛鳥ちゃん、こ、これ」
「ありがとう!棗ちゃん!」
棗からクマの人形を受け取り、飛鳥が大きく礼を言う。
「いつも済まない、棗」
「い、いえいえいえ!そ、そんなそんなそんな!」
晶が横から声を掛けると、棗はあっという間に顔を真っ赤にして、どこか必死に言葉を繋げた。そんな棗の姿を横目に、櫻が少し困ったように微笑む。
「カモメは初めてよね。この子、私の妹の棗」
「よ、よろしくお願いします」
櫻に紹介され、棗がカモメへと深々と頭を下げる。
「彼は朝比奈カモメ。私と同じ晶の神附きで、“加守”よ」
「どうもぉ~」
「加守、さん…」
笑顔を向けるカモメを見つめながら、棗が何か考えるように、真剣な表情を見せた。
「ねぇ、せっかくたくさん集まったんだし、皆で何かして遊ぼうよ!」
「いいねぇ、それ」
飛鳥の提案に、カモメが大きな笑顔で頷く。
「じゃあ、野菜シルエットクイズとかぁ」
「野菜握り潰し選手権…」
「ええ!?勿体ないこと、言わないでよぉ~晶~」
「アハハ!」
こっそりと呟く晶と、そんな晶に嘆くように訴えるカモメ。二人の様子を見て飛鳥は、とても楽しそうな笑みを浮かべた。
「またねぇ~!」
余程、楽しい時間を過ごしたのか、満面の笑みの飛鳥に見送られ、四人が病室を出る。カモメが帰る時間となったため、櫻と棗もついでに帰ることとなり、晶は三人を見送りに出たのである。
「あぁ~楽しかった!明日は何の野菜、持って来よっかなぁ~」
「明日も来るのか…」
横に並んだカモメの暢気な声に、晶がどこかげっそりと、疲れたように肩を落とす。
「プチトマトの詰め合わせにしようかなぁ」
「そんなに毎日持ってきて、店の経営は大丈夫なのか…?」
「大丈夫だよぉ。全部、売れ残りだし」
「本当に、大丈夫、なのか…?」
笑顔で答えるカモメを見つめ、晶がどこか不安げに表情を曇らせる。
「何か…雰囲気変わったよね。晶さん」
二人の少し後方を櫻と共に進みながら、棗がポツリと呟く。
「ちょっと前まではこう、もっと、近寄り難いオーラが全開だったっていうか…」
「いい傾向じゃないかしら」
戸惑う棗の横で、櫻がそっと笑みを浮かべる。
「晶って元々、人付き合いとか下手な方じゃない…?だから、あれくらい頭の軽い相手の方が、何の考えもなく付き合えるのかも」
「それって、さり気なくカモメさんに、凄く失礼なんじゃ…」
姉の失礼発言に、思わず顔を引きつる棗。
「意外と、いい団になるかも知れないわね。うちも」
「……っ」
櫻がそう言った途端、棗がどこか寂しそうに、表情を曇らせる。
「ねぇ、お姉ちゃん」
「ん…?」
「五十音士になるには、どうしたらいいの?」
「え…?」
棗の思いがけない言葉に、いつも落ち着いている櫻も、さすがに驚きの表情を見せた。だがすぐにまた、冷静な表情に戻って、呆れたように深々と肩を落とす。
「まぁ、動機が不純なのがちょっと、いただけないけど…」
「不純て言わないでよ!」
少し棘のある言い方をする櫻に、口を尖らせる棗。
「言葉を信じること」
「え…?」
櫻の言葉に、棗が戸惑うように首を傾げる。
「信じ続けていれば、いつかきっと、言葉があなたに力をくれるわ…」
「言葉が、私に…」
告げられた言葉を、噛み締めるように、棗がゆっくりと繰り返す。
「うん、わかった!」
棗は笑顔を見せ、櫻の言葉に大きく頷いた。
それから、一年半ほどの時が流れた。
「ご苦労さまでした、安の神」
「ああ」
韻から要請のあった忌退治を、安団の仲間と共に終えた晶は、そのことを報告するため一人、韻の本部へと訪れていた。無事、報告を受けた和音が、晶へと笑顔を向ける。
「次の退治依頼はあるのか…?」
「いえ、特には」
「そうか…なら俺はこれで、帰らせてもらう」
「ああ、そういえば安の神」
和音へと背を向け、部屋の出口へと歩を進めようとした晶を、和音が不意に呼び止める。晶は少し機嫌を損ねたように眉をひそめながら、和音の方を振り返った。
「左守さんの妹さんが、奈守になられたそうですわね」
「ああ。昨日、現“衣の神”により、認定式も済んだ」
「そうですか」
そっと頷き、和音が笑みを浮かべる。
「これで安団も、四人まで揃いましたわね」
「ああ」
和音の言葉に、素っ気ない頷きのみを返す晶。
「彼、加守の朝比奈カモメは、その後どうです?」
和音が、カモメのことを気にかけるように、問いかける。カモメが加守となった当初、カモメはただ能天気に明るく、晶もそんなカモメを相手にはしていないように見え、和音は少なからず不安に思っていた。
「別に、相変わらずだ。相変わらず馬鹿で、妙に頑固で、変なところにばかりこだわるし、突然、ガキを加守の後継者に決めてきた。だが…」
文句を連ねた後、晶がそっと目を細める。
「“あいつほど、音士に相応しい者はいない”と言った、先代加守の言葉が…今は少し、わかるような気がする…」
「……そうですか」
晶のその言葉を聞き、和音はどこか安心するように微笑む。
「左守さんも妹さんが加わって、力が増すでしょう。益々の安団の活躍を、期待しておりますわ」
激励するように言う和音であったが、晶はその言葉に答えようとはせず、どこか浮かない表情を見せた。
「どうかいたしました?安の神」
「……そんなに、嬉しいものではないだろう」
首を傾げ、問いかける和音へと、晶が小さな声で答える。
「妹が、五十音士になることなど…」
俯いた晶は、苦しんでいるようにさえ見え、その姿に、和音はそっと目を細めた。
「そういえば、安の神にも妹さんがいらっしゃいましたね」
晶が何を考えているのかを察するように、和音が言葉を投げかける。
「確か、生まれつきの重い病で、ずっと入院生活が続いているとか…」
踏み入るような和音の言葉に、晶が少し顔をしかめる。
「そんな顔をされるのでしたら、いっそ、言葉で病気を治して差し上げたら宜しいのでは?」
その和音の言葉を聞くと、晶は途端に眉をひそめた。煩わしげな表情を作って、晶がまるで睨むように、和音を見つめる。
「お前には、五十音士としての誇りが無いらしいな…」
「では安の神は、誇りを守るためであれば、妹さんが死んでしまっても構わないと?」
「それは…」
鋭く指摘する和音に、晶が思わず口ごもる。
「綺麗事を並べたところで、救えるものなど、何もありませんよ」
晶から視線を逸らした和音が、どこか遠くを見るような瞳を見せる。
「言葉は崇めるものではない。利用するものです」
「…………」
冷たく響く和音の言葉を聞きながら、晶は少し考え込むように俯いた。
「あ、お兄ちゃん!おかえりなさい!」
韻本部での報告を終え、自分の町へと戻って来た晶は、家に寄ることなくまず、飛鳥の居る病院を訪れた。大きな笑顔を咲かせた飛鳥が、今日も晶を迎える。
「ああ…ただいま」
「今日は遅かったんだね」
「少し、寄るところがあったから…」
「そう」
飛鳥と会話を交わしながら、晶が病室の奥へと進み、飛鳥のベッドのすぐ横の椅子へと腰掛ける。
「今日はね、カモメくん、店番だから遊べないんだって。さっき一瞬だけ来て、すぐ帰っちゃった」
「そうか」
カモメが帰ってしまったことを残念そうに話す飛鳥を見つめながら、晶が穏やかな笑みを向ける。この笑顔だけを見ていれば、飛鳥が病気であることなど、信じられないくらいだ。
―――言葉で病気を治して差し上げたら、宜しいのでは?―――
「……っ」
思い出される和音の言葉に、晶が少し悩むように俯く。
「でね、これが今日のカモメくんのお土産の、カリフラワーとブロッコリーの花束でっ…」
「なぁ、飛鳥…」
「え?」
カモメから貰った土産を見せようとした飛鳥が、晶に呼ばれ、再び晶の方を振り向く。
「なぁに?お兄ちゃん」
すぐ目の前で、まっすぐにこちらを見つめる飛鳥の、何の汚れもないきれいな瞳を見つめ返し、晶は堪えるように、そっと目を閉じる。
「何でも、ない…」
「変なお兄ちゃん」
晶の言葉を聞き、飛鳥はまた、明るく笑った。




